#20 Дэсвэлэ 《読めない文字》
傾いた陽光、校内の暗がりを無理やり照らす人工的な光は非日常を演出していた。二日あった文化祭は、自分たちが何回も準備や説明をするうちに過ぎ去っていた。何人もの人が教室に来ては、サルニャフの語りを聞いていった。既に俺たちの活動を取り上げている極東のマスコミも居る。全国ネットの大手テレビ局FETはニュースの一コーナーの中でブラーイェ伝承を大きく取り上げた。その上、知事の助力まで得られた。彼の言葉が嘘だったとしても、結果的に大成功と言えるだろう。
目の前では後夜祭のステージが燦々と煌めき、その上で生徒たちが最後の演奏を見せつけて盛り上がっている。軽音楽部かジャズ部か良く分からないが、生徒たちは熱狂している。
そんな中、俺と三良坂は二人で喧騒から離れたベンチに座って、そんな様子を眺めていた。クリャラフとサルニャフは後夜祭が始まる間際、後は自分たちに任せてステージを見に行けと教室の片付けを引き受けてくれた。だが、俺達は二人ともいわば文化祭初心者、盛り上がっている輪の中に入るのは少し怖かった。
「なあ、三良坂」
冷たい風が頭の上の木々の葉を揺する。葉のざわめきはすぐにステージからの喧騒にかき消されてしまった。余韻を味わっているのか、彼女の返答はゆっくりと頷くだけだった。
自分は彼女のおかげで変われた。その事実をはっきりと彼女に感謝しなければならないと思っていた。
「俺は、昔から一人で戦ってきた。姉が死んでから、シェオタル語しか目に入らなかった。物心ついたときには人々や社会が信用できなくて、何も踏み出せなくて。それで、結局何も変わらなかった」
三良坂は笑っているのか分からないほどの薄い微笑みで俺の言葉を聞いていた。成功の後のこの穏やかな時間が本当に心地よかった。
そう、彼女のおかげで俺は少しずつ変わった。彼女のおかげで極東の社会や政治にすら影響を与えようとしている。その事実が信じきれないほどに嬉しかった。
「文化祭で俺らが成功したのはお前のおかげだよ。お前が俺を引っ張ってくれたから、シェオタル語は第一歩を踏み出せた」
「シェオタル人と極東人、それとボクの周りの人に幸せになってほしいだけだよ。暴力と負の感情が何も産まなかったからこそ、言葉と文化で人に感動を与えることが大切なんだ」
三良坂は何かを思い出すように遠くを見るような目で中空を眺めていた。
彼女の言う通り、大戦争は何も産まなかった。シェオタル独立地下組織も、シェオタルを救えなかった。暴力と負の感情はその都度、人を傷つけることしかして来なかった。
「キミがボクに地名の語源を教えてくれたとき、それをよく理解したんだ。楽しかったら、自然に受け入れられるでしょ?」
ステージの目まぐるしく変わる照明が三良坂の顔を照らす。彼女の直情径行さは、その強い信念に支えられているらしい。諦めと自虐に走っていた自分とは違った決意がその行動を駆動している。そんなことが自然に伝わってきた。
だからこそ、口から漏れ出した言葉は自然に浮かび上がってきた感情そのものだった。
「お前と一緒なら、何でも出来る気がする」
彼女の頬が紅潮する。嬉しそうだが、教室で知事の協力を取り付けたときのようにはしゃいだりはしない。気恥ずかしそうにする彼女、ゆったりとメトロノームのように振れるアホ毛が愛らしく感じてしょうがなかった。
そういえば、彼女には伝えるべきことがあった。知事が言った真実である。
「三良坂、知事はああやって適当な答えをしていたが、小声で協力をすると明言した。実は表沙汰に出来ない事情があって、言えなかったらしい」
彼女のアホ毛が驚きを表すかのように縦にぴんと立ち上がる。顔は赤らんだまま、爽やかな驚きを示していた。
「それはつまり、知事が協力してくれるってこと?」
「ああ、ただこの話は誰にも言うなよ。極東政府は瀬小樽の文化教育は凍結されているとか言ってたし、お前、俺の知らない間に姉の話をクリャラフにしてただろ」
彼女は信念があろうとも口元が緩い人間であることには変わりない。独断でサルニャフをここまで連れてきているうえに、クリャラフにいつの間にか俺の姉の話をしているのだから。
念を込めて言ったが、三良坂はそれを聞いて完全に面食らった様子で目を瞬いた。
「え?先生にその話はしてないよ」
「は?だって、クリャラフがお前に聞いたって……」
三良坂は目を細めて視線を外す。何かを思い出そうと唸っていたが、ややあって首を振った。
「先生には話してない。というか、誰にも話してないよ。そこらへんの常識はあるからね!」
「じゃあ……どういうことだ?」
「記憶違いなんじゃないの? キミが以前教えたとか、教えてないとか。」
今度は俺が唸って考える。記憶の中にはクリャラフに姉の話をした覚えはまったくない。彼女は大戦争の話をすれば機嫌を悪くする。当然彼女の過去を想起させるからだろう。だからこそ、シェオタルの大戦争以前の言語と文化を研究する姉の話は意図的に避けていたこともある。ともすれば、彼女に姉の話をする理由もなかったはずだ。
何かがおかしい気がする。確かに彼女は担任の立場から、母や父、姉の死を知っている。だが、その詳細までは知らない。いつ、何処で、何故死んだのか、なんていう情報は彼女が得られるはずもない。
「姉の願い」――あの言葉をシェオタル人であった者の願いという比喩として捉えるのであれば、何故わざわざ姉を選んだのかという謎がつきまとう。しかも、比喩だったのであれば三良坂に聞いたなどという嘘をつく必要はない。
「……クラン君、大丈夫?」
三良坂は心配そうにこちらを覗き込んだ。クリャラフの言葉が気になるが、好奇心を飲み込む。彼女も大戦争前の生まれで良い年の人間だ。記憶違いくらいあるのかもしれない。自分も話したり、示唆するような言葉を言っていたのかもしれない。もっとも、こんな嘉例の日にその程度のことで彼女に心配をさせるわけにはいかない。
「ああ、大丈夫、俺の記憶違いだった」
「そっか」
三良坂はそういってベンチから立ち上がる。彼女は俺の手をとって、俺をベンチから立ち上がらせた。ステージの上の光をただただ彼女は見つめていた。自然に繋がれた俺の手と彼女の手、少し気恥ずかしさを感じるが彼女が受け入れてくれるならと安心した。
「これからも一緒にシェオタルと極東を繋ごうね」
「……ああ」
繋いだ手を優しく握り返す。三良坂は嬉しそうに微笑んでいた。
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