第二章 Ⅳ 空は黄昏から夕闇へ

 艦長だった男は、見上げる夕空の昏さが自身の心持ちを表してるかのようで、その心中は途方に暮れていた。厳密にはまだ、その男の肩書は艦長だろう。だが当の本人は、艦が墜落して飛べぬのではもはやその肩書に意味はないと考えていた。

 その信念めいた考えで言うところの艦長ではなくなった男——ジェリー・ニル・ミラー中佐は、目の前で黒煙を吐き続ける艦をぼんやりと見つつ、ため息を吐く。目前では部下の者たちが行ったり来たりと辺りをめまぐるしく駆け回り、忙しくなにかしらの作業に当たっていた。

 その光景を内心ばつが悪い思いで眺めていると、背後から風が吹きつけ肩に垂れていた長い髪が浮き上がる。顔面にかかった己の髪を煩わしげに払い、周囲を流れていく風を冷めた印象を与える双眸で睨みつけた。が、その行為には意味がないと自覚しているので、ミラーはこめかみを押さえながら目を閉じる。背に風を受けながらしたそれは、ひどく物憂げな顔つきだった。

 彼の脳裏には、目の前に広がるこの現状——その元凶となる出来事が思い出されていたのである。



 それは凄まじい衝撃だった。

 ミラーが司令官として指揮を執る艦隊は、サーシディア共和国の東の空をなんの問題もなく飛行していた——はずだった。突如として艦を襲った尋常ではない衝撃に、艦長である彼は必死に席にしがみついて叫んだ。

「っなんだ、この衝撃は!? いったいなにが起きた? 周囲警戒、状況確認を急げ……!」

 周囲の部下たちも困惑顔でそれぞれに与えられた持ち場へと突っ伏していた。それでもなんとか顔を上げると、計器や目前のモニターを観測して状況を確認していく。

「……最大望遠で確認、長距離射程兵器における射程到達範囲内および当艦の周囲に敵影なし。この衝撃は、内部から発生していますっ! この反応は……衝撃は風の精霊魔法と推定。艦内で風の精霊が召喚され攻撃魔法を行使している模様です」

「なんだと。艦内に侵入者が潜んでいたというのか?」

 ミラーは胸中に嫌なものを感じ、報告を上げる部下に厳しい顔で問いかける。それに応えるべく目前のモニターを凝視していた部下は、一瞬自分の目を疑うと狼狽して叫ぶ。

「いえ、これは……精霊反応が艦隊データベースのものと適合、精霊は我が艦所属の契約者のものですっ! 当艦は現在、味方の精霊によって攻撃を受けています! 艦内の精霊反応、異常な速度で上昇するのを確認!」

「ばかな……内通者がいたというのか? 危機の正体が皆目見当つかないのが不愉快だが、そうも言ってられんな……第一種戦闘配備を発令!」 

「了解、第一種戦闘配備を発令!」

(——これはどういう状況だ? このタイミングで事を起こすなら、狙いは巫女なのか)

 艦内で戦闘配備を知らせる警報が鳴り響き、胸中で巫女の安否を考えていたミラーは部下の一人に声をかける。

「巫女の部屋の状況が知りたい、映像を出してくれ」

「はい、お待ちを。…………問題発生、監視映像にアクセスできません。おそらくカメラそのものが壊されています」

 報告に舌打ちをするが、内心ではそうだろうと予想をしていた。状況を把握するために素早く意識を切り替えていく。

「……そうか。ならば、他の現場の者と話がしたい。状況を出せるカメラはあるか?」

「了解しました。信号に反応するカメラとモニター通信器を検索中……機動鎧装の収納区画、搭乗者の待機室出ます」

 ミラーの指示に即座に反応した部下が端末を操作すると、やや経ってから艦長席に設置された画面に映像が映し出される。それは普段であれば機動鎧装に搭乗する精鋭たちが待機している部屋なのだが、映し出された光景は談笑や愚痴を言い合う隊員たちのものではなく、彼らが地面へと倒れている姿だった。

 上から見下ろすアングルで撮られる待機室は所々が抉られたように損傷し、出入り口に備わっていたであろう扉はひどく歪んでおりもはやその用途を維持できない有り様となっていた。

 扉の横の壁面には映像と音声を通信する装置が設置されている。そのモニターにミラーの顔が映し出されていた。

「……艦長のミラーだ。誰か無事な者はいないか。……誰か返事をしてくれ。おい、しっかりしろっ……!」

 目に映る光景に奥歯を噛みしめ、モニター越しに倒れる隊員へ向かって声をかける。しかし倒れる隊員に返事をする者はなく、モニターに映る彼らは静かに倒れ伏したままだった。

「……この声は、艦長? っ艦長!」

 カメラのアングルの外——壊れた扉の向こうから残骸の欠片を踏みつけ、眼鏡をかけた三十代ほどの男が生傷の浮かぶ顔を出した。

「艦長、トム・ファルコナー曹長であります。いったい、なにが起きているのですか⁉」  

 トム・ファルコナーは機動鎧装の一部隊を預かる立場の下士官だった。しかしその外見はまるで子どもに慕われる温和な教師のようであり、荒事とは無縁の雰囲気を漂わせる男だった。常に冷静沈着を心掛けるトムだが、しかし身に降りかかったこの異常な事態に理解が追いついていかず混乱していた。

「ファルコナー曹長、こちらも事態の全容を把握できていない。艦内に敵侵入の報告は上がらず、私は当艦艦所属の契約者たちが攻撃行動をとっているとの報告を聞いた。その事実を確認したい……どうか?」

「はい、確かに一部の契約者たちの精霊が攻撃行動をとっています。ですが、なにか妙なんです。契約者である彼らの意思に反し、精霊が独自の行動をとっているようで……まるで暴走状態にあるように自分は感じました」

 待機室に倒れる部下たちに視線を走らせながら、トムはモニター越しに所見を述べていく。

「……では君はこの状況が内通者による企てではなく、なにかしらの事故が不幸な偶然にでも重なったものだと……?」

「自分には、はっきりとしたことはなにも申し上げられません。ですが、他の区画も同様の状況にあるらしく、偶発的な連鎖とは到底考えられません。確認できる範囲では死傷者も出ておらず……これがなにかしらの計画的な行動だとして、その意図は不明なのですが……」

