第4話 熟女革命、うつのみや

    『熟女革命』


 その日、栃木県庁・庁舎前の大広場は歓声を上げる群衆の熱気に沸き返り、蜜に群がるアリのように黒一色に埋め尽くされていた。急速に勢力を拡大したアーマード熟女ウォーリアーによって完全に占拠されてしまっているのである。

 始まりは三日前だった。

 白昼堂々、およそ30名ほどの熟女戦士が姿を現した。軍団旗を掲げながら市内をデモ行進した彼女たちは、やがて県庁前に終結する。シュプレヒコールを上げ、投石などの行為を繰り返す彼女たちの様子は、駆けつけたテレビ局スタッフによってお茶の間に生中継された。


「では、中継をつないでみましょう。現地リポーターの西川田さん、どうぞ」

 収録スタジオから厚化粧の鉄仮面が呼びかけると、若い女性リポーターが突撃取材を敢行し、軍団の広報を担当している闇イエローにマイクを向けた。

「はいは~い、私はいま県庁前に来ておりま~す。ではでは、さっそくお話を伺ってみましょう。熟女の皆さんは県にどのような要求をなさっているのでしょうか?」

 イエローはカメラアングルと照明の当て方に細かい注文をしたあとで、こう宣言した。

「宇都宮市を男子禁制の聖域とするのです。すべての男どもを街から追放し、女性のみが暮らす女の理想郷を作り上げるのです」

「女の理想郷ですって! そんなことをしたら生活で困ることにはなりませんか?」

「なにも心配は要りません。食料や物資などの生活必需品は男どもに生産させ、年貢として納めさせます。逆らう者は我らが生かしてはおきません」

「でもでも、それで生活はなんとかなったとしても、やっぱり困るでしょ? イケメンがいない女だけの生活なんて、私には耐えられそうにありませんが?」

「あちらをご覧ください」

 イエローが指差す方向には脳改造されたワカサギ男や栃の木ボンバーズたち、さらにはこの数週間の間に行方知れずとなっていた、何十人という若者たちが鎖に繋がれて集まっていた。頭から三角の犬耳が生えていることを除けば、みな男前ばかりである。

「奉仕犬の準備なら既にできています。また今後は県内全域で美少年の捕獲を予定しています。彼らを再教育して炊事洗濯や身の回りの細々とした用事を担当させるのです」

「では皆さんの目指す理想の世界では、女性は飢えず、働かず、美少年とイケメンに奉仕されながら自由に暮らせるのですか?」

「まあ大体そんな感じです」

「な、なんて斬新な政治システムなのっ! 私、皆さんの意見に大賛成です。私も皆さんの仲間に加わることが出来ますか?」

「もちろんです。独身女性であれば誰でも歓迎しますよ」

「あのぅ、私には付き合っている彼氏がいるのですが・・・」

 レポーターが言葉を詰まらせると、闇イエローはお任せくださいと笑顔で応じた。

「ご不要になった古い彼氏は無料で引き取り、我々が責任を持って処分します」

「やった、それじゃ早速ですけど私も仲間に加えてください。彼氏はあそこで~す」

 そう言って女性リポーターはカメラマンを指さした。熟女戦士たちがカメラマンに向かって一斉に襲いかかる映像と彼の悲鳴を最後に、中継は途切れてしまうのであった。


 ざわめきがスタジオ内を支配していた。慌ただしく人の動く気配やスタッフの音声が飛び交う中で、厚化粧の女性アナウンサーだけが一人冷静を保っていた。

「テレビをご覧のみなさん、お聞きいただけましたでしょうか?」

 彼女は不意に立ち上がると生放送の最中にもかかわらず、フリルの付いた白いブラウスとアイボリーのスカートをパッと脱ぎ捨てたのである。

『うわぁっ』

 大胆にもほどがある。テレビの前の視聴者たちは思わず目をつぶり顔をそむけた。意を決した彼らが恐る恐る目を開けると、いつもの女性アナウンサーは熟女軍団が愛用するセクシーアーマーを身に付けており、カメラに向かってこう宣言したのである。

「このスタジオは我々の支配下に入るっ。女たちよ、さぁ立ち上がるのだっ!」

 今こそすべてを明かそう。

 栃テレの看板アナウンサー、鉄仮面のメグミン(47歳・独身)はエルマによって送り込まれた熟女軍団の秘密工作員であったのだ。軍団の活動を優先的に放送したり、戦闘地区にカメラマンを派遣したりと、軍団の活動を陰ながら支え続けていたのである。直後、武装した数十名の熟女が収録室に乱入し男性スタッフを連行していった。放送局は熟女によって制圧されてしまったのである。


 熟女宣言は主に三本の柱から成っていた。

『女性主権』『基本的熟女の尊重』『非平和主義』 以上である。

 女性を家事や育児から解放することに主眼が置かれたエルマの女性解放宣言は、稲妻のように県内を駆け巡り、在住の女性たちはこれを熱狂的に支持した。愛だの夢だのを口にしたがる薄っぺらい草食男子。仕事も長続きせず、すぐに辞めてしまう根性無しのゆとりボーイ。ファッションの意味をはき違えた装飾過剰のギャル男。ネット依存のニート。もうなんだか訳の分からん奴ら。栃木県だけに限った話ではない。今の世の中はそんな男たちであふれかえっているのである。

