第四章 Ⅱ

「——おい。なにをしてるんだ」

 イクセルは裏手のスクラップ置き場まで来ると、でかい図体でなにやらしている背中に声をかけた。投棄された大きめのスクラップたちに囲まれたその背中が声に反応して振り返り、相手が誰かを確認するとたちまち嬉しそうな顔となる。知り合ったばかりの大男、クライヴである。

「おお、起きたのか。いやなに、世話になった恩を返そうと思ってな」

「……で、ゴミ弄りか。なにがしたいんだ?」

 イクセルはジト目でクライヴの足元を見る。そこには捨てられた家電の類から抜き取ったであろう部品が散乱しており、イクセルの目には総じてガラクタにしか見えなかった。

「いや、見てるとけっこう使えそうなのが多くてな。修理できればなと……」

 クライヴは別段むきになることもなく、平然と言う。そのまま足元の部品たちを選別しては、どこから持ってきたのか布の手提げ袋に放り込んでいく。

 しばらく黙ってその様子を眺めていたのだが、彼の口振りや手慣れた仕草、自信ありげなその選定眼に、イクセルの脳裏にふと疑問が浮かんだ。

「修理? あんた、裏稼業に手を染める前は技師だったのか」

「んん……ああ。まぁ、そんなとこだ。……なぁ、ちょっとこいつを持ちげてくれないか。こっちは下に支えをかませるから」

 昨日の出自を訪ねたときと同様に、クライヴの返事が歯切れの悪いものとなった。ぱっと見てとれるキャラクター性に反して、彼は意外と自分の秘密を他人に語りたがらない。イクセルはその点については親近感を感じつつ、彼が持ち上げたものに手を伸ばして代わりに受け取った。かつて冷蔵庫だったそれは、わりと洒落にならない重さだったので即座に顔が引きつる。

 どうもクライヴは冷凍庫の底面に用があるらしかった。本来はその場に倒してしまえれば楽なのだが、周りを他に投棄されたものが囲んでいるのでそうもいかないらしい。

 イクセルが冷蔵庫の背面側で奮闘していると、オロフが正面の扉を開けていき、その中へ辺りから引っ張ってきた手頃な機材を差し込んだ。斜めに角度がついてしまったが、それをとりあえず応急の支柱とする。この支えにより掛かる負担が多少は軽減されたはずなのだが、高さが不揃いでバランスが悪いため、結局はそれなりの重量を感じた。

「……けっこう、重いぞ。こいつを直すのか?」

「いや、必要な部品をいただくだけだ。放置されてたから見た目はいまいちだが、意外と状態は悪くなさそうだ。雨よけがしてあって助かったよ」

 クライヴは腰のポーチから工具を取り出すと、イクセルが持ち上げる冷蔵庫の下へと潜り込み、留め具を外していった。イクセルからは見えないが、そのままパネルを開ける音がし、なにやら金属をいじる音も聞こえてくる。

 額に汗を浮かべながらあらためて見ると、冷蔵庫は相当に年季が入っているように見えて、イクセルは半信半疑で眉を寄せる。

「本当に使えるパーツが生き残ってるのか? けっこうボロいが。つーか、結局なにを直すんだよ」

「ああ、発電機さ」

 クライヴが事もなげに言うが、イクセルは今日に至る村での記憶を辿りつつ、今度こそ疑うような眼差しを足元に向けた。

「発電機? ああ……もしかしてあの動かない一基か。あれ、俺が村にきた時にはもう動いてなかったぞ。本当に直せるのか?」

「兄弟が寝てた間暇だったんでな、散歩がてら下見はすでに済ませたさ。ここのスクラップたちから必要な部品を回収できれば、なんとかなる」

 イクセルは汗が滴る顔を厳しいものにする。限界を超えて震え出した自分の手の踏ん張りが利かなくなりつつあることを自覚する。

「兄弟言うな……そろそろ限界なんだが、まだかっ?」

「ちょっと待て。今、最後の基盤を外してるところだ……よし、いいぞ」

 足元からクライヴが脱出すると、限界も限界といった様子で両手を離した。手を離され支えを失った冷蔵庫は、中で支柱にした機材を折り曲げてへし折りつつ重い音を立てて地面に沈んでいく。