 モニターを見つめるミラーは眉間にしわを寄せて眉上のラインを手でなぞると、そのまま拳を握り口元に当てがった。真剣に物事を熟考する際に無意識に行ってしまう、彼の幼いころからの癖だ。

「それと艦長、自分は地属性の契約者なのですが……。自分の精霊も不安定ではありますが、それでも制御下にあります。これもまた自分が確認できた範囲の話でしかないのですが、どうも風属性の精霊のみが暴走状態にあるように見受けました」

(風……風の精霊のみだと? もしや、この状況の原因は『風の巫女』だというのか)

 わずかに沈黙して先ほどと同様の癖を繰り返し続ける。理解できないことばかりだが時間を無駄にするわけにはいけなかった。こちらを見つめるモニター越しのトムに視線を返して頷く。

「曹長、ありがとう。今のところではあるが……死者が出ていないことが分かっただけでも救われた。君は、自身と負傷者の身の安全を確保しつつ待機していてくれ。追ってまた指示を出す」

「はっ、了解しました」

 ミラーが艦橋内の部下に手を振り相手が頷くと、こちらに敬礼するトムの姿を最後に映像が切れる。

 艦橋内の面々がこちらを注視する中、苦々しい息をついて言う。 

「状況はこちらが想定していたものではないようだが、依然として原因の定かではない危機に晒されている。ファルコナー曹長のくれた情報を確認したい。艦に設置されている主だったカメラの映像を出してくれ」

 ミラーは指示を出すが、情報分析を担当する士官の一人が表情を曇らせて首を振る。

「それが……回線が切断されたのか、ほとんどのカメラに接続することができません。精霊を通した感覚共有も阻害されているようで、艦内のリアルタイムの映像を確認できません」

「……記録映像でしたら遡って出せるはずです。タイムスケジュールに沿って統合し、スクリーンに出します」

 別の分析官が言ってくると、ミラーは正面に設置された大きなスクリーンに顔を向ける。すぐに映し出された映像にその場の全員が息を呑んで絶句し、皆の思いを代表するようにミラーは呆然と呟いた。


「————なんだ、これは」

 

 それは、まるで一方的な戦争のような——それでいて幻想的なおとぎ話のような光景だった。

 艦内のいたる所を撮影した映像たちは、どれもが同じような光景をスクリーンに映し出す。翠に輝く風が艦内を吹き荒れていき、その場にいた者たちを次々と壁や天井へと叩きつけていく。しいて違いを挙げるなら、その風を発生させた精霊の姿が異なることだろう。複数の違う種類の鳥であったり、あるいはチーターや角の生えた草食動物など、そのすべてが身軽で俊敏な動物の姿をしていた。

 彼ら風の精霊たちの暴れまわる様がモニターに分割されて映し出されていたが、カメラが壊されていったのか次第に映像が消えていき、最後の頃にはモニターの大半が黒くなって沈黙してしまう。


「これは、いったい————うぉっ⁉」

 揺れが続く中でこれまでのものよりも一際大きな振動と轟音が轟き、乗組員の悲鳴が艦橋内部そして艦全体に広がっていった。

「っ艦内で爆発を確認、動力部に問題発生! 艦の浮力、維持できません! 艦内の精霊反応が依然として上昇していきます。精霊魔法の衝撃が艦内部を貫通、各甲板と底に穴が空きました……!」

「動力部付近の契約者に被害拡大の阻止を命じろ! 併せて技術者を護衛し、彼らを現場に誘導して状況を詳しく確認させるんだ」

(精霊鎧装を出さずにこれほどの破壊を……いったいどうなっているんだ 。どうやって他人の精霊の制御を奪う? それも、複数体を同時に支配だなと。まさか、これは本当に巫女の仕業なのか……?)

 部下に指示を出しつつ自問する。ミラーの脳裏にヒミィの姿が浮かんだ。しかし彼の置かれた状況は熟考させる隙を与えない。

 間を置かずに部下から悲鳴のような報告が上がる。

「——艦長! 我が艦と同様に護衛艦レッドスピアも撃沈! 降下していきます!」

「なんだと……? 再度、周囲を確認しろ! 本当に敵機は確認できないのかっ⁉」

 ミラーはかつて経験のない事態に苛立ちを隠せなかった。立ち上がり、怒鳴るように号令の声を上げた。怒号を浴びせられたところで計器上で観測できる事実に変化はなく、部下の一人が上官であるミラーに涙目で苦言を呈そうとしたその時———— 


『——風の精霊たちの力を借りて、機関部を破壊しました。護衛艦も一つ、同様の状態です。いずれ墜落するでしょうが、艦隊の纏いし者たちが一丸となって事態に当たれば、死傷者を出さずに不時着できるでしょう。余計なことに力を割かなければ、ですが』


 ミラーは耳元で響いてくる声にぞっとして立ちすくむ。

 ぎこちない動きで周囲の部下たちを見まわした。

 耳元で響いた声が幻聴ではないということを、周りの者たちの表情が怯えたものであったことから理解する。

「この声は、風の巫女か? 本当にこれほどのことをやってのけたというのか、彼女一人で……!」

 ミラーの指揮する艦橋内は敵が侵入してきた際の対策として厳重なアクセス制限、扉や隔壁の強化のほか精霊魔法への対策が何重にも実装されており、その防御機構を一方的に精霊魔法で破ることは容易ではない。

 移送対象だったヒミィは、乗艦前に入念な身体検査を受けていた。彼女は、精霊と契約及び使役する為に必要な類のものを一つたりとも持ち合わせておらず、実際に精霊の一匹も連れてはいなかったのだ。だというのにその身一つで容易く軍艦を翻弄した巫女という特異な存在に、ミラーは心底戦慄した。


『私を追わないでください。どうか、人命に重きを置いた判断をしてくださることを祈ります』


(周囲に機影はない。まさか、単独でこの高度から降下するつもりなのか……⁉)