 衣食住を保証された理想の姫暮らしに女性たちは歓喜の声を上げた。とくに反響が大きかったのは、今回の騒動とは無縁と思われていた専業主婦たちであった。勝ち組と呼ばれ幸せそうに見える彼女たち。だがその心の中には、やり場のない不満が燻っていたのである。稼ぎの少ない亭主や反抗期の息子、定職に就かない息子、主婦同士の見栄の張り合いや塾の送り迎え、さらには年老いた親の介護など。彼女たちは結婚前に夢見ていた理想とはあまりにもかけ離れた生活に疲れきり、いつ果てるとも知れぬ家事や育児に爆発寸前のストレスを抱えて生きていたのである。エルマの言葉は自分の歩んできた半生を振り返り、改めて見つめ直すきっかけとなった。使用人や家政婦になった覚えはない。雑用にコキ使われて一生を送るのはゴメンだ。そもそも良妻賢母など男たちの作った身勝手な幻想ではないのか? 彼女たちは知らず知らずのうちに男の価値観を植え付けられていたことに気づき、その呪縛から解き放たれようと立ち上がったのである。憧れだった結婚指輪は輝きを失い、今や女性の自由を奪う象徴と成り変わった。エルマによって自由を手にするチャンスを与えられた主婦たちは、エプロンを脱ぎ捨てると亭主に離婚届を叩きつけ、あるいは書置きを残して次々と家を飛び出した。そして晴れて自由の身となった彼女たちは県庁前に集結し、エルマ軍団は瞬く間に数万人規模に発展していったのである。

 そのころ、闇ピンク率いる別働隊は男たちを手当たり次第に襲撃していた。イケメンは撲隷とするために連れ去られ、その他の者は市外に放逐されてしまうのである。

 追放されてしまった並の男たちは市の郊外で自炊生活を強いられることになった。意外に思われるかもしれないが、彼らは一言も文句を言わず素直に指示に従ったのである。結局のところ、安月給で死ぬまで働かされる生活は今までとどこが違うというのだろうか? 雇い主が会社から熟女に変わっただけであり、ひと月に支給される三千円の小遣いは以前と比べて多いと涙を流す者がいるくらいだ。また彼らは、本気になった熟女たちは戦って勝てる相手ではないことを経験で知っていた。彼女たちに逆らえば何倍にもなって返ってくる。それが怖かったのだ。抵抗を試みた男たちも僅かに存在したが、彼らは怒り狂った熟女たちによってあっという間に袋叩きにされ、手術室に送り込まれてしまった。反抗する者は従順な奴隷犬に脳改造されてしまうのである。

 立ち上がった女たちは強かった。エルマの要求を一言でいえば全男性の家畜化であり、奴隷制度の復活である。たったそれだけで世の中の全てが円満に解決するのだ。かつて繁栄を極めていた古代帝国が一夜にして滅んだように、驕り高ぶった男の時代は突然の終焉を迎えようとしていた。女性を神として崇めていた原始の姿へ。男の手から権力を奪い返す、熟女の独立戦争が始まったのである。テレビでは県内各地の様子が放送され、決起を促す呼びかけが続けられていた。

「女たちよ、さぁ立ち上がるのだっ!」


     『決断』


 準備中のプレートが掛けられた店内には、ショートホープの煙を燻らせながらテレビ中継に視線を送る男がいた。

 哀愁のジャズバー『サンレイ』のマスター(のちに伝説のヒーローと知る)である。

「小林さまは行かれないのですか?」

 マスターが問いかけても由紀は何も答えようとはしなかった。熟女宣言があってからというもの客足は途絶えてしまい、店内には二人きりである。三日前、フラリとやって来た由紀はずっと独りで飲み続けていた。いつものように惨めな自分を酔って忘れようとしていたのである。しかし今回はいくら飲んでもまったく酔うことが出来なかった。優しかった彼の笑顔ばかりが思い出されてしまうのである。

「失礼」

 マスターはそう言うとカウンター越しに手を伸ばして、いきなり由紀の横っ面を張り飛ばした。巻き添えをくらったショットグラスは壁に叩きつけられて粉々に砕け散る。不意を突かれたとはいえ、アンドロ人間の由紀が椅子から転げ落ちるくらい手加減の無い一撃であった。

「酔いは醒めましたか?」

 マスターは苦鳴を漏らす由紀のそばへ歩み寄ると手を差し出した。由紀はそれをピシャリと払いのけると、大声で喚き散らした。

「嗤いなさいよ、マスターもこんな結末になるって本当は思ってたんでしょ。私は利用されているのにも気づかないで浮かれていたバカ女なのよっ」

「本当にそうお思いなのですか? カズキさまが小林さまを利用なんてすることは絶対にありえません。なにかの誤解です」

「だって、自分はスパイだってハッキリと認めたのよ。くうぅぅっ」

「何があったのか、話していただけませんか?」

「うわぁぁぁ~ん!」


 由紀は何度もティッシュで鼻をかみながら、長い長い事の顛末を語り終えた。マスターはこれまでの経緯をすべて聞くと、深い溜息をひとつ吐きだした。

「正直に申し上げましょう。確かにカズキさまは内偵をしていらっしゃいました」

「ほら、やっぱりっ。もう当てつけに飲みまくって死んでやるるぅぅ」

「おっ落ち着いて下さいっ」

 マスターは由紀の手からボトルを取り上げた。本当に死ぬ気で飲まれたら、店の在庫などあっというまに空にされてしまう。必死に由紀をなだめながらマスターは言葉を続けた。

「実は目つきの悪い不良熟女たちが今回のような騒動を引き起こすのではないか、という風説はずっと以前からささやかれていたのです。そして先の国恋総会で熟女の動きを探るべく内偵を送り込むことが決まりました。カズキさまはその役を自ら買って出られたそうなのです」

