第一章 Ⅳ 彼女たちの出会い

 人間、亜人、精霊が共に暮らす“エレ=シディア”。

 この世界には七つの大陸が存在しており、その中でも面積と人口が特に最大規模のものが<ファルア・イー=シディア>。

 通称、中央大陸と呼ばれているものだ。

 この大陸の中枢には精霊神<タマナ・エレ=シディア>を崇める神聖公国レイシディアが定める国土——聖域が存在し、何人たりとて侵してはならない不可侵領域として広く知られていた。レイシディアは非常に閉鎖的で国交は皆無に等しく、入出国するには彼らが定める厳格な審査を通らなければならない。

 神聖公国レイシディアの他、中央大陸には大枠にして六つの国が存在していた。

 中心となるレイシディアを囲うように並ぶが、国のそれぞれが一つの精霊属性と親和性を持ち、各国で異なる精霊の加護を受けているとされている。

 各属性の影響下で領域を区分しているに過ぎないので正確には国という括りは正しくないのだが、精霊の恩恵を受けて暮らす人々の間でいつしからか呼ばれるようになったものが定着し、現在では通称として大陸全土に広く通ずるものとなった。


 六つの内のひとつ、【風の国】と呼ばれるものがサーシディア共和国。

 大陸で三番目に陸地面積が少なく、一般的にはそれほど広くない国土として認識されている。

しかし実際にはその認識は間違ったもので、国土の上空には浮かぶ天空の島々を抱えており、これらも併せて一つの共和国として成り立っていた。

 サーシディア共和国の陸地では、ケンタウロスなどの亜人種が遊牧民として各地を移動する生活を営んでいる。一方では、領空に浮かぶ島々は天空の島——あるいは浮島などと呼ばれるそれを、ハーピーを代表とする翼持つ亜人種たちが渡り鳥のごとく島間を移動して生活していた。

 総じて風のように流れて生きていくものが多く、定住生活を好んで営むのは他所の国から渡ってきた人間の移民たちがほとんどであった。


 そのサーシディア共和国の空を、艦隊が隣国である【地の国】の方面へと飛行していく。

 中央には旗艦であろう一回り大きな飛行軍艦が陣取り、周囲をそれとは別の同型艦が編隊飛行をしている。しかしサーシディア共和国の領空を飛ぶこの艦隊は、同国のものであることを指し示す紋章や型式番号を持たず、それどころかどこの国に属しているのか定かではない仕様になっていた。

 旗艦中央の艦橋内部、艦長席に立つ軍服を着た男は、この艦の操舵や周囲の索敵を担当する周囲の部下たちに対して声を上げる。

「共和国のお偉いさん方全員に話が通ってるわけじゃないんだ。刺激しないようになるべく高く飛べ。……が、ハーピーのお嬢様方の不興を買うのも不味い。機嫌を損ねぬよう、浮島の足元を超えるなよ」

「——は、了解です」

 部下の返事に頷くと、男は自らに用意された艦長席に腰を下ろした。

 ほっそりとした面持ちの中年男性で、切れ長の目は銀色。目と同じ色の髪は長く伸ばしてうなじの辺りで結っている。

 この艦の艦長である彼は手元の資料に視線を落とそうと思ったが、隣に立つ者の気配が気になりそちらを見上げた。

 その女はすぐ隣に直立不動で立っていた。

 折り目正しく軍服を身に纏い、短めの髪と肌は黒い。瞳の色だけがやや明るめの茶色をしており、年の頃は二十半ばといった容貌をしている。

「……ミラー中佐、今回の移送の任をどう思われますか」

「ラミナ・アボット特務少尉。どう、とは?」

 艦長のミラーは面白くもなさげな表情で、彼女の問いかけを即座に問いかけで返した。実際、その問いはミラーにとってなんの面白みもないものだったのだ。

 にべもない物言いに聞こえたが、ラミナの中では織り込み済みだったのか意に介した様子もなく続ける。

「たった一人の女性を移送するのに、護衛艦を四隻も引き連れた艦隊編制です。他国の巫女に、それだけの価値が?」

 ラミナはミラーの様子を注意深く観察する。目前のポーカーフェイスの男がなにかしら意外な反応をするかと期待したが、ミラーはその表情通りにあくまで飄々としたままで答えた。 

「私から言えることは、なにもないよ。軍人は与えられた任務をただ全うすればいい。配属が違う君にあまり偉そうな物言いをしたくはないが、君も一端の軍属である以上は疑問を持たないことだ」

 周囲の者たちの注意が一瞬ラミナに集まっていく。なかには無遠慮に非難の視線を浴びせてくる者もいて、ラミナは自分の問いが艦内において極めてタブーなものだったと理解した——予想していたことではあったが。