 彼女の言葉にぞくりとし、ミラーは背筋に寒気を覚えた。

 生身の人間が現在の高度で降下すれば助かるはずがない。

 地面に衝突した際の衝撃で、原型を留めぬほどに身体がバラバラに砕けるだろう。だが彼女は人知を超えた力によって風の精霊を掌握してしまう巫女なのだ。無事に大地に降り立ってみせる算段があるのだろうと、ついにミラーはこの異常事態を生みだした元凶がヒミィなのだと認めた。

 周囲に気取られぬように握った拳で腿の辺りを殴り、恐怖に呑まれようとしている自分を奮い立たせる。

「……みすみす逃すことはできん。艦内の風の契約者に、彼女を追うように伝えろ」

「はっ……いえ、艦長。艦内の風の契約者は、精霊が制御不能となっています」

「っ……そうだった。しかし全員がそうだというのか? こんなことは初めてだ。まったく、底の知れない女だな」

 背筋を走る冷たいものもそのままに、頬を伝う冷や汗を拭って呻く。艦橋内のほとんどの者が自分が見ていることは分かっていたが、彼らに下すべき的確な指示が思いつかない。目をきつく閉じ、自らに与えられた艦長席に手をついた。

「っ艦長、どうしますか? このままではじきに墜落しますよ……!」

「……艦隊の契約者を総動員して、当艦及びレッドスピアーの墜落を防ぐ。機動鎧装も精霊鎧装も、飛行できる仕様のものはありったけ出撃させろ。備わってるものでも即席でも構わない、牽引ワイヤーを無事な護衛艦に繋がせて落下速度を緩和させるんだ……!」

「はっ、しかしそれは……」

 出された指令に頭が追いつかないのか、あるいは無謀だと思ったのか、喉を鳴らした部下の一人が承服しかねる様子で言葉に詰まった。彼だけではなく艦橋内のすべての乗組員を見回し、ミラーは覚悟を決めた顔で再度指令を出す。 

「無茶は承知。責任は俺がとるんだ。いいから全艦にむけて指令を出せ!」

「はい、了解しました……!」

 気迫に負けたのか、今度は素直に従う。無謀に感じようがなんだろうが、結局のところ彼とて艦と共に心中など御免なのだろう。ミラーの指示を復唱して艦隊に伝えていく。

 慌ててそれぞれの仕事に専念しだした部下に隠れて息をし、ポーカーフェイスを作りながらもどこか祈るように正面を見つめた。

(もし巫女が言っていたとおりならば、艦の総力を生存にのみ使えば助かるかもしれない。ギリギリまでは、全員が生き延びる道を模索しよう。この状況では賭けてみるしかない……!)




 風を浴びながら追憶にふけっていると、ミラーは近づく人の気配を感じて目を開いた。艦橋内で一緒だった部下の一人が、艦のほうからこちらへと歩いてくる。

(——結果として巫女の言葉どおりだったわけだ。彼女を見失った後で契約者たちが精霊の制御を回復し、おまけに彼女からの『餞別の風』を送られて最後は事なきを得た。追って来なければとは……まぁ、そういうことだったんだろうな)

 こっそりとため息を吐いた。

 沈んだ気持ちをリセットしたかったのか、あるいは部下に対応する上官としての示しの問題だったか、とにかく部下がこちらに来る前までにしておきたかった。もっとも、結局は彼の前でもしてしまいそうだと予感していたが。

 目の前まで来ると敬礼してくる士官にこちらも返礼し、士官の男の被害状況報告を聞く。

「艦隊の状況は、奇跡的に死亡者はいないものの負傷者は多数。ですが、今後の行動に支障をきたすほど重い負傷者はいません。艦は動力部がほぼ全壊、その際に発生した爆発で動力部周辺のエネルギー経路の一部が完全に破壊されています。また例の風で甲板と艦底が貫通していますが……こちらは地の契約者が総出で当たれば一時補修が可能かと思います。どうしましょう、指令を出して召集しますか?」

 つらつらと淀みのない報告だった。

 ミラーは鬱屈した顔をして、やはり早速ため息を吐く。あらためて聞くとその散々な状況に眩暈を禁じ得ない。

 相手に頷きかけて、思い直すようにかぶりを振った。

「ああ……。いや、待て。どのみち動力部は直せないんだ。無駄な労力を使わせることはない。しばし待機を命じておけ。護衛艦のほうにもそう伝えておいてくれ」

「了解しました。……じきに国境警備の者が来ます。本国からはまだなにも?」

 顔色をうかがい、期待するような目で見つめてくる。しかし当のミラーはそれを躱すように視線をよそへと逃がしてしまう。

「ああ。筋書はこちらで書け、ということだろう」

「そんな……我々はどうなるんですっ。捕まるんですか?」

 彼のそれは、この世の終わりのような顔だった。おそらく自分の顔もそう変わりはないのだろうと思った。

 悔し気に表情を崩す彼からいったん視線を外し、いまだ辺りをせわしなく走り回る大勢の部下たちへと目をやる。彼らの仕事ぶりをじっと目に焼き付け、やがてミラーはまた嘆息をひとつ吐いた。

「このまま残れば、そうだろうな。結局のところは、我々はそういうことを覚悟して任務に従事していたのだから。違うか?」

 淡々と述べる。冷たさすら感じる上官の現実的な姿勢に、部下は目を伏せてうつむいた。

「っいえ、そうです。そうですが……」

 理解してるつもりでも納得はできない——そんな顔をした相手にミラーは苦笑を浮かべ、同じように目を伏せて呟いた。

「……だよな。分かっていたつもりだったが、実際にそうなるとは思わんものだな。やれやれ……。情けないことに、どうやら相当に甘ったれていたらしい」

「中佐……」

 己の胸中を晒すミラーの表情は達観したものだった。部下の男はどう返していいのか分からずに立ち尽くした。

「——人と機動鎧装を、残った無事な艦に集めろ。なるべく能力の低い連中から先に押し込んでやれ。各艦の責任者と連係して帰還準備を急ぐんだ。準備が完了次第、本国に向けて出立しろ」

 表情を軍人のそれへと引き締め直すと、自分にとっておそらく最後になるだろう指令を口にした。それを理解しているのか、相手も己の姿勢を正し厳しい顔で艦長だった男の思いを受け取る。