 解放されたイクセルは、全力で疲労を訴える両の腕を振った。

「あ~、きつかった……。で、必要なものは揃ったのか?」

 額の汗を拭いつつ聞くと、クライヴは少年のような表情で嬉しそうにしていた。冷蔵庫から取り外した部品たちを布袋に集め入れ、満足そうに頷く。

「たぶんな。ここ、電力をあの風車で供給してるんだよな? さすが【風の国】って感じだよなぁ」

「……そうだな。あんたが直そうっていう壊れた一基が活躍してたころは、そいつが主力だったみたいだけど……ん?」

 松葉杖をついて歩いていくクライヴを追っていき、イクセルははたと気づく。

 今さらながらに彼の足を見ると、それは昨日に自分が応急処置をした折れたはずの足だった。先ほどからあまりに自然に振る舞われていたので、クライヴの足のことはイクセルの意識から外れてしまっていたのだ。よくよくクライヴの姿を見れば、それ以外の全身の打撲や裂傷も目立たなくなっていて、ある程度治癒しているように見える。

「あんた、足は大丈夫なのか? それに他の傷も、随分と良くなったみたいだが」

 クライヴに追いついて並んで歩くと、イクセルは自分よりも頭ひとつ分は背の高い彼を見上げた。クライヴはこちらを見下ろし、空いている手でなにかを飲むような素振りをしてみせる。

「……ん? おう、わりと調子いいぜ! なんせ【水の国】の治療薬を飲んだからな!」

 元気いっぱいな様子で笑うクライヴにイクセルは頷き、彼の言う治療薬の正体に思い当たるとそのでたらめな治癒速度の早さに納得した。

 【水の国】の治療薬——

 それはこの大陸で一番の治癒効果をもつ希少なもので、薬と銘打ってこそはいるが、その正体は水の精霊の加護を受けたまさに特殊な『水』なのである。身体に取り込めば生命力そのものを大きく活性化させ、ある程度までの傷であればたちまちに癒し身に巣くう病魔を払う効果をも有する万能薬なのだ。

 優れた効果をもつ高い純度のものは水の精霊の加護が根付く地域でしか生成できず、中央大陸でいうと【水の国】カトルシディアでしか生成することはできない。高い市場価値は本国カトルシディアでも勿論そうなのだが、貿易における流通には徹底した規制が行われ、他国となればその希少価値さでより高価な価格でしか取引することができない。

「なるほどな……あの国のとんでも水か。あんた、けっこう金持ってんだな」

 イクセルは半ば感心し、もう半分では呆れた気持ちだった。

 隣に立つ男がよくわからなかったのだ。治療薬があると踏んだ上で昨日の行為に至ったのだとしたら、見た目どおりの単なる激情家なのではなくそれなりに打算的な面を持つ男なのかもしれない。もっともあのときの状況では首を切り落とされる可能性のほうが高かったので、やはり外見通りのただの考えなしだろう。なにせ首無しでは治療薬などなんの意味もないのだから。 

「いやいや、懐の余裕はまるでないけどな。虎の子の一本ってやつさ」

 クライヴは首を振っては指を一本立てた。その指を見つつ、イクセルは半眼で続ける。

「ふーん。保険が無くなっちまったんだし、これからはそんな怪我負わずに済むように慎重に生きていくんだな」

「おう。肉体労働はお前さんにがんばってもらって、俺は知略を尽くすぜ!」

「なんでそうなる。俺は嫌だって言ってるだろ」

 なぜか自信満々で拳を握るクライヴに、冷ややかな目でしっかりと否定しておく。

「そう言うなよ兄弟。昨日の巫女様とお前さんを見て、俺は確信したね。こいつらと一緒に行けば想像もつかないような未来が待ってるって!」

「わけがわからん。あと兄弟言うな…………巫女? いま巫女って言ったか?」

 隣で熱を上げるクライヴを呆れた顔で追い抜いていくが、彼の言葉に足を止めると眠たげな垂れ目をきょとんとさせて振り返る。目が合うと、彼はしたり顔でこちらに頷いてきた。

