第二章 Ⅰ 風は吹いた
イクセルが身を寄せるブカノータ村は、サーシディア共和国の最東端に位置するイコッタの森の中にある。
イコッタは二千年ほど前までは現在のような森ではなく、単に起伏に富んだ地形をしただけのものだった。隣国である<地の国>の森から生命力溢れる木が生え伸びていき、やがて当時に定められた国境を超えるように広がってしまう形で今のような豊かな森林になったという。
<地の国>側の者たちは自分たちが抱える巨大な森が広がるたびに国境線を改めることを訴え、当時まともな政治力を有していなかった<風の国>はどんどん国土を減らしていってしまった経緯がある。
そもそもが小国だらけでまとまりのなかった<風の国>は、この国境の件を契機にようやく言い話し合いの場を設けることになる。当時の指導者たちは国の今後の未来に向けて協議を重ねていき、人間種族を中心に枠組みを超えた法の整備や協定が行われていった。その結果、現在の体制であるサーシディア共和国が誕生することとなったのだ。
新体制が誕生するまでの間に何度も国土を狭めてしまったのだが、次々と広がっていく森と繰り返される国境変更には<地の国>側もきりがないと判断し、以降は現在に続く恒久的な国境が定められることとなった。
そのような経緯もあり、イコッタ周辺には古くから根付く村や街が少なく、名前もないような新参の村は珍しくなかった。
そんな規模の小さな集落のような村のひとつがブカノータだ。イクセルはこの村でオロフとその娘のシーラと三人で暮らしていた。
遅い昼食を済ませたイクセルはオロフと一緒に家を出る。
ふと、家の玄関前で立ち止まり空を仰いだ。いつもと同じ青い空が——いや、もう夕日が差しそうな空が広がっていた。特になにがあったわけではないが、頭上から誰かに呼ばれたような気がしたのだ。
(……バカらしい。空の上から誰が声をかけるってんだ)
かぶりを振り、村の見渡せる範囲へ一通り視線を走らせてみる。周囲の村人の姿を確認していき何人かに会釈をすると、家に隣接する小屋へ入ろうとするオロフの背中に声をかけた。
「シーラはどこに行ったんだ? 若い連中もいないみたいだけど」
問いかけられたオロフはそのまま小屋の中へと入り、物音を立てつつ外に聞こえるように声を張った。
「あぁ、狩りに出てる!」
「…………は?」
返ってきた答えが意外なものであったために、イクセルは小首を傾げた。
小屋からオロフが出てくると、持てるいっぱいの木材を抱えていた。
家の手前には道具が置かれた作業台と短く切られた丸太がいくつか置かれてあり、オロフはその付近に木材を下ろすと手近な丸太に腰を落とした。
イクセルも彼に倣って丸太のひとつに座ると作業台に手を伸ばし、これから使用するかの有無を確認しながら道具を整理していく。イクセルが手を動かし始めたため肩に留まっていたイーヴァルが羽ばたき、空いている丸太へと優雅に着地する。
手を動かしながら、イクセルは頭に浮かんだ疑問を声にした。
「……なんで狩り? 食料、余裕あるんだろ」
「若い衆が躍起になっているんだよ。どうも、シーラの前でカッコつけたいらしくてな」
オロフは誇らしいような苦々しいような複雑な表情を浮かべ、手頃な大きさの木材をこちらに渡してくる。木材を受け取ったイクセルは軽くその状態を確認し、受けとなる丸太の上へ立てて載せていく。
「あの子はまだ十五になったばかりだろ。狩りに出てる連中のほとんどは、シーラより年上ばかりじゃないか。色恋沙汰が成り立つのか?」
手元で作業台上にいくつかある斧を選別しつつ、心底不思議そうな顔をする。
「いわゆる先物買いってやつか? 親の俺が言うのもなんだが、あの子は周りの子たちより美人だからなぁ。連中も、今のうちに自分を売り込んでおきたいのかもしれん」
例によってなんともいえない複雑な表情を浮かべて、オロフは困ったように頬を掻く。
「そんなもんか。まぁ、熱が入り過ぎて無茶しなきゃいいけどな」
娘を思う親の顔になるオロフを横目に、イクセルはそれを茶化すこともなく淡々と立ち上がって自然な様子で斧を木材に振り下ろした。過不足ない力で振り下ろされた刃に、木材は小気味よい音を立てて二つに割れる。
「……ったく。騒ぎの元凶がのんびりしてっからに。お前が格の違いを見せつけ過ぎたから、他の連中に火が点いちまったんだぞ」