「はっ、了解しました。……中佐は?」

「後片付けするさ。責任者だからな」

 最後に笑ってみせると、部下は潤んだ瞳を一度きつく閉じ敬礼をしてくる。頷き返し、やはり表情を引き締めて敬礼を返した。

 やがてこちらから手を下げると相手も敬礼を終える。彼はそれでも踏ん切りがつかない顔をして動かないでいたが、ふたたび笑いかけてやると意を決して踵を返し去っていった。


 ミラーは去っていく部下の後姿を見送っていた。

 ほどなくして今度はラミナがやって来る。どうやら彼女は、こちらの話が終わるまで気を使って待機していた様子だった。

 歩いてくる彼女の気落ちを隠し切れない顔に、その心中を察っすると自分にとっても他人事ではなく、思わずと自嘲げな笑みがこぼれた。

 眼前まで来た彼女に、先にこちらから口を開いた。

「散々たる失態だな。最重要対象だった巫女には逃げられ、おまけにその巫女に艦を二隻墜とされるとは。……やれやれ、本国に戻るのがまったく恐ろしい」

 今さら取り繕っても仕方がないと飄々として笑う。ミラーはその場に腰を落とした。その乾いた笑みにはどこか虚無感のようなものが混じっていて、ラミナは表情を殺してきつく拳を握りしめた。

「すべては、巫女様の行動を阻止できなかった自分に責任があります。申し訳ありません」

「覚悟しておけ……と言いたいところだが、かまわんよ。あのような事態、誰が当たったとしても対処できんだろう。最終的には巫女の言うとおりに艦隊の人命を優先した、艦長である俺の責任だ」

 やや砕けた物言いで、おそらくはこちらが彼の素なのだろうが——で言うミラーに一応は頷くと、ラミナは睨みつけるような厳しい表情をする。

「……しかし、巫女様の逃亡を眼前でみすみす許したのは自分です。どうか挽回の機会をください」

「それは難しいな。俺たちが不時着したのは風の国と地の国の境界線だ。で、そのどちらでもない国の艦が墜ちたんだ。さすがに身動きが取れんよ」

 納得のいかない顔でこちらを見下ろす彼女の顔を一瞥し、ミラーは嘆息を漏らして続けた。

「そもそもが本国とサーシディア両国間による密約上での作戦で、今回の件は本国の記録にも残らない。詳細を知る者は関わった両国のトップの一部のみで、事は秘密裏に行うことが大前提だったんだ。であるからして、大々的に地上で作戦行動なんぞ取れんよ。……そこまで織り込み済みだったんなら、あの巫女様はとんでもない切れ者だけどな」

 涼しい顔で一気にまくし立てると、あらためて事の重大さと自分の立場を再認識し、情けなさから皮肉気な笑みが浮かんでしまう。

 ミラーは意気消沈とした様子で自分に目もくれないが、なおもラミナは諦められぬと食い下がる。

「それでも自分は、このままおめおめと本国に戻れません。どうか巫女様捜索の許可を」 

「俺にはなんの許可も出せんよ。元々、移送警備強化の目的で出向してきた君たちは、俺の直属の部下ではないのだからな。止めはしない——だがこの状況だ、行動次第で今後の立場が決まってしまうだろう。冷静に判断しろ」

 太陽が地平線に沈みゆく景色を眺めつつ、ミラーは最終的な判断をラミナ自身に任せた。彼女は驚いたように息を呑むと、少しの間を空けてから敬礼をした。

「……忠告感謝します。ご武運を」

 言うとラミナはその場を後にし、撤収作業に追われる兵たちのほうへと歩いていった。

「……お前らもな」

 ふっと笑うと、去っていくラミナの後姿にぼそっと声をかける。彼女に向けられたはずのその声は、本人に届いたかも分からないほどの小さな呟きだった。

「しかし、どうしたものか。機密情報の漏洩を防ぐために、搭載しきれない機動鎧装もろ共に艦を破壊しなければならんが……この森は、<地の国>挙げての指定保護区域なんだよなぁ」

 ぼやきつつ背を倒して地面に寝転ぶと、暗さが増した空が一面に広がる。

 その夜空を高い木々が隠すように伸びるが、隙間からは星が冴え冴えと輝いていた。

 目には届いても決して手が届くことはない星の光へと手を伸ばし、ミラーは身体中の熱がすべて逃げてしまったような気の抜けた声をこぼした。 


「あ~、これで俺の人生終わりか……」




 辺りはより騒然として、撤収作業に追われる兵たちは忙殺される勢いで絶えず働き続けていた。

 大地を踏みしめる大きな振動が伝わり、ラミナの横を機械の巨人たちが列を成して通り過ぎていく。すべてが艦隊所属の機動鎧装たちだった。

 離陸不能な艦から無事な艦へと収納されていく兵器たちを横目に歩きつつ、視界の端に佇む赤い影に気づいた。木々の中に隠れるようにしてこちらを見ていたブラムと視線が合うと、彼は踵を返しそのまま森の奥のほうへと歩いていってしまう。

 ラミナはそれとなく周囲に注意を払うと、自分も木々の中へと入っていき先を歩く彼を追っていった。それなりに距離はひらいていたが、彼の燃えるような赤い身体が目立つので見失うこともなく追いついていく。二人で喧騒からやや離れたところまで行くと、ブラムはこちらへと振り返った。 

「……どうする気だ?」

 ブラムはこちらを射抜くような鋭い眼差しで見てくる。リザードマンと接する機会のない者が彼に見据えられれば萎縮してしまうだろうが、付き合いが長いラミナは堂々と視線を返した。

「もちろん、追います」

「だが、当初の計画から大きく逸脱している。本国に戻って次の機会を待つべきではないか?」

 はっきりとした物言いにブラムは頭を振り、自分たちが歩いてきた道の向こう、不時着した艦のほうへと目を向けた。

 「いいえ。今回の失敗で、今後同様の任務に就くことが難しくなりました。むしろ単独で風の巫女様を確保することができれば、最後まで私たちの手で直接送り届けられるかもしれません」

