#35 Ешэррт 《証明》


 今さっき閉じたばかりの扉を見つめながら硬直していた理沙の前に割り込んでドアを開ける。

 デスクには赤黒い液体がべったりと張り付いていた。血が流れる方向、デスクの下には瀬戸川がうつ伏せになって倒れていた。背中には血が滲んでいた。後ろからその様子を見ていた理沙は声にならない悲鳴を上げた。自殺かと思ったが、その手にも近くにも拳銃らしきものはなかった。


 周りを見渡す。デスクと対する方向に拳銃を片手に持ちながら立っていたのは見覚えのある人影であった。

 少し大人びた印象を感じさせる目元、シェオタル人の血を継ぐものとして当然のような蒼眼、黒髪の一部に銀髪が混ざった癖のないロングヘア、全身がフリルとモノクロ色で装飾された動くビスクドール――クリャラフ・フェレニヤ・イェレニユであった。


「なん……で?」


 理沙が呟く。同時に疑問が俺の脳内を支配する。クリャラフが今目の前に居ることが理解できない。彼女が瀬戸川を殺す理由も理解できない。理解できないことで頭が満たされていたその時、彼女は悲しそうに微笑んだ。


「裏切り者には死んでもらわないとね」

「どういうことだ、先生! なんで、瀬戸川を殺した!」


 クリャラフは悲しげに微笑んだまま、手に持った拳銃のシリンダーを振り出して何処からか取り出した銃弾を一発ずつ装填していた。言ったことを咀嚼する。彼女の極東語からは、いつもの口調が消え去っていた。それでも感じる雰囲気、服、髪、目の色も全てクリャラフそのもので見間違うこともないものだった。


「あんたたちが関わる必要はなかったのに、彼女は余計なことをしたわね。おかげで、見なくても良いところを見てしまった」

「何を……言っているんだ?」


 クリャラフは顔をこちらに向けた。薄暗い研究室が彼女の麗姿を更に高めているように感じた。しかし、この部屋の中では不快な血生臭さが俺に吐き気を催させていた。


「ブラーイェを起動したのは独立地下組織の独立計画の本筋だった。リーダーがその計画を進めているうちに、県知事が余計な言語政策を進めようとしていたことが耳に入った。極東がシェオタル人を中途半端に懐柔する前に、あたしたちは知事を殺そうと計画した。殺しそびれたみたいだけどね。だけど、ブラーイェは無事起動した。極東を破壊すればシェオタルは独立することが出来る」

「そんなの偽善だ!」


 理沙が数歩研究室に踏み込んで、クリャラフを睨みつけ吠える。


「中途半端なお前に何が分かる、混血めツァーリャーフェン。あんたもだよ、学術神レナの弟。言語とか文化とか、それ自体には意味はない。それは、あたしたちが自由になってこの世界を勝ち取って初めて意味を持つ。そのために必要なのはただ力だけだった。あたしはそれに協力しただけ、あんたたちとは戦いたくない」


 クリャラフの口調は完全に日常とはかけ離れたものになっていた。しかし、彼女の真面目な表情に嘘はなかった。俺は完全に彼女の行動を納得していた。驚くほど落ち着いていた。前兆があったのは間違いない。彼女が何回も言ってもないことを知っていたのは、地下組織に関わっていたからだろう。


「それで、部活の活動には関わりたくなかったわけだな」

「あんたたちがシェオタルを取り戻すこの戦争で死ぬことに意味はない。若者がシェオタルの未来を作り上げていくんだから」

「なるほど、だが俺は引けない。ブラーイェを止める」


 クリャラフはその言葉を聞いて、激しく瞬いて驚いていた。そして、豪快に大声で笑った。それも息が上がるほどに。


「何故あんたが極東人の味方をするんだ。シェオタルを復活させたかったんじゃないのか?」

「極東人もシェオタル人も幸せに生きられる社会を作るんだ。極東にいまさら消えてもらっては困る」

「ふむ……」


 またも静寂が流れる。血なまぐさい匂いが鼻腔の奥を刺激して、吐き気がずっとしていた。緊張で胃が痛むが、気にしてられない。クリャラフは俺と三良坂をじっと見つめてから、瞑目した。全てを悟ったような顔に俺は恐れを感じた。

