第2話 超人祭りだ、うつのみや

    『初陣』


『ギョウザの消費量日本一のまち・宇都宮市』

 その存在をすっかり忘れ去られ、人々の話題に上ることもニュースに取り上げられることもほとんどない。そんな全国で一、二を争うほど知名度が低い地方都市が一躍世間の脚光を集めるようになったのは、この輝かしいタイトルがあったればこそだ。

 以来、その味を確かめようとガイドマップを手にした多くの観光客が街を訪れるようになった。大型観光バスは車列を連ね、人々は有名店の前に長い列をなした。降って湧いたような未曾有のできごとであった。宇都宮にミニバブルが到来したのである。急増する需要に応えるために大規模で近代的な加工工場が次々と建設され、生産ラインではギョウザをひたすら包み続けるという過酷な単純作業が行われていた。地域のために活躍するギョウザ職人はユーチューバーに次ぐ花形の職業となり、小学生の将来なりたい職業ナンバーワンにも輝いた。ところが、その栄華は長くは続かなかったのである。日本一のタイトルが宿命のライバル、浜松市に奪われてしまったからである。観光客の足が途絶えてしまっては、それをアテにオープンした店などとても持ちこたえることは出来ない。一時は遠く県外にまで出店していたギョウザチェーンも、今はリサイクルショップへと転業せざるを得ない苦境に追い込まれてしまった。巨額の設備投資が経営を圧迫し、店舗や工場の倒産が相次いだ。街は大量の失業者で溢れ返り、市の財政は悪化の一途を辿ったのである。このままの状況が続けば宇都宮は上三川町か高根沢町あたりに吸収されてしまいかねない。今にして思えば、シンボルとして作ったギョウザ女神の石像が運搬中に台座から転落して胴体から真っ二つにへし折れてしまったあの事故が、未来を暗示する悪い前兆であったと地元の人々は噂しあっていた。

「ちくしょう、浜松市めっ」

 日本一奪還に燃えるギョウザ協会は観光客を呼び戻そうとあらゆる対策を講じた。俗にいう第一次ギョウザ戦争の勃発である。そしてその結果は惨憺たるありさまであった。焦りのために完全に方向性を失った宇都宮ギョウザは、マスコミ受けする巨大化・高級化へと暴走を続け、悲願のタイトル奪還は三年連続で失敗してしまったのである。

 なぜそれ程までにギョウザに拘るのか? 他県民は首を捻るだろう。誤解なきよう一筆書き加えるならば、断じて『他に誇るものが何も無いから』ではないぃぃっ! たかがギョウザと言うなかれ。熱々の鉄板の上で弾けるゴマ油の音を子守唄代わりに聞き、パリッパリに焼けた皮の香ばしい香りに包まれて育った宇都宮市民にとって、それはもはや単なる食品にあらず。ギョウザは宮っ子たちの血と肉であり魂であり、明日への活力の源なのである。ことギョウザに関しては、日本はおろか世界のどこにも負けないという強い思いを持っている。その誇りを傷つけられ、心の拠りどころを失った市民はすっかり生きる勇気を無くしてしまったのであった。街は再び人類の記憶から消滅しようとしていた。宇都宮は存亡の危機に直面したのである。

 宇都宮ギョウザ協会はこの事態に対処すべく、幹部を集めて緊急会議を行った。その結果、『日本一』の部分を『関東一』に書き変えるという苦肉の案を採択するに至った。ギョウザの味に関しては絶対の自信がある。このまま何事も無かったかのようにひっそりと時をやり過ごせば、いずれ見直される日が来るだろう。何事にも消極的で事なかれ主義の県民性が一歩踏み出すことを躊躇わせてしまうのであった。

 そのころ市の観光振興課ではギョウザに代わる消費量日本一は無いかという、新たな模索が始められていた。全国各地の自治体が次々と消費量日本一のPRを始め、マスコミがそれを面白おかしく取り上げる事態に彼らは強い危機感を募らせていたのであった。もうこれ以上の時間を割くわけにはいかない。消費量日本一という新たなジャンルを確立させた元祖として、この急場をしのぐインパクトのある策が求められていたのである。

 そんな切迫した状況のもと、ある男が冗談で言った一言が事態を思わぬ方向へ急変させることになった。

「ドリアンなんかどうだんべ?」

「ドリアン?」

 それは強烈な腐敗臭を放つ東南アジア原産の狂った果実。リアル悪魔の実。各地で持ち込みや販売が禁止され、厳重な管理が義務付けられているフルーツ界の王である。クリームチーズのようにねっとりとした舌触りと濃厚な味わいに魅入られたら最後、もうドリアン無しでは生きてはいけないと言われている。そんな誰もが恐れて近づこうとしない危険食材を、こともあろうにあえて喰らう。お笑い芸人の罰ゲームにも等しい、前代未聞の挑戦を始めようというのである。

「ちっと待てっ、みんな落ち着くべ」

 なぜ栃木県と何のゆかりもない南国フルーツをわざわざ食わねばならぬのか? 当然のごとく内外から激しい批判が湧き上がった。しかし、もはや冷静な判断など下せなくなっている強硬派たちは一切耳を貸さず、この暴挙は実行に移されることになったのである。誰も挑戦しないことに勝機を見出した捨て身の策であった。裏を返せば、それほどに追い詰められていたのだとも言えよう。日本一奪還は宮っ子たちの悲願。ふたたび街に輝きと観光客を取り戻すのだっ。

 人々の心配をよそに、ドリアン祭り実行委員なる組織が新たに結成されると、真っ赤な祭り半被と防毒マスクを装着した彼らによって祭りの準備は着々と進められていった。

 惨劇の舞台に選ばれたのは北関東屈指の規模と歴史を誇る、アーケイドに覆われた歩行者専用の商店街『オリオン通り』であった。全長500メートルに及ぶ通りの両サイドには様々な業種の商店が軒を並べ、永きに渡り市民の食やファッションを育んできた。

 厳重な警備が敷かれるなか、大型トラックによってドリアンは次々と会場に運び込まれる。またこの祭りに合わせて、親善大使を務めるドリアン男爵が生産地から初来日を果たした。男爵の降り立った福島空港は異臭騒ぎにより一時閉鎖する騒ぎになったという。

 実行委員メンバーは家々を一軒一軒回って住民に参加を呼びかけ、職人たちは苦心の末にドリアン入り焼きギョウザの開発に成功する。完熟ドリアンの早食い。搾りたてフレッシュ果汁の一気飲み。各部門の優勝者にはドリアン男爵から直接トロフィーが授与され、副賞としてドリアン一年分が送られることが決定した。祭りのメインイベントは全長108メートルもあるドリアン海苔巻を参加者全員で作り、ギネスに登録されることである。彼らが目指すのは世界の頂点だ。

 そして今日、報道陣の見守る中。市が企画したイベント、ドリアン祭りはめでたく開催を迎える運びとなったのである。『ドリアンの消費量宇宙一』を目指し、宇都宮市民五十一万人が総力を結集してこの過酷なミッションに挑むのだ。会場となった特設ステージは静かな緊張と興奮、そして卒倒せんばかりの危険な香りに包まれていた。誰もが生きては帰れないと覚悟した絶望的な戦いが幕を開けようとしていたのである。


『いざ、宇都宮っ』

 ここに強硬派の暴走を苦々しい思いで見つめる人たちがいた、ギョウザ組合穏健派の面々である。伝統と格式を重んじる彼らの目には、ドリアン入り焼きギョウザを宇都宮ギョウザのレパートリーに加えるなど許すことのできぬ暴挙と映ったのである。彼らはこの事態を食い止めるべく各地に救援を求める早馬を飛ばした。すると鉢の木の故事で有名な佐野何某さながら、その呼びかけに県内各地のご当地サークルが次々と馳せ参じ、やがて反ドリアン連合軍を結成するに至ったのである。この場を借りて宇都宮ギョウザの味と伝統を守るために集いし勇者たちをご紹介しよう。

 まず最初に名乗りを上げたのは、『爆乳天使☆ミルキーフォースGT』である。生乳の生産量本州一を誇る栃木乳連に所属する、選りすぐりの巨乳美女で構成された三人組のアンドロ戦士だ。乳製品の消費拡大をピーアールする彼女たちのイベントは毎回大盛況であり、特に県内のお父さん世代からは絶大な支持を集めている。

 次に生産量日本一。いちご生産者協会からはアイドルユニット『いちごミルク』が、そのファンを率いての参戦が伝えられた。彼女たちの透き通るような歌声が収められたCDは来月リリースが予定されており、現在購入予約受付中である。この機会にぜひ!

 情熱的なフラメンコギターの伴奏と共に現れたのは、栃木県食肉組合が生んだニューヒーロー、『とちぎ和牛三銃士』だ。きらびやかな闘牛士の衣装を身に纏い、胸元の紙エプロンがさり気なく個性を演出していた。そんな彼らが剣の代わりに振るうのは、A5ランクの霜降り肉を惜しげもなく使用したバーベキュー串である。舌の上でとろける大田原牛の食感は数々の食通を屈服させてきた。

 先祖伝来の赤旗を翻し、秘境・湯西川郷よりはるばる馳せ参じたのは平家の落ち武者。那珂川町水族館から体長4メートルのピラルクーマン。戦闘メカ、メタル二宮金次郎。アルパカの群れを引き連れて登場したのはアンデスマンです。栃木県ゴルフ狂会はチタン製ドライバーを握りしめたキャディ軍団の派遣を決定。また美人若女将連盟の呼びかけで各地の温泉組合から湯けむり娘が集い、後方支援の任についた。

 真岡鐡道SL保存会の面々は人間機関車・96娘とともに参陣。オトリを泳がせ自在に操る独特の戦法を見せるのは関東最後の清流、那珂川を中心に活動中の鮎釣人。コメ農家の長男坊、ライス一郎氏も緊急参戦。戦闘用対人投げケーキを装備した武装パティシエ。茂木サーキットより、フォーミュラー仮面とレースクィーンも緊急スクランブル。益子焼窯元より来たるは怒れる陶芸家軍団。栃木県が世界に誇る、かんぴょ・・・


「ちっ、下らないことに行数を割きやがって」

 ギョウザ組合からの救援要請を受け取ったエルマは直ちに出陣を決定した。援軍として反ドリ連合軍の一翼を担うのである。戦闘準備を整えた愚恋隊メンバーが祭り会場に到着した時、ドリアン男爵率いるドリアン祭り実行委員と反ドリ連合軍の間で激しい戦いが繰り広げられていた。

「まさか、これ程とは思わなかったぞ」

 エルマと愚恋隊の面々は、双方入り乱れての大混戦を前に二の足を踏んでしまった。あまりにも激しすぎる臭いのために一歩も近づくことが出来ないのである。栃木県民の体内には、多少の悪臭には耐えることができる特殊な抗体が存在する。幼き頃よりゲロゲ~ロとも生ゴミとも形容される恐怖の郷土料理、『しもつかれ』を食することによって適応進化したものである。とはいえ、尋常ならざる腐敗臭の前にメンバーは完全にビビってしまっていた。コマンダーの一人の機転により急きょ洗濯バサミが配られたが、この程度の対応策など想像を絶する悪臭の前ではほとんど役に立たないだろう。さらにこう人が多くては暗黒バズーカによる狙撃も不可能である。吐き気をもよおす悪臭に耐えながら接近戦を仕かけるという最悪な展開が予想された。だがしかし、ここで退いては女が廃る。熟女の活躍を県民の皆様方の前でアピールできる絶好の機会を見逃すわけにはいかない。

「よし、覚悟はいいな。お前たち行くぞっ!」

「おおぉぉ~」

 エルマの号令で戦闘員が鬨の声を上げた。彼女たちが身に付けている戦闘用ボディースーツは直視できない、いや、したくない。それほど大胆で際どいカッティングが施された、迷惑この上ない仕様であった。彼女たちは強烈な吐き気をのど元でこらえ、ドリアン本陣に突撃をかけたのである。

「うおおぉぉ~~おおぉぉ~っ」


 人生において、根性だけでは決して乗り越えることが出来ない大きな壁が、目の前に立ちはだかることがあると言われているが、今回が正しくそれであった。ドリアンフレーバーの前では何人と云えども赤子同然。床に這いつくばって転げまわり、一歩も前へ進むことが出来ないのである。戦士たちは次々と捕えられ、ドリ祭り実行委員たちによって口いっぱいに悪魔の果肉を詰め込まれてしまうのであった。祭りを阻止するどころではない、逆に消費量アップに貢献する始末である。祭りの渦は人々を否応なく飲み込んでゆく。そんな阿鼻叫喚の生き地獄の中で、由紀もまた呆気なく捕えられていた。

「いやぁぁぁ~、放してぇぇっ」

 ドリ祭り実行委員に両腕を押さえつけられた由紀は、引きずられながら男爵の前に連行されていった。見っともないくらい必死の抵抗はそれだけ本気で嫌だった証拠である。

「観念するドリよっ」

 男爵は濃縮ドリアン果汁が注がれた紙コップを、由紀の鼻先へグイっと近づけた。

「うっ、臭っせぇ~」

 ドリアンフレーバーの直撃は想像をはるかに超えて強烈であった。例えようの無いほど芳醇な香りが鼻の奥から脳に直接ズドドンと来る。

「さあ、よく味わって飲むドリドリっ」

 由紀の口にドブ川の香りを放つ黄桃色のしぼり汁が注ぎこまれた。体が嚥下することを拒絶したために臭いエキスは気管に入り、由紀は激しくむせ込んだ。

「うぅっ、臭っ、やめっ、ゴボゴボッゴボッ」

「まだまだっ、もっともっと飲むドリア~ン」

 あまりの衝撃に尿失禁した由紀は、床に広がる大きな水溜りの中に崩れ落ちた。


 がっぷりと四つに組んで、どちらが優勢との見極めもつかぬ大激戦のさなか、戦いの最前線では大きな変化が訪れようとしていた。商店街の各所に据え付けられた旧式のスピーカーから、雑音交じりの派手なテーマソングが放たれたのである。助けを求める子供たちの声が新たなる超人戦士を呼んだのだ。

「超人オリオ~ン、見参っ!」

 薬局の二階バルコニーに、彫像のごとく筋骨隆々とした人物が立っていた。ビルドアップされた全身の筋肉を誇示するかのようなポーズを決める。白い羽飾りが付いた冠を黒髪に戴き、ベルトに並んだ三ツ星が眩い七色の光を放つ。彼こそ県内に知らぬ者のない商店街の守りの要、半世紀に渡り街の発展を影から支えてきた生ける守護神。

「買い物客のみなさん、もう大丈夫だ。あとは私に任せ・・・ うぐっ」

 大きな歓声を受けて颯爽と登場したものの、地上に降り立ったとたんオリオンの表情からは完全に笑みが消えてしまった。想像以上に臭かったのである。もはや臭いがどうこうというレベルではない。涙と鼻水が止まらず、呼吸さえままならない。そんなもがき苦しむオリオンの元へ、ドリアン果肉を手にした市民たちが殺到した。彼らはオリオンの手足を押さえつけると、その口に次々と悪魔の果肉を押し込んだのである。