 ラミナは少しの迷いも見せずに言いきった。対するブラムは思案するように虚空を見上げ、目を細めて彼女へ視線を戻す。

「そうかもしれないが……。あれほどの状況を作り出した相手だ。見つかったとして、そう簡単に同行願えるとは思わんが」

「はい。ですが、このままなんの収穫も無いままで帰るわけにはいきません。また数年ただ待つ日々に耐えるくらいなら、今回の機会に賭けてみましょう」

 目を逸らすことなく言い、拳を強く握りしめた。

 言葉自体は淡々と言ってみせたが、その瞳に仄暗い炎が宿っているのをブラムは感じ取った。——彼女は諦めはしないし、折れることもない。

 嘆息をひとつ吐き、ブラムはラミナに背を向けた。

「わかった。お前の判断を信じよう」

 通り過ぎ様に言葉をかけ、彼はここまでの道を引き返し艦隊のほうへと歩いていく。この場では一応の信頼を得たのだろう、ラミナはそう判断した。

 直後に風が吹いた。

 ラミナは耳元で髪を押さえつつ、風に届けてもらうかのように見つめるブラムの背中へと呟いた。


「……ありがとうございます」


 ラミナもブラムを追って歩き出す。

 このとき、森の中を歩いていく彼女は気づかなかった。

 頭上の高く伸びた木々。

 それよりも高く上空を飛行する、風の精霊の存在に————




(——思っていたよりも、とんでもない戦力だ。けど、やっぱりサーシディアの軍隊って感じじゃないな。何者だこいつら……)

 イクセルは、イーヴァルと同調して共有した視界を確認していた。

 翠に輝く目で遥か先の光景、その情報を整理していく。

 所属不明の軍艦が合計四つ。もっとも、その内の二つは大破しているように見える。しかしその周囲を移動する機動鎧装、それも複数機が存在するのを目撃して表情を硬くする。艦隊の全容は把握しきれないが、そこに広がる光景には完全に戦争行為を可能とする装備や人員が揃っていた。

(見たところ陣を展開しているというよりは、むしろ撤退する動きに見える……希望が持てるのは、そこくらいか)

「……おい、どうだった?」

 遠い先にある目の前の出来事に集中していると、急に耳元で声をかけられ肩が揺さぶられる。だが無視をしてイーヴァルの視界内の情報に注視し続ける。

 地上の様子に変化はないが、空中に他の精霊が複数体飛んでいることに気づく。イーヴァルほどの高度をとっていないものの、イクセルは精霊たちがこちらの存在に気づいててもおかしくないと考えた。

(——限界か。そろそろ戻れ、イーヴァル)

 相棒の精霊に戻るように念じると、イクセルは同調状態を解除した。

 瞳の輝きが消えて共有されていた視界が自身のものに戻ると、目の前にはむっつりとした表情のクライヴの顔があった。実に分かりやすく機嫌が悪いようだった。

「……えっと。あんた、あれだぞ……こっちが見えてないときにちょっかいを出すなよ。殴りそうになるだろ」

「言うに事を欠いて、それかっ⁉ こっちが気を揉んで待っててやったっていうのに、言うことがそれか⁉」

「いや、別に待っててくれなんて言ってないだろ。むしろ勝手に消えててくれてよかったのに……」

 唾を飛ばす剣幕でこちらへ詰め寄ってくるクライヴの顔を手で押し返しつつ、イクセルは気怠げな調子で言った。彼の様子が今度はあからさまに気落ちしたものになる。感情の起伏が激しく、図体のわりに子どものような反応だった。

 とりあえずクライヴは無視して、彼が腰掛けるものへと目を向ける。彼が腰掛ける——というより跨っていたのは、荒れた悪路でも走破できる仕様のオフロードバイクだった。このバイクはクライヴの所有もので、元々は機動鎧装の下部に収納されていたものだ。

 そもそものこちらの目的が墜ちた軍艦の偵察に向かっていたものだと知ると、何故か彼がバイクを貸すと言いだした。ここまで彼を後ろに乗せて一緒に来たのだ。最初などは機動鎧装で一緒に行くと言いだしたのだが、さすがに目立って仕方ないのでごねる彼を説得して置いてこさせたのである。

「……まぁ、バイクは助かったよ。……別に頼んじゃいないけど」

 愛想の無い一言を付け加えて感謝を伝えると、はっとした顔でクライヴが顔を上げる。その表情はみるみるうちに変化していき、表情筋を駆使した気色の悪い笑顔を浮かべた。

「ったく、素直じゃねぇな兄弟。そうか、そうか! さっそく相棒として役に立ったわけだな、俺は」

 クライヴの手がこちらの肩を無遠慮に叩いてくる。その手を煩わしげに払いのけ、彼に席を譲らせるとバイクの前のほうに跨った。そのままエンジンを掛けてアクセルの調子を確かめた後、特に合図もないまま荒っぽく急発進した。

「っおわ⁉ ……おい、精霊を待たなくていいのかよっ?」

「大丈夫だ。そのうち合流する」

「へぇ。やっぱり鳥型の、それも風の精霊ともなると機動力がすごいんだな! つーか、バイクの運転もうめぇな! 弓の腕も一流だし、あんた本当にどんな奴なんだっ⁉」

 イクセルは段差のある山道を軽快にタイヤを滑らせていき、器用に車体を傾けてはハンドルを微調整し減速少なくバイクを走らせていく。

「別に。あちこち旅してたら、そこそこ芸を身につける機会に恵まれただけだ」

「へぇ……あちこち、か。察するに、いろんな冒険をしてきたってわけか」

 クライヴは振動で痛む足に顔を引きつらせながらも、巧みにバイクを操っていくイクセルの背中を興味深々に見つめた。イクセルは背後に居心地の悪い視線を感じた気がして、話題を切り替えるべくクライヴに話を振る。

「……で、そういうあんたはどんな悪事を働いてたんだ?」

 イクセルの後頭部を見つめていたクライヴは、足の痛みとは別の理由で顔を引きつらせた。

「ぐ。悪事っつーか、なんと言うかだな……。まぁ、簡単に言うと密輸品の横取りってかんじだ」

「へぇ、あんた強盗だったんだ」

「違う……でもないんだが。ゆくゆく商売を始めるための元手にしようと思ったんだよ。最終的には、大きな商団を築くのが俺の夢なんだ」

 クライヴは情けなさそうに眉を八の字に歪めた。暗くなり星の光が輝きはじめた夜空を見つめ、噛みしめるように呟く。

「絶対にでっかくなってやる。絶対に、自分の力で夢を叶えるんだ……」

 これまでとは違うその真剣な様子だった。一瞬イクセルの意識が後ろのクライヴに向くが、すぐに夜道を照らす前方のライトのほうへと集中し直す。黙ったままでもよかったのだが、空気を変えるように軽口を叩いた。

