第2話 2018.3.9の夢

 室内に満ちた魅惑の香りを吸い込んで、軽くため息をつく。ぐつぐつと薬草を煮込む手が次第に重くなってくる。概ね教科書通り、レールに乗った優等生らしい出来栄えに、飽き飽きしている自分がいた。いっそブルーベリーでも加えてジャムにしてしまおうか。そんなことを考えながらも、教官にチェックを受け、優秀な部類の評価をいただく。このままだと教師か官僚にしかなれなさそうだ。


 ここは、王立の魔法学校。文字通り魔法を習う場所。それぞれ自分の興味分野にあった職業に就くべく、日々切磋琢磨している。隣の彼女は確か薬師に、優秀な彼は研究者、そして私の恋人は飛行士になりたがっていた。当の私ははっきりと決まってなどおらず、「とりあえず」優秀な成績を目指しているだけの根無し草だ。


「相変わらず、上手ね」


 薬師になりたい彼女が、にこりと笑って褒めてくれる。私ははにかんで、「ありがとう」と返すも、明らかに彼女の薬品の方が香りも良くユニークで素敵だった。私にはない才能だ。本当に羨ましい。

 

今日の課題はこれで終わりだ。後片付けをしながら、大きな柱時計を見やる。飛行士の授業ももうすぐ終わる。君と落ち合って話題の魔女のアップルパイでも食べに行こうか、そんなことを思いながら、胸の奥に渦巻いた灰色の感情を飲み込んだ。


 そんなとき、不意に中庭の方から白い光が差したかと思うと、学生の私でもわかるほどの大きな魔力の流れを感じた。何か、強大なものが中庭にある。漠然とそれだけを感じる。魔術師統帥にあった時のような、歪みに近い衝撃だ。


「難攻不落のあの道を飛び切ったらしいぞ」


「あの距離を…? まさか…」


 次々と聞こえてくるそんな声から察するに、どうやら飛行士の誰かが大きな記録を達成したようだ。めでたいことだ。祝賀ムードのみんなに溶け込むように私も手を叩いた。


「すごいじゃない! あなたの恋人でしょう?」


「え?」


 窓越しに見えた人の輪の中にちらついた影。それには見覚えがあった。脈が早まる。人混みをかけ分けるようにして、中庭へと飛び出した。


  私と君の関係性を、同級の学生なら皆知っているせいか中庭に出るなり自然と道は開かれた。人混みの先で君は少し照れたように笑う。


「おめでとう」


 口から突いて出たのは、あまりにも味気のない無難な言葉だった。君の周りには魔力の残香らしき白い光が舞っていて、神々しくすら思える。急に君が遠くなったように感じた。


 それから瞬く間に君の環境は変わっていった。どうやら君の持つ魔力は統帥並らしく、統帥の後継者に決まるまでにそう時間はかからなかった。君の存在は学校の中でも特別なものとなって、住む場所だって王立の施設に移された。


「なんだか慣れないなあ。しっくりこなくて」


 自分には到底持ち得ない君の才能に、不思議と嫉妬はしなかった。ただ、2人を囲む環境の変化を恐ろしく思っていたのだ。明日には君は、国民の前で演説をするという。ほんの少し前までは、これから飲む紅茶の種類を決めあぐねていた君が、だ。


「応援してるわ。きっとうまくいくわよ」


 面白みのない励ましだと我ながら思うが、如何してか君は嬉しそうに笑ってくれる。君はいい人だ。きっといい統帥になれる。


「君にも、統帥夫人候補として来てもらうことになってるんだけどいいよね?」


「……初めて聞いたわ。夫人候補って、私たちまだ学生でしょう?」


「どうもそういうしきたりらしいんだ。迷惑はかけないから、一緒に来てくれないかな」


 そこまで頼まれて断る理由もないが、彼に引っ張られるようにして変化の渦の中に飛び込んでいくことに多少の抵抗は感じた。どうせなら自ら飛び込んでみたいものだ。


  その翌日。王城の前で行われた君の演説には、それはそれは大勢の人が押し寄せた。紙吹雪なんかも舞って、ちょっとしたお祭りのようだ。私と君は、王立学校の式典用の礼服を身につけ、頑強そうな騎士に守られていた。


 やがて、君は壇上に上がる。それだけで拍手喝采が群衆から沸き起こる。君が遠く霞んで見えた。きっと立派なことを話すのだろう。そうしてみんなを唸らせるのだろう。遠い、遠く見えなくなっていく。


「僕は、正直言って平穏に過ごしたいです」


 関係者や先生がざわつくのがわかった。原稿でも用意されていたのだろうか。君はそういうものを面倒に思いそうだから、自分の言葉で話し出したのも不思議はなかった。


「人より少し強い魔力を持っているがために後継者に指名されましたが、普通の学生です。皆さんが期待するようなことは何もありません。僕は飛行士になりたかった。それだけです」


 群衆もざわめき出す。君はそんなもの目に入らなかったかのようにさっさと壇上から降りてしまう。そうしていつも通り優しく私に笑いかけた。


「じゃあ、遊びに行こうか。紙吹雪も舞って綺麗だしね」


 君はそう言って、広場の隅のほうきを呼び寄せると、それにまたがり、私にも乗るように促した。皆、唖然としていて、止めるものもいない。


「出発進行!」


 そういって私たち2人は大空へ飛び出した。ほうきからは次々に色鮮やかな花びらがこぼれ落ちていく。美しい光景に、群衆から歓声が上がっていた。


「どこへ行こうか」


 有り余る魔力を撒き散らして、君は笑う。凄い人だ。この街に花の嵐を巻き起こした。その背中に身を預けると、自然と頬が緩んだ。


「どこまでも行きましょう」


「そうしようか」


 2人でクスクスと笑い、王都を見下ろす。美しい街。私たちの生まれた街。大好きな場所だ。君はこれからこの美しい場所を守る人になる。私もそれをできるならば側で、支えたいと思った。


  鮮やかな花弁が、舞っては空に溶けゆくようだ。虹のもとにでもなるかしら。

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