第70話 ヴンダール迷宮 最下層 ①

 扉というには、なんだか奇妙な造りだった。棺のちょうど真ん中から引き戸のように開いたはずの扉面は、突然目の前で消失し、いくら目を凝らしてもどこにも見当たらなかった。

 棺の内部からは真っ白な光が天板付近から発せられており、それを見たカレンシアが、これってあれに似てますよね? とおれの腕を引いた。


「ゴーレムが居た、隠し部屋か」


 カレンシアが頷く。どうやらおれたちは同じ場所を連想していたようだ。天板に設置されている光源の形状と、のっぺりした棺内部の左側面に見える装置の様な物が、以前おれたちが転送魔術で飛ばされた隠し部屋の一画と似ていたのだ。


「ねえ、誰から行く?」


 アイラがおれたちの間に割って入りながら窺った。


「おれから行くよ」


「それなら私も一緒に行きます」


 棺の中に入れば第7層へと行くことができる。だがその順番は慎重に決めなければならなかった。なんせ全員で仲良く同時にってわけにはいかない。棺の中に入れるのは精々二人、いや――一人ずつが無難だろう。外観にくらべて、内部はそのくらい狭かった。


「いや、私めが安全を確認しに行きましょう」


「いやいや、それなら私が」


 火中に先陣を切る勇敢さと、自己犠牲を厭わぬ慈愛の精神を育むに至った人間性の比べっこは、そこからイグとふざけたアイラも交えて千錯万綜の様相を呈することとなった。

 仲裁してくれたのはコインだ。それもたったの1アス、おれのポケットに不法滞在していた4分の1セステル通貨が、皆の人間性と尊厳を守ってくれた。


「表だ」


 おれは手の甲に乗せたコインを示しながら告げた。


「じゃあ、私からだね」


 コインに選ばれたアイラが、得意気な笑みを浮かべた後、唐突におれの頬にくちづけをした。


 ――声をかける間もなかった。


 逃げるようにアイラが棺の中に入った瞬間、消えたはずの扉面がどこからともなく表れて、棺を完全に閉ざしてしまったからだ。


「まずいな」


 おれはすぐに自分の過ちに気が付いた。


「君とアイラは、最後まで残しておくべきだったかもしれない」


 カレンシアもおれの意図に気が付いたのか、急いで棺に手を当て、いくつかの手順を踏んで棺の魔法則を起動させる。


「魔法則の一部は解析できたので、ここからは私一人でも開けられます」


 おれは胸を撫でおろした。もしカレンシアが一人で棺の扉を開けられなかったら、おれたちはアイラと分断されたまま、ここで途方に暮れるしかなかっただろう。


 カレンシアが棺の紋章魔術を起動させると、先ほどと同じように扉が開いた。しかし、そこにはもう、アイラの姿は無い。おそらく、第7層へ移動したのだろう。そう思いたい。


「最後に入る人間は、これで決まりましたね。あとは2番目と3番目を決めましょう」


 イグはゆっくり立ち上がると、コインを握るおれの手を見て、裏で、と言った。


「もうコインは必要ない。次はお前だ」


「お譲りいただけて感謝します」


 イグはふらふらと棺に近づくと、倒れ込むように中へ入った。


「次はロドリックさんですよ」


 時間を置いて、カレンシアが棺の扉を開きながら言った。


「ああ、向こうで待ってる」


 おれは棺の前に立つと、カレンシアに向き直った。


 場合によっては、これが今生の別れになるかもしれない。何か気の利いたことでも言えればいいんだが……。


 おれが言い淀んでいると、カレンシアが何かを察して、一歩、二歩と近づいてきた。


「向こうに行く前に、少し話しておいた方が、いい気がした」


「私もです」


「そうか……」


 おれも、おもむろに一歩近づいた。すると、もう二人の間に距離はなくなっていた。


「この先に、私たちの答えがあるんですね」


 気が付けば、おれたちの手は互いの背中に回っていた。お互いもう何日も風呂に入っていないため、お世辞にもいい香りがするとは言えなかった。それでも、カレンシアの細い金髪が鼻をくすぐると、懐かしい気持ちになる。


「答えか……どれほど価値があるもんなんだろうな、真実ってのは」


「思い出したくないんですか?」


「そういうわけじゃない。ただ、どうなるのか不安なだけだ。君は、違うのか?」


「不安がないと言えば、嘘になりますけど――でも、私は大丈夫です」


 カレンシアはおれと向かい合って微笑んだ。


「たとえ覚えてなくても、不都合な真実を思い出したとしても、変わらないことが一つ、確信を持って言えることがあるからです」


 それは何かって?


 そんなの決まってるじゃないですか。


「貴方のことを、誰よりも愛してるってことですよ」

 

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