第2話

「一体いつまで歩くの? 私もう歩けない」


 不意にサンサック通りを吹き抜けた風に、帽子を掠め取られたリーリアは、思わずその場にへたり込んでしまった。

 春の風だった。花や草の香りを含ませながら、坂道を駆け下りていくその流れは、ティティア派の紋章が刻まれた帽子をパン屋の看板の下まで転がすと、何食わぬ顔で街中を駆け抜けていく。


「がんばれよ、この坂を越えた先に、探索ギルドの本部があるって話だ」


 帽子はパンの焼き上がりを叫ぶ子供たちが拾い上げていた。ヘンテリックスは動き出そうとしないリーリアを横目に、子供たちに向かってコインを投げると、そのうち一人が帽子をリーリアの元へ返してくれた。


「――あんがとね」


 別に惜しくもなんともない帽子だった。帝国から第二級魔術師の称号を得た際に、魔術協会から送られた品だったが、リーリアが魔術師として欲していた物は豪奢な金品でもなければ、ましてや協会からの賛辞でも、帝国での地位や名声などでもなかった。

 ただ一人、あの人の喜ぶ顔を見続けるために、魔術を形にしてきたのだ。


「ほんと、むかつくわ」


 リーリアはもう一度、深く春の風を吸い込むと、その小柄に似合わない、大きな樫の杖で地面を蹴って歩き出した。大通りにしては勾配の強い坂道だったが、両脇には所せましと商店が立ち並び、人々の往来は絶える気配がなかった。子供たちは既に走り去り、目の前の柱廊では腹を満たした男たちが、何やら政治談議を繰り広げていた。その隣では、老人たちがチェッカーを囲んで一喜一憂している。


 街の規模も、行き交う人々の質も帝都とは比べ物にならないが、それでもこのパルミニアという都市は、リーリアが想像していた辺境とは随分違っていた。なんとなく、師匠がこの街で暮らす姿が想像できてしまった。

 それにしたって、あの人はいつも突然現れて、突然消えていく、何年も連絡を寄こさないと思えば、急にあんな手紙を――。


「元々ここは、北方戦線のために作られた帝国の要塞が始まりなんだってよ」


 物憂げに視線を揺らすリーリアに、何を勘違いしたのか、ヘンテリックスが得意げな顔で都市の歴史を語り始めた。その知識のすべては本人と同様、先ほどまで馬車の中で読んでいた案内書に載っていただけの、薄っぺらいものだ。いちいち反応する価値もない。


「北方が落ち着いたあとは、ちょっとした交易都市として栄えたんだとさ、ここ出身の元老院議員も何人か居るみたいだ。ちなみにここで発見された遺跡は、元老院議員のカッシウス・ヴンダールから取って名付けられたらしい」


 延々と語るヘンテリックス。この坂道がなければ、とっくに罵倒して黙らせていたところだ。やはり多弁な男は連れてくるべきではなかったか? しかし、リーリアに付いて来てくれる物好きな人間は、変わり者のヘンテリックスくらいしか居なかった。


 ヘンテリックスがとうとう帝国の賢人皇帝時代まで話を遡ろうとしたとき、それは唐突に終わりを迎えた。


 坂を上り切った直後、目的の場所がそれだと、すぐに分かったのだ。まだ遠目だが、その建屋の周囲を漂う異様なエーテルに、二人とも押し黙るしかなかったのだ。


「あれが、探索ギルドかな……マジで、あれ?」


 ヘンテリックスは未踏破の遺跡を見るのは初めてだ。地図を傾けたり、裏返したりして、あれが目的の場所じゃないと、自分に言い聞かせたいようだった。


「間違いないわ、あれが探索ギルドよ。そして、あの建物の地下が私たちの目的地」


 リーリアは帽子を正してにやりと笑みを浮かべた。


「ヴンダール迷宮よ!」

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