 何か外が騒がしくなっていた。女子学生の叫び声や逃げ足の音が聞こえてくる。空いたままの研究室のドアから外を見るとそこには黒ずんだ大量の何かがこの教育棟を目指して進んでいた。


「シェオタル人は皆『シェオタルの血統』を持っている。私もНултур死霊кхэлт魔術という『シェオタルの血統』だ」

「ただでは逃してくれないってわけか」


 『シェオタルウェールの血統フープ』――シェオタル人が伝承に伝える魔術をクリャラフは実際に行っているというのだ。部室にあった奇妙な表紙の本を思い出す。あそこに集められていた本もクリャラフが独立地下組織に協力するための資料だったのだろう。


「研究ノートを消滅させてくれれば、無傷で返そう。あんたたちが傷つく必要はない」


 クリャラフは余裕気な顔で頷く。状況から考えて否定することは出来ない。だが、ここで引けばブラーイェを止めるチャンスは無くなってしまう。裏で進んでいた独立地下組織の復活を知った俺たちをクリャラフが見逃す保証もない。そんな瞬間、真横に居た三良坂が俺の服の袖を引っ張った。お互いに見つめ合う。彼女は一言も言葉を発さなかった。だが、全てを理解した。彼女を信用する。彼女を信用して、クリャラフにNOを突きつける。


「残念だが、それは無理だ」


 緊張が部屋の中を見たす。クリャラフは震えてまた大声で笑っていた。振り出していた拳銃のリボルバーを戻して、その銃口を俺に向けた。瞬間、笑いは顔から消え去る。


「ならば、死ね!」


 銃声、死を覚悟するが痛みは訪れない。怯んで閉じたまぶたを開く、自分には何一つ傷は付いていなかった。クリャラフは焦りながらも発砲を繰り返す。今度はちゃんと瞼を開いて何が起こったのかが見えた。全ての銃弾が何か細いもので弾かれていた。その細い糸状の物体が伸びてきた元は三良坂の頭にあった。つまり、俺を守ったのは三良坂のアホ毛だったのだ。


「理沙……お前も『シェオタルの血統』の持ち主だったのか……」


 彼女は申し訳なさそうに無言で頷いた。

 考えてみれば当然だった。彼女はシェオタル人と極東人のハーフで、『シェオタルの血統』が使えてもおかしくはない。彼女の能力は、アホ毛を自由に動かすことが出来る能力だ。


「隠していてごめん、気持ち悪がられると思ってね。キミが捻挫したときもボクが髪の毛を使って支えてあげてたんだけど、本当のことは言えなかったんだ。」


 彼女はクリャラフに立ち向かうように一歩前に足を出した。


「先生、暴力は何も産まない。私も戦いたくない。だけど、これ以上続けるつもりなら――」


 理沙のアホ毛が彼女の手前で静止する。いつもの彼女のアホ毛の太さではなく、まるで大剣のような太さになっていた。剣先をクリャラフに向けるようにして動かす。その目はキッとクリャラフを睨みつけていた。


「――容赦しない」


 最初はクリャラフは俯いて黙っていた。だが、すぐにまた不気味に笑いだした。不安定な笑い声が続いたのち、彼女は顔を上げて俺らを睨みつけた。アンビバレントに開いた目が、彼女の豹変を表していた。


「良いだろう。証明してみせろ、お前たちがあたしを超えて極東とシェオタルを救えることをここでな!」


 クリャラフが翻った声で言った瞬間、窓ガラスが破壊されて黒ずんだ何かがなだれ込んできた。


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