やれやれといった様子で払われた薪を拾いつつ、オロフは次の木材をイクセルに手渡した。続けて別に持ってきていた小枝を取り出すと、着火剤にすべくナイフで薄く削り出す。
「別に、そんなつもりなかったんだけどな。……言っとくけど、シーラと俺なんにもないから」
「やめろ。言われんでも分かっとるわ。その様子だと、村の女たちからの熱視線もどこ吹く風か……」
オロフはナイフを置いて作業を一旦止めた。呆れ顔を手で覆い、これ見よがしで大仰にため息を吐いてみせる。
そちらには目を向けることもなく、イクセルはやはり淡々と先ほどと同じ工程を繰り返していった。ふたたび、木材を割る乾いた音が響く。
「……よそ者が珍しいだけさ。ここは、変化の乏しいところだから」
ことさらに淡々と、静かに零すように呟いた。
オロフはその感情の希薄な表情を横目に見やる。彼はおもむろに立ち上がると、手に付着していた木屑にそっと息を吹きかけた。吹かれた木屑は、ちょうど同じ瞬間に吹いた風によってより高く空へ舞い上がる。
「——確かにな。退屈な村に新しい風が吹きゃ、誰も彼も注目するよな。面良し、腕が立つうえに精霊と契約してるときたら、そりゃあな。欠点は……事なかれ主義の爺みてぇな怠い性格くらいか? まぁでも、娘に求婚しても反対しないでやるぞ」
オロフは下唇を突き出しわざと渋い顔をしてみせると、偉そうに腕組をしそのまま器用に指差ししてくる。イクセルはあくまで見向きもせずに、いやむしろ正反対の方にそっぽを向いて呆れたように言う。
「もう冗談はいいって。ふざけたことばっか言ってるのがバレたらシーラに怒られるぞ」
「ぷはははッ! さて、どうかねぇ? く、くくくっ」
心底愉快そうにオロフは豪快に吹きだし、しばらく彼の肩の揺れが収まることはなかった。どうもよほど面白かったらしい。
しつこく含み笑いをするオロフに、無視するか注意してやろうかを決めあぐねていると、イクセルは背後に立つ人の気配に気がつく。
振り向くと、好々爺といった風体の老人が立っていた。
「なにやら求婚がどうとか聞こえていたが。なんじゃオロフ、娘を嫁に出すのか?」
六十を優に過ぎてるその老人は、オロフの名を呼びこそはしたものの興味深そうに覗き込んだ相手はイクセルのほうだった。
「いや。嫁に出すんじゃなくて婿殿に入ってもらうんですよ、村長」
笑いを堪えるように言うと、オロフは意味ありげな視線をイクセルに送る。当の本人は半眼で睨み返すだけだったが。
「なんと、そうだったか。これで村も安泰じゃな。ほっほっほっ……」
「なにが安泰なんだ、ジジイ」
オロフと一緒になって笑う村長にぞんざいな物言いをすると、イクセルは手にしていた斧を作業台の上へ置いた。
「なに、村一番の狩人が流れていかずに根付いてくれるというんだ。これまさしく安泰というものじゃろう。うむ、シーラも幸せじゃ」
「……あんたらの相手も疲れてきたよ。ジジイも、年なんだから座ったら」
イクセルは奥の丸太へと移動して座り、手前の丸太を村長に譲る。
「うむ。よく気がつく男ではあるのだが、口の利き方がぞんざいなところが玉に瑕じゃ」
村長は一つ頷くと、促された丸太へと腰掛ける。その隣でオロフも賛成といった様子で頷いていた。
「別に誰に嫌われたとしても困らないんでね」
イクセルは頬杖をつくと、村長たちの方をちらりと横見をして言う。いつも通りの気怠げな言い方だったが、村長は真面目な顔をして首を振った。
「……いや、そろそろ考えを改めるべきじゃと思うぞ。少し悪ふざけが過ぎたが、実際のところ今後どうするつもりでいるのじゃ」
イクセルは少しばかり眉間にしわを寄せると、村長の目をまっすぐに見る。
この村で一年ほど暮らし、村長のおおよその人柄は把握していた。
高圧的な面を出すことなく人に取り入っていくのが上手く、イクセルの中での彼への評価は『非常に政治的な駆け引きが得意な侮れない老人』だった。直接に相手の不興を買うことは避け、さりげなく話題の中に己の望みを混ぜて巧みに状況をコントロールしようとする。
そんな相手に、疲れるだけの駆け引きなど御免である。そう考えたイクセルは、さっそく本題を切りだしていった。
「……迷惑なら出ていくよ。確かに、少し長く世話になり過ぎたかもしれない」
「馬鹿野郎。誰がそんなこと思うかよ。俺もシーラもな、お前がいてくれて良かったと思っているんだ。……わかってるだろ?」
