#6 Сарша каршэрл 《姉の願い》


「ねえ、クラン君。親は何処にいるの?」


 三良坂が家に上がって、言った最初の言葉がそれだった。きっと挨拶したかったのだろうが、その言葉にどう返していいのか自分には分からなかった。常人にはこの家があまりにも静寂で、人気の感じないものだと思ってしまうのだろう。しかし、俺はもう慣れてしまった。だから、彼女をその部屋に連れて行くのも特になにか思うところもなかった。


「こっちに来てくれ」


 頭上に疑問符を浮かべたような顔の彼女を奥の方の部屋へと連れてゆく。ドアを開くと、そこには極東方式の祭壇に三人の写真が置かれて、ろうそく形の供養ランプが灯っていた。三良坂は申し訳なさそうに顔を背けた。何をどう言っていいか分からない様子で胸に手を合わせている。


「俺の父親と母親は大戦争で空襲を受けて死んだ。俺と姉は祖父母のもとに疎開していたから助かったがな」

「このお姉さんは……」

「……自分を身代わりに俺を突き飛ばして、車にはねられて死んだ」

「そんな……」


 衝撃を受けて三良坂は眉を下げていた。俯いたまま何かを言おうとして、それでも声が出ない様子だった。俺もついつい言ってしまったのを悔やんだ。


「大学院でシェオタル語とかシェオタルの伝承を研究してて、俺にシェオタル語を教えてくれたのも姉なんだ。ただ、極東人にもシェオタル人にも研究に興味を持って肯定的な人間は居なかったんだ」

「……シェオタル人まで?」

「そう、文系の研究に意味はない、シェオタル語の研究に瀬小樽の未来は無いってな。姉をはねた車を運転していたのはシェオタル人で、田舎から出稼ぎに来たけど極東語が喋れなくて職に付けず持たされた金で薬物を吸って暴走した……ってさ。皮肉みたいな死に方だよな」


 俺がふざけたように首を傾げたのは姉が死んだ後も彼女が自分の隣で見続けている気がしていて、この自嘲的なセリフを聞いたら彼女が笑ってくれると思ったからであった。それ以外にこのやりきれなさを解決できるものは無かった。一方の三良坂は意気消沈して表情をこわばらせていた。アホ毛も伏せすぎて普通の毛と同化してるかのようだった。


「お姉さんのために……キミはシェオタル語を勉強しているんだね……」

「……姉のためにも、シェオタルのためにも、必要だから……だ」

「シェオタルのためにも?」

「そうだ」


 祭壇の横の引き出しを開く。中の棚にはシェオタル語の手書きの研究ノートが詰まっていた。そのうちの一冊を開いて、三良坂に見せる。大きく太字のマーカーで荒々しくラテン文字が書かれている。


「英語……じゃないよね、ローマ字だからシェオタル語でもない?」

「„Wer fremde Sprachen nicht lernt, kennt seine eigene nicht“、外国語を知らない者は自国語も知らないって意味のドイツ語だ。このノートは姉が一番最後に残したものなんだ」


 三良坂は黙って、そのノートの文字をなぞるように眺めた。


「今になってはなんでこう書いたのかは分からない。でも、俺は今のシェオタル人にそっくりあってると思うんだ。シェオタル語を忘れたシェオタル人は、伝承を自らの手から失った。シェオタル語を知らない極東人はシェオタル人を大量虐殺した。そういう事が二度と起きないようにシェオタル語がシェオタル人にも、極東人にも知られてほしいというのが姉の願いだと思ったんだ」

「ねえ、クラン君、一つお願いしたいんだ。良いかな?」


 彼女は思いつめた様子でこちらに近づいてきた。俺は特に考えず、頷いた。

 しかし彼女は手を胸の前で合わせながら、お願いしようとしていることを言おうとして声に出せず詰まっていた。そうこうしているうちに、俺の腹の音が鳴った。よく考えると昼、メロンパンを食べてから帰るまでの一時間、自分は何も口にしてなかった。


「申し訳ないけど、腹ごしらえしてから話を聞くよ。お前も何か食べるか?」

「えっ?何か作ってくれるの?」

「怪我人に作れるものだったらな」


 三良坂は興味津々な目でこちらを見ているが、正直状況は芳しくなかった。彼女の本性に興味を持って衝動的に家に招いたは良いものの、人間が泊まるとは露知らず、買い置きしている物は少なかった。


「無理させたくないし、私がこれあげようか?」


 彼女の手元にあったのは昼に彼女が食べていたミューズリーバーだった。未開封のパッケージがそっくりそのままある。どうやら複数本持っていたようだった。なにか奇妙なものを感じて、俺は三良坂を目を細めてみた。


「一体何本持ってるんだ、それ」

「ブレザーの表ポケットに二つ、裏ポケットに三つ、シャツのポケットに一つと……」


 いや、多すぎだろ。


「飽きないのか?」

「飽きるわけないでしょ?ハンメルブルク社印のエクストラミューズリーバーだよ?」

「そうか、知らないけど。ちなみに何がエクストラなんだ?」


 本当はどうでもいいが話を繋ぐために言った質問に三良坂は目を輝かせた。得意げに人差し指を立てて、無い胸を張った。


「エクストラミューズリーバーはドイツのジルヴェスター・ハンメルブルクが創業したハンメルブルク社が1908年に製造を始めた――」

「いや、もういいや、飽きた」

「えぇっ!?」


 俺はまた一つため息を付いて、キッチンの方へと向かった。

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