#39 Алэстэрзэ 《過激派》


「無事、着いたね」

「ああ、これから無事だとは限らないが」


 目を細めて言うと、理沙も神妙な表情で行く先を見つめていた。そんな俺達を無視して横を数人の男たちが通っていった。彼らは皆、首に一眼レフを下げて好奇心たっぷりの顔ですっかり無人となっていた街を各々バラバラに散ってゆく。そんな彼らを俺は軽蔑の眼差しで一瞥した。


 首都圏への交通網は完全にストップさせられていた。政府が国民の安全のために国営鉄道を含め、船や徒歩、全ての首都圏に下る通路を閉じている。今回の船を手配したのは他でもない神薙のルートを利用したものであった。

 災害であろうが、人災であろうが自分の身を顧みず向う記者というものはいつの年代にでも居る。そんな記者たちに暴利を貪って首都圏へと向う無許可船舶が出ているという情報は全国から薄っすらと彼の手に回ってきていたようだった。どの交通機関を使えば良いのか分からなかった俺らに、神薙は呆れながらも船を手配してくれた。彼は別れ際には後悔混じりにぼやいていた。彼もクリャラフと同じように俺たちを基本危ない場所へは行かせたくないはずだ。だが、あれを止められるのが自分たちだけだとすれば状況は別だった。


「それで、どこにブラーイェが居るのか知っているの?」

「ああ」


 不思議そうに訊いてくる理沙に携帯を取り出してみせる。十年前のモデルの開くタイプの携帯電話だ。開くとその画面に、黒背景に白地のプロンプトで数値が表示されていた。


「ブラーイェの座標だ。神薙さんに教えてもらっている」


 理沙は携帯電話を覗き込みながら頷いていた。

 神薙によると極東は公表するブラーイェの位置情報に偽情報を混ぜていた。極東もブラーイェをただやりたい放題させておくわけでもないということなのだろう。記者に前線の指揮をめちゃくちゃにされればたまったものではない。神薙は政府の専用回線を熟知していた。彼の古い携帯を彼自身が改造して専用回線に流れる座標情報を拾う端末にしてもらったのであった。

 そして、それによると記者たちは全くの正反対へと歩いていったことになる。そして、偽情報の周辺には警察が張り込んでいる。彼らが生きたまま極東政府に捕まってどうなるのかは知ったことではない。だが、少なくともブラーイェに殴り殺されることもなく、生きたまま捕まえられるのだろうから政府に感謝の一つでもしたほうがいいと感じた。


 暫く歩くと、端末に表示されるブラーイェの情報が更新される。現在地からいきなり近くなった座標情報に目を向けた。理沙はその行動に不思議そうにしながらも、同じ方向に目を向けた。

 港町に立ち並ぶ商店街やら駅の向こうにある山の脇に茶色い砂像の姿が見えた。海岸線に平行に、ブラーイェはゆっくりと進み続けていた。

 俺はそれを視界に入れながら、手元の地図で近づける道を探して進んでゆく。理沙は深く息を吸って、ゆっくりと吐いていた。実際に見るブラーイェの大きさに圧倒されたのだろう。彼女の動悸が目に見えてわかる。


「あんな近くに居るのに近づいて大丈夫なの?」

「大丈夫だ。ブラーイェはシェオタル人を攻撃しない」


 理沙は安心したようにもう一回深く息を吐いた

 研究ノートを読んでいるとブラーイェの近くにシェオタル人は幾らでも出てくる。ブラーイェはシェオタル人が近くにいれば、破壊行為を避ける。守るべき同胞を巻き込まないためにその動作を一旦止めるのだった。


「動きが……鈍ってるね」


 理沙がブラーイェを見上げながら言った。潮風にツインテールとアホ毛があおられる。

 ブラーイェは俺たちが近づくたびにその動く速さを削いでいった。俺はシェオタル人であり、理沙にはシェオタル人の血が混ざっている。近付き、巻き込み事故が起きることを避けるためにブラーイェはその動きを鈍らせているはずだ。


