#9 Лкурф кикуд 《英語を話せ》


 プリントを終え帰ってきたのは六時、早々に始めた夕食の食卓には俺だけではなく、もうひとりの人影があった。


「一つ質問してもいいか?」


 着ぐるみのようなルームウェア、フード上の部分にはダルそうな半目の猫がプリントされて、その右上と左上に猫耳が飛び出ていた。短めのツインテールは後ろに隠れて見えない状態だ。彼女が首を傾げるとぴょこりと猫耳も動く。


「何?」

「結局なんの話だったっけか?」


 首を傾げた三良坂が何を訊いているのかと不思議そうな顔でミューズリーバーをかじっていた。彼女は今日も何故か家まで押しかけて泊まることになってしまっていた。可愛らしい部屋着姿で居ると部屋に明かりが灯ったかのような感じがする。それは良いが、俺にとって問題なのは彼女がここまで来て話し合おうとしていたことだった。

 彼女はミューズリーバーの包装紙をきつく一本結びにして、ゴミ箱に投げ捨てた。


「忘れたの?先生を説得してシェオタル語の運動に参加させるって話!」

「せ、説得……運動……?」


 ついつい首を傾げて訊いてしまう。俺はヘルメットとスカーフをつけて、棒を振り回す何かの運動に加担した覚えはない。そもそも、高校生だ。三良坂は何時も通りのはつらつさでこちらを見ていた。


「ボク達二人がシェオタル語を広めていく運動だよ」

「いつそんなの発足したんだよ」

「今?」

「何で疑問文なんだよ……」


 えへへと笑う彼女にペースを崩されながらも、その先の話には興味があった。

 クリャラフには入学当時からシェオタル語の話をしていたが、俺がシェオタル語を勉強することに関してはあまり同意しなかった。彼女も一応教師で、生徒の未来を共になって考える立場である。シェオタル語を勉強することと英語を勉強すること、極東に占領されたシェオタル人にとって大切なのは後者だと考えているのだろう。真っ当なシェオタル人の真っ当な考えであると俺にとってはそこで終わってしまっていた。しかし、三良坂は違った。


「それで?クリャラフ先生を説得してどうするんだ」

「その先はまだ考えてないけど……取り敢えず色々なことを教えてもらえそうじゃん!」


 三良坂は胸の前でこぶしを作りながら顔を寄せてくる。行き当たりばったりの考えに頭がくらくらしてくる。そんなことを考えたところで一つ思いつくところがあって、もしかしてと思って訊いてみる。


「どうやって説得するのか、方法は考えてあるんだろうな?」

「考えてない!」


 気持ちいいほどに思いっきり断言するな。


「どうするんだよ、先生にも先生なりの考え方があるんだぞ」

「そこを逆手に利用するんだよ」

「だから……どうやって?」

「分からない!」

「アホか?」

「酷いよ!!!」


 悲鳴のような声を上げながらも、それにしても頬を膨らませるくらいで終わっているのを見るとさほど傷ついてもなさそうだった。深くため息をつく。この直情径行娘は思いついて実行の間に考えるという過程がないのだろうか。そういえば今まですっかり忘れていたが、彼女は落ちた学生証を拾って渡すために閉まった電車のドアに張り付くような人間だった。


「ようは、シェオタル語も英語も両立できるということを示せばいいんだろ?」

「うーん、そうかなあ?」


 三良坂は疑問に満ちた顔でこちらを見ていた。


「生徒の未来、の未来を考えているから、生徒にシェオタル語を勧めたりしないんだろ?」

「なんだか納得できないなあ」


 腑に落ちないといった様子で彼女はそう言う。らしくも無くため息をついていた。


「お前、英語やりたくないだけだろ」

「前回の定期試験の点数が25点の人にだけには言われたくないね!」


 うっ……


「うるせえ!俺だって勉強すれば高校英語くらい出来る!!」

「やけにノリ気じゃない?」

「おう!英語くらいぶっ飛ばして……やる……あれ?」


 いつの間にか口車に乗せられて、大口叩いて大賛成している自分に気づいた。言い始めたのが俺である身の上、否定することもできない。直情径行も度が過ぎれば伝染るというわけだ。


「英語をどうにかすると言っても何をする気なんだ?テストは小さいのでもずっと先だ」

「あー、それならボクにアイデアがあるよ」


 三良坂は手元のスクールバッグからクリアファイルを取り出す。そのクリアファイルから一枚紙を取り出して机の上に置いた。変に光沢のある紙の上部には「瀬小樽英語弁論大会」と題されていて、その酷くダサい文字デザインがそのイベントを公的機関が行うということをはっきりと表していた。


「県の……英語弁論大会……?」

「そう!これで一位になれば文句なしでしょ!」

「二位じゃだめなんですか?」

「シェオタル語がシェオタルから仕分けられたいなら二位でもいいと思うけど?」


 食えない返しをされ、否定することもできずただ出てきたのは深いため息だけだった。


「分かった、明日先生に聞いてみよう。それでいいな?」


 三良坂は俺の決断を聞いて嬉しそうに口角を上げた。

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