「……は、出過ぎたことを申しました。以後気を付けます」

 ミラーの言葉に内心失望していたが、それが表に出てしまわないように努める。甲斐はあったのだろうか、彼はラミアの言葉に頷くとそちらを見ることもなく言う。

「予定通り、君には乗艦中の巫女の世話をしてもらう。任せて大丈夫だな?」

「は、問題ありません。任務を全うします」

 ラミナはミラーに敬礼すると背を向けて艦橋を退出していく。



 ラミナは艦内の甲板を降りると無機質な通路を歩いていく。

 すれ違う乗組員たちに会釈しつつ、内心ではわずかな苛立ちと焦燥感に駆られていた。

(なにかしら得られるものがあればと思ったが、やはり無駄だったか。まったく噂通りの男だな。……あくまでただの『運び屋』に徹することで、その身と地位を守っている)

 途中途中に設置されている警備を通過していき、権限の無い者は立ち入ることが許されない制限区域を歩いてく。

 やがてより殺風景となった一本道の通路を進んでいくが、その先の奥のほう——これまででもっとも厳重な扉の前にひとりの赤いリザードマンが立っていた。

 ラミナは傍まで行くと黙って頷き、腰に帯剣していた剣を彼に差し出す。相手もも頷きつつ差し出された剣を受け取り、鋭い牙が並ぶ口を開いた。

「分かっているとは思うが、巫女との会話には細心の注意を払え」

「はい。十二分に心得ていますよ……ブラムさん」

 ラミナはブラムと呼んだ厳めしいリザードマンに再度頷くと、目の前の扉を緊張した顔で見つめた。ブラムは扉を開放するための種類の違う鍵を複数取り出し、それらを使って順に解錠していく。

 ラミナは固い表情なまま待機する。やがて複雑な金属音が鳴り扉が解放された。そのまま前に踏み出し、奥に女性がひとりだけでいる部屋へと入っていく。


 その部屋は、内装はさて置き、とても若い女性を歓待するような構造はされていなかった。

 部屋の全面が特殊な合金で何層も重ねられた強化壁、出入口は背後の閉じられた分厚い扉のみとなっており、女人ひとりを閉じ込めるものとしては極めて厳重なものとなっていた。

 部屋の奥に彼女がいた。

 備え付きのベッドの上に腰掛けるヒミィは閉じられていた瞼を静かに開き、澄んだ翠の瞳をラミナに向ける。こちらの心まで見透かすようなその瞳に、ラミナは得体のしれぬ威圧感を覚え後ずさりしそうになるが、足に意識を集中することでなんとかその場に踏みとどまった。

「——失礼します。巫女様のお世話を仰せつかって参りました。ラミナ・アボットと申します、以後お見知りおきください」

 ラミナはその場に膝をつき、声が震えないように気を張った。あらためて目の前に立つ『巫女』という女人を見上げ、その姿をしっかりと観察する。

 儚くも凛々しい雰囲気の彼女だが、どこか異質なものを感じさせ、まるで別の世界の者のような遠い存在に思えた。

 緊張した様子のラミナを言葉を発することなく見つめていたヒミィは、すっと目を閉じる。次の瞬間、人懐っこい満面の笑みで目を開いた。

「あらあら、お気遣いどうもありがとうございます。どんな方が来るのかと思っていたら、ふふっ。こんなに若くて綺麗な女軍人さんだったんですねぇ」

 突如としてその印象が変わる。一瞬前とまるで別人に思えた。

 どこか幼ない様子に豹変したヒミィに呆然としつつ、ラミナは彼女の言葉を胸の内で反芻する。

(……っ侮られた?)

 軍人として密かにコンプレックスを感じていた容貌を揶揄されたのかと勘繰り、自尊心がざわついていった。

 一般女性としては低くもないだろうが、軍人としては小柄で筋肉量もそう多くはない。それなりに整った容姿は男社会で生きていく上で何度となく侮られ、彼らの都合のいい存在として想像されてきたことを知った際は吐き気を覚えるほどに傷付きもした。 

 契約者としての実力を示すことで黙らせてきたのだが、それでも荒くれ者たちのなかに身を置いてきたためそういった目で見てくる輩は後を絶たなかった。

 ヒミィの言葉は、激昂するほどでもないが軽い不快感を感じるのを禁じ得なかった。反応できずにいると、彼女が顔を覗き込む。申し訳なさそうな表情をしているが、その瞳には好奇心やどこか悪戯めいたものも感じた。