「もう、どう見たって百パーセント計画的じゃないのっ。情報を得るために私に近づいてきたんだわ。んぐっ、んぐっ」

 由紀は高級ウィスキーのボトルを咥えて見事なラッパ飲みを披露した。マスターはもう制止することを完全に諦めて話を先へと進めた。

「だから違うんです。カズキさまは熟女たちに向けられた偏見にガマンができず、その無実を証明するために内偵を買って出られたのです」

 その言葉を耳にしたとたん、由紀の動きはピタリと止まった。彼女は頭の中でマスターの言葉を注意深く反芻ていたのだ。今の話しが本当ならばカズキに悪意は無いということになるばかりか、むしろ信頼していい熟女の味方であるということになる。固まってしまった由紀の手からボトルを取り上げたマスターは、タバコに火を点けながら半年前にカズキが来店した時の様子を語りはじめた。

「あれは確かイブの夜です。小林さまがお帰りになったあと、赤いハイヒール持ったカズキさまが現れて、興奮した様子でこうおっしゃっいました」

『マスター、天使って本当にいるんですね。やっぱ熟女最高だわ、ヒゃッホ~』

 残念ながらマスターが何を言っているのか、由紀には一ミリも分からなかった。ただ熟女を天使に例える男がこの世に存在することなど、由紀は今までに聞いたことも無かった。

「ご存知ですか? カズキさまは幼い頃にご両親を交通事故で亡くされているのです。寂しい幼少期を過ごされた彼は、母性を感じさせる年上の女性にしか興味を示さないマザコン野郎。つまり正真正銘のド変態熟女マニアに成長なさったのですっ」

「ド変態?」

「そうです。だから愛する熟女たちに向けられた疑いを晴らすことは、彼にとって当然の行動なのです。そして小林さまを愛していると言ったのなら、その言葉は間違いなく彼の本心なのです」

「だって、男はみんな若い娘が好きなんじゃないの?」

「小林さまに亡くなったお母さまの姿を重ねているのかもしれませんね」

「そんなの信じられません」

「では証拠をお見せしましょう」

 そう言うとマスターはカウンターへ戻り、照明のスイッチを操作した。小さなステージにパッと明かりがともる。まばゆい輝きの中に照らし出されたもの、それはカズキの白馬によく似た真っ赤なロードバイクであった。

「これは?」

「カズキさまが小林さまのために用意された最新のマシンです。二人で栃木県から交通事故を無くすんだと、楽しそうに話されていました」

 マスターは交通事故撲滅と印刷された腕章を由紀の腕に巻きつけた。するとそこから赤い閃光がほとばしり、由紀の姿は真紅のコスチュームをまとうロードスターに変身をとげたのである。

「どうしてカズキくんは正直に打ち明けてくれなかったの?」

 そう由紀がつぶやくと、「これは私の想像ですが」と前置きをして、マスターは自らの見解を口にしはじめた。

「どうやらカズキさまは、熟女たちが世界征服を企てているという確かな証拠を見つけてしまったようなのです。カズキさまは悩んでいらっしゃいました、このままでは戦争が始まってしまうと。カズキさまに残された手段は小林さまを安全な所へ隠すことによって、愚恋隊と国恋軍双方の争いからあなたを守ることにあったのです。今回のことはみな、彼の優しさが裏目に出てしまった結果なのです」

 マスターの推測は由紀にも思い当たるものがあった。いまになって思えば、カズキはエルマに直接会って、計画を止めるように説得するつもりだったのではないのか? そしてエルマが最初からカズキをスパイだと決めつけ、異常に警戒していたのも、秘密を持つがゆえの行動だと考えれば納得がいく。マスターは煙草の煙を吐き出しながら哀愁に満ちた眼差しを遠くに向けた。

「小林さま、ここからが正念場です。今あなたは運命を大きく変える分岐点に立っているのです。人生と言うものは一度きりです。さぁ、カボチャの馬車と素敵なドレス、ガラスの靴まで手に入れたではありませんか。あとは王子さまの待つ舞踏会に向かうだけです。会って彼の本当の気持ちを確かめるべきです」

「マスター・・・」


『そっちへ逃げたぞ~』

 店の外から熟女の怒号と慌ただしく路地を駆け抜ける複数の足音が聞こえてきた。暴徒と化した一部の熟女が市内各所でオヤジ狩りを行っているのだ。マスターの身に危険が迫っていた。もし彼女たちに見つかってしまえば命の保証はできない。

「もう時間がありません、私は行きます。今夜にも栃木県の運命が決まってしまうでしょう。どのような未来が待ち受けているのかは誰にもわかりません。ただ信じることをやり抜くだけです。私は小林さまを信じていますよ」