「どうしたんだみんな、オェッ。やめろ、止めてくれぇぇ~、ゲロゲロげぇ~っ」

「クックッ、無駄ドリよ。みんなボクの命令しか聞かないドリぃ~」

 市民にボコられ、ピクリとも動かなくなってしまったオリオンの様子に、ドリアン男爵は満足げな笑みを浮かべた。彼が今日のために用意したのは、ただのドリアンではなかったのだ。強力な幻覚作用をもたらす遺伝子組み換えドリアンである。これを食した人間はわずか数分で生けるドリアンと化し、ドリ男の放つ怪電波によって意のままに操られてしまうのであった。そう、ギネスへの挑戦は世間をあざむくための仮の計画にすぎない。彼らの真の目的はドリアン化した市民を操り、宇都宮を支配することにあったのだ。

「みんなドリアンになるドリ~んっ」

 ドリ男が手にしたステッキをかざすと、その先端に嵌め込まれた暗黒水晶球から増幅された強烈な脳波が放たれた。完全にドリ化した市民は見境なく一般人に襲いかかり、その口に無理やり脱法ドリアンを押し込んでいった。犠牲者の数は一挙に膨れ上がった。

「てめぇら、覚えておけよっ」

 悪態をつくエルマの遠吠えが、途切れかけていた由紀の意識を暗闇から引き戻した。自分の吐く息が臭すぎて再び気を失いかけた由紀であったが、持ち前の根性でなんとか耐え抜くと、腹這いのまま声のした方向へと首をめぐらせた。

「くくくくっ、すぐ楽になるドリぃ」

 男爵によって洗濯バサミを外されてしまったエルマは必死に息を止めていた。その顔は見る見るうちに真っ赤になり苦悶に歪んでいった。

「せ、先生・・・」

 由紀は体を仰け反らせてシビレる手を精一杯に伸ばしたが、悪魔の儀式を止めることはできなかった。禁断の果実を嚥下したエルマは生簀から水揚げされたばかりの海水魚のようにバタバタとひとしきり暴れたのち、白目をむいて痙攣を始めた。全身にドリアンが回るのは時間の問題だろう。勝ち誇ったドリ男は捨て台詞を吐いた。

「ふんっ、口ほどにもないババアめっ。ドリリリんっ」

 栃木の竹下通りこと、オリオン通り商店街。そこは栃木県民なら誰もが思い入れのある特別な場所なのである。由紀は紗のかかった意識の中で幼い頃を思い出していた。母に手を引かれて歩いた商店街は、夢の中の魔法の街そのものであった。地元では見たことも無い商品が通りにまであふれ出し、行き交う人はみな活気に満ちていた。初めてのクレープ。初めての映画。初めてのデート。そんな青春時代を共に過ごした大切な思い出の地が地獄へと化してゆく。助けを求めて泣き叫ぶ人々の声がアーケイドに反響して、天井のあたりでグルグルとこだました。

「もうダメだ・・・」 そうつぶやいて由紀が両目を閉じたときであった。

『まだ諦めるなっ!』

 彼女の耳元にエルマの力強い声が蘇り、消えてしまいそうな意識を目覚めさせたのである。そうだった、まだ死んだ訳ではない。生きている限り望みは捨てない。結婚もまだなのに、このままドリアン人として生きていくなんて絶対に嫌だ。周囲に視線を廻らせると、結婚・再婚という大きな夢を果たすために戦う、仲間たちの姿が目に飛び込んできた。彼女たちの夢を叶えるため、誰かがやらねばならぬのだ。どんな逆境にも耐えてきた不撓不屈の精神が、メラメラと真っ赤に燃え上がる。由紀は口元のドリ汁を手の甲でぬぐうと、大地をしっかりと踏みしめて立ち上がったのである。

「ぬぅうおぉぉおおぉぉーーー」


     『反撃』


 戦闘開始からおよそ一時間半。

 ドリアン男爵からついに総攻撃の指令が下された。市街地へと戦線を拡大し、住民への無差別攻撃がはじまったのである。宇都宮ドリ化計画は、どこかの工程表とは違って手際よく順調に進捗していた。あの時、「ドリアンなんかどうだんべ?」と発言した男をはじめ、この日に備えて何年も前から各方面に工作員を送り込み、じっと機会を窺い続けてきたのが功を奏したのである。何ごとも事前の下準備が肝要なのだ。

 肥沃な土壌。澄んだ空気。清らかな水。豊富な日射量。昼夜の寒暖差。

 農作物の栽培に適したこれらの自然条件は、皮肉にも遺伝子組み換えドリアンの栽培にも最適だったのである。そして何よりも好都合だったのは、首都圏へ一時間足らずの好立地ながら、国民のほとんどに正確な所在地を知られていないことであった。白地図にどうしても名を書き入れることが出来ない空白地帯。東北地方の一部と信じて疑わぬ者など、まだ可愛い方だ。人によっては地球上から存在そのものを否定されてしまうほど知名度の低いこの街なら、何が起ころうと秘密が漏れる心配は無い。粉末に加工した脱法ドリアンを首都圏にバラ撒く拠点として、宇都宮はまさに理想ともいえる地理的条件を兼ね備えていたのである。この地を支配下に治め、遺伝子組み換えドリアンの一大生産拠点とすれば国王もさぞや喜んでくれるであろう。ドリ男の胸に万感の思いが込み上げてきた。彼が歩んできたこれまでの道のりも、決して平坦ではなかったのである。


     『フルーツ大革命』


 長年に渡り果物売り場を支配してきたドリアン王。だが食の欧米化に伴って徐々に売り場を狭められてしまい、特に最近の若い買い物客から臭い臭いと言われ続けたその結果、なんと果物売り場から追放されるという屈辱的な扱いをされてしまったのである。ドリアン王とその一族は木箱に入れられたまま屋外へと運び出され、スーパーの出入り口から遠く離れた地面にベタ置きされるようになってしまったのだ。直射日光に当たり、風に晒され、雨に打たれる。そんな流刑地のような場所で耐え忍んできた苦労が、いま報われようとしているのだ。

「くくくくっ、すべての者どもよ、再び我らが王の前にひれ伏すドリリんんんっ!」

 勝利を確信し笑みを浮かべるドリ男は不意に肩を叩かれた。そして何気なく振り向いた彼は、たちまち恐怖によって全身を凍りつかせてしまうのであった。彼のすぐ目と鼻の先にはピカソの作と見まごうほど顔面崩壊した、パンダ目のアラフォー女が立っていたのである。年代物の油絵のように細かいヒビ割れと剥落を起こした顔。使い古しのハケを思わせる、傷んで赤茶けた髪。片方しかない眉。どれひとつ取ってみても呪われた人形感満点で、お化け屋敷のキャストとして十分に通用するものであった。瞬きもせずに睨みつける冷たい目つきに彼の魂は凍りついた。女は祟る。そんな言葉が頭をよぎる。生気の感じられない淀んだ眼には一体何が映っているのだろうか? 全身が締め付けられたように硬直し、息をすることも出来ない。ピカソが耳まで裂けた大きな口を開き、濃縮果汁で焼けただれた喉からカスれた声を絞り出した。

「おい」

「は、はいっ」

 ドリ男は体を硬直させて思わず返事をしてしまった。得体の知れないプレッシャーに冷たい汗が噴き出し、震えが止まらなくなる。逆らったら何をされるか分からないこの恐怖は、学生時代に上級生の男爵イモに捕まってカツアゲされたとき以来であった。

「誰がババァだって?」

「ひぃ~」

 あまりの恐ろしさにヒザが笑い、財布でも握手券でも、なんでも差し出してしまいそうな気分になってしまう。

「そっ、そんなこと言ってないドリよっ」

「やかましぃっ!」

「ぐぇっ」

 口答えしたのが癪に障ったのだろうか、アルルの女はドリ男の鼻っ柱に強烈な頭突きを喰らわした。激痛に顔を歪ませるドリ男にピカソは言った。

「お前も飲め」

「えっ?」

「お前も飲めって言ってんだよっ」

 ゲルニカが襲いかかってきた。振りほどこうにも、ドリ男より確実に二周りはある丸太のような腕でグイグイと締め付けてくる。ドリ男の肋骨が嫌な音をたてた。

「やめるドリっ、放すドリよっ。うっぷ」

『んばぁーっ』

 ドリ男は牛のゲップの二千倍も強烈と言われる、発酵ドリアンガスを女に向かって吐いた。ところが反対に大きく開けた口にジューシーな果肉を詰め込まれたために、ガスは逆流して自分に襲いかかる。窒息寸前のドリ男は薄れゆく意識の中で思った。なぜ動けるのだ、確かこのババァには一番搾りのストレート果汁をたっぷりとご馳走したはず・・・

 由紀がドリ男の脳波コントロールを受けなかったのには理由があった。

 幼少期から実家の酒蔵でこっそりと鍛え、客との勝負で極限にまで高められた由紀の肝機能が、遺伝子組み換えドリアンの幻覚成分を完全に中和・分解していたのである。さらに驚くべきは、失禁することによって有害物質を体外へ排出するという離れ技をも、同時にやってのけていたのだ。無敵の不沈戦艦と恐れられ、数々の酒豪をマットに沈めてきた不敗伝説は今なお健在だったのである。


「先生っ、早くっ」

 由紀の叫び声が波間に没しようとしていた海水魚の意識を蘇らせた。歪む視界の先にエルマが見たものは、ドリ男の手からステッキを奪い、彼の尻を力任せに叩きつける由紀の姿だった。果汁で足を滑らせた二人は、うず高く積み上げられたドリアンの山に激突した。山は崩壊し、辺りには割れたドリアンから発せられる強烈な臭気が立ち込めた。

「先生っ、早く撃って」

 異変に気付いた実行委員たちが由紀を引き離そうとドリ男の元へ駆け戻ってきた。

『させるかっ!』

 戦闘パティシエが投げたケーキは、絶妙なコントロールで実行委員の顔面に次々と命中した。無事に避けた者も足元に滑り込ませたシュークリームの地雷を踏んで転倒。熟女戦士やアルパカ、そして生き残った全ての者が最後の力を振り絞ってディフェンスラインを展開する。その努力は奇跡を呼び、ついに決定的なシュートチャンスを迎えることに成功するのであった。

「インパ殿っ、お早くでござるっ」

 落ち武者が声を嗄らして叫んだ。エルマは激しい眩暈と吐き気に耐えながら瘴気を生み出し、インパーキャノンを作り上げた。由紀にチョークスリーパーを決められ、身動きの取れないドリ男の姿を捕える。距離二十メートル、左斜め45度。万が一にも外す恐れのない絶好の射撃ポジションである。だがエルマは撃つことをためらった。いくら戦闘用特殊スーツを身に着けていようと、生身の人間である由紀は暗黒砲の威力には耐えられないはずだ。

「くそっ、だめだ・・・ 」

 そんなエルマの心情を察したのか、あるいは偶然だろうか? 由紀はこの場に集う全ての人々に聞こえるような大声を張り上げたのである。

「早くしろっ。この、かさ上げ胸パット女ぁぁぁ~っ」

『ンだと、コラッ!』

 撃ってはダメだ。撃ってはダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ。エルマは腹の底から沸きあがる激しい殺意を懸命に押し止めた。そんな努力を続けるエルマの耳に、再び由紀の声が届いた。

「そこのフェイク乳のブラ要らず、聞こえねぇのかぁぁぁ~っ」

 あの時のことは何も覚えていない。のちにエルマはそう語った。顔を朱に染めたエルマは特大のインパーキャノンをブッ放したのである。

「バッ、バカヤロウ、なにバラしてんじゃぁぁ~~っ」

『どォォっかぁぁーーーん!』

 砲弾は由紀を直撃すると大爆発を起こした。しかしそれでもまだ怒りは収まらんと見えて、エルマは執拗に発砲を続けた。

『どどどどどどどっ、どォォっかぁぁーーーん! どォォっかぁぁーーーん!』

「インパさまっ、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ、女の価値は胸の大きさや形なんかで決まるわけではありませんからっ」

 温泉娘が慌てて止めに入ったのであるが、その言葉はかえって逆効果となった上に何の説得力も待たなかった。裸体に巻いたバスタオルの下で揺れる彼女たちのボリューミーな膨らみが、エルマに敗北の二文字を与えただけである。

「あはははははははっ、巨乳がなんぼじゃぁぁ~」

『どどどどどどどっ、どォォっかぁぁーーーん! どォォっかぁぁーーーん!』

「み、みんな逃げて、ギャ~っ」

「あはははははははっ、慰めなんかいらねぇぇぇーっ」

『どどどどどどどっ、どォォっかぁぁーーーん! どォォっかぁぁーーーん!』

「あはははははははっ、みんな死ねぇぇぇ~~」

 しつこいぞ、本当に何も覚えていないんだ。のちにエルマはそう語った。

 四方八方へと乱れ飛んだ暗黒火球は商店街を紅蓮の炎に包みこみ、目を覆いたくなるような惨状を呈した。もはや敵も味方も一切関係ない。目撃した者の証言によると、まるで耳にした者すべてを葬り去ろうとするが如くであったという。暗黒弾をすべて撃ち尽くしたエルマは肩で荒い息をしてようやく我に返った。

「しまったっ!」

 何台もの消防車から発せられるけたたましいサイレンがみるみる近づいてくる。廃墟と化した商店街。その瓦礫の中からススで真っ黒になったドリ男がムクりと起き上がった。

「ちっくしょ~、おっ覚えてるドリよ。エイドリア~ンっ」

 素っ裸のドリ男は両手で前を隠しながら何処かへと逃げていった。スレイブ解除。ドリ男のステッキに取り付けられていた暗黒水晶がパリンっと音を立てて砕けると、怪電波によって意識を乗っ取られていた人々は、糸を失った操り人形のようにバタバタとその場に崩れ落ちていった。こうして宇都宮市民のおよそ半数を巻き込んだ戦いは、反ドリ連合軍の鮮やかな? 逆転勝利によって終わったのである。


「由紀・・・」

 エルマは大量のドリアンの下から変わり果てた由紀を発見した。彼女は誰に見送られることも無く、その波乱に満ちた生涯に幕を引いたのである。享年四十七。


     『超人戦士』


 由紀は心地よいまどろみの中にいた。そして心の底からこう願っていた。このまま決して目覚めることなく、永遠に夢の中を彷徨い続けていたいと。なぜなら夢の中の由紀はお城で開かれた舞踏会に主賓として招待され、イケメン伯爵やハンサム貴公子が列をなして彼女と踊る順番待ちをしているからである。決して目覚めてなるものかっ、

『バコンッ!』

 まるで金ダライか何かで殴られたかのように頭がガーンと痛んだが、由紀はその程度でへこたれるようなヤワな女ではない。若い貴公子にエスコートされた由紀は広間の中央でドレスの裾をひるがえしながら鮮やかに舞った。その様子を紳士淑女の皆々は羨望の眼差しで見つめるのである。決して目覚めてなるものかっ、

『バコンッ!』

 またもや目から火花が散るような痛みに襲われたが、そんな事では今の由紀を止めることなど到底不可能である。しばらくすると王子の登場を告げるファンファーレが広間に鳴り響いた。細部に至るまで忠実に由紀の好みを再現した理想の王子は、居並ぶ美女たちに目も向けず真っ直ぐに由紀の元へ歩み寄ると、いきなりプロポーズをするのである。大広間にどよめきが湧きおこり、居並ぶ人々は二人に祝福の声を投げかけた。お城に据え付けられた大時計をふと見れば、その針はピタリと静止し完全に動きを止めている。動力源は由紀によって完全に破壊されているのだ。決して目覚めてなるものかっ、

「いいかげんに起きんかーぃっ」

『バッコーーーーンッ!』

 女の怒鳴り声が聞こえたと思った次の瞬間、脳天から鼻に抜けるような激痛が由紀を襲った。思わず振り向いた彼女の背後には黒いドレスの老貴婦人が立っており、怒りを露わにするその顔は、なんとエルマに瓜二つだったのである。


「ハッ」

 由紀はびっくりして目を覚まし、薄い掛布団を払いのけてベッドから飛び起きた。汗ばんだ由紀の体は淡いピンク色の入院着に包まれており、夢から目覚めたハズなのになぜか頭が割れるようにズキズキと痛んだ。ここはドコだろう? 由紀は照明の眩しさに目を細めながら周囲に視線を廻らせた。ベッドを取り囲むように並べられた医療機器から様々なチューブが由紀の体に伸びていた。機器のモニターに表示される波形は大きく乱れ、赤ランプが忙しく明滅を繰り返している。病室であることは理解できた。集中治療室といったところだろうか?