「夢は立派だけど、やり方がセコイな」

 クライヴはその皮肉に間抜けな顔でパチクリと瞬きをする。しかし直後、にやりと笑うと唐突に片腕を突き上げた。

「そう言うなって。これからは違うぜ、兄弟。あんたの力を上手く活用して儲ける手段を考えるさ!」

 「兄弟言うな。つーかなんで組むことになってるんだよ。さっき、自分の力でって言ってたろうが」

「つれないこと言うなよ、兄弟。二人で成り上がろうぜ!」

 すっかり元に戻った様子のクライヴに、イクセルは無表情でこれまで同じように突き放す。

「嫌だ。……で、なにを横取りしたって?」

「うむ。正確に言うとだな、捕獲禁止のセイバーサウルスの密猟の横取りだ」

 何故か気取って重々しく言うが、その態度につっこむ前に呆れが先に来た。イクセルはしかめっ面でため息を漏らす。

「セイバーサウルスだって……? 機動鎧装の装甲だって楽に切り裂く化け物じゃないか。捕まえた連中も横取りしたあんたらも、大分イカレてるな」

 無茶をした自覚はあったようで、クライヴは渋面で頷いた。

「やっこさんの素材は高値で取引されるし、物好きな好事家がペットに欲しがってるって噂もあったんだよ。どう転んでも大金を手に入れられる計画だったんだ」

 イクセルは頷き、バイクを減速させて坂道を下っていく。

「なるほどね。じゃあ、あんたらが仲違いした原因になった女は?」

「密猟団の頭目の娘だ。密猟団というか、色々とやってる連中なんだが。知ってるか? シュタインローゼ」

 イクセルからは見えなかったが、後ろで話すクライヴは神妙な面持ちをしていた。その顔が見えたわけもないが、イクセルも複雑な表情をして答える。

「……それ、<地の国>で有名だった傭兵団だろ。内乱で敗れてからは、裏の世界で生きてるって噂で聞いていたけど。彼らの武勇伝は幾つか聞き知ってるよ」

 自分の知る範囲で話すと、後ろから驚くように息を呑む気配が伝わってきた。

「……っそうか、知っていたか。傭兵時代の彼らは、本当に凄かったんだよ」

 やはり表情を窺うことはできないが、イクセルには背後のクライヴの声が弾んでいるように思えた。なにかに夢中になる熱のようなものを感じる。

「……なんか嬉しそうだな。もしかして、あんた出身は<地の国>か」

「ん…………あぁ、まぁな。あぁ、その……」

 一転、彼にしては珍しく歯切れの悪い返事をする。

 しかし言い淀むクライヴに、イクセルはここにきて初めて親近感を覚えていた。こんな男でも、他人に語りたくはない部分も持ちあわせているのだなと妙に納得していた。

「……しかしまた恐れ知らずなことを。確かに切り札としては申し分ない人質だけど、リスクも桁違いだ」

 とりあえず話題を元に戻して坂道を下りきると、アクセルを開いて抑えていた速度を徐々に上げていく。

「交渉自体は上手くいってたんだよ。最終的に失敗したのは、今回の計画のために手を組んだ連中の頭の悪さを測り損ねたせいだな。ま、手を切れて清々したよ」

 クライヴは苦い顔で言うが、自己完結したのかひとりで満足そうに頷いた。

「結局、どっちの連中からも的に掛けられるってことだろ。前途多難だな。がんばれよ」

 イクセルは半眼で気怠げに言うが、後ろのクライヴは顔をしかめると拗ねたように口元をすぼめた。

「他人ごとみたく言うなよ、兄弟。俺たち運命共同体だろ?」

「ほざいてろよ。俺が知ったことか」

 仏頂面で突き放すように言い捨てると、クライヴはイクセルのその取り付く島のなさに嘆息し、とりあえず黙ってみる。


 ふたりとも口を開かずに、バイクの駆動音と車体が風を切っていく音だけが夜の森の中に響いていった。

 しばらくそのまま走り続けると、木の生える間隔が僅かに広がり徐々に視界が拓けてくる。

(——しかし、実際判断を誤ったかも。やはりこいつは置いていくか。村に連れてって皆になにかあれば俺のせいだ)

 沈黙が続く中、後ろのクライヴには聞かせられぬようなことを胸中で考える。

 彼を村に連れていき、そしてなにかが起こってしまったらどうするのか。実際、イクセルにとって無視できない問題だった。自分の選択でオロフとシーラを危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。

 これまでの人生の中でも、決定的な間違いを選択して深く後悔したことは何度となくある。そのたびに自分に向けられたきた人々の暗い目は、どんな戦場で体験してきた痛みや恐怖よりもこの身を引き裂くように感じた。自分に笑いかけてくれていた人々が、一転して憎悪する目でこちらを見つめてくるあの暗くて恐ろしい目。自分の身体は彼らのために血にまみれていたというのに、それでも容赦なく向けられたあの目。

 自分が身を寄せるあの村の人間に、あの二人には、心底そんな目で見られたくはない。そんなことは、耐えられそうにない。

 不意に誰かの声が聞こえた気がした。

 抱えるものの存在が大きくなるたびに聞こえる、「逃げろ」という誰かの声。

 胸の内に、こらえようのない気持ち悪さが広がっていく。

 蓋をした過去の記憶が溢れてこないようにと、イクセルはそれを無意識に奥底に沈めるよう必死で努めた。それでも、身の内からじくじくと突かれるような痛みと息苦しさを感じてしまう。

(……俺は、また——)

 走るのに支障はない程度のつもりだったが、少し周囲に対する集中を欠いていた。夜空の暗さに呑まれたように心中を真っ黒なものでいっぱいにしていると、はっとしてブレーキを強く踏み込んだ。