 由紀は哀愁を漂わせながら立ち去ろうとする、マスターの大きな背中を呼び止めた。

「ねぇ、マスターって魔法使い?」

「さぁ?」

 振り返ったマスターはダンディに片目をつぶって見せた。


     『最終決戦』


 舞台は再び県庁前に戻る。

 大広場の中央には盆踊りの櫓が組まれ、祭り太鼓が打ち鳴らされていた。たくさんの提灯が灯され、異様な熱気が辺りを支配している。エルマ主催の勝利の前夜祭が繰り広げられているのだ。籠城を続ける庁舎の窓からはその様子がつぶさに見てとれた。若い男性職員は戦うことも無くすでに投降し、いま庁舎内に残っているのは捕まれば追放間違いなしの中年オヤジばかりであった。市内の主要施設は次々と陥落し、バリケードによって道路が寸断されてしまったいま、市内各地から避難してきた彼らにとってここが最後の砦となっていた。彼らは徹底抗戦を叫び、するどく対峙を続けていた。ここに熟女とオヤジの最終バトルが繰り広げられようとしているのである。

 当初、庁舎前に集結した熟女は三十人程度の集まりにしか過ぎず、彼女たちを追い払うのは簡単なことだと思われていた。知事の呼びかけに応じて各地から集結した戦闘チームは愚恋隊討伐軍を結成すると、県庁前に向かって進軍を開始したのである。しかし占領されたテレビ局から決起の呼びかけが繰り返され、熟女宣言の内容が放送されるや状況は一変してしまったのだ。討伐軍は男女間で内部分裂を起こし、手の付けられない大混乱に陥ってしまったのである。その機に乗じてエルマが軍を動かした。熟女軍団の横槍によって女性たちは勢いづき、男性軍を完膚なきまでに壊滅させてしまったのである。

 エルマには秘策があった。すでに開発を済ませている暗黒クリスタル。それを巨大化させ、宇都宮タワーに据え付けていたのである。タワーを使い、エルマから生み出される腐のエネルギーを県内一円に送り込もうというのだ。その効果は男たちを犬のように従順にさせ、女性たちには心の中に眠らせている腐の感情を刺激するのであった。女性たちは高々と掲げられた恋隊旗の元へ駆けつける。頼もしい味方を得たことにより熟女たちの士気は大いに盛り上がった。


「救援はまだか?」

 庁舎3階に設けられた緊急対策本部。でっぷりとした体躯を五月人形よろしく鎧兜で固めた栃木県知事は、憔悴しきった様子で声をあげた。

「まもなく機動隊が到着する予定です」

 情報は混乱し錯綜していた。通信設備が破壊され、外部との連絡が全く取れない状態が続いているのだ。そのころ治安の要ともいうべき栃木県警察本部は、武装蜂起した婦人警官らによって占拠されており、男性警官との間に激しい銃撃戦が行われていたのである。

 宇都宮に駐屯する陸上自衛隊は知事からの要請を受け取ると、直ちに暴動鎮圧のための出動準備に入った。だがこの時すでに正門前には多数の熟女が集結しており、逆にいつ襲撃されてもおかしくない緊迫した状況が続いているのであった。熟女たちからすれば、ここは若い男がよりどりみどりのパラダイスである。隊員たちはみな恐れを抱いていた。いかに勇猛果敢な彼らでも、舌舐めずりして待ち構える飢えた熟女の群れに飛び込めばどうなるか。怖じ気づいてしまったとしても無理はあるまい。

 最後通牒を突きつけられたオヤジたちに、もう打つ手は残されていなかった。総攻撃開始の時間は刻一刻と近づいていた。深夜零時までに返答が無ければ、日の出と共に総攻撃を開始する段取りとなっている。いまや栃木の女王を名乗り始めたエルマを止めることができる有力な勢力など、県内には存在しないのである。

『こんな時、あの男さえいてくれたら・・・』

「知事、奥様からお届け物です」

 その声が知事の思考を途切れさせた。職員に手渡された茶封筒の中に入っていたのは、予期していた離婚届であった。あわてて窓辺に駆け寄り双眼鏡を覗いた知事は、群衆の中に妻と娘たちの姿を発見するのであった。

「こ、これまでだ・・・」

 封筒から滑り落ちたプラチナリングは、床の上を転がり鈍い光を放った。


 深夜零時を待たず、知事は無条件降伏と熟女宣言の受諾を決定した。掲揚ポールから県の旗が下ろされ、代わりに降伏をしめす白旗が掲げられた。女性たちは肩を組んで軍団の第2テーマソング「熟女のレクイエム」を大合唱した。夫の浮気に泣かされ続け、ゲス不倫に人生を翻弄されてきた老女は、この日が来るのを待っていた、長生きして良かったと涙ながらに語るのだ。

 歓喜の声が満ちる大広場。そんな湧き立つ群衆の後ろから、キィーッっと急制動をかける自転車のブレーキ音が上がった。焦げたタイヤのゴム臭が辺りに充満する。真っ赤なロードバイクから真紅のコスチュームを纏った超人戦士が降り立った。彼女の表情はヘルメットとバイザーに遮られて見えないが明らかな闘気を発していた。

「誰だ、お前はっ」

 誰何された真紅の女戦士は取り囲んだ正門守備隊を一瞥すると、こう言い放った。

「私の王子さまを返してもらうよ」

「なんだとっ」

 女戦士は守備隊に襲いかかり、ヘルメットの一閃で次々と薙ぎ倒していった。

「敵だぁぁ~っ」

 敵襲を知らせるサイレンが大気を震わせた。深夜の武道会が幕を開けたのである。大地を埋め尽くすような熟女の群れは正門に押し寄せ、女戦士を幾重にも取り囲んだ。彼女たちは定番の釘バットや角材をはじめ、それぞれが凶悪な道具を手にしていた。