「じゃあ、何故……?」


 浮かんできた疑問が脳内を支配した。呟いた問いの言葉に理沙も不思議そうな表情を浮かべていた。


 シェオタル人が居るのは瀬小樽県のみではない。むしろ瀬小樽に残るシェオタル人はその半分ほどであり、殆どは極東本土へと出稼ぎに行く。避難によって近くに人間が居ないのだとしても、記者の中にシェオタル人が居なかったとは思えない。

 考えることに集中していると影が自分の下に落ちた。否、自分の周り全体が不自然な影で塗りつぶされていた。理沙は上を見上げながら俺の左腕にしがみついてきた。

 彼女と同じ方向を見上げる。目と鼻の先にブラーイェが居た。


「どういうことだよ……」


 理解できないことなど今に始まったことではない。ブラーイェもシェオタルの血統も、どちらも本来は現代社会の理解の範疇を超えている。だが、ブラーイェが一瞬で1キロメートルほどを音も無しに自分たちの目の前に出てくるなんてありえない。しかも、見上げたブラーイェの肩の部分には何者かが立っていた。


「ここまで来るとはさすが僕の弟だ!」


 変に上ずったような声がはっきりと聞こえた。聞き覚えがある声に弟と呼びかけられ、脳裏にクリャラフの言葉がこだまする。本当にあれは姉なのだろうか。ならば、何故ブラーイェの上に載っているのだろうか。ブラーイェは独立地下組織が起動した怪物だったはずだ。彼らに殺された姉が乗っているわけがない。

 混乱で脳内が満たされていた時、ブラーイェの肩から飛び降りてくる人影があった。風を切って落ちてきた彼女はとんでもない高さにも関わらず難なく着地してしまった。


「ふーっ、再構築した能力とはいえ、ちゃんと働くねえ」


 目の前に降りてきたのは自分の姉だった。銀色のポニーテルに蒼い目、優しげな顔は見紛うこともない彼女の顔だ。俺は死んだはずの人間がいきなり自分の前に現れて、完全に面食らっていた。今まで一番逢いたかった人間が目の前に居た。

 彼女は俺の左側を見て、少しにやけた。理沙が左手に更に強く抱きついてきた。そんな感触が俺を現実に引き戻した。彼女が姉――ヴェルガナフ・ユリヤなのか、未だに信じられなかった。


「ヴェルガナフ・ユリヤなのか」

「他人行儀だねえ、お姉ちゃんは悲しいよ。僕はヴェルガナフ・ユリヤだよ」


 ユリヤは人を食ったような口調で言う。理沙はそんな彼女を何か嫌なものを見るような目で見ていた。


「何故、ブラーイェのところに居るんだ。姉ちゃんは……独立地下組織に殺されたはずだ」


 俺の問にユリヤはくすっと笑う。薄々分かっている答えでも、訊く他に方法がなかった。


「僕の死は偽装だよ。独立地下組織は腐ってたから、僕が頂点に立ってシェオタルを取り戻す必要があったんだ。彼らのリーダーに成れたのは良かったが、方法論を理解させるのに難儀していたんだ。ありがとう、君のおかげでブラーイェの有用性を仲間たちに信じさせることが出来た」

「ブラーイェの……有用性?」


 恐る恐る聞くとユリヤは肩をすくめた。


「独立地下組織のメンバーはシェオタル人であって、シェオタル人じゃない。血統の能力も伝承も信じていない奴らばっかりだった。研究ノートは置いてきてしまったし、仲間には説明しようが無かった。だが、クラン。君がブラーイェ伝承を表沙汰にしてくれたおかげで彼らは信じてくれたんだ。家を燃やしたのは済まないと思っている。研究ノートが焼失したのも勿体無かった。でも、もうそんなことはどうでもいいんだよ。お金は置いていったし、生活に不自由はなかったと思うけど、寂しかっただろう?さあ、こっちにおいで、お姉ちゃんが抱きしめてあげる。僕と一緒に新秩序の元で暮らそう」


 ユリヤが手を広げた。彼女の口調は、死に別れる前とは全く違うように感じた。しかし、彼女であることには変わりない。完全に性格が変わってしまっているように感じた。そレに加えて、彼女が独立地下組織のリーダーになっていたということも強い衝撃を感じていた。頭をハンマーで殴られたような感じがしていた。


