妖精の受難
蓮水 涼
1st. エルフリーデ
とある高級娼館に、
この世ならざる不思議な力を使い、様々な願いを叶えてくれる彼女を、人はこのエルディネラ帝国の建国神話にあやかって、「エルフリーデ」と呼ぶ。
妖精という意味を持つその名にふさわしい、可憐な少女だと言う者もいれば、
人の噂とはあてにならないものだが、こうも違う噂をされるエルフリーデとは、いったい何者なのだろう。噂がさらなる噂を生み、彼女の謎を深めていく。
今宵、そんな彼女の許に、二人の青年が訪れた。
「『妖精はいずこに』」
落ち着いた調子の声で、オスヴァルトは店にいた老婆に尋ねる。
二人がただの客でないことは、この〈妖精の庭〉を切り盛りしている老婆には一目で分かった。地味な格好だが、立ち居振る舞いからして上客中の上客だ。
訳ありのようで、彼らは合言葉を使ってきた。
――"妖精はいずこに"
エルフリーデに会うための隠語である。
「どうぞどうぞ。こちらでございます」
上機嫌で老婆が案内したのは、この娼館の奥の部屋だった。色ではなく願いを売る娼婦だというから、おそらく客の秘密を漏らさないためだろう。周囲に
「エルフリーデ、お客様だよ」
老婆が扉を押す。中から返事はない。オスヴァルトは老婆の後をついていこうと踏み出した。
「お待ちください、オスヴァルト様」
それを止めたのが、彼に付き従う形で控えていた、フィン・ネルベリだ。
「なにがあるか分かりません。私が先に参ります」
「そこまで警戒する必要はないと思うが」
しかし側近の頑固な性格を知っているオスヴァルトは、肩をすくめて先を譲る。
部屋の中はわざとなのか薄暗く、何か香でも焚いているようで、甘ったるい匂いがした。これで目の前にベッドと扇情的な女がいれば、まさしくここは娼館にふさわしい部屋となる。
けれどフィンが見たのは、扇情的な女でも、事をなすための寝台でもなく。
眉間にしわを寄せた少女と、無機質なテーブルが一つと椅子が二つ、その奥にソファが一つだけだった。
「じゃ、しっかりおやり、エルフリーデ」
老婆が少女の耳元で言う。声はひそめていたようだが、耳のいい彼らには聞こえていた。
すると、奥のソファに身を預けていた少女が、老婆の言葉でさらに眉間のしわを深くした。腰まで波打つ白金の髪を無造作に掻き、最高級の値がつきそうな紫水晶の瞳を不機嫌そうに細める。
その瞳が、オスヴァルトとフィンを品定めするように上下した。
「――断る」
それが、少女の発した第一声だ。
「おい、銭ババ。わたしは色は売らんと常から言ってるはずだが?」
「誰が銭ババだって⁉︎」
少女の頭に鉄拳が落ちる。鈍い音がした。あれは相当痛いだろう。それでも少女はすまし顔を崩さない。若干涙目にはなっていたが。
「相手をよく見ろ。やり手のヒルダが聞いて呆れる。後ろにいる男は――」
「エルフリーデ」
そのとき、彼女の言葉を遮るように、オスヴァルトが彼女の通称を呼ぶ。低く、落ち着いていて、全てを包み込むような穏やかな声である。
けれど、どこか無視できない響きがあった。
「初めてお会いする。私はオスヴァルトという。今日はあなたに願いがあって参ったのだ」
「願い? 色ではなく?」
「違う。探し物をしてほしい」
「それこそ断る。他をあた――」
「こらっ、なにを勝手なことを抜かすんじゃ、この馬鹿娘が!」
またもやヒルダの鉄拳が落ちる。やはり相当痛かったらしく、彼女の目にはさらなる涙が溜まっていった。
それでも、冷静な態度は変えないらしい。何事もなかったように、オスヴァルトを睨みつけている。
「冷やかしか何かは知らんが、
「そうでもない。見つからなかったから、ここに来た」
「それを聞いて、なおのこと受けたくなくなった」
少女は鉄拳が落とされた頭を労わりながら、まるでオスヴァルトの正体を知っているような返事をする。国民の前には素顔を晒したことがない、オスヴァルトの正体を。
これには大変満足したオスヴァルトである。どうやら彼女は、偽物ではないようだ。
それに聡い。先ほどオスヴァルトが遮った理由を、正しく理解している。だからこそ、
巷には、願いを叶えてくれる人間や、先見の力を持つ人間など、その手のものは多くある。けれど、本物だった試しはない。どれも詐欺まがいのものばかりだった。
それらの中で、オスヴァルト自身が足を運ぶに値すると判断されたのが、〈妖精の庭〉という高級娼館にいるエルフリーデだった。
彼の部下が調査として適当な依頼をしたことがあるが、それを見事に完遂したのはエルフリーデだけだ。
「店主、申し訳ないが席を外していただけるだろうか。礼は弾む」
「ええ、もちろんでございます! ――エルフリーデ、勝手に断ったら承知しないからね。夕飯抜きが嫌だったらちゃんと働きな」
「な、待て銭ババっ。そんなの横暴――った⁉︎」
「ほんっとに口の悪い娘さね。じゃあしっかりおやり、エルフリーデ」
「〜〜っ、手の早いババアめ……っ」
三度も同じ頭を殴られた彼女は、ついにぽろりと涙を流した。恨めしそうに部屋を出ていく老婆の背中を見ていたが、やがて部屋に残ったオスヴァルトたちにその矛先を変える。
「で、
その瞬間、知らずオスヴァルトの口角が上がった。やはり彼女は知っていたようだ。自分の正体を。