「ああ。あれはどう見ても巫女だろう、兄弟」

「なんで言いきれる? 巫女と会ったことがあるのか?」

 イクセルは断言するクライヴを不思議そうに見るが、今度は彼のほうがきょとんとした顔になった。

「いや、ない。『本物』には会ったことはないな……自称ならけっこうあるけどな」

 クライヴははっきりと期待外れの言葉を吐き、微妙に肩透かしした感を覚えつつも、イクセルは彼の言うことに苦々しい顔で同意する。

「……俺もその手の手合いは腐るほど見てきたよ。昨日は確かに異常な状況だったし、妙な雰囲気がある女ではあるけど…………あれが巫女?」

 眠り続ける瞳の色すら知らぬ彼女の顔が浮かぶが、夢の中で出会った彼女の顔のほうが浮かんできてしまい煩わしげに頭を振った。

 隣のクライヴは、相変わらずこちらをおかまいなしに盛り上がっていく。

「きっとそうだぜ兄弟。空から降ってくる彼女を抱きとめたお前さんの姿……まるで天から遣わされた神の使者と勇者のようだった。彼女は間違いなく巫女さ!」

「おい、つっこみが追いつかないぞ………………勇者とか言うな」

 クライヴは胸を熱くさせたらしく、目を輝かせて語っていく。横でうんざりするイクセルは、ため息を吐いて歩き出した。夢の中で特に忌避感を覚えた、『勇者』という言葉を拒絶しながら————


(しかし巫女か……。本当にそうなら、いよいよ最悪だな。軍も含めて得体の知れないことばかりだけど、とんでもないことに巻き込まれてるのは間違いないだろうしな)

 気が重くなり、それが足に表れたかのように進みが鈍くなっていく。クライヴが隣に追いついてき、彼は真剣な表情をして前を見据えていた。

「巫女と言えば、未来を予言し過去の歴史に通ずる賢人と聞く。はぁ~、こりゃ始まっちまったぜ兄弟……俺たちの輝かしい歴史が」

 どうやら見据えていたのは目前の光景ではなく、別のなにかだったらしい。イクセルはただでさえ滅入っていた気分をさらに落ち込ませると、なにも見たくないといった体で目を細めた。

「そんなものは一生始まらないし、その巫女の噂って胡散臭くないか? 確かになにか特別な力があるのかもしれないが、未来だの過去だのはさすがに眉唾だろ。あと兄弟じゃない」

 一気にまくし立ててやったが、クライヴのその瞳には妙な輝きが灯ったままだった。

「いや、わからんぜ。歴史に名を残す大英雄の隣には、常に巫女の姿があったとされている。巫女の力の是非はわからんが、これってつまりお前さんが英雄になるってことだろ? 俺たちの未来は輝かしいじゃないか!」

「バカ言ってろよ。仮に英雄とやらになったとしたら、それこそ歴史に習えば大概が悲惨だろ。面倒ごとは御免だね」

 白熱するクライヴには乗らず、淡々と自分の主義を貫いていく。こちらの意思が通じたのかそうではないのか、クライヴは重々しく呻いた。

「むう……とりあえず大局に備えた準備が必要だということか。こいつは忙しくなりそうだな、兄弟」

 やはり通じてはいなかった。イクセルは歩きながらも肩を落とし、ジト目で呟く。

「ったく、本当に話を聞きやがらないな……」

 隣のクライヴに呆れながら、イクセルは自然な様子で辺りに視線を向けていく。畜産動物を飼う牧草地を歩いていくが、小屋あるいは茂みの陰に隠れるようにして、見知った顔たちがこちらを監視していた。そこにいたのは村の若い連中だった。オロフの家を出たころにはもう彼らの存在に気がついていたのだが、相手の考えを理解していたのでそのまま好きにさせていたのだ。

(……ま、いろいろと立て続けに起き過ぎたからな。厄介の種はしっかり監視しとかないと落ち着かないよな)

 こちらを好ましく思っていない視線とぶつからないように視線を外して、ばれないように密かに観察し返す。道中クライヴが話しかけ続けてきたので、自然な雰囲気で進んでいけたはずだ。しかし牧草地を抜けて小高い丘の上へ歩いていくと、遮蔽物が減ってきてしまったために彼らの身の隠し方が雑になっていった。目的地の風車の下に辿り着いたころには、気づいているということを気取られないようにするのに随分と精神的な疲れを感じていた。