「どうだ、生まれ変わった気分は?」

 唐突に問いかけられた由紀はベッドの傍らに立つ白衣姿のエルマを見つけた。白衣とは言っても闇医者の着用する物は墨汁で染めたように真っ黒であり、そのまま喪服にもなるというステキな機能を兼ね備えている。そんなエルマの右手には、なぜか変形したブリキの洗面器が握られているのであった。

「先生?」

 ようやく自分の置かれた状況を確認できた由紀は素早くベッドに身を横たえると、頭まで布団の中に潜り込んで夢の中へと逃亡を謀った。

『バッコーーーーンッ!』

「っぅぅ!!!」

 またもや容赦のない一撃が由紀の頭上に振り下ろされた。頭を押さえてのた打ち回る由紀の様子をチェックしたエルマは満足そうに目を細めた。

「うん、手術は成功だ。自分の生命力の強さに感謝しろよ」

 その言葉に何かが引っかかったが、今の由紀には頭が割れるように痛いということが全てであり、本当のことを知るにはもう少し時を待たねばならぬのであった。


 カール・シュバルツ記念病院。天才ドクター、エルマの根城だ。明治の中頃に建てられたという木造三階建ての古い洋館は、長年の風雪によって外壁にはツタが這い、屋根は傷みが進み、庭には雑草が生い茂っていた。老朽化著しいその佇まいから地元ではオバケ病院と呼ばれ、近所の小学生たちを震え上がらせる恐怖の館として知られていた。

 熱いシャワーを浴びて着替えを済ませた由紀は、病院の最上階にあるエルマの研究室に招待された。幾重にも厳重なセキュリティーが施されていると言うその部屋は、エルマの自作と思われる実験装置と、用途が全く分からない不思議なマシーンによって埋め尽くされていた。この中に世界が注目する最高技術の数々が保管されているのだという。エルマが単なる医者という枠に収まりきらない才能の持ち主だということを、由紀は改めて感じるのであった。ただ超リアルな人体模型の一群が並べてあるのを指差して、「悪趣味だから止めたほうがいい」と訴えてみたのだが、「防犯対策だ」と言ってエルマは全く取り合おうとはしなかった。

 一通り館内の案内が済むと由紀はエルマの自室に通された。意外にもそこは、インテリア雑誌に掲載されているような落ち着いた調度品でコーディネイトされていた。部屋の中央に設置された大きな掘りごたつには、一度入ったら出られなくなる魔法がかけられており、居心地の良い快適な暮らしには絶対に欠かすことが出来ないものだとエルマは力説した。彼女がインテリアにこだわる理由は、彼氏ができたらいつでも招待できるようにとの周到な下準備でもある。

 さっそく掘りごたつの魔法にかかった由紀は、その優しい温もりに微睡みながら、食事の準備をはじめたエルマを眺めていた。由紀の快気祝いが始まろうとしているのだ。準備が整い、向かい合うように座った二人は、地ビールで乾杯したあと鍋をつついた。カセット式コンロの上でグツグツと煮えたぎる土鍋からは、上品なダシの香りが漂っている。

「どうだ味は?」

「おいしいです」

 エルマの手料理を一口食べた途端、由紀は本気で感動してしまった。そこにはバブルのころに客からご馳走になった料亭の味が、見事に再現されていたのである。料理に関してなら由紀にも多少の自信があったが、それは空腹を満たすことに重きが置かれた、味は二の次のサバイバル料理ばかりである。

「お世辞じゃなくて本当においしいですよ、この温泉トラフグ。はふっはふっ」

「ふふふっ、かつて私にも愛する者がいた。彼に美味しいものを食べさせたい、その一心で料理を学んだのだ。彼も私の手料理を褒めてくれたよ」

 由紀に手放しで褒めちぎられたエルマは、普段は見せない少し照れた笑みを浮かべながら料理を小皿に取り分けた。そんなエルマの女性らしい一面を発見して、由紀はちょっと戸惑ってしまった。

「へぇ~、その彼ってどんな人だったんですか?」

 そう質問するとエルマはほろ酔いの頬をさらに赤らめるのであった。


 規制緩和を受け、様々な分野で目覚ましい発展を遂げたというのは先に述べた通りだ。

 話は黎明期へさかのぼる。

 戦後まだ間もない宇都宮に一人の青年が降り立った。エルマの祖父であり、のちにアンドロ人間ウォリアーの父と呼ばれることになるカールシュバルツ・インターパーク博士である。博士はもともと人間に備わっている潜在能力を最大限に引き出すための研究を行っていた。身体能力を極限にまで高める、雨にも風にも病原菌にも負けない丈夫な体の研究。突き詰めて言うなればそれは超人を作り出すことであり、人類を新たなステージへ進化させようという野心的な挑戦でもあった。完成すれば大勢の命を救うことが出来るであろう。

 創造の神に挑んだ博士の壮絶な人生とその裏に隠された感動の秘話は、ページ数の都合上涙をのんで割愛させて頂くが、最終的には肉体を人為的に強化させる究極のテクノロジーを生み出すことに成功するのである。博士は生涯をかけて開発した肉体強化術を『EVE』と名付けた。その研究成果が学会に発表されると、まるで別の惑星からもたらされた未知のテクノロジーを見ているようだと大絶賛されたのである。

 博士の闇の技術は表の世界へとフィードバックされ、様々な分野へ拡散していった。そしてそれは県民に多くの恩恵をもたらすことになった。栃木県の医療水準が全国平均を大きく超えたのはもちろん、畜産に転用したことにより『大田原牛』を始めとする『とちぎ和牛』のブランド化に成功し、さらには不可能と思われていた温泉でのトラフグ養殖にも光を与えた。農作物などは数え上げればキリがない。病害虫に強く食味にも優れた多種多様の作物が次々と生み出されていったのである。

 しかし賢明な読者諸氏ならば、ここで一つの疑問に辿りつくであろう。規制緩和という追い風があったとはいえ、なぜ博士は肉体を強化しようなどと考えるに至ったのか? 物語の核心に迫るその謎に答えるのであれば、まず先に魔人の存在に触れる必要があるだろう。


 昔話などによってご承知の通り、かつてこの国には鬼や魔と呼ばれる人外の種族がたくさん暮らしていた。そしてそれらの話の最後はまるで判を押したように『彼らは人間との争いを好まず、いつの間にか姿を消してしまった』と結ばれていることに気付くはずだ。だがこれこそが、真実を隠そうとする者たちによって意図的に流布されたデマだったのである。栃木県に伝わる下野ノ国年代記によれば、鬼や魔は姿を消すどころか人間社会に適応して今も生き続けており、闇の世界から人々を操っていると記されているのだ。特に幕末の混乱に乗じて急速に勢力を拡大させた彼らは、その土地に暮らす人々を完全に掌握し、ついには行政をも牛耳ることに成功してしまったというのである。現在の地方自治体の多くが闇の勢力によってコントロールされており、我々人類は知らぬうちに彼らの支配下に置かれているのである。その証拠は今も地名に見ることができるという。美しき我らの故郷、栃木県の四方をぐるりと取り囲む魔県とはすなわち、イバラ鬼・グン魔・サイタ魔・フクシ魔の四県である。

 グン魔・フクシ魔の二県は言うまでもない。近いところではサイタ魔県の県庁所在地が「浦和」から「さいた魔」に名称変更したが、これも魔人による陰謀の結果であると言われている。また茨城を「イバラギ」と濁って読んでしまった場合、ムキになって相手に訂正を加えようとする者は、ほぼ間違いなくイバラ鬼人である。トウ鬼ョウには鬼が住むという俗諺も、まんざらウソではないと言うことが納得いただけるであろう。

 以上のような真社会の実像を見据えて、カールシュバルツァー博士が生み出した肉体強化術の本流は子・エイブラムスに、そして孫・エルマへと引き継がれていくことになった。祖父の遺志を継いだエルマは幼くしてその非凡なる才能を開花させ、わずか4歳にしてEVEを更なる高みに押し上げることに成功するのである。戦闘力アップに特化した究極の超生命体『EVО』を完成させたのだ。エルマは親子三代にわたる研究の集大成として十八歳の誕生日に自らの肉体にEVО化手術を施し、ここに史上初のEVО戦士、ドクター・インパが誕生するのであった。


「そんなことが出来るんですか?」

 素朴な疑問をなげかける由紀に対して、エルマの答えは簡潔そのものであった。

「私は天才だからな」


 美少女騎士、ドクター・インパ。

 圧倒的なパワー、想像を絶するスピード、そして比類なき美貌。それ以前のEVE戦士やアンドロ超人、機械ソルジャーをまったく寄せ付けない抜群の運動能力と耐久性。さらに加えて驚異的な自己再生能力をも併せ持った不死身の肉体は、迫り来るグン魔人の侵攻に対抗しうる唯一の存在であり、県民の希望となるものであった。その革新的な技術が医学の分野で広く一般に普及するならば栃木の未来を明るいものに変えるばかりか、人類が夢見てきた不老不死さえも手に入れることが可能となるかもしれない。当然のごとく各医療機関はエルマに対してEVОの技術公開を求めた。しかし彼女はその要請を断固として拒んだのである。


「私はこう言ってやったんだ」

 酒の勢いも手伝ったのか、エルマは当時の様子を再現するように缶ビールを手に立ち上がると、片足をコタツの上にのせて啖呵を切った。

「EVОがもたらす莫大な富は全て私の物だっ。貴様らになど一円たりと渡さんっ!」

「外道ですね」

 由紀は簡潔に感想を述べた。


『欲しければ力づくで奪ってみろ』

 挑発とも取れるエルマの発言に、栃木県医師会や医薬財閥は超人軍団とタッグを組んで戦いを挑んだ。エルマが何も話さない以上、秘密を手にするには彼女を捕えて脳から直接情報を抜き取るしか手段がないからである。医師会から放たれる恐るべき刺客と、それを迎え撃つエルマ。その対決がお茶の間に放映されるとたちまち評判となり、エルマはその度にテレビ局から多額のギャラを手にするのであった。

 鮮烈なデビューからおよそ半年。県内の敵をあらかた倒してしまったエルマは、東京でのメジャーデビューを果たそうと、ウキウキ気分で準備を始めていた。全国区で成功すれば得られる収入はいまの比ではないだろう。思えばそこに油断があったのだ。いよいよ明日出発という日になって、エルマは人生最大のピンチを迎えてしまった。敵の放った冷凍ガスを浴びてしまった彼女は、著しく動きが鈍ってしまったのである。追い詰められ逃げ場を失ったエルマの前に、でっぷりと肥えた一人の男が進み出た。タカサ鬼のダール魔王がその妻デビル夫人を伴って現れたのである。

「さぁ、素直に白状しなさいっ」

 EVОが美容や若返りにも効果があることを耳にしたデビル腐人は、はやく秘密をよこせと上州訛りでまくしたてた。エルマは腐人を一瞥すると冷徹にこう断言した。

「残念だが、お前はもう手遅れだ」

『ディビデビデビビビビビィィィッーーー』

 腐人は口から強烈な冷気を発射した。すべての物を一瞬にして氷付かせる氷爆ブリザード。その名も榛名おろし。エルマを中心とした周囲には凍てつく極寒の嵐が吹き荒れた。

「うぅぅぅっ、こんなに寒いのかっ。ジャンバー着てくればよかった・・・」

 視界の利かない真っ白な冷気の中でエルマは観念の眼を閉じて立ちすくんだ。そんな彼女のすぐ間近で、不意に男の声がしたのである。

「今だ、逃げろっ」

 エルマが薄くまぶたを開けると、目の前には真紅のマントを翻して冷気を遮断する一人の男がいた。彼もまたEVОを狙う戦士のひとりである。ただ彼は決して力づくで奪うようなことはしなかった。まるで童話の中の太陽のように、エルマが自発的に技術を公表するよう説得をくりかえしたのである。むろん金に目のくらんだエルマにそんな道理が通じるハズも無い。男は番組の中で何度もブチのめされてきた。

「なぜ助ける、お前だって秘密が知りたいんだろ?」

 エルマが問うと、男は己の身を凍りつかせながら唇を動かした。

「もちろん、だがこんなやり方は間違っているっ」

(ドキンッ)

 その言葉を聞いた瞬間、エルマの心臓は力強く脈を打ち、今までに感じたことのない熱い何かが体中を駆け巡ったのである。

「さぁ、行くんだぁぁ~っ」


 遠い昔に思いを馳せたエルマは溜息なんぞを吐きながら、天井の向こうのどこか遠くにうっとりとした視線を送っていた。

「私は恋に落ちた。初めて人を好きになったのだ。あとになって現場に戻ると彼は氷の彫像になっていた。私は彼を研究室に運び、究極の強化術EVОを使って治療をしたのだ」

「お持ち帰りしたんですか?」

 羨ましげに口を挟んだ由紀にエルマはどうだと言わんばかりにひとつ頷いた。

「そして復活した彼に優しく諭された私は、EVОを一般に公開して人々の為に役立てることにしたんだ」

「良かった、それじゃ悪は滅んだんですね?」

 由紀が感想をもらすとエルマは何を思い出したのか、急に先ほどとは打って変わった怒りの表情を見せてコタツの天板をバシッっと乱暴に叩いた。

「良かっただと、ちっとも良くないわいっ! その時の私は知らなかったのだ、彼に妻と幼い子供がいたことをっ」

「うわっ、お約束の展開ぃぃっ」

「アイツは私の初めての恋心を踏みにじって逃げた。EVОの秘密を公開してしまった私は生活の基盤を失ったんだぞ。あのバカのせいで私の人生はメチャクチャだっ」

 煮えたぎるような怒りを露わにするエルマの様子を間近に見て、由紀の第六感が不意にささやいた。

「先生は今でもその人を?」

『グシャッ』

 エルマは飲み干したビールの空き缶を軽く握りつぶすと、酔眼を由紀に向けた。

「由紀、ハッキリ言っておくぞ。お前は一度死んだ」

「えっ? あははっ、まさかぁ、そんなごじゃっぺ・・・」

 そこまで言って由紀はふと箸を止めた。これが他人であればつまらない冗談で済ますところだが、発言したのが闇ドクター・インターパークその人ならば、そのバカげた言葉がいかに信じ難くとも真実である可能性が充分にあり得ると思うに至ったからである。由紀の視線の先、濛々と湯気を上げる土鍋の向こうではエルマの真剣な眼差しがこう語っていた。『マジだぜっ』

「うそでしょ~っ」

 由紀はあわてて立ち上がると部屋の隅にある大きな姿見を覗き込んだ。鏡の中にはいつもと変わらぬトボケた顔があった。近ごろ母親によく似て来たなぁという感慨はひとまず脇に置いて、由紀は鏡を見ながら全身を入念にチェックしてみたのであるが、どこにも違和感は感じられなかった。

「本当に? 信じられません」

 自分はなぜ死んだのか?

