第4話 仏の顔も三度まで
仏の顔も三度と言われると、その仏の顔は、やはり香音先輩を彷彿とさせる。それくらいに彼女は温厚で、心の器が海のように広く、底なしの沼のように深い。たとえ、あのあおいさんでも香音先輩が怒っているところ、あるいはそれに準ずるイライラや八つ当たりを見たことがないという。それほどに怒らない彼女には、ここまで徹底してると、曲げられない信条として、彼女の軸としてそのポリシーがあるのではないかとさえ思ってしまう。
自分の心情を大切にし、自分の信条を守り抜くほど難しいことはないので、素晴らしいと称えたいところだ。ちなみに僕にはそんな信条はない。
しかし、しかしである。
今日、夏休みが一週間後と迫る中、俺たちの部室で今まで起きたことのない緊急事態が起きた。結局その事件の経緯は教えてはくれなかったのだが、とりあえず原因はあおいさんであることは明白だった。
「あーちゃん、どうしてそれを今まで隠してたの!!!」
「いやあ、そんな怒られることかな?」
「怒るに決まってるでしょ!!」
「でも、ちゃんと正確に知ったのは昨日だし、むしろこれホウレンソウちゃんとしてると思うんだけど……」
「そういう問題じゃない!」
「あ、あの……」
声は、部室前の廊下まで響き渡っていたが、その内容まではしっかりと聞き取れず、その話を分断するようにしてドアを開けてしまったのは迂闊だったが、やっぱりその事件の真相を知りたかったのだ。
「あ、雄一君」
「あれ、雄ちゃん」
「あの、どうしたんですか?」
「それは、その……」
言いかけて、香音先輩は飛び出した。
「あ、のんちゃん」
「何かあったんですか?」
「ううん。気にしなくていいよ。君は結局最後にはわかっちゃうだろうから」
隠しても、隠し切れない。だって私は能のない鷹だからね。
呟きの中にそっと隠れるあおいさんの心情は、今の僕には到底理解できるものではなかったし、ただ窓を眺める彼女は、過去を後悔するなんてこともせず、ただひたすらに未来のことだけを考えているように感じられた。
まるで、未来が有限であるかのように。
「雄ちゃんはだめだよ、こんなことしちゃ。のんちゃんは良い子だよ。どんな時でも私みたいなやつの味方をしてくれる」
今回も、きっと気を遣ってくれてしまうかもしれないな。
彼女の瞳は、僕の前では初めて潤んだ。
「……ふう。飛ぶ鳥跡を濁さず。私は、能のない鷹だから、片づけはへたくそかもしれないけど、宜しくね」
仏の顔も三度撫でれば腹立てる。これが、仏の顔も三度の原本らしい。逸話を辿ればもう少し変わってくるし、仏が怒るタイミングは3回目なのか、4回目なのか論争が繰り広げられそうだが、要は、このことわざが言いたかったのはこういうことではなかろうか。
いくら優しい人でも、限界はある。
人の生死について、深く重く暗い過去がある香音先輩は、このことわざの解釈として、こう言っていた。
「仏の堪忍袋のような、とてつもなく壮大なものにも、いつかは終わりがあって、限界は訪れて、それは結局年月とかは関係なくて、だから、最初から仏の癇に障るような、人生の汚点になるような、そんなことはしちゃいけないってことだと思います」
彼女の言葉は、如何せんよく分からないことの方が多い。その分彼女はきっと僕らの形成する世界の数倍大きな世界を形成しているからだろう。
そんな広大な世界にも、限界はあるのだろうか。
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