第9話 七転び八起き

「じゃあ、ここで寝かせておくわ。徳倉君も、そろそろ下校時間なんだから、ちゃんと帰り支度しときなさいね」


保健室の先生にあおいさんを託し、僕は部室へと向かった。階段を上ると、自然と涙が出てきた。実感はあまりにも薄く、本当なのか嘘なのかさえ分からなかったのにもかかわらず、こんなにも早く、しかも大量に出るということは、それほどまでに彼女の未来を案じているからなのだろう。

部室に入ると、香音先輩が帰り支度をしていた。


「あ、雄一君。あーちゃん、大丈夫だった?」

「……ええ、まあ」

「何泣いているんですか、男の子なんだから、シャキッとしてくださいよ」

「ああ、すみません」

「……そうだ、今日そこのレストランに行きませんか?確か、先週オープンしたばっかりの」

「ああ、あそこですか。良いですよ!」

「よし、じゃあ行きましょう」


帰り道、台風と行かないまでも降りそそぐ雨が、俺たちの気持ちとシンクロしてしまい、会話は弾まなかった。


「……そういえば、来週模試っすよね。先輩どうなんですか?」

「ああ、私はいつもA判定だから、あんまり気にしていないですね」

「……すげえ」

「そんなことないですよ、受かるところしか受けてないだけで」

「あれ、どこでしたっけ?第一志望」

「ふふっ。西櫻薬科大学です」

「西櫻って、偏差値80越えで最先端の研究で人気を博しているあの西櫻薬科大ですか⁈」

「わざわざ、そんなセールストークみたいな」


ちなみに説明しておくと、理系には東西南北4大大学という大学群が存在している。

理系の人は、ここを目標に勉強しているといっても過言ではない。


建築の鬼、北筵きたむしろ工科大学。

農業の頂、南垂みなみだれ農科大学。

情報の姫、東鍼あずまばり女子大学。

医薬の神、西櫻にしざくら薬科大学。


そのうちの一つに入るという先輩は、さすがとしか言えないし、しかもそれを「受かるところしか受けてない」と言ってのけてしまうのだから、他の受験生が聞いたらめちゃめちゃ怒られそうだ。


「それくらいしなきゃ、あーちゃんの病気、治せないだろうから」

「……そうですか」

「さあ、着きましたよ。何を食べましょうかね」

「そ、そうですね……」

「へえ、ハンバーグ美味しそうですね」

「確かに。じゃあ、予約のところに名前書いてきますね」

「あ、宜しく。ありがとう」

「いえいえこれくらいは」

名前をササっと書いて、空いている席に座る。

「次にお待ちのトクラさま」

「はい」


ゆっくり店員の後ろについていくと、香音先輩が裾をつかんできた。


「なんか、二人でトクラって呼ばれると夫婦みたいですね」

「いやいや、無いですよ!……ないですよね?……どうして頬を赤らめているんですか!」

「こちらの席になります」

「ありがとうございます」

「ごめんごめん、ほんの冗談」

「もう、やめてくださいよ」

「それより、頼みましょう!」


「じゃあ、僕はおすすめのハンバーグで」

「うーん、悩みどころだけど、私もそうしようかな」

「では、特製ハンバーグ2つでよろしいでしょうか」

「お願いします」


店員さんの無駄のない動きに感動していると、香音先輩は打ち明けた。


「……ごめんなさい、黙っていて」

「……いえ、先輩が謝ることではないですよ」

「もう少し、早めに言うべきだったと思いますし」

「それより、これからのことを考えましょう!先輩だって受験がありますし、あおいさんだって多分そこを狙うんでしょ?」

「……そうなんだけれど。あまりにも難しいのは、体に負担だからやめた方が良いって、お医者さんに言われているみたいなの」

「そんなことって、あるんですか」

「だからこそ、私がそこに行く」

その目は、固く決意していた。


「正直なところ、あおいさんの病気っていつまでと言われてるんですか?」

「いつ死んでも、おかしくないんだそうです」

「……マジっすか」

「マジみたいです」

「……そうですか。僕たちにできることってありますか?」

「最後まで、彼女のやりたいようにやらせるということですかね。自分の人生に悔いがない、これ以上の幸せはないと思ってもらえるような、そんな最期を送らせるということだけですね」

「それなら、出来そうですね」


「……少し、不安なんですけれどね。また、最愛の人がいなくなると思うと、居ても立っても居られなくなる。たぶんそんな日が、いや絶対来ると思います。その時は」

「その時は、僕が対処します!」

「ふふっ、ありがとう。やっぱりあーちゃんには、そしてこの関係には雄一君が必要ですね」

「……そんな、やめてください」

「割と本気で、お願いします」

「もちろん、そのつもりですよ。最初から」

「良かった。ありがとう」

「大丈夫です。七転び八起き、最後には必ず起き上がりますよ、あおいさんなら」

「そうだね」


その日食べたハンバーグのおいしさを伝えるために、零れそうな涙をぬぐい、二人は味わいながら、食べた。

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