 由紀は懸命に記憶の糸を辿ろうとしたが、どうしても思い出すことが出来なかった。むろんそれには理由がある。由紀がインパ砲の直撃を喰らったあの前後の記憶は、エルマによって脳内から完全に削除されているのだ。しかも記憶を辿るという行為が、ある重大なキーとなるように書き換えられていたのである。

『パシュン!』

 積載オーバーに耐えきれずバーストぶっこいた、中型トラックの再生タイヤさながら、圧縮された空気が大気中に放出される泣きたくなるような音を響かせて、由紀の体はドス黒い瘴気に包みこまれた。濃密な暗黒オーラの中で腐の力が解放される。由紀の肉体を構成する全ての細胞が急速に目覚め、その姿が驚くべき変貌を遂げたのである。

「うわっ、なっなんですかコレはっ!」

 セクシー&ワイルドを具現化した筋肉ムキムキのマッスルボディ。身に纏うのはおなじみの、どぎついカッティングが施された露出過多のボディーアーマー。鏡に映る由紀の姿を一言で形容するならば地獄の処刑人、あるいは死神そのもの、もしくは不慮の事故で亡くなったSМ嬢の亡霊といった出で立ちであった。激しく動揺する由紀の背中に悪魔の楽しげな声が投げかけられた。

「ふふふっ、よく似合ってるじゃないか。私が新たに開発したクリーンで低燃費な次世代型強化細胞、『EVA・71』を使ってお前の体を作り変えたのだ。お前はインファイトに特化した究極のアンドロ人間ノイド、ベルモール1号として蘇ったのだぁぁ~っ」

 まるで悪の組織の大幹部にでもなったかのような大仰なセリフを口にするエルマに、由紀はいろいろとツッコミを入れたかった。ただそれがあまりにも多すぎるために、どこから手を付けたらいいのかと判断に迷う。はやる気持ちをどうにか抑えて由紀は質問を一つに絞った。

「死んだ人間を生き返らせるなんてことが出来るんですか?」

「さっき言っただろ、私は天才だと」

「でも、どうやって?」

「それは絶対に秘密だ。まぁ、どうせ説明しても凡人に理解することなど不可能だがな。ふふっ、ちょうど良かったよ。折角の機会だから前から試したかったアレコレを全てやらせてもらったぞ。なに心配しなくともよい、お前と私の仲だ、今回の手術費はサービスにしておく」

 エルマはまた新たに缶ビール開けて美味そうにグビグビと飲み干しながら、由紀には理解しかねる以下のような説明を付け加えた。最終的な力は十万馬力を超える。日常生活防水。電池交換不要。非常用バッテリー搭載。ソウルドリンクを飲んでパワーアップ。乳酸菌まで入ってる。さらに今だけポイント10倍。

 エルマの口から次々と飛び出す現実とは思えないキャラ設定に由紀はますます混乱し、そして急に怖くなってきた。

「元に戻してください」

 由紀が半泣きで訴えると、エルマは意外だと云わんばかりのキョトンとした顔つきで問い返した。

「なぜ?」

「元に戻してくださいっ」

「だから何故だ?」

「だって・・・ 出来ないんですか?」

「どうしてもと言うなら戻してやるが、費用は前払いで頂くぞ」

「かかかっ、金取るんですかっ」

「そう何度もサービスはしてやれん」

「そ、そんなぁ」

 エルマが金にがめつい闇医者であることを改めて思い知らされた由紀は、ガックリと肩を落とした。彼女がなりたいと望んだのは可愛いお嫁さんである、わけの分からぬ超人などではない。一方のエルマはそんな由紀の様子など全く気にも留めず、テレビ画面に視線を注いでいた。防毒服とガスマスクを装備した数十人の捜査員がドリアン男爵のアジトに踏み込んだ時の様子が映し出されていたのである。この強制捜査によって押し入れの中から大量の脱法ドリアンが発見され、押収することができた。しかし肝心のドリ男は潜伏先のアパートからすでに海外へ逃亡しており、その足取りはまったく不明であるという。戦場となったオリオン通り商店街は復旧工事が急ピッチで進められており、人々は笑顔を取り戻しつつあると報じられた。

「見てみろ、この街が今日も平和なのは我々の活躍があったればこそだ。いずれ人々は我らの活動に心を動かし、感謝するときが来る」

 エルマは急に真顔になって由紀に向き直ると言葉を熱く煮えたぎらせた。

「由紀、お前は私の最高傑作だ。その力さえあれば全ての女性が笑って暮らせる世の中を作り上げることも不可能ではない。どうだ手を貸してはくれぬか? 私はこの街を理想郷に作り変えたいのだ」

「理想郷ですか?」

「そうだ、栃木県民が誰に臆することなく、堂々と胸を張って栃木出身であると名乗れる。いつの日か、そんな世の中を・・・ 」

 その言葉でエルマが一体何を考え、どこを目指しているのか、由紀には全く分からなくなってしまった。出身地をひた隠し、慣れ親しんだ方言を封印しながら東京でひっそりと暮らす彼らをどうせよというのか。ただ漠然とながら県内にひしめくご当地ヒーローたちと戦うことを意味しているのは理解できた。


「次のニュースです・・・」

 美しい標準語を使って県内で起きた今日の出来事を伝えているのは、ローカルテレビ局・とちぎ放送の看板女性キャスターである。年齢的にはすっかりベテランの域に達している彼女であるが、その表情が鉄の仮面を被せたように硬いのは、分厚い化粧によって顔面を塗り固めているからである。

 映像は切り替わり、それぞれ赤、青、緑、ピンク、イエローの5色に色分けされたユニフォームを身に纏った男女五人のバイオ戦士が、山間部の集落で屋根の雪下ろしをしている様子が映し出された。彼らの名を、『栃の木ボンバーファイブ』という。

 ベタな設定の彼らは県内の有志により結成された男女五人組の超人ユニットであり、正式に県から委託を受けて活動するNPO法人でもあった。早朝から街頭に立って登校する小学生の安全を確保し、依頼があれば田植えや収穫の手伝いにも馳せ参じる。台風が上陸したならば体を張ってビニールハウスを守り、各地のイベントにも積極的に参加する。屋根の雪下ろしは冬場の重要な任務のひとつなのである。

 多岐にわたる彼らの精力的な活動は多くの県民に支持され、各地の後援会から多額の寄付金が寄せられていた。また、県内の有力企業をスポンサーに持つことから潤沢な活動資金を得ており、経済的に最も成功したチームのひとつであるといわれている。もちろんその座を狙う様々なチームに戦いを挑まれてきたのであるが、彼らは一度として敗れたことがなかった。彼らがピンチに陥ると変形合体する巨大ロボットが助けに現れるのである。


『宇都宮市・大谷地区』

 市の中心部から北西へ10キロほど離れると住む人もまばらな山がちの地域となる。すれちがう車は軽トラックばかりの、一見しただけでは典型的な田舎の集落であるが、その地下には奇跡ともいうべき良質の石材が大量に眠っているのであった。

 話しは日本列島がまだ誕生すらしていない、太古の昔にさかのぼる。海底火山の噴火に伴って大量の火山灰が噴出し、海底に降り積もっていった。奇跡の石材とは厚さ数キロにも及ぶその分厚い堆積層が石化し、途方もない時間をかけて地表付近に隆起した物なのである。栃木県は今でこそ海なし県とバカにされ県民は悔しさに唇を噛んで忍んでいるが、かつては海があったどころの話ではない、深い深い海の底であったのだ。県内各地から海性動植物の化石が発見され、石灰が採掘されることもそれを裏付ける証拠なのである。

 さて、話を元に戻そう。

 大谷地区から産出される大谷石。ネーミングになんの工夫も捻りもみられないその石材は、非常に軽く加工性に富み、落ちつきのある独特の風合いを持っている。この大谷石を建築物に用いれば堅牢で耐火性に優れたものとなるであろう。

 かつては手掘りで行われていた採掘も、明治以降の近代建築ラッシュにともなって需要が急増すると大規模な機械掘りが行われるようになった。地下の採掘現場といえば、網の目に張り巡らされた狭い坑道を思い浮かべる方が多いかもしれない。しかし金や銅などの鉱物とは違い、石材の場合は堆積層そのものをブロック状にカットして丸ごと取り出してしまうので、石材の運び出された跡は地下神殿をイメージさせる巨大な空間が残されることになる。いつの頃か定かではないがその巨大空間に町が作られ、作業員とその家族は地下に定住するようになっていった。増え続ける住民のあとを追ように学校や役場、商業施設やコンサートホールなどが相次いで建設され、昭和初期には地底都市と呼べる規模にまで町は成長を遂げるのである。

 やがて太平洋戦争が始まると戦闘機の生産が開始されるなど、都市は軍需工場としての色合いを深めていった。そして立ち入りが厳しく制限された地下最深部の秘密工廠では、来たるべき本土決戦に備えて巨大ロボット兵器の開発が進められていたのであった。折からの物資不足が祟って男のロマンを具現化した人型決戦兵器は未完成のまま終戦を迎えてしまったが、その志は戦後も受け継がれ、ロボは平成の世になってついに完成するのであった。戦闘機をはじめとする五機のスーパーメカが複雑に変形しながら合体する本格的な造りは、戦隊ヒーロー物に登場した歴代のロボットたちと比べても遜色のない見事な出来栄えを誇っていた。

 その強さはまさに驚異的である。もし彼らと戦うのであれば巨大ロボット『栃ライザー』が出てくる前に何らかの手を打たなければならないだろう。真正面から戦いを挑んでしまった者がどのような末路を辿るのか? テレビ画面には巨大ロボットが放つライザービームの直撃を喰らう戦士の姿が映し出されていた。ニコチン大魔王の配下、タール君とメンソール・スリムちゃんである。愛煙家とタバコ葉生産農家の全面的バックアップを受けて今日の戦いにのぞんだ両名だったが、善戦及ばず、圧倒的な火力の前に灰となって燃え尽きてしまったのである。さらにこの敗戦の代償として、宇都宮駅前の喫煙コーナーが廃止され灰皿が撤去されてしまった。愛煙家はまた一つ、安心して思う存分に喫煙できる場所を奪われてしまったのである。


「許しては置けぬな、近ごろの喫煙者へ対する迫害は目に余るものがあるっ」

 戦いの一部始終を食い入るように見つめていたエルマは、マルボロの煙をくゆらせながら苛立ちの声を上げた。さしたる議論もないまま、喫煙者に重い負担を強いるタバコ税の増税は簡単に可決されてしまい、その増収は福祉の充実にあてられることになった。つまり政府は自らの怠慢よって膨らんだ介護費用等々を、愛煙家にのみ強引に押し付けようというのである。また健康増進法なる悪法によってあらゆる公共の場を禁煙とし、愛煙家の居場所を次々と奪っていったのである。権力をかさに喫煙者の自由が奪われていく現状には怒りが込み上げてくる。この暴力に立ち向かわなければ女が廃る。誰かがやらねばならぬのだっ。どんなに人通りが多かろうと容赦なくタバコをふかしては、吸殻をそこらにポイ捨てしていた、あの頃の自由を取り戻すのだっ。

 禁煙を推し進める彼らを倒し、奪われた灰皿を再び駅前に取り戻すことができれば、愛煙家のみならずタバコ葉生産農家や販売店、そして製造工場で働く人々の支持を得ることができよう。無敗を誇るボンバー5だが、彼らにも必ず弱点はあるはずだ。エルマは配下を使って敵を徹底的に調べ上げた。そしておよそ一か月の準備期間を経て、いよいよ決戦の時を迎えるのである。


 その日、栃木のデ○ズニーこと県営の本格的遊園地、『とちのきファミリーランド』では、さくら祭りが開催されていた。待ちに待った柔らかな春の日差しに桜は満開に咲き誇り、訪れた人々は賑やかに歓声を上げていた。花の下で手作りの弁当を広げて春の訪れを存分に楽しんでいる。そんな市民憩いのオアシスに突如として異質な集団が現れた。黒づくめの戦闘服に身を包んだ熟女軍団である。彼女たちが通り過ぎると一陣の瘴気が舞い上がり、桜は一斉に花びらを散らせた。その桜吹雪を背に負って、殺気立った熟女の群れがボンバー5の握手会に殴り込みをかける。野外ステージの前はボンバー5を支援するたくさんの栃木県民で埋め尽くされていた。

「邪魔だ、どけっ」

 係員の制止を振り切って会場へ乱入した熟女軍団は、逃げ惑う人々を蹴散らしながらステージに上がり、ボンバー5と対峙した。睨み合う両陣営。和やかだった会場の空気は一瞬で消し飛び、一触即発の緊張がみなぎる。人々が遠巻きに成り行きを見守る中、エルマは何食わぬ顔でタバコをくわえるとその先端に火を点した。

