第17話

花子は再び、急斜面を降りて勇太の手を取った。

花子に手を引かれて、やっとの思いで勇太は太い枝に座った。

木の葉のお陰で、土砂降りの雨はあまり体に当たらないようになっていた。

花子も安心したのか、勇太の隣に座ったまま黙り込んで顔もあげない。

濡れてしまった全身が、初冬のように肌寒く感じた。

ふと、勇太は隣に座る花子を見た。

ショートヘアの黒い髪から滴る水の奥に、生きた人間とは思えない白い肌。

今はもう、その存在に恐怖すら感じなかった。

そして、空から強く降り注ぐ雨の音の中で、勇太は言った。

「花子」

花子は「ん?」と呟くように小さな声で言う。

「花子ってさ、なんでみんなから花子って呼ばれてるの?」

花子は急な質問に、「えっ?」と驚いた。

「なんでだろう?」

花子は自分自身でもその名前の由来を把握していないみたいで、勇太は笑った。

「じゃあ質問変えるけど、花子の本当の名前ってなに?」

花子は困ったような表情をした。

「どうして私の名前が知りたいの?」

「だって本当の名前の方で呼ばれた方がいいだろ?

それに、仲良くなった相手の名前くらい知りたいじゃん」

その問いに、花子は頷かなかった。

「私はね、花子って名前はせっかくみんなが付けてくれた名前だから結構気に入ってるんだ」

そう言うと嬉しそうに笑った。

「けど本名はちゃんとあるんだろ?」

「まぁそうだけど」

何を言っても引かなそうな目を見て、花子は少し肩を落とした。

「まぁ、勇太が知りたいなら…いいよ」

「おっ!ありがとう!」

勇太は聞きそびれまいと花子に耳を傾けた。

「わ、私の名前は…」

その一瞬、勇太の耳には何も聞こえなくなった。

ただ、宙を落ちる感覚と、勇太に向かって手を伸ばす花子の姿。

その次に冷たい水の中に落ちた感覚の後、目の前が暗くなった。

遠い向こうで、誰かが「勇太」と呼んでいる声がした。

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