「ん? どうかしたのか、兄弟」

 発電機の前で持ってきた道具を広げるクライブが、こちらの様子を気遣う。そちらに力なく手を振ると、イクセルも隣で適当な工具に手を伸ばした。

「別に……あんたと話すのに疲れただけだよ。ほら、さっさと直せよ」

「おう。じゃあ、すまないが少し手伝ってくれ。まずだな————」

 クライヴが修理に必要な指示を出し、イクセルは彼の助手を務める。

 手先の器用さに自信がないわけではなかったが、発電機の修理などまるで門外漢のため素直に指示に従っていく。とはいえ思いのほか大規模なことをするわけでもなく、先ほどの力仕事に比べれば特段に疲れる重労働ということもなかった。

(しかし……村長になんて言われてきたんだか知らないが、自由にさせ過ぎじゃないのか。村の重要な財産である設備によそ者が手を出してるってのに、消極的すぎるだろ)

 さりげなく辺りを窺うと、やはり若い村人たちがこちらを監視していた。有事に事を起こせない監視に意味があるのかはさて置き、彼ら自身は熱心に仕事をこなしてるつもりであるらしかった。

(ちょっと、平和ボケした連中なんだよな。少しその辺の機微がわかるように揉んでやればよかったかな……)

 イクセルは眉をしかめた——村の未来を案じて憂いてるいることもそうだが、そこに自分はいないものと自然に考え、村から出ていくことをいつの間にか決めていた自分に。

 嘆息して隣のクライヴを見てみた。彼は手際よく外す物は外し、付ける必要がある物は付けていく作業を繰り返し行い、合間に溶接作業も挟んでいった。ゴミ置き場で回収した部品も使っていたようだが、隣で要求されたものを手渡す係と化していたイクセルは、クライブのその慣れた手並みに感心する。

 しばらくしてから最初に外したパネルを元に戻すと、クライブは額に浮かんでいた汗を拭った。

「うむ、ひとまずやれることはやったな」

「終わりか……こんなんで」

 クライブの終了宣言にイクセルはやや拍子抜けして顔になる。

 あらためて修理を終えた発電機の全容を見まわした。数台が並ぶ風力発電機の手前に設置されたその一基は、他のものと明らかに違う特異な形をした一基だった。

 まず高さが極端に低く、本来必要な風力を受けられるであろう位置まで風車が上がっていないのだ。せいぜい人が縦にふたり分ほどの高さしかないが、肝心の風車も小型のものが五つ縦に並んでいる。それらが長方形の形状をしたひとつの大きな箱に収められているのである。

 風車の対面の壁面に穴が開いていて風の通り道を形成している。それ以外は壁や天井に覆われているので、遠巻きに一見すると単なる箱型の施設だ。世界的には実に特異な形状の風力発電機ではあるのだが、このサーシディア共和国ではそれほど珍しいものでもなかった。

「……修理できたのか? ってことは動くのか、この発電機」

 横に立つクライブに問うが、イクセルが見た彼の表情は晴々としたものでは決してなかった。彼は苦い顔で側面のパネルを空けると、空洞となっている部分を指し示した。

「ああ……まぁ、修理は完了だ。知ってのとおりこいつは風の精霊が発生させる風力で発電していくわけなんだが、こいつは蓄電設備の部分に問題があったんだ。で、それは解決できたと思うんだが……」

 歯切れの悪い口振りだったが、イクセルは黙して続きを促す。

「……実はうっかりしていたことがある。肝心の精霊に入ってもらう『ランタン』部分が丸々なくなっていたんだが、心辺りはないか?」

「さぁな。俺が村にきたころには動いてなかったって言っただろ。スクラップ置き場で見かけなかったのか?」

「いや、無かったんだなこれが。最も高価な部分だからなぁ……もしかしたら売っぱらちまったのかもな。どう思う?」

 イクセルは眉をひそめると丘の下のほう、来た道のほうへと視線を向けた。

「たぶん、村長に聞かないとわからない。この手の設備を設置することも修理することも稀だから、この村だと年配でも疎いかもしれない」

 松葉杖を脇に挟んだ状態で腕組をすると、クライブは大きく頷いた。

「ま、仕方ないだろうな。この大陸で高い文明水準を国全体で維持できてる所なんて、【地の国】と【火の国】くらいだろうからな。あとは運よく古代文明の出土地で暮らしている連中くらいか?」

