第13話 いよいよ上陸……のはずなんですが

 三泊四日の短い航海を終え、テプレンの港町が遠目に見えてきた。

 甲板で遠く浮かんでいた淡い影が次第に色濃く、くっきりとした線を描き始める様子を眺めながら、レミは上陸を心待ちにしていた。


 直線距離だとそれほど遠くないはずの大陸の玄関口であるが、大型船舶はコカル諸島を横切れない。

 コカル諸島はカロナー島を含め大小38の島々であるが、それぞれの島の占有権が複数の国家で入り乱れている。


 唯一大陸イリル・ガードは、その名の通り、ひとつの大陸のであるが、あまりにも広大なため、地理学的には便宜上東西南北の四つの地区に分けられている。

 コカル諸島があるのは、西大陸のさらに西半分を占める、コカル半島の真下から西大陸沿岸を南に下った位置である。その南端は南大陸の北端にほど近くなる。


 自治権を持つコカル諸島の西寄り中央にあるカロナー島。

 カロナー島の東側、5つの大島と6つの小島を治めるガストリン皇国。

 カロナー島北側と西側、コカル最大で西端のセディス島を含む大島3つと4つの小島を治める西大陸最大のリバロークレスト帝国。

 コカル諸島の南端辺りの3つの大島と7つの小島を治めるのは、南大陸の三分の一を治めるフットレア王国。

 コカル諸島東端の9つの小島を治める、カロナー島以外で唯一諸島内に本拠地を置くアセトリアン海王国。


 アセトリアン海王国以外は、盟主国として領有権は持っているが、それぞれの大島のひとつに自治権を与え残りの大小の島を統括している。なので、コカル諸島自治区は、正確には三つの国とカロナー島という異なる自治権の並立した自治区連合なのである。

 元々は全ての島がアセトリアン海王国の支配下にあった歴史もあり、時代の衰勢で代わる盟主国に対して島民は好意的ではない。その分、例え他国領でもコカル諸島内では他の島を排斥するようなことはないし、自治権を武器に島単位の交易は自由に行っている。しかし、大陸本土との行き来となると、事情は変わってくる。

 盟主国のうち、リバロークレスト帝国を除く三国は現在のところ友好状態にあるが、リバロークレスト帝国とフットレア王国が緊張状態にある。

 距離的に離れているが、両国とも船舶技術が発達し、大陸西にある大洋を漁場としているため、その権利関係でいざこざが絶えない。

 そして、コカル半島を治めるリバロークレスト帝国は、半島の南端にある港町バスターと自国領のセディス島の間に横たわるバスター海峡の他国籍の船舶通過を制限したのである。

 リバロークレスト帝国に接しているガストリン皇国は直接の対立はないものの、フットレア王国に様々な食料や嗜好品の輸入を頼っているため、片や軍事的圧力、片や経済的圧力をかけられ、頭を悩ませているらしい。

 ガストリン皇国は歴史こそ古いものの、国力は他の二国に劣り、領地も最盛期の三分の二に減っている。衰退の一途を辿るかと思われていたが、現在の国主ブロスト2世の祖父で先代皇王のファモン=ティジン3世が中興の祖として名高い名君であり、産業改革に尽力し国内財政を大幅に改善し、国力の回復が叶った。

 ガストリン通貨が現在も国際通貨として世界最高水準の信頼度を保てているのも、その賜物である。


 まあつまり。

 微妙なパワーバランスで保たれている3つの大国の情勢と、あと単純にカロナー島から大陸方向は浅瀬が多く大型船が物理的に航行出来ない、という理由で、コカル半島に近いカロナー島から大陸に行くためにはコカル諸島を大きく迂回して南大陸側から西海岸に沿って北上する、という航路を取ることになっているのである。

 コカル諸島内にはリバロークレスト帝国の民間の旅客船舶はほぼ営業していないため(わずかだがセディス島まで行けばリバロークレスト直行便ならある。しかしバスターでの乗り換えが必要になる上、入国審査に時間がかかるので、ガストリン皇国方面への利用者はほぼいない)、ほとんどがフットレア籍の旅客船に乗船する。

 いっそ小さい船で直接テプレンに乗り付けたら? とレミは思ったが、これはこれで問題がある。まず、特別に許可を得た大型船以外は、自国の住民以外の小型船も含め入港が許可されていない。そして、自国の船も貨物のみで関係者以外の乗船は禁止されている。救命や国レベルの公的利用は例外的に認められている。まあ、自国の領民が業務のついでに相乗りしてくる程度は目こぼしされているが。

 過去に緊急の退魔案件があり、教会の要請で領民所有の小さな船で入港したこともあったそうだが、緊急公用であることを示す紅白の旗を掲げて(これはカロナー島の聖堂に保管されている)の、ド派手な入港になったそうだ。

(それを聞いて、絶対したくない、とレミは思った)


 ともあれ、多少時間はかかったが、それなりに快適な船旅(過去世でも船旅はしたことなかったけど、心配していた船酔いはしなかった。こっちの方の「酔い」もレミは強かったらしい)も、もうすぐ終わり。


 レミ達が利用した一等客室は個室だったが、二等以下は相部屋になるため、そちらだとちょっと窮屈な思いをしたかも知れない。

 一等と二等では代金が三倍近く跳ね上がる。二等客室は主に旅商人やそれほど裕福でない旅行者などが利用している。各自の寝台は指定されており、それぞれにカーテンで簡易的な仕切りが設けられているので、一応人目は避けられるようになっている。

 一部屋に二台の寝台が二段で並んでいる四人部屋が一単位で、家族でも幼い子供以外は男女別室になっている。

 さらに格安の三等客室は、フロアに雑魚寝である。

 こちらも男女のスペースは分かれており、一応間にカーテンが引かれ、境目には目印に白と青の房飾りがぶら下がっていた。男性乗客はカーテンの内側には出入り禁止となっている。


(白は夜目にも見えやすくするためで、青は女性色、だっけ?)