「女王陛下の御前である、みな控えよっ」

 凛とした少年の声が届くと、熟女たちは動きを止めて左右に別れた。熟女が作った一本道の先から、美しく着飾った美少年たちに担がれた豪華な神輿が現れる。その上に設えられた玉座には、ゆったりと腰をかけたエルマの姿があった。彼女は招かざる客に向かい、いぶかしげに声をかけた。

「見慣れぬ顔だな、何者だ?」

 女戦士がバイザーを外すと、エルマの表情には笑みがこぼれた。

「おぉぅ、由紀ではないか。どうしたのだその恰好は? 迎えにやった者から姿を消したと聞いて心配していたのだぞ」

 エルマとは対照的に、由紀は表情一つ変えずに声を張った。

「ドクターインパ、宇都宮の新行政システム拝見させていただいたわ。実に見事! 敬服いたします。でもあなたの理想郷には一つだけ足りないものがあるわ。それが何かお分かりかしら?」

 友好的とは言えぬ由紀のただならぬ様子が、エルマの表情を険しいものに変えた。二人の視線は空中で交わり、バチバチと熱い火花を散らした。

「あなたの理想郷に足りないもの、それは愛よ。愛のない世界では人は生きることなど出来ない。男と女は互いに人生を支えあう大切なパートナーなの、家畜みたいに力で支配するものではないわ。さぁ、そこから降りていらして。私のパンチであなたの心に愛を取り戻してさしあげます」

 由紀は特殊合金製の戦闘用チェーンをきつく拳に巻きつけた。チェーンナックル。それは恐るべき破壊力を秘めた由紀の新しい必殺技である。

「はははっ、何を言うかと思えば下らん。由紀、愛などただの幻覚だ。脳内の化学物質が見せる誤った認識にすぎん。それより見よ、追放された男どもの無様な姿を。女がいなければ一人でコメも炊けん、洗濯も出来ん。自分では何ひとつ出来やしない、まるで子供と一緒ではないか。そのくせ夢だロマンだと言ってはギャンブルに金をつぎ込み、若い女の尻を追いかける。こんな愚昧な生き物に振り回され、たった一度しかない人生を棒に振るなど笑止千万! 泣かされ続けた女の恨み、お前も骨身に染みて知っているはずだっ」

『うおおおぉぉ~~~』

 軍団は鬨の声を上げてエルマの言葉に賛意を示した。エルマは片手を上げて一同を制すると由紀に問いを投げかけた。

「ひとつ気付いた事がある、なぜ私はこの歳になっても理想とする男性に巡り合うことができないのか? それはお前と初めて出会った夜に語り合ったような、人生を捧げても悔いはないと思える本物の男など、もうこの世から死滅してしまっているからだっ。まったく、男どもはいつからこう女々しい軟弱者に成り下がったのだ。我々に噛付くような骨のあるヤツは一人もおらん、それどころか媚を売ろうとさえする始末だ。奴隷犬なら奴隷犬らしく、主人の顔色をうかがって尻尾を振っておれば良いのだ」

『うおおおぉぉ~~~』

 軍団は再び鬨の声を上げてエルマの言葉に賛意を示した。

「由紀、何があったのかは知らぬが、バカなことは考えずに戻ってこい。お前には特別にプレゼントを用意しておいたのだぞ。さぁ受け取るがいいっ」

『ピィィィィーッ』

 エルマが指笛を吹くと、群衆の中から一匹の白い大型犬が飛び出して由紀の元へ駆け寄ってきた。三角の両耳をぴんと立て、くるりと巻いた尻尾を振る・・・ いや、違うっ!

 それは一言の弁解も許されぬまま犬人間に改造手術されてしまった、カズキの変わり果てた姿なのであった。忠犬と化したカズキは喜びを隠そうともせず、忙しく尾を振りながら由紀の足元にじゃれつき、飛びついて頬をなめようとする。そんなカズキに由紀は厳しい口調でひとこと命じた。

「お座りっ!」

「わんっ」

 由紀はエルマを見据えた。睨み合う両者。どちらの瞳にも一歩も引かぬ強い意志が込められている。

「愛に怯えないで、あなたが本当に望んでいるのはこんな世界ではないはずよ」

「怯えるだと、この私がか? ふんっ、お前なら分かってくれると思っていたのだがな・・・ よかろう、それがお前の信念ならば、選んだ道であるというのなら仕方がない。愛など無用のものだと思い知らせてやるだけだ。お前たち、行けっ!」

『うおおおおぅ~~っ』

 エルマの胸元で暗黒クリスタルがひときわ輝いた。大群衆が怒涛の勢いで由紀の元へ押し寄せる。地面が波を打ったように大きく揺れる。由紀はその両目から二億四千万度の超高温を誇る破壊光線、エキゾチック・ビームを解き放った。大気は一瞬にしてプラズマ化して大規模な爆発を起こす。県庁前の大広場は灼熱の火焔地獄となったのである。だがしかし、その爆炎を持ってしても熟女の突進を止めることは出来なかった。恐ろしい形相で迫り来る熟女たちは、地獄の底から這いあがってきた亡者の群れを見ているようである。理想郷建設のため、底知れぬパワーと恐るべき執念をまざまざと見せつける彼女たちに、どうか一言だけ言わせて欲しい。君たち、いい加減にしなさいっ!