「——のわあああぁぁぁっ!?」

 背後からはクライヴ悲鳴とぶつかる彼の身体の感触。

 急ブレーキによる反動で、操るバイクの挙動が激しく揺さぶられていく。どうにか転ばないようにバランスをとりつつ速度を殺していき、暴れる車体を必死に押さえこんでなんとか制止させた。背中にクライヴが倒れ掛かってくるが、彼はこちらの運転そのものには文句を言ってくることはなかった。


「……なんじゃ、こりゃ……」


 クライヴが呆然とした声を上げ、イクセルはただ息を呑んで正面の空を見上げた。

 そこには夜の闇を払うかのような、眩い翠の光の柱が風を纏って空から大地へと伸びていた。幻想的な光景に呆気にとられるが、なにかしらの反応をする前に、後ろのクライヴが取り乱して叫んだ。

「おぃ、なんだ? なにごとだ、ありゃっ……!? 」

 耳元で叫ばれるが、返答などできない。イクセルも戸惑った顔に厳しいものを混ぜて見つめることしかできなかった。

 呆然と眺めていると、正面ではなく背後から強い風が駆け抜けていった。その風を先導するかのように、イーヴァルが矢のような速さで飛び去っていく。

「……イーヴァル? どうした、待てっ!」

 イクセルは慌ててバイクを発進させ、前方を飛んでいくイーヴァルを追うように光の柱を目指して走る。

「おいっ、なんだあの光は⁉」

「————村の方向だ」

 後ろで慌てふためくクライヴに短く答えると、アクセルを全開まで開いた。

「なにが起きてるんだ? って、おいいいぃぃぃっ!」

 問いかけられた言葉をその場に置き去りにしていくように急加速させる。クライヴが仰け反って落ちそうになるが、イクセルは構わずに前を見据えてバイクを走らせた。

(くそ、今日は大技の連発だな。村で厄介ごとが起きてるとして、それに対処する余力が俺に残ってるかだが……)

 胸の内が不安でいっぱいになるが、それを苛立ちでごまかすと村へと急いだ。

「しっかり捕まってろよ。村まで、一気に飛ばしていくからなっ……!」

 後ろでしがみついて叫ぶクライヴへ一応の警告をし、とても暗くなった道を行くとは思えぬ速度で森の中を疾走していく。




 それは戦場か、でなければ、紛れもなく神秘が吹き荒れる神話のような光景に思えた——

 巨大な光の柱が村の中央へと降り、翠に輝く粒子と風をまき散らしていくのだ。 精霊神タマナ・エレ=シディアの怒りに触れてしまい、このような形で天罰をもたらしたという考えを村の者が唱えても、それは無理からぬことではなかった。

 風は猛威を振るい、村中の家々を破壊していった。

 ある家はすべての窓が割れ、またある家は屋根が引き剥がされていき、ひどいものは二階に当たる部分が丸ごと薙ぎ払われていった。

 風に巻き上げられ飛散物が村中に降り注いでく中、それを腕で除けつつ娘を捜すオロフは叫んだ。

「シーラっ! どこだ、シーラ⁉ 頼む、返事をしてくれ……!」

 逃げ惑い混乱する人々の間を見まわしながら、一心不乱に駆けていく。娘の姿を、その無事を確認したくて必死で探し回る。

「……父さんっ!? こっちだよ!」

 走るオロフに、家と家の間の物陰でうずくまっていたシーラが声をかける。勢いがついて一度は通り過ぎると、オロフは慌てて娘のところへ駆け寄っていく。 

「っシーラ! よかった、シーラ! 無事なのか、怪我はないか……!」

「私は大丈夫……! イクセルは、まだ戻ってないのっ!?」

 オロフはシーラを抱きしめ、風に負けぬようにと大きな声で安否を気遣う。シーラも大声で返すと、混乱とする辺りを見渡した。その中にイクセルの姿はない。

「ああ。あいつならきっと大丈夫だ! それより、お前は村の外に避難するんだ! 俺は足の悪い爺婆たちに手を貸さないと……!」

 肩を掴んで言い聞かせ、娘を村の外へと誘導しようとする。しかしシーラは父の腕を抱えて制止させると、周囲の幼い子供やつまづく老婦人を指してそのままそちらへ駆け寄っていく。皆が当然に見知った近所の人々で、心優しい娘には彼らを放っておけないのだろう。

「おい、シーラ……!」

「私も手伝う!」

 シーラは言うや否や、吹き荒れる風で息苦しそうにする老婦人に肩を貸して立ち上がらせようとする。小柄な身体で老婦人支えると、反対側からオロフも肩を貸して支える。

「いいから任せて、お前は他の皆と行くんだ!」

「私なら大丈夫だから! ほら、みんなも手をつないで一緒に行こう? 大丈夫だから!」

 シーラはオロフの言葉に耳を貸そうとはせず、そのまま親子で老婦人を支えて歩いていく。周囲の小さな子供たちにも声をかけて共に連れていくと、他の避難しようとする集団と行きあった。顔を見ると、その多くがイクセルを非難していた若者たちだ。  

「肝心なときに居やがらねぇな、契約者様も! 一人で逃げやがって!」

 青年は開口一番、またしてもこの場にいないイクセルをやり玉に挙げる。彼としては当人不在で口撃する絶好の機会なのだろう。そんな彼の態度にシーラはうんざりしたように叫ぶ。

「こんなときまで悪口ばっかり言って! お願いだから口より手足を動かしてよっ!」

 想い人の激昂ぶりに青年はたじろぐ。しかしシーラの言いようが癇に障ったのか、彼は鼻白むと周りの仲間たちに向かって言う。

「むしろあの流れ者の仕業なんじゃないのか、こいつは……!」

「……ああ、都合よくいないのが怪しいぜ」

「確かに。あいつが連れてるあの鳥は、風の精霊だったよな」

 口々に男に同意する声が上げられていく。それが本音なのかどうかシーラには判断がつかなかったし、じっくりと彼らの言い分を聞いてやる時間も今はなかった。なので、耐えられないといった様子で彼らを睨んだ。

