第3話 二兎を追う者は一兎をも得ず

彼女は今、二兎を追うものに恋をしている。彼は、見た目こそ他の人に劣る部分もあるが、その頭脳明晰さと、誰からも愛されるキャラクター性で人気を博しているという。


「でさあ、歌賀かが君は、凄く気が利くし、良い子なんだよ~」

「へえ」

「ねえ、本を一回置いて、私の話を聞いて」


凄まれてしまうと、本を置かざるを得なかった。


「ねえ、どうしよう」

「またそうやって、僕に慰めてもらおうとしないでください」

「ねえ、頼むよお」

「先輩、どうにかしてください」

「え、わ、私ですか……」


この人は、僕の先輩で、あおいさんの同級生の田倉香音たぐらかのん。クラスは違うらしいが、それなりに仲良しだそうで、よく二人で登校している。


「私に言われても」

ちなみに二兎を追う者と知ったのは、香音先輩からで、あおいさんはまだ知らないという。


ここで言ってしまってもいいのだろうが、そうたやすくは信じてもらえないだろう。しかも、全然知らない人の、しかも先輩も悪口にも似た発言は、やはり憚られる。それは、きっと香音先輩も同じ心持で、何とも言い出せない空気がここの二人にはあった。


その空気に何一つ気づいていないのが、目の前でうつつを抜かしているあおいさんだ。

「まあ、でもさ告白する気はないんだよね」

「え、そうなの?」

「そうなんですか?」

「何というかさあ、眺めていたい存在っているじゃない?あの、俳優さんとかアイドルとか」

「ああ、そうですね。確かに」

「イラストとかでも、かわいい子とかいますしね」

「そんな感じなんだよ」

「ほぇ」

「それでいいんですか?」

「良いの良いの。しかもあいつ、先生のこと好きみたいだし」

香音先輩曰く、その二兎を追う者の二兎は、一人は先生なんだそうで。

「あいつの周りには、女史ばっかだし」

「いや、そんなに有望なんですか、その歌賀先輩」

「だから、見てるだけ、話しているだけでもいいんだよ」


その素振りに違和感を覚えた。

きっと、あおいさんはそうやって、自分で納得しようとしている。見切りをつけようとしている。窓を見る彼女の、麗らかな髪の毛から首筋までが、その思いを如実に表していた。


「じゃあ、言っちゃいますね」

そう言うと、香音先輩は、ぐっと立ち上がり、この話を終わらせるようにぶちまけた。

これが功を奏したのか、あおいさんはすんなりと諦めたみたいだった。


「なんだ、あいつ。屑だなあ」

「まあ、あーちゃんには雄一君がいますし」

「それもそうだね」

「おい、どうしてそうなってるんですか!」

「おい、とは何だおいとは」

「そうですよ、先輩に向かって失礼ですよ?」

「ええ、そういう時に先輩を使わないでくださいよ……」


二人は、珍しく大きな声で笑った。その笑顔からして、未練はないようだ。

ちなみに、その香音先輩が暴いたことは、以下のとおりである。


クラスメイトに恋した歌賀先輩は、そのクラスメイトに告白をする。それなりに人気があった歌賀先輩は、難なくこれをオーケーされ、見事付き合うことに至ったのだ。しかしながら、先生が好きであることを勘づかれ、歌賀先輩は彼女を失う。そして、その先生は先週末に、婚姻届を提出したそうだ。


つまり、この歌賀先輩は、二兎を追う者は一兎をも得ることはなかった。それだけでなく、信頼というか愛されていた人まで、失うことになったのだ。


これを機に、僕は一時期に二人以上の人を好きになることを、とりあえずは禁忌にしようと思う。

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