「待てぇ~い、ドクターインパっ。ステージの上は禁煙だぞ」

 栃レッドは舞台俳優みたいに大げさな身振りを交えつつ、ステージの中央から観客に向かってポーズを決めた。

「いいぞっ、栃レッド」

「よっ、日本一っ!」

 観客から熱い声援が送られ、一斉に拍手と歓声が湧き上がった。ステージにはご祝儀袋やお捻りが放り込まれる。人々の視線を独り占めして満足げにポーズを決める栃レッドの後に続き、ブルーもステージ中央に進み出た。だが、彼は観客の喝采を浴びることは出来なかった。いつの間にか背後に忍び寄ってきたエルマによって、顔面にタバコの煙を浴びせかけられてしまったからである。

「喫煙は君の健康を害すうっ、ごほっ、ごほっ」

 栃ブルーと巻き添えをくらったレッドは煙にむせながら観客席へ落下した。ヤニ臭いタバコ煙幕で彼らからステージ中央を奪うことに成功したエルマは、満員の観客席に向かって大見得を切った。

「いつどこで吸おうが、この体がどうなろうが私の自由だっ。それにな・・・」

 タップリと間をとって人々の視線を充分に引き付けたエルマは、カメラを意識した決めポーズをとった。

「皆が健康になったら私の商売は成り立たなくなる!」

 観客からの拍手はなかった。それどころか普段は物静かな県民とは思えないほどの凄まじいブーイングが巻き起こり、ステージへ向かって様々な物が投げつけられたのである。

「そんな自由など認めないわっ」

 エルマが怯んだ一瞬のスキを衝いて、栃ピンクは舞台のそでから飛び出しタバコを奪おうと手を伸ばした。その勇気ある行動は称賛されて然るべきだが、エルマ相手にあまりにも不用意に近づきすぎたと言えよう。エルマは年齢をまったく感じさせない俊敏なサイドステップで栃ピンクの攻撃をするりと躱すと、ひねりを加えた強烈な右フックを彼女のテンプルに叩き込んだのである。

『バキッ』

 吹き飛ばされたピンクはステージから転落した。

「だっ、大丈夫?」

「あぁっ、ピンク姉さんっ」

 残っていた栃イエローとグリーンの両名はステージから飛び降りて、傷付いたピンクの元に駆けつけた。レッドとブルーもピンクを助け起こす。固い絆で結びついた彼らの姿に感動せぬ者などいないだろう。人々はボンバー5に声援を送り愚恋隊には罵声を浴びせかけたのであるが、エルマは一向に意に介さずふんっと鼻を鳴らした。

「見え透いた芝居だな」

 エルマはパチンッと指を弾いた。するとそれを合図に、隊員たちが数人がかりで巨大なパネルをステージ上に運び込んだ。ところどころ付箋で目隠しされたそれは、昼どきのワイドショーでよく見かけるアレと同じ仕組みである。見出しはこうだ。

『緊急速報! 新番組・栃の木ボンバーМAXのすべてを独占スクープ』

 エルマが付箋をめくると大きく引き伸ばされた写真が現れた。そこには栃レッド、ブルー、グリーンの男三人衆が、見ず知らずの若い女性二人を囲んで楽しげに談笑している様子が写し込まれていた。

「誰よ、この女っ!」

 写真をひとめ見るなり栃ピンクは額に太い血管を浮き上がらせながら、レッドに詰め寄った。続けてエルマが付箋をめくると、また大きく引き伸ばされた写真が現れた。番宣のスチル撮影に挑む五人組の姿を隠し撮りしたものである。

「どういうことなのっ!」

 動かぬ証拠を突きつけられ完全に逃げ場を失った男たちは、神妙な面持ちで口を割った。

「来月から始まる新番組、栃の木ボンバーМAXに登場予定の栃バイオレット(18才)と栃ホワイト(18才)だ」

「聞いてないわよ、そんな話っ」

「ヒドイわっ、信じらんない」

 詰め寄る女性陣に対し、栃レッドとブルーはずっと堪えていた物を吐き出すような激しい調子でキッパリと言い切った。

「仕方がなかったんだ、スポンサーの意向に逆らえる訳ないだろっ」

「最近低迷してきた支持率を上げるためのテコ入れだ」

「なんですって、そんなこと絶対にさせないわっ」

「そこをどいてちょうだい、文句言ってやるっ」

 沈黙を守り続けていたチーム最年少の色白美少年、栃グリーン。事情を知っていた彼は柔らかなグリーンの巻き毛を震わせながら静かにこう言った。

「兄さんたちは悪くないんだ、責めないであげてよっ」

「ねぇ、私たちはどうなるのよ」

 ピンクが問うと男たちはなぜか視線をそらし、沈黙してしまった。

「じゃ~ん、こうなります」

 効果音付きでエルマが付箋をめくると、彼らが出演しているテレビ番組の真新しい台本が現れた。そのタイトル部分を拡大するとこう書かれていた。

『戦え、ボンバー5最終回。さらば栃ピンク&栃イエロー、安らかに眠れ』

 もうこれ以上は語らずとも十分であろう。彼女たちは企業側の勝手な都合によって闇に葬られようとしていたのである。

「ぐぅおおおおおおおォォォっーーー」

 ピンク・イエローの両名は頭を抱えながら唸り声を上げた。表情は醜く歪み、全身から禍々しい腐のオーラが発散される。他のチームに押されて支持率がほんのちょこっと下がったのは確かである、認めよう。信じられないのはたったそれだけで、男たちが簡単にスポンサー側の意向を飲んだことである。おそらく裏で大金が動いているハズだ。そう言われてみれば思い当たるフシは確かにあった。パトロールと称して夜の街に繰り出すときのミョーに浮かれた彼らの様子。ファンからもらったという高そうな時計に鞄。急に派手になった洋服のセンス。決して触らせようとはしないスマートフォン。

 ボンバーズ結成当初、五人の戦士は熱い志だけを持ち寄り、栃木の明日を信じて活動を続けてきた。コンビニのバイトと塾講師をかけもちして頑張ってきたのだ。コツコツと積み重ねてきたその努力が、非正規という雇用形態のために簡単に崩れ去ったのである。

「ブッ殺してやるぅぅっ」

 復讐の炎を燃え上がらせるピンク&イエロー。今や二人は完全に闇の力に支配されてしまったのである。エルマは暗黒世界の住人となった二人を哀愁を宿した瞳で見つめた。

「どうだ、奴らの本音が分かったか? 男など所詮こんなものだ」

 共に戦ってきた仲間を金で簡単に売り渡す、こういう女の敵は脳改造して従順な奴隷犬にするしか治療法はないのである。

「貴様らの腐りきった根性を叩き直してやる、覚悟しやがれっ」

 エルマがステージ上で吠えると熟女戦士は一斉に飛び出した。戦いの火蓋が切って落とされたのである。ステージ周辺は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。数で勝る愚恋隊が優位に戦闘を進める。特に悲惨だったのは栃グリーンであった。美少年であるが故に集中砲火を浴びてしまった彼は、群がる熟女たちによって手際よく強化スーツを剥ぎ取られてしまい、生きてそこから帰った者のないという熟女の巣穴へ連れ去られようとしていた。

 五人を仲間割れに仕向け、ロボを封じ込める作戦は成功したのだ。いかにボンバー5と言えどバラバラにしてしまえば、鉄の団結心を誇る熟女軍団の敵ではない。しかしここで思いもよらぬ誤算が生じたのだ。ファミリーランドの上空に轟音を響かせながら五機の飛行物体が現れ、熱血ソングに合わせて見事な空中合体を演じたのである。観客からは大きな歓声が沸きあがった。チビッコたちは大興奮である。ロボから照射されたトラクタービームに導かれ、男三人衆がコクピットに瞬間移動してしまうと、熟女たちにかつてない動揺が走った。闇ピンクから仕入れた情報によると、ロボの操縦は三人であっても何の問題もなく可能だという。そんな設定はあんまりである。闇ピンク・闇イエローの両名はエルマの前に進み出た。

「インパ様、まともに戦っても勝ち目はありません。観客を盾に使いましょう」

 黒い。女とはどうしてこうも急に変われるのだろうか? 自分たちの支持者を弾除けに使って、そのスキに逃げようと言うのだ。もはや別人である。血も涙も無い作戦を強行に主張する二人。だがエルマの口元には不敵ともとれる笑みが浮かんでいたのである。

「ふんっ、案ずるな策はある」

 そう言ってエルマはおもむろにサングラスを掛けた。そしてどこからともなくペン型の懐中電灯に良く似た機器を取り出すと、油断してボケーっと突っ立っている由紀に向けてスイッチを入れたのである。

『ピカピカピカッ、キラリィ~ン』

 機器の先端から真夏の太陽の数十倍はあろう、百万ワットの凄まじい閃光がほとばしった。謎の光を浴びた由紀の体は七色の極彩色に輝きながら、上空へ向かって凄まじい勢いでぐんぐんと成長を始めたのである。やがて輝きが収まると、そこには身長50メートルを遥かに超える巨大ヒーローの威風堂々たる姿があった。その正体はもちろん由紀である。

「ええぇぇぇーーーっ」

 ジャンボ由紀の視線の先には宇都宮の市街地が箱庭のように広がっていた。それは作り物の街を見下ろしているような現実感のない光景であった。少し動いただけでも視界はグラリと大きく傾いて目まいを起こしそうになる。霞んで見える都心の高層ビル群とスカイツリー。その奥には春の陽光を浴びた東京湾が眩しく輝いていた。

「わぁ、海だぁ~」

 ジャンボは遠足で海水浴場にやって来た栃木の小学生にも負けないくらい、底抜けのハイテンションで元気にハシャギはじめた。そんな巨人の足下では拡声器を手にしたエルマが雑音交じりの割れた声を張り上げていた。

「いいかっ、三分以内にヤツを倒せっ」

「えぇ~、そんなこと急に言われても・・・」

 由紀の声はスロー再生した音声テープのように低く間延びして、遠雷のように山々を揺るがした。驚いたカラスの群れが由紀の頭上を旋回しながら抗議の声を上げたが、今の巨大化した彼女にとっては小さな羽虫ていどにしか感じられない。抗議するカラスの群れを従えながらお台場へ向かって一直線に走り出そうとした由紀に、エルマの緊迫した声が飛んだ。

「遊んでないで早くしろっ、三分を過ぎるとお前の細胞は一斉に老化を始めて・・・ 死を迎えるっ」

「先に言えぇぇーーっ!」

 そんな大事なこと、なんで最初に説明しなかったんだ。と由紀は怒りを覚えつつ、大慌てでロボに向かって突進した。宇都宮の大地を揺るがしながら激突する二体の巨大兵器。その戦闘は過酷を極め、三分を大幅に過ぎてしまうのであった。


 同日、夕刻。カールシュバルツァー記念病院最上階、エルマの自室。

 由紀とエルマの二人は石地蔵のように硬い表情でテレビの前に座り、ニュース番組が始まるのを待っていた。

「皆さんこんばんは、県内のフレッシュな情報をお届けするイブニング6の時間です。では最初のニュースです。本日正午ごろ、宇都宮市郊外に謎の巨大ヒーローが出現し、栃ライザーと戦闘になりました。視聴者の皆様から寄せられた映像を入手しましたので、どうぞご覧ください」

 いつもの女性キャスターが少し興奮気味にニュース原稿を読み上げると、その進行に合わせてテレビはホームビデオの荒い画面に切り替わった。

 まず最初に視聴者の目に飛び込んできたのは、挨拶代わりに披露された熟女軍団によるアクロバティックなチアリーディングであった。満面の笑みを浮かべた熟女たちの躍動する肉体。正直言ってかなりキツイものがある。その背後では二体の巨大兵器による夢の異種格闘技戦が繰り広げられていた。髪を振り乱して巨人が暴れる実写の迫力は、およそCGの及ぶところではない。雄叫びは嵐を呼び、山を揺るがし、岩をも粉砕した。

 栃ライザーは巨大な刀身・ライザーソードを引き抜いて息もつかせぬ斬撃を仕掛ける。正義の味方を名乗る者が素手の相手にヤッパを振り回すのはどうなんだ? というご指摘やご批判等々は、スポンサーである玩具メーカーに直接問い合わせて頂きたい。

「バカめっ、そんなナマクラが通用すると思ったかっ」と言ったかどうか知らぬが、由紀は必殺の居合斬りをひらりひらりと奇跡的にかわしていた。だが奇跡はそう何度も続かない。コケた拍子に首都圏へ電力を供給する数千万ボルトの高圧線に思いっきり引っかかってしまったのである。

「うぎゃぁぁぁっ~~」

 男三人衆はこの機を見逃さず、声を揃えて必殺技のモーションに入った。雷を纏って発光する巨大な刀身が由紀の頭上に振り下ろされる。

「これでも喰らえっ。必殺、サンダァァァー スラァァーッシュッッッ」

「危ないっ!」

 由紀のピンチを見て取ったエルマは素早くインパー砲を生み出すと、ガラ空きとなっている栃ライザーの背中へ向かってブッ放した。

『婆ヒューーーーン、ズドンっ!』

 暗黒弾の直撃を受けたロボは大きく体勢を崩してしまった。最大の見せ場は空振りに終わったばかりか、手を滑らせて大切な剣を放り投げるという始末書モノの大失態を演じててしまったのである。

「えぇぃ、目障りなババァどもめっ、邪魔をするなっ」

 栃レッドは苛立ちの声を上げてロボを振り向かせると、お返しとばかりに愚恋隊に向かってライザービームを放った。真っ赤な光の矢が熟女応援団に襲いかかる。

「みんな、伏せろっ」

 エルマの運動能力をもってすればビームを避けることなど容易だったはずだ、しかし並の熟女たちはそうはいかない。エルマは仲間を守る盾となるために避けようとはせず、「さぁ来いっ」とばかり前面に立ちはだかり続けたのである。ビームはエルマを直撃した。

「ひぃぎゃぁぁぁぁーーーぁぁー」

 超高温・高圧のエネルギーがエルマのチアーコスチュームを紙切れのように引き裂き、一瞬で吹き飛ばした。衣装の花びらがパッと宙に舞い散ると、真っ赤なレーザー光の中に一糸まとわぬエルマの裸体が浮かび上がった。はからずしもその姿は、男たちがずっと封印し続けてきたある忌まわしい記憶を蘇らせることとなったのである。


 それはボンバースを結成してまだ間もない頃であった。

 とある温泉街をパトロールしていたとき、彼らは人目のつかぬ裏通りに寂れたストリップ劇場があるのを発見した。七十才をいくつか過ぎているであろう、チケット売りのバアさんに、「サービスするよ」「バッチリ見えるよ」と声を掛けられた彼らは、それが本当なら怪しからんと衆議一決し、事実を確かめるべく立ち寄ったことがあったのだ。舞台の最前列に陣取り、期待に股間を熱くさせながら待っていると、やがて彼らの前に下着姿のショーガールが現れた。真っ赤なスポットライトの中で、ムーディーな音楽にあわせて身をくねらすセクシーガール。だがその正体は、なんとチケット売りのババア本人だったのである。ババァはステージから飛び下りると、腰が抜けて動くことが出来ない彼らの前に歩み寄り、目の前でバッチリとサービスをしたのであった。