「っやめて! そんなわけないよ! だって……————え、イーヴァルっ⁉」

 男たちを罵ってやろうとしたその時、彼らを黙らせるかのようにイーヴァルが真横を通り過ぎていった。精霊に驚いた男たちは仰け反り、お互いの足が絡まってそのまま後ろに転がっていく。

 シーラは、そんな彼らを見もしない。彼女の関心事は一つだけだった。

「あなただけ? イクセルはどうしたのっ⁉」

 暴風の中を平然と羽ばたく精霊に声をかけるが、こちらに反応することなく村の中央——光の柱の近くへと行ってしまう。

 イーヴァルはその美しい大翼を広げ、光の柱を囲うようにその周囲を何度も旋回して飛び続ける。

 シーラや他の者たちは空に広がる異常な光景に絶句した。

 いつの間に現れたのか、気がつけば他にも見知らぬ精霊たちが光の柱へと集まっていた。イーヴァルと同様に囲うように集う精霊たちは、まるで光の柱を守るかのような印象を与える。

 シーラやオロフたちが惹き込まれるように視線を奪われていると、異変が加速する。光の柱の中心が、より強く輝きだしたのだ。

「………あれは、なに?」

 圧倒するような光の奔流。

 その中心になにか影のようなものを見えた気がして、シーラは眩しそうに細めた目を凝らした。それはどことなく人のようにも見え、彼女はこのことを傍らの父に伝えようとする。だがそうしようと口を開いた瞬間、村の外れのほうからこちらへと一台のバイクがクラクションを鳴らしながら走ってくる。

「——っオロフ! シーラ!」

 イクセルはシーラたちの姿を捉えると、横滑りするようにして彼女たちの前にバイクを停車させた。乱暴な挙動のせいで、後ろのクライヴがシートから落ちて転がってしまう。

「どわっ⁉ っいってー! 痛ってぇよー⁉」

「イクセル! 良かった、無事だったんだね……!」

 叫んで足を押さえるクライヴのほうは無視して、イクセルはバイクから降りるとシーラたちを優先した。こちらを見て喜色満面で迎えるシーラの頭を安心させるように撫でてやる。

「すまない、遅くなった。村の外なら風はそれほどじゃない。この光が届く範囲にいちゃだめだ」

「イクセル、これはいったい……」

 オロフもほっと安心した顔でイクセルを迎えるが、状況が状況なだけにすぐに表情を引き締めて問いかける。イクセルは一応オロフに頷いてみせるのだが、実際のところは彼と同様に事態を把握していないため返答に窮する。。

「……精霊たちの暴走みたいだけど、よく分からない。とにかく早く村の外に——イーヴァル?」

 イクセルとしてはオロフとシーラ親子を早く安全な場所に避難させたかった。

 しかしそのための言葉を話す途中でやめると、顔を上げて上空を旋回するイーヴァルを見上げた。心が突然と波打ち、精神を通じて彼に呼ばれた気がしたのだ。だがその名を呼んでも、イーヴァルは同じように飛び続けるだけだ。行動の真意は分からないが、光の中心を注目させるべく空を舞っている気がした。

 イクセルは目を細め、光の中で次第に輪郭がはっきりとしていくものを凝視する。それは、人の影のように見えた。

(なんだ……人、なのか?)

 優れた視力でその形をおぼろげに認識した、次の瞬間。

 突如として、イクセルの身体も空の光と同じように翠の輝きに包まれた。イーヴァルとの同調状態が自身の意思と関係なく発動し、身を守るような風が身体の周りに発生する。

 シーラたちは驚いた顔でイクセルを見た。なにかを言おうと口を開きかけるも、とてつもなく強い風が身を襲い、彼女と村人たちは次々と宙に浮かされ勢いよく吹き飛ばされていった。

「うわぁぁぁ⁉ イクセルゥゥゥゥゥゥ……!」

「っおわ、なんなんだあぁぁぁぁぁぁ……⁉」

 シーラや村人たち、それとクライヴが悲鳴をあげて村の上空を横断していくと、翠に輝く風の精霊たちが彼らの傍へとやってきて、そのまま寄り添うように飛んでいく。

「……シーラ、オロフっ!」

 イクセルは自身を包む風に守られ、あるいは村人たちを襲った風が意図的に除けていったのか——ひとりその場にとどまり村の端へと飛ばされていく人々の姿を見送った。シーラたちの身を案じてすぐさま後を追いかけるべく走り出そうとするのだが、イーヴァルが飛んできて前方を塞ぐように羽ばたく。

「イーヴァル……なんなんだ?」

 相棒の意図するところが理解できずに、訝しげに問いかけた。イーヴァルはその大きな翼でふたたび上空へ飛翔していき、空の光のもとへとイクセルの視線を誘導していく。

 大きな爆発が炸裂する。

 実際には光と風が派手に巻き散っただけだったが、顔を背け身がすくむほど迫力のある光景だった。

 光の柱はいつしか消え去り、精霊たちもいなくなった空には夜の暗さが戻っていた。ただ一点、消えずに残った輝きが静かに浮かんでいた。それはゆっくりと降下していき、見上げるイクセルのすぐ頭上で漂うように浮かんだ。

「……人、なのか?」

 こちらに近づくたびに弱く淡い輝きとなっていく光を見つめ、手が届く距離まで接近したそれが宙に横たわる女性なのだと気づいた。

 羽ばたきが背後から寄ってきて肩にイーヴァルが留まる。

 その気もなかったはずなのに、気づくと自然と手を伸ばし自らの腕の中に彼女の身体を抱きとめていた。彼女を腕の中に収めた途端、同調状態が解かれて身体から輝きが消えていく。

 腕の中の女性は意識がないらしく、ただ静かに眠っている。瞼を閉じたままのものではあったが、その女性は美しい顔立ちをしているように思えた。

 彼女に見惚れていたイクセルははっとして我に返ると、村の外れのほうへ目を向けた。暗がりだが、村人たちの動く様子が確認できる。精霊たちも完全に消え去り、オロフとシーラも無事のようだった。

 ほっと安堵の息を吐き、あらためて己の腕の中の女性に視線を落とす。

「——空から、女が降ってきた。…………夢、見てんのか?」

 夕闇の中で彼女の放つ淡い光に顔を照らされながら、夢を見ているような心持ちで呆然と呟いた。

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