 辺りを強い風が吹いていき、イクセルは風を受けて回る頭上の風車たちを見上げた。

「【雷の国】は、もっと高い文明らしいけどな。機動鎧装に積まれてる装置並のが平気で家庭でも使われてるって噂だけど」

 風車の勢いから風の強さを視覚的に感じていると、クライヴが腕組したまま人差し指をこちらに向けた。

「おう、【雷の国】か! 元々は空に浮かんでいた機械の島が落ちてきたって話なんだよなぁ。神聖公国レイシディアが独占していた機械技術を各国に流出させたって噂だが、どうなんだろうな? あそこはレイシディアに次ぐ鎖国国家なんだし、本当なら矛盾してるよなぁ」

 技師上がりの血が騒いでもいるのか、修理に使用した工具類を片付けながらクライヴは熱を上げて語っていった。そちらとは対照的に、イクセルは彼を手伝いながらあくまでマイペースな調子で会話を続けていく。

「どうだかな。まだ建国……つーか、一国家として知られてから歴史が浅いわけだけど、鋼鉄のカーテンを布いて閉じこもってるのは事実だ。あまり友好的でないことは間違いないんだと思うよ」

 イクセルは手早く帰り支度を整え、発電機に背を向けて来た道を戻る。クライブを置いてかないように歩調を合わせてやりながら歩いていく。

「しかしそうは言ってもさ、あそこは隣国が内乱で国を割ってる【火の国】と、これまた歴史の浅い未開の【氷の国】だろう? 環境が極端過ぎてさ、信頼関係が築けないってのはありそうだよな」

 ふたりで丘を下りながら会話を続けていくと、身を隠すのに慌ててる村人たちが目につく。イクセルは内心でげんなりしながら、行きと同様に気づかなかった振りをして進んでいった。

「わからないけど、隣国の【火の国】に技術提供をしているって噂を聞いたことがある。その【火の国】は【地の国】の一部の工房とも協力関係を結んでいるから、それらが原因で内乱がひどくなる一方らしいけど……」

 言うと、イクセルは丘を下りきる直前で足を止める。後方を見やるとクライヴが遅れていた。いつもならすぐに反応を返すはずなのに、その場に立ち止まり複雑な表情で地面を睨んでいた。彼の胸中で渦まくものが怒りなのか悲しみなのかは、その表情からは判断がつかなかったが、あるいはその両方なのかもしれないとイクセルは感じた。

 クライヴはこちらの視線に気がつくと歩き出し、不機嫌な声で呟く。

「……戦争で人を殺す兵器ばかり技術が進化していっても、なんの役にも立ちはしねぇけどな」

 イクセルはなんと言葉をかけるべきか逡巡したが相応しいものが見つからず、結局は追い抜いていく背中に短く同意するだけにとどめた。

「……ああ、そうだな」


 それからはまた、ふたりのあいだに沈黙が流れていく。沈黙は苦手ではないため、クライヴが話しかけてこないかぎりイクセルが自発的に口を開くことはなかった。

 丘を下っていき、ふたたび牧草地に差し掛かったころ、イクセルの瞳が急に翠の光を纏う。

「——っ!」

 イーヴァルとの同調状態がはじまり、視界が自分が貸し与えられている部屋のもに切り替わる。

 ベッドの上で上半身を起こした女性の背中が見えた。

 ベッドの軋む音がして彼女はこちらへ向き直るが、イクセルは心臓が跳ねたかのような衝撃をうける。開かれた彼女の瞳が、夢で見たままの自分と似たような翠だったからだ。そして、夢と同じように柔和な笑みを浮かべてくる。イクセルは瞬間的に、彼女がイーヴァルを通して見られていることをわかっているのだと悟った。

「——おい、どうした兄弟!」

 急ぎ走り出していく。後ろで事情を知らないクライヴが慌てて声を上げた。無視しようとも思ったが、止まると短く要点を叫ぶ。

「……あの女が起きた! 悪いが先にいく!」

 ぐるりと村人連中の位置を確認しつつクライヴをひとりにしてしまう危険性を考慮するが、よほどのことがなければ手出しはしてこないだろうと踏んで先を急ぐ。

 全力で牧草地を駆け抜けて、何事かと上げられた動物たちの声を後ろに流していった。

(——イーヴァル、その女が妙な素振りをしたら最大火力で攻撃を叩き込め……!)

