第4話

 現在確定されているだけで強盗十三件、傷害八件、それも肉体への暴力を行わないパクの傷害事件の被害者は、全員心の傷害である。金は目当てにしていなかったにせよ、パクの行為は塵もつもり約六年間で二千万円以上の稼ぎをだした。そのため複雑な錠の構造を熟知しているパクの調書は堆く積みあげられ、保釈金の払えないのを理由に七ヶ月間留置所で生活している。


 パクの予想では実刑八年あたりだろう。それを聞いた田原が自分の身の上に考えると、思わず人生を放り投げたくなる。うまくいって一ヶ月後に外へ出れるだろう自分と比べて、なんと遠い歳月だろうか。七ヶ月という留置生活により覚悟は固められたとはいえ、平然と話すパクの前で逮捕されたことに落胆を見せれば、それは大きな失礼にあたる。田原は思いがけないところですこぶる慰められた。


 それにしてもパクの逮捕されるまでのいきさつは、田原の生きてきた経験の中で飛び切り上等の出来事である。なにせ切手に付着した唾液の成分が足がかりとなったのだ。そんなのは小説や映画での出来事だと決めつけていたものの、淡白な顔して話す目の前の人が現実の出来事だと証明している。過激で怜悧なパクに、テレビに出る芸能人らしき希少性を垣間見るようだ。


「プロは現行犯じゃ捕まらない。DNA鑑定で捕まる」


 話しの中で凛然と言うパクの哲学に田原は感心した。中年太りの真田は、体を横たわらせたまま肘をついて、夢中で漫画を読んでいる。留置生活の講釈が終わるのを見て、この男はすでに会話から外れていた。


 パクは同じ文句を二度繰り返した。田原は第一声のような感激は覚えず、「プロは捕まらないのでは?」とパクがちょっとばかり滑稽に思えたものの、約六年の間、現場に足跡の残さなかったパクの手抜かりなさは変わらない。


 田原の捕まった経緯に話が戻ると、出所後は大麻栽培をするとパクが言う。それで田原が以前栽培していたと話したところ、鍵の知識と交換に栽培方法を是非教えて欲しいと言う。田原はパクの話にすでに満足していたので喜んで了解した。大麻栽培をする予定のわりには実際の知識が乏しいパクに、まず大麻についての説明を始めた。


 一般に喫煙される大麻は花が密集した房の部分であり、茎や枝には陶酔効果をもたらす成分はほとんど含まれず、葉もわずかしかない。世間で言う大麻はいわば花の固まりのことであり、それも受粉されていない花こそ本当の意味での大麻である。雄に汚された雌花は栄養が子作りに向かうので、種混じりの大麻は通常好まれない。大麻栽培の目指すところは、貞潔を保ち、ふくよかで艶めかしい雌を育てることだと田原は言う。また大麻は生命力が強いと言われるが、そんなことは関係なしに、愛情を注ぐことが何より重要だと言う。


 大麻栽培は農業であり、農業を知ることで大麻栽培はより確かなものになる。そのためには大麻という直物の働きを知る必要がある。光合成の仕組みを知れば水、光、二酸化炭素に目が届くことになり、炭水化物を生み出す為の元素に行き着くことになる。まずはリン、窒素、カリウムを覚えたほうが好いと田原は勧める。


 また大麻といっても数多くの種類があり、種類によって適した栽培方法は変わってくる。大雑把に分けると野外向きの大麻と室内向きの大麻がある。田原には野外栽培の経験はあらず、専門の室内栽培について説明する。


 栽培方法としては土を使った栽培とロックウール等の培地を使った養液栽培、それに水に根を垂らす水耕栽培がある。土を使った栽培は肥料の配分が難しいが、味は豊かで柔らかい。その反面、水耕栽培は手間がかからないが味は辛くてとげとげしいと聞く。田原が行っていたのは一番手軽に始められる養液栽培である。


