第17話 訪問客はディナーのあとで

 さて。

 入浴を終え、湯上がりの休息を取っているとカタカタとワゴンの音が聞こえてきた。

 夕食である。

 宿の従業員が3人、ノックと共に入室し、瞬く間にテーブルを調え、カトラリーを配置していく。


「どうぞ、準備が整いました」

 ウェイターに案内され席に着くと、温かな琥珀色のスープが皿に注がれる。芳しい香気が立ち上る、レミになって初めて食べる、コンソメスープである。

 カロナー島でもスープは食べたが、野菜や魚を煮込んでそのまま食べるもので、このように具材を全て濾して出汁ブイヨンだけの状態にするほど手間も時間もかけない(家庭料理としては、もちろん十分美味しいけど)。

 過去世でも何回かフレンチのコース料理で食したが、お湯を注ぐだけの簡単コンソメスープとは全く違う複雑で例えようもない味は忘れられない(お値段にも相当覚悟が必要だったのも忘れられない)。

 スプーンで一匙すくい、そっと口に含む。口中に旨味が染み渡り、恍惚感が身体中を駆け巡る。

 ゆっくり、ゆっくり、そう言い聞かせながら、気付いたら皿が空になっていた。

「スープを追加いたしましょうか?」

 空になった皿をじっと見つめていると、ウェイターが微笑んでそう提案してくれた。

「お願いします」

 嬉々としてうなづくと、小鍋からおかわりのスープが注がれる。カーマさんもおかわりをして、小鍋の乗ったワゴンは下げられていった。

 少し冷めたスープは、ねっとりと、とろみが増していて、これはこれで美味しい。

(コラーゲンの塊らしいもんね)

『こらーげん?』

(骨の髄とかを、煮込むと出てくる成分。お肌にもいいんだよ)

 残念ながら三杯目のおかわりはなかったが、代わりに次々と美味しそうな料理が運ばれてきた。ハーブと野菜と共に蒸した白身魚とか、挽いた肉をパスタっぽいもので巻いて整形して焼いたラザニアとハンバーグの合の子みたいなものとか。高級品なので、カロナー島でも滅多に使えない黒胡椒もふんだんに使われていた。パンも、こちらでは初めて見る柔らかい白パンだ。

「でも、驚いたわ。レミ、テーブルマナー、きちんと出来ているじゃない? 一応座学では教えてくれるけど、実際には初めてでしょう?」

「まあ……。でも、ナイフは普段も下ごしらえの手伝いとかで使っているし、順番とかやっちゃいけない動作だけ覚えておけば、それほど難しくないですよ」

 実は、過去世でも経験しているしね。こちらのテーブルマナーがほとんど差異がなかったので、座学も復習気分だった。独身貴族の特権で高級フレンチも体験済みでよかった。

「そうなのね。私の頃は見習いも人数がいたから、料理の下ごしらえなんて手伝いもしなかったから。経験て大事なのね」

 カーマさんには、いいように誤解して納得してもらった。でも、確かに経験は大事です、とレミもうなづいた。

 

 レミの禁酒もあって、ワインは出てこなかったが、デザートはたっぷり出てきた。

 生クリームと果物の砂糖漬けをたっぷりかけたバウンドケーキのようなもので、生クリームとケーキ本体は甘さが控えめで、味のバランスはちょうどよかった。

 ……でも、結構、お砂糖使ってるよね。

 昼間の船での騒ぎを否応なく思い出してしまい、複雑な思いで口にして。でも、やっぱり美味しい。

 砂糖なんて無精製の黒砂糖でもなかなか手に入らない島の生活で(年越しの退魔師のお土産で1年分賄っていた)、お菓子なんて年越しの宴くらいでしか食べられない生活だったから、レミの甘いものへの憧憬は過去世に比べ強くなっていると思う。

 今夜はガワディさんの計らいで、かなり高級な夕食を提供されているとのことなので、このケーキも次にいつ食べられることか。

 そう思うと、シュガロ氏のことなんかに気を取られて苦い思いで味わうなんてもったいない!

 頭から昼間の出来事を追い出して、全身全霊で味わおうとデザートに向き合い始めたレミであった、が。


 夕食の最後に、本物の紅茶が提供され、心もお腹も大満足のレミがまったりくつろいでいると、ガワディ氏が部屋に訪れた。

「や、おくつろぎのところ申し訳ございません。実は、クリックのところの若いものが、急ぎの用件で至急お会い出来ないかとやってきておりまして。夕食が済むまで待つというので、待たせてありますが」