腕組をし仏頂面でオロフは言うが、イクセルは表情をなくして目を伏せた。
村長は溜息を吐くと、静かに座しているイーヴァルに目を向ける。
「……おぬしが『纏いし者』ではないかと、村のものが噂をしておる。弓の腕に優れた武芸者であるし、その若さで世界を独り転々としてきたという話もそうであるならば確かに頷ける」
「……だったら?」
「おぬし次第じゃよ。村を出てゆきたいというならば元よりおぬしの自由じゃ、好きにすればよい。このままこの村で暮らしたければ、そうすればよい」
イクセルは眉をひそめるが、言葉を返すことなく黙って話を聞いていた。村長の話に続きがあると分かっていたからである。
「じゃが、村の一部の者が歓迎していないのも知っているな? 軍属でもない『纏いし者』は厄介ごとを呼び込むとも言われている。もちろん、逆にこれ以上なく頼りになる存在でもあるが……」
「っ村長……」
話の行く末を黙って見守っていたオロフだが、不穏な流れに息を呑むと会話に割って入ろうとした。しかし村長はそちらを手で制し、あくまでイクセルから視線を逸らすことなく続けていく。
「おぬしも知るとおり、この村は歴史が浅く力もない。住人のほとんどが他所の国から戦乱を逃れてきた難民たちで、ここに根を張り村を作っていった。そんな我々だから、流れ者を簡単に拒絶することはしたくはないのだ」
十分に村長の言いたいことは伝わった。
彼は、こちらを恐れていない。少なくとも自分がこの村の脅威へ転じるとは考えていない。むしろ値踏みしているのだ。外敵からの防波堤に足る人物かどうか見定めたいのが本音だろう。一方で、発言のすべてが口当たりのいい建前でもないはずだ。
その上で、いい加減に選べということなのだろう。
それくらいの年月を、ここで過ごしてしまった。これまで流浪に暮らしてきたが、これほど長く一カ所にとどまったことは稀だ。居心地が良かったのだ。村の住人も悪い人間ではなかったが、なによりも——
「……ありがたいと、思ってるよ。最初に受け入れてくれたときから、ずっと感謝してる」
村長ではなく、『オロフ』のほうを向いて言った——伝える相手を間違えたくなかったのである。
得体の知れない人間と一年以上も同居するなんて、よほどのお人好しじゃなければできなことだろう。最初に出会った時から今日に至るまで、内心では彼の人柄と懐の広さに敬意を抱いてきた。あらためて感謝を伝えるなんてしてこなかったが、思えば伝えるのが遅すぎるくらいだ。
伏し目がちに、吐いた言葉だった。なかなか慣れないことなので羞恥心が勝ってしまったが、それでもオロフは嬉しそうに笑った。
「そういことは普段から口に出せよな。まったく、ひねくれてっからに……」
村長は頷くと周囲の家々に目を向ける。イクセルも彼に倣った。
夕日が差し始めた空の下、野良仕事の後片付けをする者や夕食の支度を始める人々の姿が目に映った。憎しみも争いもない、静かでゆったとした平和の時間が流れているように感じた。
「皆にも、もっと心を開いてみたらどうじゃ? 若い連中はおぬしに対して複雑なものを抱えておる。猜疑心や劣等感、そして……恐れてもいるのじゃ」
(————恐れ、か。たぶん本当に恐れているのは、俺のほうだ)
イクセルは赤みが増していく空を見上げる。
見上げる空は、これまでにいたどこでも同じようなものだった。ただ、空を見上げる場所は次々と変わっていった。選択の余地がなかったものもあるし、自らの意志で背を向けたこともあった。
「とにかく前向きに考えてみろ。信じることも変わることも、共存して生きていくには必要なことじゃ。……おぬしがその気ならばな」
言うや村長は腰を上げ、この場を去っていく。
そのまま黙って立ち去るかと思ったが、背を向けたまま最後に——
「あぁそれと、シーラのことじゃが……。その気がないなら態度で示せ。本人にというより、周りにな。案外、それが若い連中と打ち解ける近道かもしれん」
言うと、今度こそ村長は去っていった。
仏頂面のイクセルの横では、オロフが豪快に吹き出している。
「ぷっくくく……いいや、ダメだ。そんな面白くないことは親の俺が許さんぞ! シーラも悲しむだろうしな、うん!」
その発言は親として正しいのかの是非を問いたかったが、いろいろと面倒な気分になってきてため息を吐いた。
作業の片づけでもするかと考えたとき、イクセルはこちらへと近づいてくる集団に気がついた。
