第11話 十人十色
「ねえ、雄ちゃん」
「どうしました?トイレですか?」
僕は、そう返せるほどに慣れていた。
「じゃなくて、もうすぐ新年だねってこと。1月1日まで、あと2時間無いよってこと。もう慣れちゃったのね」
「そりゃさすがに」
「最初はあんなに恥ずかしがってくれたのに」
「そりゃ最初は」
起き上がれなくなっていた彼女は、呼吸を整えようとしながら、窓から見える空を見つめていた。
「ねえ、覚えてる?」
「何がですか?」
「最初に勧誘したときのこと」
顔が火照っているのが分かる。
「ああ、あの時は失礼な態度を」
桜舞い散る春に似合うあおいさんの姿は、いつだって忘れることは無い。
今までも、これからも。
「いやいや、こちらこそ。当時は、この子四字熟語しか知らないのかなって思っていたし、おあいこだよ」
「いや、どうしたらそんな勘違いができるんですか?」
「めちゃめちゃ勧誘に行った時、雄ちゃん『十人十色の人生なので、押し付けられても困ります』って言ったじゃない?」
「ああ、そこで。って納得はしかねますよ⁈」
「まあ、その時から面白い子だなとは思ったんだ。絶対に逃したくないと思ったね」
この人に、病人という二文字は似合わない。
そんな風に思えた。
「そうだったんですか」
「そうだとも。それが今やこんなに成長しちゃって」
「なんで、近所のおばちゃんみたいなことを」
「…ありがとうね。うちの家族を、宜しくね」
「…なんで、そんないきなり」
「今日、久々にくるんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、僕帰った方が」
「いや、そこにいて。紹介したいから」
「そ、そうですか」
この時間は、長く感じるのと同時に、終わってほしくないと思った。
「ああ、こんにちは。坊ちゃんは、徳倉雄一君だね?」
「え、ああ、はい!」
「私は父親の
「母の
「と、徳倉雄一です」
立ち上がって挨拶をすると、お父さんがお母さんに耳元でささやいていた。
「聞いていた通り、いい男じゃないか」
「そうね、お父さん」
そう言ってくれていたと思う。
「どうかな、この後一緒に正月の御祝をしないか?」
「ええと、喜んで!」
「そうか、なら良かった」
「お父さん、病室ではお酒はだめですからね?」
「分かってるよ!」
「仲良いんですね、弥倉家は」
「そうだよ、皆優しいからね」
それは、きっとあおいさんがあおいさんらしいからだと思うというのは、出過ぎたマネに思えた。
「だから、皆がいるところで終われてよかった」
「……え?」
「……おい?」
「……ねえ?」
三人そろって意表を突かれた。
「私ね、死ぬということに、さほど恐怖はなかったんだ」
「待って」
お母さんが叫ぶ。
「……みんなと勉強して、ことわざについて議論して、遊んで、楽しかったから」
「やめてください」
僕が嘆く。
「お父さん、お母さん、雄ちゃん。私、怖くなってきちゃった」
「……もう、何も言うな」
お父さんが諭す。
「まだ、やっていないこと、いっぱい、いっぱいあるもん」
「分かったから、もう何も言わなくていいから」
「勉強したい、運動したい、遊びたい、話していたい、笑い合いたい、盛り上がりたい、美味しいもの食べたい、綺麗な景色が見たい、結婚したい、子供を産みたい、そして、生きていたい」
「僕たちとやろう。やっていないことぜんぶ、やろう!だから、まだ」
「……でも、限界だよ。疲れちゃった。眠くなっちゃった」
「うぐ、ひぐ」
情けない泣き声をあげながら、僕はあおいさんの声を聴いた。
「……もう、ここは、パトラッシュか!っていうところ、でしょ?」
「それを、言うなら、ネロですよ」
「……あれ、そうだっけ。そうだった、か」
彼女の天使のような甘く透き通った麗らかな声は、それ以来響くことはなくなった。
その代わりに、警告音が病院中を響き渡った。1月1日、午前0時2分。永眠。
最後の最後まで医者や看護師を気付かせない辺り、迷惑をなるべくかけたくない彼女らしい終わり方だと、少なくとも僕は、そう感じた。
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