フィンは言い当てられたことに驚いていたが、オスヴァルトは本物に会えたことが嬉しくて仕方ない。
「ああ。願いを買いに来た」
「何人もの側室を侍らせて遊んでいると有名な、あのオスヴァルト・クロイツが?」
「なっ、エルフリーデ殿、少々口が過ぎますよ。しかも我が
主を侮辱されて我慢ならなかったのか、フィンが目をつり上げてそう言う。
けど、すぐにオスヴァルトに止められる。
「いい、フィン。下がれ」
「しかし殿下っ」
「挑発に乗るな。おそらく、彼女は噂など信じていない」
「……え?」
主の言った意味が分からず、フィンは答えを求めるように少女に視線を移した。
彼女は舌打ちして、長いため息を吐いていた。
「ここで怒って帰ってくれれば良いものを。――当然だろう? 誰が信じるか、そんな噂。皇太子オスヴァルト・クロイツといえば、妖精の愛し子と言われるほどの強運の持ち主。その持ち前の運の強さと高い頭脳で、数々の国を落としてきた悪魔だ。すごいな、妖精に悪魔に、盛りだくさんじゃないか」
嫌味を込めて笑った少女に、フィンがまた怒りを再発させる。彼の正体を知らないならまだしも、彼女はその正体を言い当てているのだ。この国の皇太子に、その態度はあまりに酷い。
知っていてなお態度が変わらないのは、フィンにとってはただの愚か者としか言いようがなかった。
それでも主が目で制してくるから、フィンは何も言えない。
「確かに、私はそう言われることが多いが……。だが、なぜそれで色狂い皇子を否定できる?」
それは素朴な疑問だった。
彼女が噂を信じていないことは、瞳を見れば瞭然だ。が、その根拠があまりに薄いと感じたのは当然だろう。噂で噂を否定するなど、おかしな話である。
と、思っていたが。
「噂も、なんの偶然か、たまには事実に沿うこともある」
「というと?」
「癪だから、わたしが教えるのは一つだけだ。妖精とは、純粋なものを好む。それが性格であれなんであれ、とにかく
なるほど、そういうことか。オスヴァルトは頷いた。
けれどそれは、なにも彼女に同意したからではない。彼女の言わんとする"純粋"の意味が分かったから、頷いたのだ。
否定は、あえてしない。
「それで、対価さえ払えば願いを叶えてくれると聞いたが」
「少し違う。対価と金を払ってもらう」
「金銭も対価も要求するのですか! 強欲な……っ」
「なんとでも。だいたい、金だけもらってもつまらんだろう? そんなことをしたら金持ちがこぞって殺しの依頼に来るしな。実際今までもあった。まあ、代わりにおまえの命を差し出すなら、と言えば逃げていったけど」
けらけらと面白そうに少女は笑うが、それのどこが面白いのか、フィンには到底理解できなかった。
本当にこんな娘に依頼してよかったのかと、フィンは己の主を仰ぎ見る。
オスヴァルトは泰然とかまえていた。
「分かった。そういうことなら、金も対価も払おう。それなら聞いてくれるな?」
「……だからさっきも言ったろ。皇太子のおまえに、探せないものなどないはずだ。おまえが一声かければ、たちまち何千人と力を貸してくれるだろうに」
「私もさっき言ったはずだが。探しても見つからなかったと。それに、私が動いていることはあまり知られたくない」
「つまりどう考えても厄介な依頼ってことだ。断る」
にべもない返事には、フィンの怒りがついに頂点に達する。けれどまだ、主の制止は解かれない。
「だが、断れば夕飯はなくなるぞ?」
「!」
少女の目が大きく見開く。
さっきも、ヒルダがそう言ったとき、今までの態度と打って変わって動揺していた。オスヴァルトはそれを見逃さなかった。
「対価は、皇家専属の料理人が作る、食べきれぬほどの料理でどうだ?」
「⁉︎」
「あなたの好きなものを作らせよう」
「好きなもの……」
手応えはあるが、少女はなかなか頷かない。頑固なようだ。
仕方ない、とオスヴァルトはため息を一つ吐き出した。くるりと背を向ける。
「今夜はこれ以上城を空けられない。また交渉に来る」
「こ、来なくていい」
「いや、来るよ。――ああそうだ。別れる前に、あなたの名をまだ聞いてなかった。名は?」
「エルフリーデだ」
「それは通称だろう? あなたの名だ」
オスヴァルトはもう一度少女に向き直ると、その夜空に近い深い青色の瞳でじっと見つめた。
負けじと彼女も見つめ返すが、先に折れたのは彼女のほうだ。
「……アンネ」
「ではアンネ、明日の夜は空けておいてくれ」
「な――だから断ると……って言い逃げするな!」
バタンと扉を閉め、オスヴァルトは足早に部屋を出て行く。少し長居をし過ぎた。城に自分がいないことがバレるわけにはいかないのに。
なら探し物などせず、または皇太子自身が足を運ばなくてもよかったのだ。実際ここに来るまで、フィンには何度も説得された。
それでも行きたいと動いた。
まさかそれが、歴史を覆す一歩になるとも知らずに――。
「フィン、明日は」
「もちろんお供いたします」
憤然としながら言われてしまえば、オスヴァルトは苦笑するほかない。
淡月に照らされる道は、どこか心許なく、やがて二つの影を呑み込んだ。
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