噂をすればなんとやらである。
その集団の先頭、自分たち目掛けて小走りに近づいてくる少女——オロフの娘であるシーラに手を振ってやる。
少女の後ろには、弓矢や槍を携帯した男たちがぞろぞろとついてくる。全体的に疲れ切った様子で、彼らの表情は曇ったものであった。
「……?」
「父さん、イクセル! ただいま~」
シーラは対照的に元気な様子でふたりの前までくると、背負っていたバックパックを下ろして息をついた。
活発な少女だった。しかし整った容貌は真逆の印象を与える。
オロフの娘と分からなくもないが、彼に似ているのは結い上げているその赤茶の髪色くらいのもので、全体的にほっそりとして柔らかい顔の造りをしていた。おそらく彼女はイクセルも会ったことがない母親似なのだろうと。
イクセルは立ち上がり、自分の代わりに座るようシーラに身振りで促す。
「おかえり、シーラ。どうだった?」
「……ん~、あははッ。えっと……ダメ、だったかな。みんな調子悪かったみたい」
シーラは背後の男たちを気にしつつ、両手の人差し指を小さく交差させた。
そんな娘越しに、オロフはあからさまに眉を吊り上げて男たちの戦利品に目を向ける。
台車の上には雌鹿の死体が一頭、あちこちから血を流して倒れていた。体中の至る所を負傷しているが、その大半が致命傷になっていなかった様子だ。この様子では相当に苦しみながら死んだだろう。
鹿の死体の状況を目の当たりにし、イクセルは密かに眉をしかめる。
「はっは~……なんだお前ら、その人数で行って一匹だけかぁ~? 服は乾いてるようだが、大雨にでも打たれて休んでたのか?」
意中にする少女の父からからかわれ、男たちは各々が様々な反応をみせる。単純に落ち込む者もいれば、あるいは静かに憤慨する者、もしくは羞恥ゆえに怒りを表に出す者であったりと様々だ。
「いや、はは。やっぱりイクセル君みたくはいかないっすね」
「っこの流れ者が悪いんだよ! こいつが調子に乗って狩りまくったから、獣どもが警戒してたんだ!」
一人の男がイクセルに食って掛かる勢いで前に出てくる。するとシーラが慌てて立ち上がり、男を阻むようにイクセルとの間に割って入るのだった。
「ちょっと、流れ者って呼ばないでよ。イクセルだって、もう村に来てから一年近くになるんだから。いい加減に名前で呼んであげて」
「っ…………ふんっ!」
男はぐっと言葉に詰まるとシーラの避難めいた視線から目を逸らし、面白くなさそうに地団駄を踏んだ。
この場の男たちの心情など欠片も知らぬシーラは、丸太に乗って精いっぱい背伸びをするとイクセルの耳元で囁いた。
「確かに少なかったけど、ちゃんと何匹か見つけたんだよ。……でも矢が全然当たらなかったの。やっぱりイクセルが一番すごいね!」
彼女は満面の笑みで笑いかけてくる。先ほどのオロフの話が頭にあるイクセルはさすがに居心地の悪さを覚え、普段はあまりしない愛想笑いを懸命に、しかしぎこちなく浮かべた。
「いや、彼らの言う通りだよ。俺が調子に乗って狩場を乱してしまったんだ。……みんな、すまなかった」
「えー、そうなのかなぁ。でもイクセルだったら外さなかったよ、きっと」
望まぬフォローを笑顔でする彼女にある種の恐れを抱きつつ、イクセルはすぐ側で空を見上げているイーヴァルを大袈裟に指差す。
「いや。俺は、いつも相棒に助けられてるから」
近くからこらえるような息が聞こえてきた。
座ったまま笑いを噛み殺しているオロフへどんよりとした視線を向けるが、彼はよほど面白いのかこちらに視線を合わせようとしなかった。内心舌打ちするが、なにか言ってやる前に先ほどの男が唾を飛ばして前に出てくる。
「っそうだ、コイツは精霊の力に頼ってるから人より多く狩れるんだよ! じゃなかったら、俺たちとの差だってあるわけねぇんだ……!」
「ちょ、ダメだってばっ!」
わめく男を制止しようと、シーラが両手を前でバタつかせる。もとより行き過ぎる気はないのであろう男はどさくさに紛れて彼女の手を握るが、すぐに仏頂面のオロフよってに払われていった。
シーラは改めて自由になった手を広げると、眼前の男だけじゃなく周囲を見まわして声を張る。
「もーやめてってばぁ! なんで仲良くできないの?」
(……いや、お前のせいだろう)
奇しくもこの場にいるすべての者が、まったく同じことを心の中で呟いていた。