「はぁぁぁっーーー」

 由紀は5番ポジションから華麗な足捌きで体をスピンさせた。足元に生まれた小さな気流は猛烈な勢いで成長する。由紀は巨大な竜巻を発生させたのだ。

『デッド・ハリケーン』

 竜巻は爆炎をも飲み込んで、さらに勢いを増していく。風は雲を呼び、嵐を引き起こした。稲妻が光り、大粒の雨をもたらす。しかし決して吹き荒れる烈風に目を凝らしてはならない。その中では強風によって戦闘服を剥ぎ取られてしまった全裸の熟女たちが、木の葉のように舞っているからだ。この世のものとは思えない恐ろしい光景であるが、白い犬人間だけはハァハァと息を荒げていた。

 由紀の前に闇ピンクと闇イエローが立ちはだかった。

「由紀さま、正気になって下さい」

「うぉりゃぁぁぁーーー」

 由紀のチェーンナックルがピンクの顔面を捉え、イエローの腹を抉った。その凄まじい威力は下着一枚だけを残して、彼女たちのコスチュームを完全に吹き飛ばしてしまった。

 由紀の前にスーパー・トラウト娘が立ちはだかった。

「お姉さま、お気を確かにっ」

「うぉりゃぁぁぁーーー」

 由紀のチェーンナックルがヒメの顔面を捉え、レインボーの腹を抉った。その凄まじい威力は下着一枚だけを残して、彼女たちのコスチュームを完全に吹き飛ばしてしまった。

「お姉さまっ、もうどうにでもして下さいぃぃ~っ」

「うぉりゃぁぁぁーーー」

 由紀のチェーンナックルがブラウンの顔面を捉え、ヤシオの腹を抉り、パーレットの脳天を直撃し、レイクの尻を割った。その凄まじい威力は彼女たちのコスチュームを跡形も無く、木端微塵に吹き飛ばしてしまったのである。鬼神の如き強さを見せる無敵超人ベルモール1号。本気になれば文字通り無敵なのだ。

「皆、下がれ」

 そう声をかけ、ついに神輿の上からエルマが降り立った。自らが作り上げたバーバロイドの戦闘力を見届けたエルマの表情には、どこか満ち足りた笑みが浮かんでいた。

「由紀、強くなったな」

「愛が私を変えた、お前も変われっ」

「うぉりゃぁぁぁーーー」

 由紀とエルマの一騎打ちが始まった。由紀のチェーンナックルがエルマの顔面を捉え、その腹を抉った。その凄まじい威力は下着一枚だけを残して、エルマのコスチュームを木端微塵に吹き飛ばして・・・ とはならなかった。 ホッ。

 必殺チェーンの一撃を喰らい庁舎の外壁に叩きつけられたエルマは、崩れ落ちたコンクリートの固まりの中から平然と立ち上がったのである。

「ふんっ、こんなものか」

「なんで立ち上がれるの?」

 由紀は驚きを隠しきれなかった。本気で殴った。手ごたえは十分にあった。完全に素っ裸だと思っていた。しかしバラバラになったのは由紀のチェーンの方だったのである。

「フッ、お前と私では寂しさに耐えてきた年月が違うのだよ。孤独が私を強くしたのだ。この程度の痛みなど、私がこらえてきた苦痛や心に負った傷に比べれば取るに足らんっ! こんな風に私を変えてしまったあの男を、私は一生許さないぞっ。恨んでやる、呪ってやる、祟ってやるぅぅ~っ、ぐうぉぉぉ~~っ」 怖っ。

 エルマから放出される腐のエナジーが急激に膨れ上がった。暗黒オーラが栃木県全土を覆いつくしてゆく。彼女の姿はラスボス感あふれる、いっそう邪悪なものに変化していった。いよいよファイナルステージへの扉が開かれたのである。

 エルマが一気に攻勢に出る。激しい打撃を交わし合う両者。関東の北辺に咲いた二つの花は大観衆の前で華麗に舞った。パワーアップしたエルマの攻撃は由紀にダメージを与え続けた。何度も叩きつけられ踏みつけられた由紀は、とうとう身動きが取れない状態になってしまった。苦しまぎれに放ったベルファイアーも、エルマは暗黒瘴気の翼で宙へ舞いあがり軽々とかわしてしまう。エルマは上空から暗黒砲を発射する。由紀はとっさに逃げようとしたが、その体はもう言うことを聞かなかった。ダメだ、直撃するっ!

「ワワワンっ(由紀さんっ)」

 由紀のピンチを見てとったカズキは身を隠していた繁みから飛び出すと、両腕を大きく広げて由紀の前面に立ちふさがった。決意に満ちた真剣な表情の犬人間。特大の暗黒砲はそのままカズキに命中した。

『どっかぁぁぁ~んっ!』


「信じられん、なぜだ?」

 エルマは思わず唸った。脳改造を受け、忠実でおとなしい奴隷犬と化したカズキが、命令もなしに自分の意志で行動するなどあり得ないことだったからである。

「ウオォォォーーーーーーォォーーン」

 犬人間が遠吠えをすると、雲のすき間から月が顔をのぞかせた。月光を浴びたカズキの肉体は急速に変化をはじめた。分厚い鋼鉄をも切り裂く鋭い爪。敵を噛み砕く獰猛な牙。その姿はもはや犬ではなく狼と呼ぶべきだろう。

