第14話 人を救うのは退魔師の仕事かも知れませんが
レミが部屋に飛び込むと、成金オヤジが床に仰向けになっていた。
部屋中にアルコールの臭いが充満し、湿気の高さもあって体にまとわりつくようだった。
高級そうな布張りのソファーの足元を頭側にして、柔らかい絨毯の上に寝そべる成金オヤジのそばにレミは駆け寄る。室内着のガウンからは裸の胸がはだけているが、ズボンを履いてくれていたので、それほど目のやり場に困らなくてよかった。
「う……あ…………」
成金オヤジは瞳を上転させ、うめき声を上げている。四肢は脱力しているが、指先に震えが見られる。軽いけいれんを起こしている。
「もしもし、分かりますか?」
声をかけると、うめき声と共にほんのわずか、うなづく動作が見られた。
「もしもし……えっと、この人の名前は?」
「え……あ……」
「この人の、な、ま、え! 教えてください!」
「あ、ハインリヒ様です! シュガロ・ハインリヒ様!」
レミの後について部屋に戻ってきた美女は、初めは動転していたが、レミの強い口調に我に返り、ようやく成金オヤジの名前を口にした。
シュガロ・ハインリヒ? 成金オヤジのくせにそんなコジャレた名前なの?
まあ、生まれた時からオヤジではないしね。
そんな本人が聞いたら卒倒しそうな失礼なことを考えつつ。
現実には目の前でまさに卒倒しているシュガロ・ハインリヒ氏の状況把握が必要だ。
「えっと、シュガロさん? 聞こえますか? ちょっと触りますよ」
声をかけつつ、手首に指を添える。脈は早い。拍動はあるが、少し弱い。指先は冷たいが、全身は火照っている。発汗はない。
喘いでいて早いが呼吸も出来ている。火照っているわりには顔面蒼白ぎみだが、チアノーゼは起きていない。息からはアルコールと、他に甘い匂いがする。酸っぱさは感じないのでケトン臭とは違う。
声かけでうなづくし、微かだがまばたきもする。
「この人、どんな風に倒れたんですか?」
「え、あ、どんな風に?」
「立っていて倒れたのか、座っていてずり落ちたのか」
「あ、倒れたんです。立ち上がったら、急にふらふらっと」
船の上なので多少の揺れはあるが、ここ十数分の間に大きな揺れはなかった。
「倒れて、すぐにこんな感じに?」
「はい、助け起こそうとしたんですが、白目を剥いていて……」
「倒れた時に頭をぶつけたりはしていませんか?」
「あ、後ろのソファーに当たっていました」
「後ろ向きに倒れて?」
「そう、だったと思います」
レミはソファーに触れる。柔らかな弾力性があるが、立位から倒れてぶつければ、脳震盪くらいは起こすも知れない。頭を動かすのは慎重にしなければ。
後頭部に触れたが、特に腫れてもいないし、痛がる様子もないが、念のため注意した方がいい。
もっとも、最初に倒れた理由も気になる。
「シュガロさんに持病はありますか?」
「え、あ、ない……と思います」
ホント? どうみてもメタボリックシンドローム抱えていそうな体型なんだけど。
「シュガロさんの年齢は?」
「この新年で、確か、40歳だとか」
……あ、この言い方、やっぱり愛人?
となると、持病の有無も、下手したら正確な年齢も、当てにならないかもしれない。まあ、一般人の寿命が60歳代から70歳代のこの世界だと、40歳ってのは間違ってないのかも知れないけど。
ほとんど不老長寿の人間しか見ないのカロナー島で年齢に対する感覚がかなり麻痺しているレミにとって、見た目で判断するのは難しい。
あとは、発生前の状況把握か。
ソファーの横のテーブルには、飲みかけのワインボトルとグラスが置いてある。この世界では初めて目にした、無色透明なガラスのグラスだ。江戸切子みたいに装飾してあるいかにも高級なグラス。
そのグラスにもワインが入っている。
他におつまみ代わりなのか、砂糖菓子がこれもガラスの器に片手一杯ほど盛られていた。これが甘い口臭の元だろうか。
他には、ない。
「あの、その砂糖? のお菓子、それだけですか」
「あ、まだございます。ご希望であれば差し上げますので、どうか旦那様を……」
「いえ、欲しいわけじゃなくて……」
『貰えば? レミ、甘いもの好きでしょ?』
(違-う! 今はそう言う話をしてない!)
「お酒と、そのお菓子だけ、食べていたんですか? どのくらいの量?」
器に対して、菓子の量が少ない。まあ、上流階級の盛り付け方のマナーとかで、少なく盛ってあるのかも知れないが。
「旦那様は甘いものがお好きなので、お酒のあてはいつもこの砂糖菓子ですの。カラコルだと溶かして飲まれたり」
あ、分かる。カラコルって少し辛めだから……じゃなくて!