『バぢッ、バヂっ、バヂバヂッ。ばぢっ、バジバジッ』

 栃ライザーは完全に動きを止めてしまった。機体のあちこちから火花を散らし、濛々と白煙を噴きあげている。ロボに搭載されている電子頭脳が負荷に耐えきれず、脳梗塞を起こしてしまったのだ。深刻なダメージを受けたのは栃ライザーだけではない。警報の鳴り響くコックピット内では、エルマのすべてを目撃してしまった不幸な男たちがエチケット袋を手に苦しんでいた。吐き気が止まらないのである。

「オェェェ~っ」


「せ、先生っ・・・」

 ジャンボロイド由紀は頭をクラクラさせながら懸命に起き上がろうとしていた。その胸元ではババァタイマーが不気味な点滅を繰り返している。加速的に老化が始まってしまったのだ。ただでさえ乾燥している肌からみるみる潤いが奪われ、目元口元に深いシワが刻まれていった。全身が干しシイタケのようにパサパサに乾燥し、軟骨成分が擦り減った関節はズキズキと痛んだ。運動機能ならびに視力・聴力とも著しく低下。全身から立ち昇る真っ白い煙に包まれながら、昔話のウラシマさながら一気に老いが進んでいった。戦い続けてきた由紀の肉体は既に限界だったのだ。このまま老いさらばえて天寿を全うしてしまっていいのか? いや、まだだっ。すべての女性に成り代わって、バカな浮気男に天罰を下す。誰かがやらねばならぬのだっ。

「うぉおおぉぉおおおーーー」


 完全にコントロールを失ったロボは街を破壊しながらあらぬ方向へと歩き出していた。その後を深々と腰を曲げた巨大な干しシイタケが追う。時計はすでに三分を十秒ほどオーバーしていた。巨大化後の経過時間から推定される、由紀の現在の年齢はちょうど100歳。本当なら赤飯を炊いて、皆で長寿のお祝いすべきところであるが、そんな時間はない。持ってあと数秒だろう。ヨタヨタと追いかけっこをする二体が向かった先はあの大谷地区だった。ロボの背後に追いついたシイタケが手にした電信柱を渾身の力で振り下ろした刹那、その衝撃で大地に亀裂が走り、足元に直径200メートルもある大穴が口を開いた。地底都市の天井を支えていた固い岩盤が、衝撃に耐えきれずに崩落したのである。

『ガラガラガラッガラーーーーっ』

 震度5弱を観測する激しい揺れと地響き。盛大に土煙を巻き上げ、二体はもつれ合いながら深い縦坑を真っ逆さまに墜落。そして爆発炎上。

『どォォっかぁぁーーーん!』

 陥没した縦穴はもちろん、爆炎は周囲数キロに渡って設けられた五百近い換気孔からも次々と吹き上がった。立ち込める黒煙によって太陽光は遮られ、地上は夜の闇に閉ざされてしまう。そんな中で唯一の光源となっているのは真っ赤な炎の照り返しだけである。いまその炎が、一面に降り積もった灰の中を歩む黒い人影を浮かび上がらせていた。通常サイズに戻った由紀が自力で帰還したのである。限りなく全裸に近い恰好であったが、放送禁止の危険ゾーンはアーマーによって奇跡的に守られていた。ナイスっ、アーマー! 安心したカメラが由紀の姿を捉えようと最大望遠で寄ると、その手にはシッカリと灰皿が握られているのが確認できた。


「映像はここまでですが、どうご覧になりましたか?」

 アナウンサーに話題を向けられた男性コメンテイター陣は渋面を浮かべた。彼らの顔色はみな一様に悪い。

「これはテロですっ!」

 長老格の専門家は不機嫌な様子で、外したメガネのレンズを拭きながらキッパリと決めつけた。奇抜な髪形の中年研究者が怒りを露わにあとを続ける。

「巨大ヒーロー? むしろ怪獣ですよ、大怪獣・ババゴンと呼びましょう」

「一刻も早く対策を講ずるべきです。美少女ならとにかく、あんなババァが何体も出てきたらどうするつもりですか、この世の終わりです」

「その通り、ババァは女房だけでたくさんです。あんな尻はもう見たくありませんっ」

 評論家たちは巨大ヒーローの正体について様々な見解をしめし、激論が交わされたのであるが、最期に長老がこう総括した。

「まぁ何にせよ、あれで金を取るのは許せませんっ」

 温泉ストリップは現在も営業を続けているそうだ。


 スタジオに現場からの中継が繋がった。延焼がつづく地底都市の様子と、各地から集結したボランティアチームによる救助活動の模様が報じられる。地上には難を逃れた地底人たちが続々と姿を現していた。彼らの肌は透けるように白く、外で活動する際には昼夜の区別なくサングラスを装着しているので一目でそれとわかるのである。立坑の最深部に到着した救助隊はスクラップとなった栃ライザーの残骸を発見していた。操縦席にパイロットの姿は無く、その安否は今も不明のままであった。

 また時を同じくして某ホテルの一室では、栃ピンク・栃イエロー両名の移籍記者会見が行われていた。二人は愚恋隊のメンバーとして正式に登録を済ませたのである。それは栃の木ボンバー5の解散を意味していた。重しが外れたことにより、今まで均衡を保っていたパワーバランスが崩れ、県内の勢力図が大きく塗り替えられることが予想された。風雲急を告げる城下町・宇都宮。いまや県内は下剋上の様相を呈してきたのである。


「良かったですね」

 由紀はテレビの前でホッと安堵の溜息をついた。とりあえず県民の前に全裸をさらす事態は回避されたようだ。

「あいつら好き放題言いやがって。顔は覚えたからなっ」

 エルマが歯ぎしりをしながら苛立ちを口にした時だった。タキシード姿の若い男が料理を乗せたワゴンを押しながら入室してきたのである。

「あっ、あの時のっ!」

 由紀はその男たちの顔に見覚えがあった。イブの夜に二人をナンパし、その後、ゆくえ不明となっていたあの若者たちである。彼らはエルマの調教によって、女主人に恭しく仕える従順なメイド執事に生まれ変わっていたのであった。

「先生っ、彼らに何をしたんですか?」

「んっ? ちょっとした実験に協力してもらっているのだ」

 エルマの手には禍々しい暗黒オーラを放つ水晶球が握られていた。あのドリアン男爵が脳波増幅に使用していた物にエルマが手を加えた、特製のクリスタルである。特殊なパルスを発信し、相手の脳をコントロールすることができるのは今までと同様であるが、エルマのクリスタルには男性に自分は犬であると錯覚させる機能が追加されているのだ。

 これまで浮気男の治療法といえば、去勢するか犬人間に脳改造するかの二つしか選択肢が無く、全ての患者を治療するのは時間的・費用的に不可能とされていた。だがこれが実用化できれば問題は一気に解決され、パルスの届く範囲内であれば男性を女性に対して従順な忠犬と変えることが出来うるのである。

「でも、どうして犬なんですか?」

 由紀がそう問い正してみると、エルマにしては珍しく理に適った説明を始めた。

「犬という生き物は人の容姿や年齢や性別。もっと言えば人種や宗教、国籍の違いなど、そんなつまらぬ物差しで人間を測ったりせんからな」

 犬はリーダーに従う社会性を持った生き物であり、有史以前から様々な場面で人類をサポートし続けてきた。パートナーとしてこれ以上の存在は他にはあるまい。


     『激闘』


 ボンバースとの戦いから数週間が過ぎた頃であった。エルマから突然の呼び出しを受けた由紀は、驚きを隠しきれないといった表情で息を弾ませながら記念病院に駆けつけた。

「ほ、本当なの?」

「はいっ、救援要請のメールが届いているんです」

 その豊富な戦闘経験を買われ、今や愚恋隊の幹部としてすっかり定着してしまった感のある闇ピンクに案内されて由紀は隊員の詰所へと急いだ。案内された地下の小部屋にはすでに沢山の熟女が集結しており、コンサート会場のような熱気に包まれていた。皆の只ならぬ様子に戸惑いながらも、由紀は熟女密集地帯をかき分けて奥に進んだ。

「待っていたぞ、これを見てくれ」

 そう言うエルマも頬を上気させて、なにやら落ち着きのない様子であった。由紀は渡されたタブレット端末のディスプレイに目を走らせた。

「ワカサギ男? 聞いたことないわね」

 エルマがメールに添付されていた動画を開くと、そこには十代半ばの粒ぞろいの美少年たちが群れをなして泳ぐ姿が映し出されていた。素肌の上に直に羽織ったシルバーのジャケットがキラキラと宝石のように輝いている。添えられた文面にはボンバー5に勝利した祝いの言葉に続き、若い彼らが抱えている様々な不安や思春期ならではのデリケートな悩みが綴られていた。

「どうです、おいしそうでしょ?」

 由紀の横で端末を覗き込んでいた闇ピンクはゴクリと生唾を飲みこんだ。フレッシュな美少年の出現は生きる活力を生み出すサプリメントとなり、彼女の心の傷をすっかり癒やしてしまったようだ。

「由紀さまも行きますよね?」

 闇イエローがギラついた瞳でそう尋ねると、あたり前なことを聞くなとばかり、由紀は一つ頷いた。年下の若い男の子の願いを断るなど、年長者としてどうして出来ようか。

「経験豊富なお姉さん達にすべてを任せ、その身をゆだねなさいっ!」

 快諾の返信を送ったあと、メンバーには緊急招集がかかった。若い男の子が沢山いると聞くと、驚くべき速さで全員が集まった。どこか途中で連絡ミスがあったのか? 釣竿とクーラーボックス持参で現れた仲間もいたが、真相を聞くと嬉しさのあまりその場で泣き崩れてしまうのであった。


「それじゃ行くぞっ」

「おおぉぉぉ~~」

 そんなこんなで由紀たち愚恋隊の一行は、ワカサギ男たちの待つ中禅寺湖へ向けて出発したのであった。東武宇都宮駅を出発したリゾート特急は滑るように田園地帯を走り抜け、山を越え谷を渡り、新緑の中を進んだ。山腹にある終着駅でバスに乗り換えると、いよいよつづら折りの急勾配な坂道が続く名所、いろは坂に突入する。最新の低公害バスは力強くぐんぐんと坂道を登ってゆく。

 車窓から見える景色は季節を逆再生しているようだった。標高1000メートルを超える頃には植物相は一変する。下界と隔絶されたこの地は一年を通じて平野部より気温が9度低いといわれており、独自の進化を遂げた固有の動植物によって生態系のバランスが保たれているのである。希少な高山植物がむき出しの岩肌に可憐な花々を咲かせ、野鳥の澄んだ歌声が旅行者の耳を楽しませるのだが、熟女軍団に限っては関心を向ける者など誰一人いなかった。今はそれどころじゃない。入念に化粧をほどこし、今や遅しと待ちきれない様子でバスに揺られ続け、ついに険しい山々が連なる栃木県西部に足を踏み入れたのである。


『奥日光国立公園』

 日本屈指の名峰、男体山。その山裾で抜群の透明度を誇る水を満々と湛える中禅寺湖。これら絵葉書になるために生み出されたような景観は、男体山が噴火した際に流れ出た灼熱の溶岩によって作られたものである。古くから山岳信仰の聖地とされ、一般人はまず足を踏み入れることのない秘境であった。ところが明治になると、西洋人たちがこの辺境の地に目を付けたのである。サマーホリデーの習慣がある彼らは首都圏から近く、真夏でも冷涼で風光明媚なこの地に避暑地としての価値を見出したのだ。湖畔にはヨーロッパ各国の大使館や別荘が次々と建設され、奥日光は東洋有数のリゾート地として国際的にその名を知られるようになっていった。彼らによってもたらされた様々な文物によって、この辺境の地に急速に西洋文化が根付いてゆくのである。

 熟女愚恋隊は日本三名瀑の一つ『華厳の滝』に到着した。落差97メートルを豪快に流れ落ちる圧倒的なスケールはもちろんのこと、四季折々表情を変えるその姿は何度訪れても見る者を飽きさせることがない絶景である。そんな滝の様子を一望できる観瀑台が、ワカサギ男たちとの待ち合わせ場所であった。歓迎の横断幕の下へ熟女たちが到着すると、彼らはスパンコールを散りばめたシルバーメタルに輝くお揃いのジャケットをキラキラと輝かせながら、両手に持ったボンボンを激しく振って出迎えてくれた。

「お待ちしていました」

「きゃぁぁーー、かぁわいぃぃ~」

 熟女軍団は剥き出しの本性を隠そうともせず、目の色を変えてワカサギ男に突進した。若い男と直に触れ合う、こんな楽しい機会は滅多にない。腹を空かせた熟女たちはどさくさに紛れて手を握り、抱きしめ、体を密着させ、思う存分にその感触を楽しんだ。早くも短パンを脱がそうとした隊員をエルマがたしなめる場面があったほどである。それぞれが写メを撮ったりアドレス交換したりと勝手に交流を始めている。速いモン勝ちなのだ。

「ちょっと、ズルいわよ。私も喋りた・・・ 触らせてっ」

 不覚にもエレベーターの出口で完全に出遅れてしまった由紀は、ベテラン勢の作る鉄壁のガードに阻まれてしまい、ワカサギ祭りに混ざれないでいた。隙間なくずらりと並んだデカイ尻と背中しか見えない。これが俗に言うケツのカーテンである。並みの人間がこの中に飛び込んだら最期、巨大なケツ圧によって四方から押しつぶされ、生死の境を彷徨うことになるのは必至である。

「すべて任せておけ。私たちには切り札がある」

「おぉ~~~っ」

 由紀がケツ圧に耐えながらデカ尻の下をくぐり抜けていたとき、エルマの声とワカサギ男たちの歓声が湧き上がった。顔を上げて隙間から覗き見ると、エルマが誇らしげに持っていたのは例の巨大化ライトであった。由紀は超人パワーで肉塊を押しのけて突き進むとエルマの手からそれをもぎ取った。あんな姿をまた晒すようなことになれば、コメンテイターになんと言われるか知れたものでは無い。尻がデカいだの、ウエストが行方不明だの、お茶の間に放送されるのは耐えられない。つい先日も実家の母親から怒りの電話があったばかりなのだ。