『そうだね。よく覚えていたね』


 創世神話でラ・コールの右手から男性と黄月が、左手から女性と青月が生まれて、その男女が全ての人類の祖となり、二つの月が安らぎの夜を作った、という故事にちなんで、黄色が男性色、青色が女性色になった、と言われている。


 ついでに白は、様々な色を引き立て夜目にも映えるため、多種多様な場面で使われる便利な色扱いである。

 先ほどの緊急公用の目印も、重要なのは赤色である。


(赤が緊急ってのは、あっちの世界と共通なんだと思っていたけど、そうじゃなくて神の色ってことなんだよね。ラ・コールと共に生まれた太陽の色)

『そうだね。でも緊急じゃない時は、公用でも一段階淡くした橙色と紫色の二色旗を使うけどね』

(で、教会は赤黄青の三色旗、と)


 過去世の創世神話なんてそこまで詳しくなかったけど、どちらかというと最初に夜とか闇とかあって、そこに太陽とか光が生まれる、ってパターンしか知らなかった。

 太陽と共に生まれたラ・コールが、昼間だけでは休めないだろうと、人々を生み出すと共に夜を作った、というのを聞いて、なかなか興味深かった。

(せっかく休むように夜を作ってもらったのに、その夜も乱痴気騒ぎとか、人間って罪深い生き物よね)

『ああ、特等室の、ね』


 レミ達のいる一等客室よりもさらに高額な代金が発生する特等客室は、船によっても多少前後するが、乗客全体の三分の一から半分の代金が賄える超セレブ客室である。


(ロイヤルスイートとか、ファーストクラスって感じかな。ちょっと見てみたいけど)

『王族の依頼とか受ければ、機会はあるかもね』

(いや、それって結構な困難案件でしょ。そこまでして乗りたくない)


 それに。


(いくら上流階級でも、あの人達みたいなのとは、お近づきになりたくない)

『そうだね。昼も夜も、まあ飽きずに大騒ぎするから、レミの不快感がこっちにバンバン流れてきて、僕もストレス』

(ああ、そういうのも共有しちゃうんだ。ゴメンね)


 特等客室の乗客は、フットレア王国から乗船している、いわゆる富豪の物見遊山らしく、明らかに「奥様」じゃない感じの派手めの若い美女を連れた中年の小肥りの男だった。

 豪奢な服装にキラキラ光るネックレスや指輪を付けた、「ザ・成金」を絵に描いたような人物で、いつも絹の帽子を被っているが、あの中身はきっと身に付けた宝飾品並みにツルツルピカピカに違いない、とレミは思っている。

 単なる乗客にこんな悪意のある表現をしてしまうのは、第一印象が、最悪だったせいもある。


 特等客室とレミ達の一等客室は隣り合っていたため、甲板で出会ってしまうこともあり、その時にあろうことかレミに抱きつこうとしたのである。

 ローの声かけに気付いて咄嗟に避けたが、「なんだガキか」と酒臭い息と捨て台詞を残して、今度はカーマさんに抱きつこうとして……こちらは鳩尾みぞおちに見事な手刀をくらい、撃退された。

 逆ギレして大騒ぎされたが、二人が退魔師だと分かると忌々しそうに引き下がり、その後は当て付けのように昼夜を問わず部屋で大騒ぎが続いたのである。


(自分の不行状差し置いて、八つ当たりなんて)

『まあ、退魔師相手に直接因縁付けるわけにもいかないからね。カーマのいうとおり、放っておけばいいと思うけど……まあ、うるさかったね』

(あー、やっと解放されるよ。テプレンに着いたら、お風呂付きの宿に泊まるって言うし、お湯いっぱい使っていいよね)

 船旅で唯一の不満は、(成金オヤジはおいておいて)浴槽に浸かった入浴が出来なかったことである。

 毎日お湯を使った清拭は出来たが、やはり飲み水優先なのだろう、一等客室でも浴室は設置されていなかった。

(教会に挨拶に行くのは明日だって言っていたから、今夜はゆっくりお風呂に浸かって、休めるよ-)


 が。

 えてして、こんな風にゴール間近にトラブルは起きるものである。


「誰か! 誰か来て-ぇ!」


 絹を裂くような悲鳴が、船内に響き渡った。

 声の主は……例の特等客室から。


「誰か! ……あぁ! 退魔師さま! 旦那様をお助けください!」


 這いつくばりながら出てきた美女の、その青ざめた顔を見て。


 先ほどまでの不平不満をすっ飛ばして、反射的にレミは部屋に飛び込んでいった。

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