「ガるルルゥゥゥゥッ」

 人狼と化したカズキは牙を剥き、エルマに向かって威嚇の唸り声を上げた。だがそれでもエルマは落ちつきはらって、まったく動じる気配を見せなかった。

「飼い主に刃向うつもりか? ふんっ、いい度胸だ」

 エルマは腐のエネルギー弾を連続で発射する。カズキはそれを真正面に浴び続けた。もしカズキが避ければ、弾は由紀を襲うからだ。人間サンドバックと化したカズキは根性で耐え続けていたが、ついには力尽き、ダラリとその場に崩れ落ちた。

「あぁっ、カズキ君っ!」

 由紀は鮮血に染まったカズキの体を抱き締めた。それでも愛する者を守らんと、カズキは再び立ち上がろうとするのである。

「もういいわ、カズキくん。私が悪かったの、私が悪かったのよっ」

 カズキがどんな思いで由紀に近づいたのか、もうそれを確かめることはできない。犬人間には質問に答えるだけの知能が残されてないからだ。しかし確かめる必要がどこにあるというのだろうか、彼は行動で答えを示したではないか。由紀はカズキを疑ったりした自分を責めた。そしてエルマに向かって声を上げた。

「もう止めてっ、こんな事は間違っているわ。あなただって本気で人を愛したことがあるのなら分かるはずよ、思い出してっ」

 暗黒の翼を折りたたんで地上に降り立ったエルマは、由紀の言葉を耳にして思わず歩みを止めた。そしてあのとき我が身に起きた出来事を振り返ったのである。


 破局・・・

 彼が妻子持ちだと知ったとき、エルマの思い描いていた幸せな未来は音をたてて崩れさった。連日ワイドショーに取り上げられ、写真週刊誌からの激しいバッシングにもさらされ、世間からは笑い者にされた。EVОまで公にしてしまった彼女は、東京進出という夢と生活の術を同時に失ってしまったのである。

 エルマにはもう何も残されていなかった。抜け殻のような毎日を送る中で、ふと気が付くとエルマは彼の子供を街外れの墓地へ連れ出していた。無意識に彼の一番大切なものを奪ってやろうと考えたのかもしれない。幼いながら彼と目元がそっくりな少年だった。この細い首をちょっと捻るだけで、少年のか弱い命など簡単に消えてしまうだろう。大切な人を失ってしまった自分の悲しみを彼に少しでも知ってほしい、エルマの願いはただそれだけだったのである。

 だが少年の肩に手をかけたとき、エルマはある異変に気づいてしまうのだ。視力を透視モードにして胸部のスキャンを開始する。その結果、少年は当時の医学では完治が困難な病に侵されていることが判明するのである。彼が執拗にEVОを求めた理由がここにあったのだ。彼は我が子のために超細胞の秘密を欲していたのである。私利私欲のためにEVОを盗んだのであれば復讐するまでだ。だが愛する者を守るためにやったのであれば・・・ 全ての真相を知ったエルマは、もう本心から彼を憎むことが出来なくなってしまったのである。


「愛を失ったとき、私は苦しんだ、悲しんだ。そして虚しさだけが残った。醜い感情に心を支配され、完全に自分を見失ってしまった。失恋がこんなにも辛い思いであるのなら、もう二度と誰も愛さないと私は誓ったのだ。愛など要らぬ、愛など望まぬ。初めから愛さなければこんな思いはしないで済む。独占したいと思う心が争いを生み、束縛したいと思う心が嫉妬を生む。由紀、愛とは人が乗り越えなければならない業なのだ」

 エルマの手の中で特大の暗黒球が唸りを生じながら回転していた。すっかり元の犬人間に戻ってしまったカズキは由紀に抱きつき、尻尾を巻いて怯えていた。

「ワワワン、クンクン、クゥ~ンっ(由紀さん、痛いよ、怖いよ、助けて~)」

「カズキくんっ」

 由紀とカズキの二人はもう二度と離れ離れにならないよう、お互いの体をしっかりと抱き締め合って最後の瞬間に備える。その様子を見てエルマは宣言した。

「由紀、お前の負けだ」

 勝負あった。決着はついた。愛は敗れ去ったのだ。遠巻きにしていた兵隊が二人を捕えようと四方から押し寄せる。

 その時だった・・・


『ブオォォォーン、ブオォォォーン、ブロロロローッ』

 獅子の咆哮を思わせる勇ましいエンジン音が広場に轟いた。白煙をまき散らしながら正面ゲートを突破して姿を現したのは一台の古いバイクであった。庁舎ビル屋上に設置されたサーチライトが純白のコスチュームに身を包んだ人物を闇に浮かび上がらせた。それは栃木県内最強の戦士と謳われながら、忽然と姿を消した伝説のヒーローであった。紅葉する山々を思わせる真紅のマントを翻しながら見事な曲乗りを披露した男は、マシンからすわと降り立つと大音声で名乗りを上げた。

「栃木を守る正義のヒーロー。いつもニコニコ、日光仮面EVО。見参あぁぁーんっ!」

 それは夢のような瞬間だった。レジェンドが再び蘇ったのである。世界遺産登録の大立役者。ときにサル軍団を従えて戦う彼の雄姿は、県民の目蓋に今も焼付いている。男はおもむろに覆面とサングラスを外した。誰も知らないその素顔が初めて人々の前に明かされようとしているのだ。日光仮面EVОの正体とは? 皆さんもうお気づきでしょう。そうです、もちろんあの男ですっ!