「こんなことをやっても、誰も幸せにはならない。極東とシェオタルの狭間に残された人間はどうなるんだ!」

「そんな人間どうでもいいさ!シェオタル人だけが生き残れば、それで十分だ。少なくとも奪われたままだったシェオタル人の幸せが戻ってくる。僕との約束を履行しろ、クラン。シェオタルを守るんだ」


 左手にしがみつく理沙は完全にユリヤを敵視していた。アホ毛が震えている。怒りによる震えなのだろう。俺は理沙とユリアの間に立たされていた。だが、既に自分の立ち位置は決まっていた。それでユリヤと対立することになろうとも、最後に導き出された答えがそれだった。


「姉ちゃんはを守れと言った。だが、シェオタルを守るために極東を滅ぼせとは一言も聞いていない。そんなことは約束していない。それに、俺には理沙との約束もある」


 左手にしがみつく相棒であり、大切な人を見る。理沙は俺の言葉に顔を赤らめながらも信頼の表情を向けていた。そんな俺の言葉にユリヤはアンビバレントに目を見開いて理沙を睨みつけた。


「汚らしい極東人め、僕のクランから離れろ! お母さん、お父さん、お婆ちゃん、お爺ちゃん、皆を殺したお前らなんかに生きる権利なんかない! シェオタルもシェオタラヴィーレも無かったことにしようとしたあいつらなんか!」


 ユリヤは完全に豹変していた。最初の落ち着いた様子は何処へやら、叫ぶと俯いて沈黙してしまった。理沙も俺も警戒した様子で、彼女を静かに見ていた。


「僕は理想のシェオタルを作るために生きてきた。美しく、純粋なシェオタルを残して最後の家族と一緒に生きるために。だけど、これじゃあ最後の家族も極東に奪われたも同然だ!」


 ユリヤが地面に叫ぶたびに止まっていたブラーイェが呼応するように震えた。


「もう僕には家族は居ない。今気づいた。シェオタル人も、何もかも僕の理想を作り上げる道具に過ぎなかったんだ。だったら――」


 俯いたまま語り続ける彼女を見ながら俺は胸が苦しかった。その豹変が極東の原罪から発していることが恨みとかして心を飲み込もうとしているのを頭を振って抑え込んだ。その瞬間、ユリヤが顔を上げた。その顔には狂気的な笑いが張り付いていた。


「だったら、皆殺しにしてやる」


 ユリヤは地面を蹴って飛んだ。目の前に立つブラーイェの肩に戻って着地する。その瞬間、ブラーイェの頭についていた二つの目らしきものが赤く光る。


「馬鹿め、お前らはブラーイェには勝てない!」


 頭上から投げかけられる言葉に顔を見上げる。ブラーイェは少しずつ動き出していた。シェオタル人が近くにいると動かないはずのブラーイェが、茶色の腕を振って家屋をなぎ倒していった。

 左手にしがみついていた理沙はその様子を見ながら顔面蒼白になっていた。ブラーイェを止めるなら、あれの前で制御命令を詠唱する必要がある。通常なら止まっているはずのブラーイェも現状自由に動いている。このままでは踏み潰されるか、瓦礫に飲み込まれて俺たちは死ぬだろう。


「ヤバイな……」

「クラン君、あれ!」


 理沙が指差したほうを見ると、ブラーイェが近くの民家を上に飛ばしていた。空の上に木々やら煉瓦やらが浮いている。自分たちの真上から落ちてきた。ガラス片が真後ろのショーウィンドウを破壊する。


「理沙! 出来るだけ瓦礫を弾け!」

「分かった!」


 急激に伸びる蔦のように理沙の頭からアホ毛が伸びてゆく。伸びたアホ毛は瓦礫を弾いた。俺もその瓦礫に手のひらを向ける。蒼い光が拡散して、自分たちに降り注ぐ瓦礫は全てブラーイェの方に飛ばされる。


「ブラーイェに攻撃は直接は通らない……か」

「どうする、クラン君?」


 自分の血統の能力はある程度遠くても関係なく適用される。理沙のアホ毛が伸びる範囲も同じくらいだ。さすがにブラーイェの巨体を弾き飛ばすことは不可能だが、あれを止めなければ制御詠唱をすることも出来ない。