 田原はさらに各栽培方法に適した栽培面積、器材、労力、生産費用、収穫量をそれぞれ比較して説明する。それから発芽から収穫までの日照時間、手入れの方法、注意すべき点、収穫の頃合いを述べ、乾燥の手順と期間を貝柱の干物とウィスキーの製造に例えて説明する。それから、所詮栽培方法は大麻の持つ力を最大限に伸ばすもので、上質な種を手に入れるのが最も重要だと締めた。


 黙ってあいずちを打っていたパクは、田原の説明が終わると、疑問に思った点を直ぐに訊ねる。器材および種の購入方法を田原は教えて、栽培時の疑問は実際に試せばわかると説明する。とくに電気代については、使用する光量によって随分と変わるので何とも言えないと首を振る。


 パクがあぐらをかいたまま顎を擦り、なにやら考えに耽っている。田原は腕を組み、自分が使用していた電力量と一月の電気代を換算している。壁際に横たわる真田は、相変わらず関心なさそうに漫画を読んでいる。隣の居室からは咳払いが聞こえる。


 海沿いのマンションを借りて栽培するのはどうかとパクが話した。田原は計算を止めて話を聞いた。


 メタルハライドランプを使い、水耕栽培で大量の大麻を生産するとパクが言う。田原は手間と電気代はかかるが、それが最善の室内栽培だと言った。するとパクが、負担となる電気代は問題ないと言う。田原は少しも考えを巡らさずにどうしてだと訊ねると、海沿いのマンションだからとパクは揚々と答える。田原はふと湘南の海を想像するが、いやいや、わからない。 


 訝しげに田原が問うと、「風力発電だ」とパクは敢然と言う。田原は呆気にとられた。なるほど、確かに風のある海沿いには適している。釈然としないが田原はさらに話を聞く。


 理想はマンションの屋上にプロペラを設置して、送電線を壁伝いに引いてベランダから部屋へとつなぐ。屋上が無理ならベランダに小型のプロペラを設置する。上半身を屈めるように聞いていた田原は、プロペラを安く手に入れることが出来れば十分可能だと思った。いや、むしろ自ら作りあげることもできるのではないか。不気味な笑みを浮かべるパクの顔を見て、「この人なら本当に作りそうだ」とつい期待せずにはいられない。


 田原がプロペラは自作かと訊ねた。プロペラの値段と構造を調べないとわからないとパクは言う。二人は海沿いのマンションでの栽培方法についてさらに話し合った。


 プロペラを入手したと仮定すると、次に問題となるのは設置の許可であろう。設置は知り合いの工務店に頼めば難なくこなしてくれるとしても、マンションの所有者から許可を得られるだろうか。パクがそう言うと、田原は大きく三度頷く。


 田原は考える。購入したマンションなら、長年住むとかこつけて可能かもしれない。いやそれは賃貸マンションでも同じか。しかしマンション購入は現実離れしている。購入できるだけの資本があるなら、そもそも栽培する必要はない。となるとやはり、賃貸マンションの管理人と所有者を丸め込まなければならない。そうなると金が一番効き目がある。いや、例え設置することができたとしても、安全面はどうだろう? なにしろプロペラは目立つ。プロペラに興味を持った管理人に部屋へあがられても困る。


 田原がそのことを話すと、小さくパクは頷き、短い毛の頭を擦って考えはじめる。田原も黙って考える。


 ふとして、田原はマンションを所有する知人はいないかとパクに聞く。パクは、「それだと容易だな」と言い、そんな知人はいないと答える。


 結局、屋上のプロペラをあきらめて内緒でベランダに設置するのがよいだろう、と話は落ち着いた。太陽光発電のほうが外から見つかりにくいという話も浮いたが、風力発電ほど自作するには簡単ではなさそうで、出所後にどれだけ世間に普及しているかによるとパクは言う。