 哀愁のジャズバー『サンレイ』のマスター(のちに伝説のヒーローと知る)である。

「バカなことは止すんだ」

 マスターは深い哀愁をたたえた眼差しを一同に向けた。その背後では忍びに扮した三匹の日本猿がバイクのリヤシートから飛び降りて、周囲に警戒の目を光らせている。只者ではない気配。まさに威風堂々。底知れぬ重圧感を纏い、存在そのものが脅威であった。真打の登場に熟女コマンダーは再び戦闘隊形を作った。必殺、車懸かりの熟女陣・10回転。これに耐え抜いた男は未だ一人もいない。だが数々の戦場をくぐり抜けてきた古強者は、これだけの敵に囲まれてなお、全く動じる気配を見せない。

「ふんっ、今ごろ現れてなんのつもりだ?」

 エルマにそう問われると、マスターはちょっと戸惑った様子を見せ、俯きながら恥ずかしそうに頭を掻いた。

「いや、その・・・ エンジンがかからなくてな・・・」

 しらけ切った一同の反応を前に、マスターはひとつ咳払いをして場の空気を仕切り直した。そして再び哀愁を宿した瞳でエルマを真っすぐに見つめると、思いもかけない言葉を放ったのである。

「妻とは別れたよ」

「えっ」

「正式に離婚が成立したんだ」

 マスターは左手の革グローブを外した。確かにその薬指にあった指輪は外されており、その武骨な太い指には、拘束されてきた歳月を物語るように赤黒い跡が刻まれていた。静かに歩み寄るマスターに対して、エルマは怯えた表情を見せると二三歩後ずさった。

「やめろっ、来るなっ」

 体を焼き尽くすような灼熱感、決して抗うことの出来ない巨大な引力に、エルマは戸惑っていた。慌ててバイクを修理してきたのであろう、よく見るとマスターの額にはオイルの汚れが擦り付き、極太の一本眉になっていた。

(ドっキューーーーン)

「うぅっ」

 エルマは苦しそうに顔をしかめると胸元に手を当てながら身を屈めた。

「待たせたな、すまん」

 マスターはその逞しい腕で傷ついたエルマの体を抱きしめた。彼は全てを見抜いていたのである。強がりを言ってはいるが、今のエルマは立っているのさえやっとだということを。全てを一人で背負いこみ気丈に振る舞ってはいるが、本当は誰よりも支えてくれる者を必要としていることを。マスターの逞しい胸に半ば埋もれ、エルマの表情は見えない。

「うっ、苦しい。放せっ」

「嫌だっ」

「放せ、このやろー」

 なんとか逃げ出そうともがくエルマを、マスターは力いっぱい抱きしめて叫んだ。

「嫌だっ、もう一生放さないぃぃっっ!」

(ズドキューーーーン)

 エルマの抵抗が止んだ。

 マスターが放った魔法の呪文は、エルマが身につけていた心の鎧を粉々に打ち砕いてしまったのだ。強度限界に達した暗黒ボディアーマーは強制的に解除されてしまう。熱い抱擁に永かった男氷河期がやっと終わりを告げ、凍れる地平線から身を焦がさんばかりの太陽が昇ったのである。エルマはマスターの大きな背中に腕をまわすと、今にも泣きだしそうな声でこうつぶやいた。

「・・・ばかやろぅ」

 スレイブ解除。エルマが身に付けていた暗黒水晶が音をたてて割れると、宇都宮タワーに取り付けられていた巨大水晶球もそれに共鳴して粉々に砕け散った。腐の連鎖が途切れ、熟女戦士たちは次々と平静を取り戻してゆく。全てを見届けた彼女たちは、マスターとエルマの二人に惜しみない拍手を送った。彼女たちは愛がもたらした奇跡の瞬間に深い感銘を受けていたのである。地平線から姿を現した朝日がまばゆい光芒を放ち、すべてをオレンジ色に染め上げた。壮麗なエンディング曲にあわせてクレジットがロールアップする。よく分からないけど、みんな泣いていた。よく分からないけど、みんな感動していた。よく分からないけど、すべてが丸く治まりそうだ。愛に言葉などいらない。説明は不要だろう。こうして、大都界・宇都宮は愛と平和を取り戻したのである。



 ・・・・・・と、誰もが思った。



「おめでとう、裏切者っ」

「ばかやろー、お幸せにっ」

 一人の女が永い苦難の末につかみ取った幸せをみんなで祝福した。嵐のような拍手と歓声はいつまでも鳴り止むことはない。その熱狂の坩堝と化した県庁前に、聞き取れぬほどの小さなツブヤキが生まれたのである。

「・・・ジョージ?」

 その声はさざ波のように熟女たちの間を伝播しながら次第に数を増し、やがて抑えようのないほどに膨らんでいった。

「ジョージ」

「ジョージ」

「ジョージっ」

「譲治っ」

「譲治さまっ!」

 女泣かせのジョージこと、平松譲治(67才) それがマスターの本名である。何やらいわくあり気な女たちがマスターの元へ殺到する。それは驚くほどの数にのぼった。

「ジョージ、養育費が止まっているわっ」

「あなたの娘よ、認知して」

「私の人生を返してっ!」

 女たちによって新たな戦乱の火種が次々とまき散らされていった。

「ななななっ、なんだ?」

 エルマは押し寄せる女たちによって完全に輪から弾き出されてしまった。

「バッカヤロォォォーーーッ、これだから男ってヤツは理解できんのだぁ~」

 尻餅をついたエルマの顔に朝日がまぶしく差し込んだ。


    了

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熟女ウォーズ エルマの野望 @nanaisann

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