「あっ、何すんだこのっ」

 エルマは奪われたライトを慌てて取り返そうとしたが、由紀はガッチリと掴んで放さなかった。二人はライトを掴んだまま互いに譲らず、もみ合いとなった。

「おいっ、危ないから止めろっ」

「せっ、先生こそ放してくださいぃぃ~」

「やめっ、バカ、バカっ」

「放してよっ」

「えぇ~ぃ、止めんかいぃぃっ」

『ドンッ』

「「「「あっ!」」」」

 全員が声にならない声を上げていた。肉体改造を繰り返した結果、エルマの最高出力は8万8千婆力にまで引き上げられている。そのパワーをまともに喰らえば一般人などひとたまりも無い。熟れすぎたトマトのようにペシャリと簡単に押し潰され、一瞬で挽肉たっぷりのミートソースにされてしまうであろう。幸いだったのは由紀がそのパワーに耐え得る最新鋭の超人戦士だったことだ。エルマに突き飛ばされた由紀の体はゴム人形のように吹っ飛んだ。安全のために取り付けられた転落防止の鉄柵を易々と突き破り、ゴォッーっと豪快に水煙を上げる滝つぼへ飲み込まれていった。この時期は山からの雪解け水が注ぎこむために滝の水量は多く、湖水は身を切るように冷たい。由紀の体は滝つぼで二転三転していたが、やがてその姿は完全に見えなくなってしまった。皆は放心したように押し黙って滝つぼに視線を注いでいた。エルマは誰に言うでもなくポツリとつぶやいた。

「大丈夫だ、あのくらいで死にはせん」

 確かに超人となった由紀であればこの水流にも耐えることが可能であろう。しかし問題なのは由紀の着ていた服である。よりにもよって薄手のブラウスとフレアスカートではなかったか? それにどれほどの耐久力があるのかは全くの未知数である。重い沈黙に支配された観曝台。そこへ突如として若い女の声が響き渡り、凍りついた時計の針を動かしたのであった。

「こら~っ、粗大ごみを投棄したのは誰だぁぁぁ~っ!」

 その声を聞くや、ワカサギ男たちはサッと顔色を変えた。彼らは怯えた様子でひと塊に群れ集まると、ウロコをまき散らしながら一目散に逃げだしたのである。

「あっ、お前ら、ちょっと待て」

 熟女軍団はパニック状態で逃走するワカサギ男たちの後を追って懸命に走った。だが彼らの動きは非常に素早く、その背中を見失わないようにするだけで精いっぱいだった。郷愁を漂わせるレトロな土産物店や、シャレた喫茶店が立ち並ぶ長い上り坂を駆け抜ける熟女の群れ。息切れが激しいのは年齢のせいとばかりは言えない。高地のために酸素そのものが薄いのである。一行が息も絶え絶え湖畔に到着したとき、岸辺には何匹ものワカサギ男が折り重なるように倒れており、苦しげに口をパクパクさせていた。

「あぁっ、今夜のご馳走がぁぁ~っ」

「誰の仕業なのっ、隠れてないで出てきなさいっ!」

 今日の日を誰よりも楽しみにしていた闇ピンク・闇イエローの両名は、楽しい触れ合いタイムを邪魔した奴を決して許さないぞ、という強い決意を全身に漲らせた。これからって所を邪魔された怒りはそう簡単に治まるものではない。ふと見れば、遊覧船を係留する浮き桟橋の上に、華麗なダンスを披露する少女たちの姿があった。ソバカスの散る陽気な笑顔に派手なメイク。彼女たちがまだ十代であることは、その瑞々しい肌の輝きを見れば明らかである。彼女たちは張りのある声で颯爽と名乗りを上げた。

「ドイツ生まれのお転婆娘、ブラウン」

「アメリカ出身、元気いっぱい、レインボー」

「水産試験場が生んだ人工生命体、ヤシオ」

「田沢湖よりの使者、ヒメ」

「イギリスの宝石、パーレット」

「カナダの重戦車、レイク」

 六人娘は呼吸のぴったり合った複雑で見事なフォーメイションを組んで名乗りを上げると、決めゼリフを放った。

『中禅寺湖の生態系を守る、私たち美少女鮮魚・スーパートラウト娘っ』

『外来魚は許さない!』

 たまたま居合わせたバスツアーの観光客や外国人旅行者から拍手が沸き起こった。彼らが携帯端末を向けると、娘たちは場慣れした感じでポーズを取って撮影に応じた。エルマはその人気ぶりを憎々しげに睨みながら言い返した。

「ふんっ、偉そうになんだっ。そう言うお前達だって人間によって他所から持ち込まれた外来魚じゃないか。忘れたとは言わさんぞっ」

 エルマの放ったするどい指摘。痛いところを突かれたレインボーは口から泡を飛ばしながら一喝した。

「うるさいっ、ババァ!」

「なんとでも言うがいいわ。私たちの活動は国家事業として認められている」

「そうよ、水産庁の方針に文句あるの?」

「我らはすでに帰化生物じゃ」

「帰化生物ですって? 観光資源として利用されているだけなのが分からないの? 貴方たちだって、いずれは塩焼きにされる運命なのよ」

 開き直りとも取れる彼女たちのワガママ勝手な言い分に、イエローは諄々と人の道理を説いてみたのであるが、魚たちは一切聞く耳を持たなかった。

「ババァの説教なんかムカつくだけだわ」

「マジでウザっす」

「ああなったら女はお終いじゃのう」

「売れ残り軍団」

「くっ」 エルマの背後で誰かが苦鳴を漏らした。

「負け犬」

「ひぃ」

「粗大ごみ」

「あぐぅ」

「化粧おばけ」

「ううぅっ」

「バケモノ」

「もうイヤぁぁぁっ~、止めてちょうだいっ」

「ダメ人間」

 トラウト娘たちの言葉は鋭い刃となって、熟女たちの心を深く深く抉った。

「今さら紫外線対策なんて無意味だわ」

「ムダムダムダ。何をやっても、もう手遅れじゃ」

「そうよ、いくら水を与えても枯れ木は花を咲かせないわっ」

 浮足立つ熟女の様子を見て、ここが勝負どころと判断したトラウト娘たちは新たにフォーメイションを組むと、さらなる追い討ちをかけた。

『魚と女は鮮度が命っ!』

「ひぐぅぅぅぅっ」

「おい、しっかりしろっ!」

 エルマは崩れ落ちんとする戦闘員の体を支えた。彼女は愚恋隊結成当初から影のごとくエルマに付き従ってきた最古参のコマンダーである。四人の元夫との間に授かった四人の子供をたった一人で育てながら、さらに再再再再婚を目指している。そのアグレッシブな生き様。バイタリティーあふれる不屈の魂は他の模範とされ、仲間達からも一目置かれているサバイ婆である。

「うぅっ、エルマ様、私はもう耐えられません。死なせて下さいっ」

「バカやろう、お前が死んだら子供たちの将来はどうなるんだっ」

「うぅぅっっっ・・・・」

 その責任の重大さゆえに、子を持つ母親は死を選ぶことなど決して許されはしない。女としての幸せを捨て、子供たちに新しいシャツの一枚も買ってやれない貧乏を心の中で詫びながら、歯を食いしばって必死に働いてきたのだ。自分に構っている時間やお金、そんな余裕など一切なかったのである。

「健くん」「彰さ~ん」「ミッチー」

 湖畔から男の名を呼ぶ熟女たちの声が上がった。何事かと振り返ったエルマが目にしたものは、念仏を唱えながら湖に入水自殺を図る仲間たちの姿だった。

 感情とは不思議だ。死に臨んだ彼女たちの脳裏には、とっくの昔に吹っ切った元カレの顔ばかりが思いだされてしまうのだ。自分を捨てて他の女の元へ走った憎いアイツが、優しい笑顔を湛えながら湖の向こうで手招きをしている。愛と憎しみは対立しているようで、実は同じ感情の表と裏にすぎないのかもしれない。

「ジョージ」「ジョージ」「ジョージさん」「ジョージさま~」

 女泣かせのジョージ。

 それは数多くの女性と浮名を流し、宇都宮の種馬とも女の敵とも、または夜の撃墜王とも呼ばれた伝説の遊び人の名前であった。あの国際恋盟からも恋のテロリストとして指名手配をされている超危険人物である。

「誰か止めろっ」

 エルマの指示が飛ぶと、ピンク・イエローの両名は数人の配下とともに戦列を離れ、彼女たちを説得するために沖へと向かって行った。

 美少女鮮魚、スーパートラウト娘。県の水産試験場と地元漁協の手厚い保護を受けて育ったバイオ・アイドル。その実力を甘く見ていたようだ。娘たちは一向に攻撃の手を緩めようとはしない。

「おばさん、そんな格好して恥ずかしくないの? 周りに迷惑だわ」

「矯正下着なんかで自分を誤魔化そうとするなんて、恥を知りなさいっ」

「いくらファンデーションを塗り重ねても年齢は誤魔化せないわ」

「そうよ、仮に多少若く見えるようになったとしても、私たちには全く太刀打ちできないでしょ、違う?」

 包囲殲滅を目的に左右に大きく展開した鶴翼の陣。今やそれは両翼をもがれ、愚恋隊の本陣は危機に瀕していた。新戦力として期待した歴戦の勇士、闇ピンク・闇イエローの二人でもこの戦況を覆すことは出来そうにない。熟女軍団はトラウト娘らの布く魚鱗の陣の前に成す術もなく完敗を喫しようとしていたのである。

 ところが・・・


「言いたいことはそれだけ?」

 突如として両陣営の間に割って入る戦士の姿があった。たったいま滝つぼから舞い戻った由紀である。心配していたブラウスはボロボロになりながらも、なんとか水圧に耐え抜いていた。ナイス、ブラウス! ナイス、スカート! 倒れ伏す仲間を見つめる由紀の瞳は、言葉では言い表せないほどの深い哀愁に満たされていた。

「確かにあなた達の言うとおりよ、私達はもう若くはないわ。実家の両親は連絡を取るたびに早く孫の顔が見たいだの、いい歳してみっともないだの、もう親も若くはないんだぞとプレッシャーをかけてくる。しかも・・・ 最近はそれさえも口にしなくなった」

「うぅぅっ」

 由紀の背後ですすり泣きが沸き起こった。ガックリと膝を落し肩を震わせる熟女戦士たちである。もはや立っていられる者など一人もいない。身内にまで見放されてしまった悲しみの深さは、経験した貴方ならきっと分かってもらえるはずだ。

「こんど食事にでも行きましょうって誘っておきながら、それきりってどう言うこと? どんな気持ちで連絡を待っているのか分かっているの? こんどって何時よっ!」

「ペア割引券、その言葉がどれだけ人を傷つけるか知ってる?」

「婚活イベント参加者募集中、とか言いながら、年齢制限をつけるのっておかしくないですか? 借金まみれの47才はどうしたらいいの~~~っ」 

「少子化対策ぅ? ハンっ、今さら遅ぇんだよ!」

「いらっしゃいませ、お一人様ですか? とワザワザ確認してくるマニュアル対応の無神経なウエイトレスっ、そんなの見たら分かっぺ。ちょっとは察して、さり気なくイケメンの隣に案内しなさいよっ。相席希望ぉぉ~っ」

「ねぇ、結婚披露宴で友人代表の祝辞って本当に必要なの? お二人の幸せを心から・・・ なんて心にもないこと、何回言わせれば気が済むのっ」

「写真つき年賀状ってどうよ? お嫁に行った後輩から、旦那さまと子供に囲まれて、幸せいっぱいって家族写真を一方的に送り付けられるのって、どんな気分だと思う?」

「別れっちまえぇぇ~~~っ」『別れっちまえぇぇ~~~っ』

「別れっちまえぇぇ~~~っ」『別れっちまえぇぇ~~~っ』

「別れっちまえぇぇ~~~っ」『別れっちまえぇぇ~~~っ』

『みんな不幸になっちまえぇぇ~~~っ』

 由紀の叫びに合わせて、熟女たちは声を嗄らしながら呪いの言葉を叫んだ。涙が止まらない。彼女たちの脳裏に世間に虐げられてきた辛い日々が次々と蘇った。誰に頼ることもできず目と耳を塞ぎ、決して口に出せなかった鬱積した腐の感情。だがこれこそが彼女たちのウソ偽りのない心の声なのである。


「かわいそう・・・」

 ヤシオは釣り針が刺さったままの唇から思わず声を漏らした。他のメンバーも赤く染まった目元からハラハラと大粒のウロコをこぼしている。若い彼女たちは今まで考えてみたことも無かったのだ、何気ない日常生活の中に、こんなにもたくさん言葉の暴力が潜んでいることを。そして由紀の告白によって、社会が独身者に対していかに無神経なのかに気付かされたのである。国からはただ税金をむしり取るための格好のカモにされ、崩壊した年金制度を支えるための捨石とされてきた。少子化さえも、その責任は彼女たちにあると云わんばかりに扱われてきたのだ。人目を避けるように肩身の狭い思いをしてきた人生の先輩。口を閉ざし、じっと耐えながら棘の道を一人で歩んできた壮絶な半生。誕生日もクリスマスも、新年さえも共に祝う相手のいない味気ない生活は、きっと毎日が刑務所のようであっただろう。嫁ぎ遅れたババァの戯言と一笑に付すことは簡単である。しかし個人差はあれど彼女たちにだって若く美しかった時代があり、好きで独身やってる訳ではないのである。言うまでもなく加齢による肉体の老化は誰にでも平等に訪れる。それはつまり明日は我が身かもしれないということだ。自分がこうならないという保証はどこにも無いのである。熟女の目尻に刻み込まれた隠しきれない深いシワ。その一本一本は必死に働いて人生を戦い続けてきた証なのだ。そんな彼女たちに向かって厚化粧の大年増などという暴言を平気で吐く者が仮にいたとしたら、それは人を見た目でしか判断できない阿呆だと自ら証明しているのと同じ事なのである。


「私達はか弱い女の身でありながら男たちに交じって必死に働いて、世間の冷たい視線や云われ無き中傷、そして中年オヤジの下らないギャグの連発に愛想笑いを浮かべて耐えながら、毎日を懸命に生きているの。それを嗤う者は絶対に、絶対に赦さないっ!」

「由紀さまっ!」

 由紀の言葉は熟女コマンダー一人ひとりの胸を打った。彼女たちは込み上げる感情を必死に押し殺して涙を拭った。泣いたところで状況は何も変わらない。誰も救いの手を差し伸べてなんかくれない。シワが取れるわけでもない。頼りになるのは決して折れないタフな心と生まれ持っての頑丈な体、そして同じ苦しみを味わった仲間だけである。中年女は可愛げがないと世間は言うが、なりたくて強くなったわけじゃない。そうならなければ生きていけなかったのである。こんな偏見に満ちた世の中でも、一人一人の力を合わせれば未来を変えることが出来るかもしれない。闘志を取り戻した戦士たちは再び立ち上がった。倒すべき敵が目の前にいるのだ。