「ごめんなさい。私、思ったことを口に出しちゃうんです。どうかお気を悪くしないでください」

「いえ……自分に軍人としての貫禄が不足しているのは承知しています。お気になさらずに」

 自分の立場を思い出してはっとすると、ラミナは背筋を伸ばして表情を引き締め直した。そんな彼女の肩に手を掛け、ヒミィはあくまで気楽な調子で言う。

「ラミナさん、どうか気を楽に。私は貴族でもなければ、国の要職に就いているわけでもありません。さあ、肩の力を抜いてくださいな」

 そのまま手を置いたラミナの肩を無遠慮に揉み解していった。

「いえ、巫女様には敬意を持って接するのは当然のことですから……。巫女様にこのようなことをしていただくなど、畏れ多いです」

 許可なく揉まれていく当の本人は、強く出れずに遠慮した素振りを返すのが精々だ。巫女に手を触れてまで中断を促すという無礼を働くべきか悩んでいると、ヒミィがこちらの瞳を興味深そうに覗き込んでくる。

「……このご時世に、しかも軍務に就いてるというのに他国の巫女に礼節を尽くすとは。もしや、巫女に仕えていたことが?」

 思わずはっとした顔をしそうになる。

 頭の中では警鐘が鳴っていくが、努めて冷静に、これまでの通りの表情を保った。それでも、こちらを覗き込む碧い瞳にすべてが見透かされているような気がして恐怖に似たものが背筋を寒くしていく。

(鋭いところを突いてくる。……まさか、探りを入れられている?)

 いつの間にかヒミィの印象が変わっていたことに戦慄を覚える。

 その口元は柔らかな微笑みを浮かべてこそいるが、こちらを見据える穏やかな瞳が目前の自分ではなくどこか別のなにかを見ようとしているようで、ラミナは自身の鼓動が乱れ早くなっていくのを自覚した。

(胸の奥から溢れ出てくる、この畏怖の感情。——間違いようもない。このお方は、偽りなく本物の巫女様だ……!)

 胸の内に湧く巫女という存在への畏怖、そして高揚感を必死に誤魔化すと、ラミナはヒミィから向けられる眼差しに真っ直ぐに答える。  

「……いいえ、そのような。ですが自分の祖母が国の巫女様に仕えていました。その影響で、幼いころから巫女様を敬うように育てられてきましたので……」

 自然な口調で話す。——話せた、はずだ。

 これでどうなんだ。

 不自然さはあったか、対応に間違いはあるのか。

 なにもかもが、見破られてしまうのか……?

 身体に緊張が走る。

 ラミナの顔をじっと見つめていたヒミィは、彼女の言葉に頷くと子供のように無邪気に笑い手を打つ。

「なるほど、そうでしたか~。ふふっ、不思議な縁ですねぇ」

「……はい。自分も、そう思います」

 ヒミィの笑顔に、こちらもぎこちない笑みをなんとか返した。安堵しつつも内心は冷や汗をかいていた。平静でいるように心掛けるが、心臓のほうはまだ早鐘をやめる気はないようだった。

 大丈夫だ。問題はない。彼女はただニコニコと微笑んでいるだけじゃないか。

 少々間が抜けたヒミィの笑顔に、だんだんと平静を取り戻す。ラミアが落ち着いた頃に、ヒミィは呑気な調子で言ってくる。 

「あなたとは、短くない時間を共にするのでしょう? よければなにか、退屈しのぎにお話でも聞かせてくださいな。たとえば、生まれ育った故郷のお話ですとか!」

「……はい。そう、ですね……でしたら、これは自分が幼い時の知人の話なのですが———」

 屈託ない彼女の有無を言わせぬ雰囲気に頷いてしまうと、混乱の治まらぬまま記憶を辿りつつかつての体験などを聞かせていく。

 それからの長い時間、ラミナは語り手としてヒミィの退屈を紛らわせていった。


 しかしラミナは気づいていなかった。

 彼女に主導権をいとも簡単に握られ、話すつもりなどなかった自分の『過去の真実』を晒してしまっていることに。

 ラミナとて注意を払っていたのだ。

 もちろんブラムの忠言を忘れたわけでもなかった。

 気づくことすらなく、いつの間にかヒミィの導きにより心の鎧を脱いでいってしまう。

 語り手は自分だというのに、聞き手の彼女に惹き込まれていき口からは自分の『物語』がこぼれていってしまうのだ。

 しかしあくまで彼女は違和感を抱かなかった。

 いや、抱けなかった。

 目の前の無邪気な人物を前にして、警戒心を保つことや猜疑心を持つという思いが維持できなくなっていくのである。


 目を輝かせてこちらの話に耳を傾けるヒミィを前に、ラミナはこの短時間での彼女の人となりを思いかつてない不思議な心持ちとなっていた。


(……なんだろう、捉えどころのないお方だ。————これが『風の巫女』、か)

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