「で、量は? ……えっと、その器の大きさで言うと?」
「この縁までいっぱいにありましたので……半分以上は召し上がられていらっしゃるかと。私も少しいただいておりますけど……」
「一つ、いただいていいですか?」
『やっぱり食べるの?』
(だから違うって)
美女が器ごとレミに差し出すと、そのうちのひとつを手に取り、反対の手のひらの上で力を込めて潰す。
「……中まで砂糖ですね」
「ええ、旦那様のお気に入りですの」
少し誇らしげに、美女は微笑み。
「旦那様は砂糖の商いでは、フットレアでも名の知れた大商人なんですって」
「ということは、もしかして日常的に砂糖を多量に食べられていたわけですね」
「ええ」
これは、あれだろうな……。
「お客様、どうされました?」
美女の悲鳴を聞き付けた船員達がようやく部屋に駆けつけてきた。
「あ、ちょうどよかった。体を起こしたいので、手伝ってください。あ、頭を打っているみたいなので、ゆっくり、そっと」
船員二名がかりで、シュガロ氏の体を起こして貰い、クッションを当てる。他の船員に白湯と塩を持ってきて貰うと、カップに薄い塩水を作り、匙で少しだけ口に注ぐ。ゴクンと嚥下し、その後ムセや呼吸の変化がないことを確認すると、さらに塩水を飲ませていく。
そうしているうちに目付きがしっかりして、手を動かし始めた。
「シュガロさん? 分かりますか? お返事出来そうですか?」
「……はい」
「頭がくらくらしませんか?」
「少し……」
「吐き気はありますか?」
「いいえ」
「お水、もっと飲めそうですか?」
「はい……できれば甘いものが」
「ダメです」
不満そうなシュガロ氏だったが、介助を美女に変わって貰い、もっと飲むように言うと、渋々塩水を飲み下す。そのうち、自分でカップを持って飲めるようになった。
「あの、あとどのくらい飲んだら……?」
顔をしかめて塩水を飲むシュガロ氏の様子に困ったのか、美女が尋ねてくる。
「まあ、とりあえず持ってきて貰った分くらいは……ああ、もう白湯だけでもいいですよ。大丈夫、だいぶしっかりしてきたみたいだから。でも、砂糖はダメです」
泣きそうな顔になりながらも、観念したシュガロ氏は、大人しく水を飲み続けた。白湯の入ったピッチャーの容量は一リットルくらいなので、応急処置としては十分だろう。
「退魔師さま、一体何が起きたのでしょうか?」
船員の一人が、レミに事情の説明を求めてきた。
「おそらくですけど、水分摂取の不足と、糖分の過剰摂取ですね。ワインはそこそこ飲んでいたみたいですけど」
四分の一ほど残っているワインボトルを見てレミが尋ねると、美女はうなづいた。
「で、もう一つ。飲む前に、お風呂、入ってました?」
そう、特等客室には、浴室があったのだ。とは言っても、レミの切望していた浴槽ではなく、蒸し風呂が。
他に比べて妙に部屋が蒸れていると思ったのと、ガウンが湿っぽくなっていたが、肌が乾いていたので発汗ではなく、蒸気で湿っていたのではないか、と思いいたったのだ。
「はい。だいぶ汗をかかれていたので、下船前にさっぱりしたいと」
「でも、あまり白湯や水は飲まれなかったんですね?」
「白湯はお口に合わないから、普段からあまり召し上がらないんです。代わりにワインを飲まれて」
「で、大量に砂糖菓子を食べて」
「……砂糖は薬にもなるし、栄養もあると」
「……ものには限度があるんですよ」
おまけに、これは高級な精製糖だ。無精製の黒糖や赤糖に比べてミネラルは少ないと思う。
水分摂取不足と蒸し風呂での多量の発汗からの脱水状態に加え、多量の糖分摂取による高血糖状態。
転倒したのは、脱水からきた起立性低血圧の可能性が高い。普段の血圧は高そうだし。
持病はないと言っているけど、糖尿病の疑いもある。
その後駆けつけた船医にも同様の説明をすると、大きくうなづいて同意してくれた。
正直、まだ意識があってよかった。意識消失していたら、口から水分を取って貰うことも出来ない。
病院だったら点滴して補液出来るけど。というか、この世界ではまだ点滴・輸液なんて医療技術、開発されていないかも(船医に「意識がなかったら、水分体にいれるの無理ですよね?」と聞いてみたら「目が覚めるまで待つしかない」と言われたので、あるとしても末端には広がっていないと思われる)。
「なんだか、大変だったみたいね」
部屋に戻ると、カーマさんが出迎えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
テーブルに着くと、カーマさんがお茶を淹れてくれる。香草茶の香りが鼻をくすぐる。カーマさんの淹れる香草茶は変に薬臭くなくて、とても美味しい。
「あ、蜂蜜入っている」
「疲れている時は甘いものよね」
「…………そうですね」
その「甘いもの」のせいで、今回の騒動が起きたことを考えると、少し複雑な気持ちになるが。
「あんなに嫌がっていた男を助けるなんて、レミもお人好しね」
「あの時は夢中で。すっかり忘れていました」
「でも、レミにあんな医学の知識があったなんて……どこで教わったの?」
ギクッ。
島の巫女達も基本的な看護知識は教えてくれたが、今回のレミの対応はこの世界の基準ではかなり高度になるのだろう。
レミからしたら、血圧計も血糖測定器もなくて、正直自分の五感だけが頼りという不安だらけの対処だったのだけど。
船医も分かっていたところを見れば、決して医学レベル的に逸脱しているわけではなさそうだったが。
しかし、うっかりやってしまったが、失敗したかもしれない。
ほとんど反射的だったし、夢中だったから目の前で倒れている人を助けることしか頭になくて、他には何も考えず行動してしまったが。
まだ世間も知らない成人したての少女にしては、テキパキやりすぎたかも。
「いえ、あの……ローに聞いて」
『はあ? 僕教えてないけど』
(いいから、そう言うことにしておいて!)
とりあえず妖霊のせいにしておいてお茶を濁そう!
甘いはずの蜂蜜入り香草茶を啜りながら、苦い気持ちでのらりくらりとカーマさんの追及をかわし。
ようやく、テプレンの港に到着した。
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