第60話 探索者たちへ ④

 異変に気付いたのは、もはやすべてが取り返しのつかない状況になってからだった。振り返ってみれば、もっと早くに気づくべきだったとも思うが、どちらにせよ今更だ。


 その日は、エーテル時計が正午を指すまでには、第6層に向けて出発する予定だった。おれはいつものように第5層の休息所で、最前線にしては驚くほど豪華な朝食を、イグ以外の探索メンバーと共に囲んでいた。


 その時、おれは確か、パンにオリーブオイルをたっぷり塗り付けて食おうとしている最中だったし、アイラは亡霊の行動パターンに関する考察を披露していたはずだ。ニーナは小言を呟きながら、おれがこぼしたオリーブを拾い上げたところだっけな。

 ようするに、おれたちは迷宮の中にしては、十分すぎるほど日常を楽しんでたってわけだ。イグにしては、こんな生活を続けるおれたちを見て、正直面白くなかっただろう。その報いだとしても、やりすぎだ。


「ロドリック……大変だ」


 息を切らせたカノキスが、おれの後ろに立っていた。


「どうした? まさか、もうハリードが来たのか?」


 カノキスは第4層にて、ハリード率いるキルクルスのメンバーを、ここまで案内する役目を担っていたはずだ。しかし振り返っても、汗だくのカノキスが膝をついているだけで、それらしき人物は見当たらなかった。


「交渉は、決裂です。ハリードは、ここには来ません」


 おれは言葉を失った――とまではいかない。正直言うと、魔術師相手に全うな取引や交渉ができるだなんて、最初から思っちゃいなかった。多くの魔術師は慣習や組織に馴染めない社会不適合者ばかりだ。それに、おれの立場からすると、この状況は都合がいい。テリアはさぞや困ってることだろう、これで諦めてくれればいいが。


「その代わり、ギルドレイドが、実行されます」


 ――は?

 おれは次こそ、言葉を失った。唖然とするおれを前に、カノキスは矢継ぎ早に続ける。


「私が第4層で、キルクルスと交渉を続けている間に、テリア様がギルドレイドの開催を宣言し、大量に探索者を集めていたようです」


「ギルドレイドの、目標は?」


 答えは内心分かっていた。だが聞かずにはいられない。おれの問いかけに、カノキスは申し訳なさそうに視線をそらしながら言った。


「第6層です……」


「正気? 第6層に、素人同然の探索者を、送り込むってこと?」


 血相を変えたアイラが、カノキスに詰め寄った。


「テリア様は参加者全員に、多額の参加料を設定しました。集まった探索者は総勢500名弱、既に第6層に向け、王宮を出発しています」


「どうしよう、ロドリック」


 最悪の結末が脳裏によぎった。アイラもおそらく同じ気持ちだろう、おれはふと立ち上がり、周囲を見渡した。


「イグはどこだ……」


「そういえば、昨日、貴方たちが探索から戻ってきてから、見てないわね」


 ニーナも思い出したように顔を上げた。まさかイグが、ギルドレイドで集まった探索者たちを迎えに行ったのか?


「カノキス、すれ違ったか?」


 おれはカノキスに向き直った。


「いいえ、第5層のルートは複雑ですので、入れ違いになることも大いに考えられます」


「ギルドレイドの探索者たちは、あとどのくらいで、第6層に着くと思う?」


「出発は早朝の予定でした。かなりの人数ですので、おそらく半日から丸一日程度は必要かと」


「ロドリック、今のうちに第6層に続く階段の前で待っておく?」


 アイラがおれの裾を引っ張った。


「いや、まだ早い。先に状況を整理しよう」


 おれは別のテーブルで同じように飯を食っていたフォッサ旅団のメンバーを呼びつけた。


「なんかあったの?」


 ソニアとレンが、チーズを頬張りながらやってきた。


「テリアがギルドレイドを開催したそうだ」


「え、まじっすか。なんでまたこんなタイミングで?」


 事の重大さを理解していないレンが、軽い口調で言った。


「なんでだろうなあ」


 おれはカノキスに目配せした。


「その……テリア様の目的は、第6層の攻略だと思われます」


「いくら人数を集めても、亡霊には対抗できない。あんただって分かってるだろ、そんなこと」


「おっしゃるとおりで」


 カノキスは黙りこくってしまった。


「どちらにせよ、止めないと。このままじゃ大勢の犠牲が出ちゃいます」


 今まで大人しく話を聞いていたカレンシアが、突然立ち上がった。隣にいたニーナがびくりと体を震わせ、それを見たレンがふきだした。


「早くて半日か……」


 一度補給のために、この休息所に寄るとは思うが、万が一の場合もある。おれはレンとソニアの方を向いた。


「お前ら、フォッサ旅団の関係者を何人か連れて、手分けして第6層へ続く階段と、第2休息所方面を見張っててくれ。ギルドレイドに参加した探索者を見つけたら、すぐおれに連絡しろ」


「分かったわ」


 二人は元居たテーブルに戻ると、手分けして数人に声をかけ、出立の準備を始めた。


「カノキス、あんたはどっちにつく?」


「というと?」


「おれたちはギルドレイドを阻止するつもりだ。このままギルドレイドが始まれば、大勢の探索者が犠牲になるだろうからな。あんたはおれたちに、手を貸すつもりはあるのか?」


「言いづらいのですが、私はあくまで中立的な立場を取らせていただこうかと……一応、ギルド運営側の人間ですしね。ここで大人しく、見て見ぬふりをさせていただきます」


 カノキスはバツの悪そうな顔で、周囲の視線に対し肩をすくめた。

 まあ、魔術師ってのは本来こういうもんだ。特に期待なんかしちゃいない。


「私たちは、ここで待つ?」


 アイラが言った。もしかすると彼女だって、おれ以外の、別の立場から見れば、多くの魔術師同様、自己中心的で掴みどころのない存在なのかもしれない。


「正午過ぎになったら、おれたちも出発しよう」


 だが、今はアイラとカレンシアの協力がどうしても必要だ。


 テリア――ヴンダールの子とは言え、今度ばかりは君の好きにはさせないぞ。

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