#38 Ла мэлфэрт 《捜索》
目の前の机を埋め尽くすのは幾つもの大学ノート。罫線に挟まれた空白にキリル文字と極東語の文字が交互に並んでいる。その筆跡は見紛うこともないヴェルガナフ・クラン――俺の姉であるヴェルガナフ・ユリヤによるものであった。
三良坂家のリビングのテーブルに所狭しと並べられたノートを理沙と俺でひたすら読み続けていた。理沙は完全に内容が分かるわけではないので、ある程度関連がありそうな内容のものがあれば伝えるようにとだけ言っておいた。
「これいつになったら、止め方が見つかるんだろう……」
理沙はページを捲りながら、呟いた。顔色を覗くと、そこには不安の色が見えた。
「そもそもの伝承が敵を倒すために復活させたと言っているしな。ブラーイェ伝承自体から止める方法が出てくるのは期待できないな」
「そっか……」
理沙は意気消沈しながらもじっと研究ノートの行を目で追い続けていた。
結局持ち出せたノートはブラーイェ伝承研究の全てとそれ以外の細々とした伝承研究ノートの一部だけだった。瀬戸川もクリャラフも、極東警察がきちんとした証言を取れるようになるには回復に時間が必要であろう。だが、ノートの一部が取り去られていることやセキュリティシステムに生体認証のログが残っているとすれば真っ先に彼らが狙うのは自分であるはずだ。独立地下組織もこの異常事態に対処するために自分たちの身を狙って来るはずである。資料も時間も足りないが、ただ単に緊張が高まっていた。
「ふむ、熱心に探しているね」
片手にティーカップを持ったまま、理沙の父親――三良坂
「今日はなんのお茶なんですか?」
「ウイグルから取り寄せた磚茶だよ。塩を入れて飲む珍しいお茶なんだ」
彼の微笑みはいつ見ても癒やされるものだった。紅茶の香りも芳しいが、読み込む作業の手を止めてはならなかった。
その時やっと気づいたことだったが、彼はワイシャツに黒いズボンという姿だった。きっと、仕事に出掛ける直前なのだろう。そういえば、三良坂も今日は父は帰ってこないなどと以前言っていたが、彼の職業が何だったのかさっぱり検討も付かなかった。紅茶農家がスーツを着込むかと言われると、イメージが湧かない。
「パパ、今日は休みじゃなかったの?」
「いきなり呼び出しが掛かってね。首都に長い間居ることになるかもしれない」
理沙は彼の言葉を少し寂しそうに聞いていた。同時に今首都に人を集める企業の精神がどうなっているのか、自分には全く理解できなかった。首都部といえば、今はブラーイェが直接向かっているところだ。少なくとも、避難のために他県に人間を動かすならまだしも、人を集中させるのは頭のいい方法とは思えなかった。
そんなことを考えていると、彼はコートを羽織った。リビングから出ていこうとする背中に声を掛けたくなった。
「お気をつけて」
「ああ、ありがと!」
振り返って爽やかな笑顔で答えた彼は階段を下って消えていった。彼が居なくなってからというもの、理沙と俺は無言で研究ノートの読み込みを続けていた。そんな矢先、理沙がルーチンと化した読み込みの手を止めているのに気づいた。
「これって……『ブラーイェの自壊』って書いてあるけど、使えるのかな?」
「見せろ」
理沙の前から攫うように研究ノートを自分の前に持ってくる。俺がじっとその研究ノートの記述を読んでいる時、三良坂は退屈な作業に耐えきれなくなったのかリモコンを取ってテレビの電源を入れていた。画面にはニュースが映し出される。
『先日より都市の破壊を繰り返している砂像は首都圏へと侵入するのも間もなくとなりました。数十時間後にこの砂像は首都圏へと侵入し、数千人の死者が出ることが予想されています。既に首都圏の多くの地方自治体では避難が始まっています』
ニュースを見ながら、理沙は顔面蒼白になってリモコンを落とした。俺もその内容に衝撃を受けていた。ブラーイェの動きが明確に高速化していた。瀬小樽県から首都圏までは約1000キロメートルの距離がある。動き始めた当初は寄り道をしながら近くの街を破壊していたために全く首都圏へと進まなかったが、今では数時間で到達するというレベルの速さに進化しているということなのだろう。
「今すぐにでも行かなきゃ。それは使えそうなの?」
理沙の必死な呼びかけに俺はもう一回その記述に目を通した。小声で自分に理解させるように一言一言を口に出した。
「ブラーイェはその身体を
理沙とお互いに顔を見合わせて確信する。これこそ自分たちが望んでいたブラーイェの止め方であった。だが、途端に理沙は不安そうな表情になった。
「でも、命令に矛盾を発生させるってどういうこと……?」
「ブラーイェの起動にはシェオタル人の魔法的命令が含まれているんだよ」
倍良月村とその派生伝承に基づけば、ブラーイェの起動にはシェオタル人が目的を命じてブラーイェ側がそれを状況から承認する形で起動する。ブラーイェは昔からの命令にのみ従いそうなもので、安定して運用するのであれば伝承に基づくものを使うはず。それを止めるのならば矛盾を起こす呼びかけ方も大分絞れる。
この説明をしても理沙に通じそうにない。説明を切り上げて彼女の両肩を掴んだ。彼女は困惑しながらこちらを見上げてきた。
「説明は後だ、今は一刻も早く首都圏へと急ごう」
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