 田原が空想を膨らませることは止めて、大麻を栽培せずに大量に仕入れて、売りさばくことに専念したほうが早いと言う。元手は要るにしても、そんなのはどうにでもなることであり、大麻を欲しがる輩はいくらでもいる。もしくは栽培した大麻で人脈を掘り起こし、徐々に中間取引に移行するのも好いだろう。


 口を挟まず話を傾聴しつつも、パクの顔にはどうも浮かない色が見える。すると大麻取引にも興味はあるが、大麻栽培にこだわりたいと言う。田原は栽培よりも取引のほうが儲けられるとさらに説明してから、栽培に執着する理由を問うた。


 理由はこうだ。長年韓国料理屋で働いていたパクは、その経験を活かして出所後に自分の料理屋を持ちたいと思っていた。もっとも日本に来るまでは料理に格別な興味を持っていたわけではなく、料理人になりたいなどと更々思いもしなかった。韓国料理屋で働きだしたのも、自国の料理が食べられるついでに自炊の能力が身につき、食事補助ついでに食材や調味料を分けてもらえるからだ。厨房で働くパクにとって、料理人として立つために腕を磨いたのではなく、料理への単純な好奇心と奥深さに惹きつけられたのに加え、同僚に対しての権力を保持するために、自然と料理の腕前を上げていったのだ。なにしろパクは鋭敏な味覚を持ち、極端な凝り性だった。


 それでもパクは料理人になろうとは思いもしなかった。合鍵を使っての不法侵入および強盗こそパクの本職だとするなら、料理はただの趣味でしかなかった。ところが警察に逮捕されて、留置場内で借りられる食についての漫画を読んで考えが変わった。その漫画は料理を芸術として扱い、変に奇抜ではなく、裏づけのある説明が料理を引き立てていた。


 パクは辞書と共に留置場内にある全巻を読み、さらに重ねて読み耽った。日中は読書に費やされ、夜は韓国料理屋での経験を元にその日に得た知識を綯い交ぜて、料理についてあれこれと思い巡らせた。思考を主とする留置場の生活が、パクに生きるべき新しい思想を形成させて、料理人になることを決心をさせた。


 ただパクは警察に逮捕される類の人間であり、社会の規範を理解しつつも自己本位な理屈に染めてしまう人間の一人である。暴力は悪いことだと信じ、並んでいる列への割り込みも絶対にしない。拾った財布は必ず交番に届け、倒れている自転車があれば喜んで元に戻す。ただし勝手に他人の家に踏み上がることをどうとも思わず、むしろ防犯に対しての注意を促す殊勝な行いだと思っていた。そればかりか金を奪うのも(無理には奪わず、なければないであっさりとあきらめていた)ちょっとした授業料ぐらいに考えていた。


 そのため健全とした社会復帰を目指しつつも、やはりどこか一部狂った考えをしてしまう。パクは大麻を食材とした料理を自分の店に出すという考えを田原に伝え、自らの手で育てた無農薬大麻を使いたいと食の安全を絡めて力説する。


 パクと同様に田原も多少抜けた部分があり、客に大麻を食べさせるという甚だしい考えを咎めるどころか、好奇心を大いにくすぐられてしまう。田原は以前栽培した大麻の葉をバター炒めにして食したところ、非常においしくなかったと言った。ただし味付けがバターのみで調理方法がずさんだと付け加えた。


 葉の部分のみで大麻の効能を得るには多くの量が必要だろうと田原は言い、陶酔をもたらす成分は油に溶けるという、本から仕入れた知識を教えた。するとパクは葉および花房を使ったサラダ、炒め物、揚げ物等の料理を次々と、それも具体的に述べる。あれやこれやと食卓に運ばれる料理を思い浮かべて、田原は空いた胃と共に、大麻嗜好者だけが持つ官能を刺激された。


 とくに花房の天ぷらは豊潤でまろやかな味はおろか、付随する陶酔効能がすばらしく思われた。まるまる肥えた色鮮やかな花房がからっと揚げられ、淡い狐色の衣に天然塩をかけてかぶりつくことを想像すると、口内は滔々と分泌される唾液に満たされる。田原が今のこの状況はうらめしい。パクは坊主頭にうっすらと汗をかいている。