「クリックの? おかしいですわね。クリックがこんな時間に使いを寄越すなんて」

 カーマさんが不審そうに首をかしげる。約束もなく夜に訪問するのはエチケットに反する。日中でも先触れの使者を送るのが上流階級では基本だ。

「それが、クリックの使い、というわけではないようなのです。個人的にお伺いしたいことがあると。シュガロ・ハインリヒの件だと伝えてもらえば分かる、と」

「シュガロ?」

 その名前に、レミが反応する。物問いたげなカーマさんの視線に答えて、船で倒れた例の、と伝える。

「で、そのハインリヒの関係者が何ですの? レーミにお礼でも伝えたいと? こんな夜更けに?」

 カーマさんが、ちょっと怒りモードで返すと、ガワディ氏も不機嫌そうにため息をついて「追い返しましょうか?」とお伺いをたてる。

「そうね……。と言っても、明日も予定は立て込んでいますし、至急だというなら……。仕方ないですわね。今回はクリックに免じて、お会いしましょう」

 いいわね? というカーマさんの視線に、レミも無言でうなづいて応える。


「レミ、もしベッツェが相手でも、甘い顔をしてはダメよ? 毅然とね」

 ガワディ氏が部屋を出ると、カーマさんがレミに念押しした、が。

「ベッツェ、って誰でしたって?」

「……ほら、クリックの事務所にいて、挨拶を受けた若い、栗色の髪の」

「ああ、あの人! そういえばそんな名前でしたね」

「……レミ、確かに本気になってはダメと言ったけれど、存在を忘れろとは言ってないのよ。ごめんなさいね。そこまで強く言ったつもりはなかったのだけど」

「え? いや、別に何とも……って、本気になるなって、あの人のことですか? いやいや、全く、何とも思ってないですって」

 まあ、そんな風に強がりを言って……とカーマさんの労るような眼差しを受けて、レミはとっても気まずくなる。

(ホントに! 全く意識してないから! 本気で名前も忘れていたくらいだし!)

『まあ、他から見たら、レミの恋愛対象はあの若い人だよね。でも、名前くらいは覚えておかないと、仕事に差し支えるよ』

(はいはい、スミマセンね)


 カーマさんの生暖かい視線にいたたまれない空気の中、ガワディ氏が訪問者を連れて入室した。

 栗色の髪に水色の瞳、クリック氏の事務所で紹介された若い男性に違いない。

「夜分遅くに大変失礼かと存じますが、至急の用件にて、ご不興を買う覚悟で参りました。面会をお許しいただけましたこと、誠にありがたく存じます」

「そう? それで何の用事なのかしら?」

 膝をついた最敬礼で詫びを伝えるベッツェに、返礼もせず、不機嫌さを隠さず、カーマさんが素っ気なく応える。

「はい、実はそちらのレーミ=ナロン様にお礼とお伺いしたい儀がごさいまして」

「シュガロ・ハインリヒ、とかいう人物のこと? 礼ならばこんな夜更けに来なくても。そもそも、あなたはどういった関係なのかしら?」

「わたくしの母方の伯父が、ハインリヒ氏の経営するテプレンの砂糖卸の責任者を勤めておりまして。伯父から、ぜひ店主を救っていただいたお礼を申し上げたいと問い合わせがありました。私の雇い主のクリックが銀笛のカーマ様にご贔屓にしていただいていることは、伯父も存じておりまして」

「それで? それならば申し文でもよかったのではなくて? クリックのことを知っているのならば、私がこちらを定宿にしていることも承知しているわよね? あなたが直接訪れた理由は?」

「……無礼を承知で申し上げます。文では、万が一にも人目に触れる恐れがありますので。ことは店の存亡も左右しかねないため、できる限り秘密裏にお会いしたいと、伯父から相談を受けました次第でございます」

「クリックは、この事は承知しているの?」

「いえ、わたくしの独断で動いております」

「……でしょうね。こんな訪問、クリックは許さないでしょうから。で、秘密裏に、と言ったけれど、レーミ一人では対応させませんよ。必ずわたくしも同席します。それと、今夜はもう引き上げてちょうだい。私もレーミも疲れているのよ。分かるでしょう? 明日、教会にいく予定があるから、そのあとなら……」

「いえ、できればその前に! こちらにお伺いさせていただいたあと、教会まで責任を持ってお送りさせていただきますので!」

「分かったわ。馬車の手配はガワディにもう依頼してあるから、請求はそちらに回してもらうわ」

「承知いたしました。では明日、朝食後でよろしいでしょうか?」

「早すぎるわ。昼食前にしてちょうだい。せっかくだから、一緒にお食事しましょうか」

「……承知いたしました」

(え? どういうこと?)

『お昼ごはんも御馳走しろって言ったんだよ、カーマ。夕食ほどじゃないとはいえ、この宿の昼食は、きっと豪勢だろうね』

 青ざめながら退室したベッツェの様子から、それが決して安くない金額であることが分かる。

「カーマさん、あんなにたかってよかったんですか?」

「いいのよ、無理を押し通して来たのは向こうなんだから。あるところからはいただかなくちゃ」


一、富めるものに迎合しないこと

一、無用な蓄財せず病めるもの貧しきものにほどこすこと


 新人退魔師10ヶ条の二つをそらんじるカーマさんの笑顔が、本気で怖かった。

 こんな腹芸も、退魔師に必要なのか……。

 レミはちょっと気が遠くなった。

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