#8 Кантерэн фэлэс 《教師の使命》
「なんでボクまで……」
「お前は出席日数不足にならないからサボってもいいんだけどな」
「……出席日数ジャンキーめ」
三良坂はプリントの問題を解きながら、俺に愚痴った。
目の前には「口を慎め、国際言語のお通りだ」と言わんばかりに黒板に並ぶ大量のラテン文字。CDプレイヤーから流される忌々しき音声はぼやけた頭に響くだけ。教室は高校生なら誰しも頭を抱えるあの言語にまみれていた。教室の窓から見える空はもう既に暗く、他の生徒の声も聞こえない。自分たち二人と教師一人しかいない教室の中、延々と鉛筆が紙を擦る音が聞こえていた。
基礎英語の定期試験の結果が酷すぎて補修が数回に分けられてあったのを面倒だからと全てすっぽかし、次来なければ出席無しの認定にすると言われて泣く泣く来た結果がこれである。英語のA3サイズ補修プリント十二枚、通称『地獄』だ。いくら教室の机密度が高いとはいえ、『円卓』のようなかっこいい名前にはならない。
「おぬしたち、お喋りするのもいいがプリントを終わらせんと出られんぞ」
俺と三良坂の会話を遮るようにゴスロリ趣味の洋服に身を包んだ人形のような少女が言う。その銀髪は教室の人工的な光に照らされ独特の光沢を帯びていた。自称ゴスロリのじゃ先生――クリャラフ・フェレニヤ・イェレニユだ。
クリャラフはそう言って不機嫌そうに手の甲で黒板を叩いた。
「そもそも、なんでお前が英語の補修の担当教師なんだよ」
よく考えてみれば、真っ当な疑問だと思う。クリャラフが何教科の担当なのか、俺は知らなかった。この高校に入って以来彼女はクラスのホームルームでしか見てこなかった。そして、集会や学校行事では大体顔を見かけない。非常勤講師というわけでもなく学校にはいつも居るし、用務員さんとは違って職員室の一角に席がある。割と謎が深いところだった。彼女のことだから、大半の理由は「面倒くさい」に終着しそうだが。
クリャラフは俺の言葉に肩をすくめる。
「しらぬ、基礎英の先生が早退したからわらわに取り敢えずと投げられたのじゃ」
「それは災難ですね」
俺が他人事のようにいうとクリャラフはのじゃー!と言って両手を上げて抗議の声をあげた。一方の三良坂はその間もずっとプリントを解き続けていた。補修とは関係ないはずだった彼女は昨日家から一緒に登校したと思えば、シェオタル語を教えてほしいと四六時中俺に付いてきてクリャラフの出席日数脅迫を受けて敢え無く俺のお供となった。どうやらクリャラフの出席日数改竄にも限度があるようで、三良坂を留年させるほどの威力は無かったようだが。
「そうだ、クリャラフ先生ってシェオタル語はわかるんですか?」
「
クリャラフの回答はシェオタル語だった。少しは分かると謙遜しているが彼女は大戦争前の生まれでバリバリの母語話者世代だ。身近にシェオタル語母語話者を見つけるのは本当に難しい。今でも田舎でのみシェオタル語を話すコミュニティは点在しているが、中央都市瀬小樽市に住む俺はなかなかそこまで行けなかった。クリャラフと俺の関係が他の教師と大きく違うのはそういうところもあったのかもしれない。シェオタル語になると彼女のトレードマークでもあるのじゃ口調のかけらも残らないのは腹を割って話している感じがした。
三良坂は良くわからないといった顔をしていたが、ややあってそれがシェオタル語であると気づいて好奇心に心躍らせた顔でクリャラフを見ていた。
「それってシェオタル語なんですか?」
「そうだよ」
クリャラフが得意げな顔で頷くと共に俺は肯定してやった。三良坂は初めて聞くシェオタル語の音に酔いしれるようにぼやけた顔をしていた。シェオタル語を聞いてそんな表情をする人間を俺は見たことがない。
どいつもこいつもシェオタル語を聞けば「何処の言語?」と聞き返して、シェオタル語だと言えば「そんな言語より英語をやったほうがいい」と言ってくる。シェオタル人でも極東人でも変わらない反応の例外だった。
「
「まあ、そうじゃな……」
クリャラフは頷きながら、ラテン文字が大量に書かれた黒板へと目を逸らした。
「分からないけど、クリャラフ先生にもシェオタル語を教えてもらえるってことかな」
「ええとじゃなあ……」
期待に満ちた目で見られるとクリャラフは少し困ったような顔になってこちらを見た。説明が面倒くさくてショートカットしてしまう。
「どういう風の吹き回しじゃ、ヴェル」
「その名前で呼ぶなっての。良くわからないけど、そういう流れになったんだよ」
首を振って三良坂に答えろと示す。
「わらわはシェオタル語にはそこまで関わらないのじゃ。おぬしたちはシェオタル語をやるより英語をやったほうがいいじゃろ」
「そんなこと……言わないでくださいよ」
三良坂は悲しそうに目を逸らした。家で話した無関心あるいは軽視の現実はしっかりと目の前にあった。
クリャラフにとってシェオタル語は母語だ。俺達の世代とは違って自分の母語が滅びるのを若者たちの将来のために指をくわえて見ることにしようというのだ。
「シェオタルが瀬小樽になって消えていくのはシェオタル人の大人の責任じゃ。おぬしたち、子供がそういったことで身を滅ぼしていくのは見たくないのじゃ」
「先生……」
「なんだかんだ言って、教師じゃからの」
そういってクリャラフはプリントを指差した。お喋りは終わりで、さっさと終わらせろという意味のようだった。そういう仕草とは対称に、その表情はなにか寂しげなものを感じさせた。
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