「先生っ」

「おうっ」

 由紀とエルマ。

 固く手を取り合った二人の元に全員が集まり、肩を組んで円陣を作った。

「いいかっお前たち、根性みせろっ!」

「おおぉぉ~~~」

 エルマの声に一同は力強く応じた。もう涙は止まった。人生において何度も修羅場をくぐり抜け、そのつど逆境を切り拓いてきた熟女たちの表情は、まさに戦人そのものと言えるだろう。熟女軍団の公式テーマソング『愛より夢より、生活の保障が欲しい』にあわせてセクシーダンスを踊れば、黒い瘴気が渦を巻いて湧き出で、腐のエネルギーが時空をも歪めてゆく。野鳥は慌てて飛び去り、湖畔には両軍の姿が隠れてしまうほどの暗黒闘気が立ち込めていった。エルマの号令で、軍団は劣勢な戦況を挽回するための新たな陣形を組み直した。通称、車懸かりの熟女陣。敵の軍勢に対して車輪の如く自陣を回転させ、次々に新手と交代しながら烈火のごとき斬り込みを仕掛けるのだ。それは花びら回転とは似て非なる最強の攻撃陣形なのである。滔々と押し太鼓が打ち鳴らされる。それは決して退くことを許されない総がかりの合図である。角材や金属バットを振りかざした熟女たちは、さざ波打ち寄せる砂利浜を一斉に走り始めた。

「うおおぉぉぉおぉぉ~~~っ」


 同じ女性どうし、話せば分かりあえた相手だったかもしれない。だがそれをして何になるというのだろう。お互いが理解を深め、心の傷を慰め合ったところで何の解決にもならない。世の中は変わらない。男は寄ってこない。ならば戦って変えるまでだ。両軍の激突は先例のないほど激しいものになった。骨のへし折れる音。唸る鉄拳。重い打撃音。低い呻き声。絶叫。美しい湖畔を朱に染めるガチの潰し合いが展開されたのである。みんな必死だった。髪は逆立ち、サロンパスは剥がれ、腫れたハグキから出血した。悲鳴を上げる肩・腰・膝にムチ打って、大声で叫びながら強敵に立ち向かっていった。傷ついた仲間には肩を貸し、励まし合いながら前へ前へと突き進む。桟橋から叩き落とされては這い上がり、遊覧船から蹴り落とされては這い上がった。転落するのはこれまでの人生で幾度となく経験している。そしてそのたびに地獄の底から這い上がってきたのだ。

 生きる。行き場のない苦しい思いを口にせず、ぐっと腹の中に仕舞い込んで。

 生きる。この胸の怒り、荒ぶる魂を闘志に変えて。

 生きる。たとえ無様と笑われようとも何度でも這い上がるのだ。

 湖畔に女の一里塚を築きながら前進を止めない熟女の群れ。それを見守る男体山は不気味な鳴動を伴ってガタガタと震えていた。次々と倒される仲間の屍を乗り越えて、明日へ向かって突き進む。必ず幸せを手に入れてみせるっ!

 序盤こそ若さとスピードに圧倒されたが、熟女軍団は稀にみる大激戦の末に県内最強クラスの戦闘チーム、トラウト娘をひねり潰すことに成功したのである。


     『祝杯』


「乾杯ぁ~い」

「きゃははははっ」

 狭い店内は酔いどれ熟女たちの賑やかな笑い声で沸騰していた。トラウト娘との激戦に勝利した愚恋隊の一行は、バーを貸し切って祝いの酒盛りの最中だった。彼女たちの姿は包帯やコルセットを巻き、体中に青アザを作った痛々しいものであったが表情は、勝者の誇りに満ち満ちていた。熟女の輪に囲まれたエルマは上機嫌で祝杯を掲げた。

「今夜は私のおごりだっ」

「うおぉぉぉ~」

 久々に味わう爽快な気分だった。今夜の酒は胸に沁みる。そんな彼女たちの盛り上がりに戸惑いながらも、そっと耳を傾けている男がいた。

 哀愁のジャズバー『サンレイ』のマスター(のちに伝説のヒーローと知る)である。

 今日のマスターは口元にマスクを装着していた。それはスギ花粉のこの時期になると見られるマスター定番のスタイルである。由紀は厨房に立って忙しく店を手伝っていたが、マスターの顔色が少し悪いように感じていた。

「マスター、今日は定休日なのに無理言って済みませんでした」

 由紀が頭を下げると、マスターはいつもと変わらぬ哀愁に満ちた笑みを見せた。

「なぁに大丈夫ですよ、お気になさらないで下さい。それより小林さま、今日はどういった集まりなのですか?」

 その問いに答えたのは由紀ではなく、横から割り込んだ全身包帯の女ミイラであった。

「サークルの祝勝会でぇ~す」

「ほぉぅ・・・」

 マスターはミイラの顔をひと目見るなり、サングラスの奥の目を丸くした。

「もうっ、寝てなきゃダメだって言われてるでしょ」

 エルマに絶対安静を言い渡されているにもかかわらず、ミイラは一息にグラスを傾けると、由紀の制止をも振り切って今日の戦いの顛末を早口でまくし立てた。

「みんな~、楽しんでますか~?」

「イエェ~イ」

 奥の小さなステージでは、マスターが趣味で使っているカセット式の古いカラオケマシンを引っ張り出して大いに盛り上がっていた。

「ぎゃははははっ」

「ちょっと、次わたしよっ」

 マイクの奪い合いを始める者、肩を組んで歌う者、すでに酔いつぶれて床に倒れ伏す者、半裸で踊りだす者。哀愁のジャズバーは笑い声と怒号にあふれ、ピーナッツが宙を飛び交っていた。魔女たちの夜会はますますヒートアップしていった。

「ちょっと静かにして、始まったわよ~」

 テレビの前に陣取っていた一人が声を上げると、カラオケを一時中断して全員がその周りに集まってきた。いよいよ今日の戦いがテレビ放映されるのである。画面の中からいつもの女性アナウンサーが流暢な標準語で話し始めた。

『皆さんこんばんは。レッツゴー栃木の時間です』

「あっ、メグミンだぁ。ヤッホ~」

「うるっさ~い、静かにっ」

 今日の鉄仮面は表情に少々の疲れが見てとれるようだった。視聴者の目から何かを誤魔化そうとするかのように、いつにも増して化粧が厚い。

「最初のニュースはこちらです」

 トップニュースでトラウト娘の敗戦が伝えられた。駆けつけたテレビクルーによって撮影された激戦の様子が放映されると、熟女たちは大きな歓声を上げた。一緒になって放送を見ていたマスターは、その衝撃的な映像に思わず腰を抜かしそうになってしまった。画面には体長180メートルを超える超々特大のオオサンショウウオ、アストロV9が映し出されていたためである。

 今は建物が残るのみの廃墟となってしまっているが、かつて中禅寺湖の湖畔には両棲類研究所なる謎に満ちた施設があった。V9はその施設から逃げ出して湖で野生化した新種のEVО生命体なのである。劣勢に立たされたトラウト娘らが最後の切り札として湖底から召喚したのであった。人類に敵意を剥き出しにして荒々しく雄叫びを上げる巨大モンスター。そんなV9に負けじと、熟女軍団はジャンボ由紀を投入して反撃を試みた。

「うぇぇ~、ムリムリっ」

「あっ、こらっ逃げるなっ」

 ブヨブヨに弛んだ皮膚。短い手足にずん胴体型。ジャンボーグ由紀はV9の気色悪さにすっかり戦意を失ってしまった。もう怖すぎて近寄ることも出来ないのだ。エルマの表情が一瞬凍った。もしこのままジャンボが戦えないのであれば、戦況は明らかに熟女側の不利である。ところがそんなエルマの心配をよそに、V9は巨体に似合わぬ小さな瞳をジャンボに向けたままで、じっと動きを止めていた。彼は考え込んでいたのである。くびれの無い胴長体型に寸詰まりの短い手足。シワが刻み込まれた皮膚を持つこの生物は一体なんなのだろうかと。そして悩んだ末に彼はある考えに思い至ったのである。目の前に現れたこのブサイクな生物こそ、冷たい湖底でずっと待ち続けていたガールフレンドに違いないと。彼は盛んに尾を振りながらジャンボにジワジワとにじり寄った。それが彼らの求愛行動なのである。

「ぐもももも~~~っ」

「うわぁぁ~、来ないでよっ」

 完全に腰が引けてしまっている由紀にV9が襲いかかった。巨大生物どうしの格闘は迫力満点。湖面は白波をたてて荒れ狂い、浮き桟橋は粉々に破壊されてしまった。得意の水中戦だったこともあり、戦況はV9が優勢であった。由紀の十万婆力が完全に力負けしている。V9は両生類の作法に則り由紀の背中にのしかかると、そのまま湖底に引きずり込んでしまったのである。

 古来、人間の女性が湖の主に嫁いだという伝承はいくつか伝えられてきた。この話の展開はひじょうにマズイ。大ピンチである。まだ話しの中盤でありながら、ここでエンディングを迎えてしてしまうのか? あせる由紀、あせる作者。

『一人と一匹は湖の底で幸せに暮らしましたとさ、おしまい』

 市原悦子のナレーションが霊界から響き渡る。

『この作品はもうお終いだ』と思ったそのとき、由紀は奇跡を目の当たりにすることになった。そう、ここで三分が経過したため、ノーマルサイズに戻った彼女はV9の腕をすり抜けて浮上することに無事成功したのであった。パクリだとかオリジナリティーが無いとか言って不評であったエルマのキャラ設定が、由紀の窮地を救ったのである。荒れ狂う湖面を何とか岸まで泳ぎ着き、疲れ切ってグッタリとしている由紀の元へ、エルマと軍団が駆け寄って来た。

「なぜ逃げるんだ? せっかくのプロポーズを」

「ゴホッゴホッ、冗談は止めてください。あんな気持ち悪いのお断りですっ」

 飲み込んだ大量の水にむせながら由紀が答えると、エルマは大真面目な顔でこう言った。

「なに贅沢言ってんだ、こんな似合いの相手は他にいないぞ。うぷぷぅっ」

 エルマが堪えきれずに噴き出すと、つられて仲間も笑い出した。V9が急にいなくなった花嫁を探して湖面に顔を出すと、仲間たちは「もう一度行って来い」とか「お幸せに~」とか言い出して、ふたたび由紀に巨大化ライトを向けた。

「お前ぇらっ、今なんつった!」

 ジョークにも越えてはならない一線が存在する。エルマたちの冷やかしは由紀の限界を越えてしまっていた。由紀とエルマは敵をそっちのけで、また揉みあいを始めた。由紀は笑いこけて力の入らないエルマを頭上に抱え上げると、V9に向かって思いっきり投げつけたのである。

「お前の方がお似合いじゃぁぁ~っ」

「ひゃははははーーーっ」

 由紀はエルマが岸辺に落としていった巨大化ライトを素早く拾い、グルグルと回転しながら飛んでゆくエルマに向かって照射した。

『ドボォォン』

 エルマの落下により湖面には岩を投げ込んだような水しぶきが上がった。通常であれば水の波紋はすぐに消えるものであろう。しかし湖面は煮えた湯のようにブクブクと泡が沸きたち、水中では七色の光が眩く輝いていた。激しく点滅するその光が一段と輝きを増したとき、湖面を割ってビッグエルマが姿を現した。つぶらな瞳でじっとエルマを観察したV9は、先ほどにも増して激しく尾を振りながらビッグに襲いかかった。

「なめンじゃねぇぇ~っ」

 エルマの怒号が山々を揺るがす。迫り来るV9を気合の鉄拳で殴り倒したエルマは、仰向けに倒れたV9の腹を何度も何度も踏みつけた。さらに悶絶するV9の長い尾をつかむと、得意のインパー一本背負いで対岸まで投げ飛ばす。岸辺にたむろする熟女軍団は、みんなで大笑いしながら熱い声援を送っていた。

「V9がんばれっ」「V9がんばれっ」

 残念ながら彼女たちの声援はV9の元へは届かなかったようだ。こんな凶暴な女、誰だって嫌だろう。完全に戦意を喪失してしまったV9は深い湖の底へと帰って行った。エルマの嫁入りはもう少しのところで破談となったのである。

 戦いは終わったのだ。沈む夕日が老眼にしみる。

 熟女軍団はあかね色に染まる美しい山々を背景に緊張した面持ちで勢ぞろいして、勝利者インタビューが始まるのを待っていた。その横に置かれた大きな水槽の中で白い腹を見せて浮いているのは、力を使い果たし本来の魚の姿に戻ってしまったトラウト娘たちである。テレビリポーターは型通りのインタビューをしたあとで、最後をこう締めくくった。

「では、視聴者の皆さんに何かひとことお願いします」

 満面の笑みを浮かべた熟女たちはエルマのかけ声に合わせて元気に声をそろえた。

「せぇ~の、私たち恋人募集中でぇ~す」


「きゃぁぁーーぁぁー」

 狭い店内に再び割れるような歓声があがった。クラッカーが弾け、紙吹雪が舞う。結党以来の悲願が今夜ついに果たされたのである。エルマを信じてついてきた長い苦労が、ようやく実を結ぼうとしているのだ。明日には交際を求める男性からの熱いメールが大量に送られてくるであろう。熟女たちは喜びを分かち合い、お互いの健闘を称えあった。シャンパンが雨のように降り注ぐ中、みんな甲子園球児のように抱き合って泣いた。その様子を見ていたマスターは額を押さえながら小さな呻きを漏らした。

「ああっ、悪夢だ・・・」


 夜通し続くかと思われた勝利の宴は、その後に起きたちょっとした騒動によって急きょ解散となってしまった。マスターが体調を崩して倒れてしまったのである。幸いなことにこの場にドクターが居合わせているが、よほど嬉しかったのだろう、エルマは酔いつぶれてしまい、とても診察できる状態ではなかったのだ。由紀は皆に宴会の終了を告げたのであるが、彼女たちは口々に不満の声をあげて、なかなか帰ろうとはしなかった。仲間と別れるということは孤独との戦いが始まることを意味しているからである。

「いやだぁ~、まだ帰んないぃ~。帰りたくないぃ~」

「もっと飲ませろ~っ」

「一人にしないでよ~」

 由紀は抵抗する熟女たちを店から叩きだし、救急車に乗せられたマスターを見送ったあと、酔ったエルマに肩を貸しながら大通りまで歩いた。そこまで行けばタクシーが拾えるはずである。

「今日は済まなかったな・・・」

 エルマは完全に脱力しきった体を由紀に預けながら、そんな言葉を口にした。

「ちょっと先生、どうしちゃったんですか?」

 由紀が覗き込むようにして顔を伺うと、なんとエルマは大粒の涙を流しているのであった。由紀はその涙の理由に思いを巡らせた。世間から売れ残り軍団と揶揄され、後ろ指を指されてきた仲間たちをまとめ上げる気苦労は並大抵ではなかったはずだ。念願の恋人募集の告知ができたことと過度のアルコール摂取が、ずっと張り詰めていたエルマの心の糸を緩ませてしまったのであろう。思えば苦しい戦いの連続であった。これまでに倒してきたチームの数は、由紀が加入してからだけでも二十を超えていた。

 しかしそんな思いをするのも今夜が最後である。エルマの計画を信じるならば、明日になれば交際を求める男性たちが群れをなして押し寄せるはずである。由紀は独り身最後の夜を噛みしめるように大通りまで歩き、数週間が過ぎても軍団のメールボックスは空のままでした、というオチを全く予測できぬままタクシーを見送ったのである。

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