 同調状態をコントロールし視界を被せて確認しつつ走るが、彼女は変わらずこちらへ嬉しそうな笑顔を向けているだけだった。それでも軍艦が墜落したことを思い、イーヴァルに彼女が脅威となった場合の排除を命じておく。

 呼吸が乱れ肺と足が悲鳴を上げるが、懸命に走り続ける。こちらを不思議そうに見てくる村人たちを通り過ぎ、目的地であるオロフ家に到着すると裏の勝手口から勢いがついたまま入った。

「おわっ!? な、なんだよ……驚かすな!」

 台所でなにかしらの調理をしていたらしいオロフが、吃驚した顔をしていた。同じように父を手伝っていたシーラも驚いて目をぱちくりとさせた。イーヴァルの視界で二階の女の動きを確認していたとはいえ、ふたりの無事な姿を見てイクセルはほっとする。

 息が切れ、できることならこのままこの場に倒れてしまいたかったのだが、集中力を切らすことなく台所を後にして二階へと駆け上がっていく。

「んんん、おいっどうしたっ?」

「……もしかして起きたのかな、あの女の人……!」

 下から届いたふたりの声は無視して一気に階段を上りきり、イクセルは緊張の面持ちで女とイーヴァルがいる部屋へ足を踏み入れた。

「……っ」

 彼女はこちらをじっと見ていた。

 先ほどからそうなのだが、見知らぬ部屋で目が覚めたわりにひどく落ち着いている様子だった。ベッドの上に座る彼女は、まるで状況をすべて理解しているような超然とした笑みを浮かべている。

 イクセルは呼吸が整わないままで、視界の同調状態が解除された瞳をイーヴァルにも向けてみる。相棒の精霊は静かに彼女の横に佇んでいたが、イクセルはどことなく嫌な感じを覚えた。彼女を攻撃するようイーヴァルに命令したとしても、彼が実行してくれるように思えなかったのだ。

(……イーヴァル、お前と契約してるのは俺だ。頼むから、俺からの制御を受け入れてくれ)

 心で念じると、繋がりが断たれてるわけでも拒絶されるわけでもないと感じる。それでも脳裏に昨晩の出来事が思い出され、胸には不安が広がっていく。

 こちらの緊張など関係ないように、目の前の女は悠々とした様子で手を組んでその薄い唇を開いた。


「……おはようございます。やっと会えましたね————イクセルさん」


「っ……なんで、俺の名前を知ってる。あんた、何者なんだ」

 たった今口を利いたばかりの女に名前を呼ばれ、イクセルは全力疾走とは別の理由で呼吸が乱れていく気がした。息を整えようと努めつつ、油断なく睨めつけて彼女の一挙手一投足に集中していく。

 彼女は意味ありげな微笑みを見せると、なにかを言いかけて固まった。

 急に表情を失うとその一瞬後には、彼女のお腹から『ぐぅ~』となにやら間の抜けた音が盛大に鳴り響いた。

 半眼で彼女を見つめるイクセルの顔を、汗が流れていく。背後にはオロフとシーラの気配を感じるが、なんとなく見えぬふたりの表情がわかったような気がした。おそらく、自分のものとそう変わらないだろう。

 目の前の彼女は目を閉じて被りを振ると、なぜか寂しそうな笑みを浮かべた。よく見れば、多少は頬が赤くなっていたかもしれない。

 全員が固唾を呑んで見守っていると、彼女はなにかを失ったような哀愁漂う顔で言った。


「とりあえずですね…………お腹が空きました。食事をいただきたいのですが」

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