「往生際の悪いゴミめ!これで終わらせてやる!」


 ブラーイェの上から聞こえてくる叫び声に目を向ける。シェオタル人の前でブラーイェが動いている原因は多分ユリヤであろう。彼女はブラーイェに命令するように空に掲げた右手をこちらに向けた。その瞬間、ブラーイェは近くにあった電波塔を引っこ抜いて俺らの上へと投げた。電波塔はその鉄骨をバラバラにして、こちらに落ちてくる。

 その瞬間、何をすべきかは完全に理解できた。ばらばらになった鉄骨はブラーイェの身長と同じくらいだった。俺たちに降り注げば、確実に死ぬ。

 理沙と顔を合わせる。彼女も俺の意図がわかっていた様子だった。それ以上言葉は要らない。風を切って落ちてくる鉄骨に向き合う。アホ毛が鉄骨を打って向きをブラーイェに向うように揃える。それらに向けて俺は手を向ける。イメージに集中して、それを現実に適用する。


「す、凄い……」


 瞬間、手のひらと全ての鉄骨が蒼く光った。高速でブラーイェへと鉄骨が刺さっていく。その衝撃に耐えきれなかったブラーイェは、一瞬で後ろに倒れ込み、鉄骨と共に地面に縫い付けられる。そのまま動けなくなっていた。

 肩に居たはずのユリヤは目の前に落ちてきた。切り傷で血が額から流れていた。彼女は最後の力を振り絞って、こちらに走り込んでくる。手元には短いナイフがあった。


「やめろ!僕の邪魔をするな!!」


 そんな彼女に俺は躊躇なく手のひらを向けた。蒼い光に飲み込まれて、彼女は道を転がるように吹き飛ばされた。勢いよく瓦礫が積み重なったところに衝突して、沈黙した。

 やっと戦闘が終わって、俺は心に強い痛みを感じていた。無意識に表情に出していたようで理沙もこちらを見上げて心配そうな表情をしていた。だが、首を振って心の痛みを振り払う。今の彼女と心の中での決着をつける必要があると感じていた。

 ゆっくりと彼女の元へと足を向けた。血まみれの彼女は顔を上げてこちらを見上げた。


「僕にはシェオタルの血統は無かった。シェオタル人としても、極東人としても無能だった。だけど、僕の伝承研究は力を僕に与えてくれた。僕が使える能力は再構築されたもの、だがクラン、君たちの血統能力ウェールフープは本物だった」

「どういうことだ」


 倒れたまま見上げるユリヤに言うと、彼女は小さく笑った。


「寂しかったんだ。僕を寂しがらせるこの世界が嫌いだった。だから、シェオタルも極東も関係ない。僕の理想郷を作ろうとしたのに、なんで皆揃って僕を苦しめるんだ。なんでなんだよ!」


 彼女の頬から大粒の涙が落ちていた。彼女は大声で叫びながら、泣いていた。俺は彼女の前にしゃがみ込む。理沙は後ろから静かにその様子を見ていた。


「俺たちが目指していたのは誰もが幸せになれる社会だ。シェオタル語もシェオタルの文化が極東のそれと同等に扱われる社会、それが元より姉ちゃんと交わした約束だ」

「クラン……僕を、僕を置いて行かないでくれ!」


 彼女は俺の足元に必死にしがみついていた。


「俺は約束を守るよ、姉ちゃん」


 そう言って立ち上がる。顔を上げる。ブラーイェに向けて、手を向ける。伝承を思い出して、その言葉を言った。


С'пуснист止まれ ла бларестиブラーイェよ, со'дお前の харк'с役目は но'с мол нив無くなっ да.」


 蒼い光の帯が手のひらから出て、ブラーイェと繋がる。その瞬間、茶色い砂像はその巨体が溶けていくように壊れていった。砂埃が舞う。一瞬、周りが見えなくなったが、しばらくすると目の前が見えるようになった。後ろを見て理沙の無事を確認する。

 後ろから誰かが駆けつける音が聞こえる。警官や軍人が集まって来ていた。皆、崩れたブラーイェの残骸を前にして頭をもたげていた。


「終わったんだな」


 小さく呟いた言葉に理沙は静かに頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る