男たちの心情をよそに、シーラはくるりと向き直るとイクセルの腕をつかみ、群衆を割るように前へと引っ張って行く。
「お、おいっ?」
「いいじゃん、適材適所で。イクセルは弓の達人なんだから、狩りは任せるの! そのかわり私たちは解体とか加工をがんばるの。そうやって皆で協力すれば、全部上手くいくんだから!」
シーラは笑顔で胸を張るが、周囲の反応はやはり芳しくはなかった。イクセルはもとより期待などしていなかったが、集中して刺さる視線にとんでもなく居心地が悪かった。なにより、とんでもなく面倒くさい気分だった。
啖呵を切ってた男が緊張した面持ちで再び前に出ると、意を決した様子で口を開く。
「……なに言ってんだよ、シーラ。コイツはよそ者なんだぞ? どうせそのうち村から出ていくんだ。コイツを当てにした生活なんてできる、かよ」
同じ意見なのだろう。周りの男たちも目配せをしてうなずき合うと、次々に口火を切った男へ同調していく。
「そ、そうだよ。こいつは村の仲間じゃないんだ!」
「いつまで厚かましくシーラの家にいるつもりだ⁉ そ、そろそろ村から出て行っちまえよ!」
「どうせ、いつかは出ていくんだろっ! ならさっさと出てけ!」
それぞれの男たちがイクセルとは視線を合わさずに、不安や怯えを含ませながらも己の本音を口々に叫んでいった。
さすがにここまでの騒ぎになるとは思っていなかったので、イクセルたちは愕然とする。なにかよくない流れを感じた。
熱を上げる男たちの言葉に一番強く反応したのはシーラだ。胸を貫かれたような気持になり、思わず耳を塞いで潤む目を伏せた。
「——やめて。やめて、やめてよ。どうしてそんなことを言うの……?」
小さな呟きが漏れた。それは周りの罵声でかき消されるほどに小さく儚いものだった。
涙ぐむシーラが背後の父を振り返ると、腕組をして厳しい表情を浮かべてはいるもののイクセルに助け船を出す気はないようだった。父の態度に軽い失望を感じつつイクセルへと向き直るが、伏せたままの顔からは涙が零れていく。
「……そんなことない、よね。イクセルは、村を出てったりしないよね。……ずっと一緒にいてくれるよね?」
イクセルは動揺を隠せない。普段はそう変化がない表情に戸惑いの色が浮かぶ。
いつもと同じ、なんてことのない日だったはずだ。それが崩れていくのを肌に感じる。
(……なんだ、この状況は。どうしてこんなに急に……)
周囲の悪意が見えない熱となって襲ってくるような感じだった。煙を吸ったわけでもないのに喉にひりつくような不快感を覚える。
こちらに向けられる敵意の視線を浴び、脳裏に村長との会話が思い出される。
来てしまったというのか?
選択をする日が——
この村を離れるのか、あるいは残るのか。
目の前の少女は答えをくれる。望んでくれているのだ、自分がここに残ることを。これから先も一緒に生きていくことを。
自分もそれを好ましく思っているのだから、簡単なことだ。
オロフとシーラにこれからもよろしく頼むと告げ、住人たちに上手くなじめるように努力すると誓えばいい。
それだけだ。それだけで。それだけで。それだけでいいのに……。
誰かの声が聞こえた気がする。とっくの昔に自分をおいて死んでしまった誰かの声——逃げろと、そう言ってる気がした。でも、なにから? どこまで?
強い風が吹いてはっとする。
ずいぶんと長く呆けていたらしかった。
眼前には答えを待つ少女の姿。
肩を震わせて俯くその姿に、どんな言葉をかけるべきなのか。
「…………シーラ。俺……おれ、は」
乾く唇からは言葉が出てこない。
そもそもなにを言えるのか。
言ったところでどうなるというのか。
それでも、なにかを伝えなければいけない。
短い間にイクセルの中で思いが駆け巡っていくが、やはり言葉は出てこなかった。
それでも、まとまらない思いを伝えようとした——その瞬間。
静かに座していたイーヴァルが翼を広げて宙に舞った。同時に風が巻き起こり精霊を包んでいく。
「……イーヴァル?」
イーヴァルは淡い翠の燐光を纏うと、その粒子を散らしながら空へと高く飛翔していった。巻き起こる強い風に押し上げられるように。
遥か高くまで飛翔するイーヴァルをその場の全員が視線で追うと、夕焼け空を流れる雲の上で『なにか』が光った。
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