 パクの思いつく料理を聞くたびに田原は笑いを堪えることができず、ラー油の製法を真似た調味料、麻油(唐辛子の代わりに大麻を使う)について聞かされると、留置場内に激しい笑い声を響き渡らせた。うれしそうに笑い声をあげるパクにぱしっと肩を叩かれ、体を動かすことなく面倒臭そうに真田に睨まれ、看守から砲撃音ような怒声を浴びせられる。それでも麻油(マー油)の響きに田原の笑いはおさまらない。声をあげて大笑いできないのが勿体ない。


 大麻を調理した料理はあからさますぎるが、麻油は実に現実的な調味料だと田原は考えた。パクの想像によると、緑の油である麻油はカキ氷に使用するメロン味のシロップよりも薄緑色に澄み、胡麻油とニンニク、しょうが、ねぎ等の薬味の風味が織り交ざる、至極やわらかい味である。ギョーザのたれに使うのはもちろんのこと、ラー油の代わりとして様々な料理に組み合わせることができる。特にラー油にはない陶酔効果によって味覚は一層鋭さを増し、口にした人の食欲はまんまと煽られてしまい、しぜんと食が進んでしまう。麻油は麻薬のように、一度口にした人間を虜にするとパクが言う。


 大麻は麻薬だと笑いながら田原が言うと、パクは料理も麻薬のようなものだと言う。コーヒーや酒は言うまでもなく、ナツメグや山椒といった香辛料もある意味では麻薬であり、恍惚を覚えるほどの料理も同様である。一度食べたらやみつきになるという言葉こそ、食材に対しての依存性を示している。


 美味しいものを食べてストレスを解消するという知人の女性を思い出し、あながち間違っていないと田原は思った。現実逃避のために麻薬を使用するとはいかないまでも、日々の生活の疲れを癒す、もしくは現実生活との折り合いをつける目的とするなら、さほど違いはないかもしれない。せっかく生きているんだから美味しい料理を食べないと人生勿体ない、という言葉をやや耳にするが、料理を麻薬と置き換えると甚だおかしなことになる。それでも恍惚を得るという点では、どちらにしても同じではないだろうか。ただ麻薬にしても料理にしても、過剰摂取こそ体に害を与えると田原は考える。


 パクはさらに店の客層を説明する。大麻の生産が少ないと考えて、安くて量の多い料理は一切作らず、良質な食材を使用した単価の高い料理を中心とする。そうすれば必要以上に多く大麻を作ることなく、手間もさほどかからずに済む。それは逮捕されるリスクを減らすことにつながる。


 顧客は富裕層を狙い、できることなら紹介による会員制が好ましい。警察に告げるような機知の欠ける人より、柔軟な考えを持つ損得勘定の確かな人が理想だ。すなわち警察につきだして料理を食べられなくなるよりも、黙り続けて美味しい料理を頂くほうが得だと思わせなければならない。そのためには腕前を上げることはもちろん、陶酔成分の加減が適当である独自の料理こそ肝要である。客が店を出てほんわかと料理の余韻をまどろむ程度が望ましい。


 ここで就寝時間が近づいた。パクと田原は興の冷めるのを惜しんで、話を続けながら布団を敷きはじめる。鉄格子の近くにパクと田原が並べて敷いて、その足元に真田が横に敷いた。


 留置担当官による眠気を覚ます厳粛な点呼がとられ、皆存在を誇張しあうように太く低い声で返事をする。田原も調子をはずさぬよう腹から低い声を出した。


 灯りが消えて留置所内は静かな寝息に静まり、寝返りをうつ音がしきりに聞こえる。人生を左右する今日という一日を終えて、さすがに田原は疲れていたものの、慣れない環境にたやすく順応するほど神経は太くない。鼻から呼吸することに意識しては、鳴りを潜めて今日の出来事を振り返った。

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