第9話 自分で作った檻の中にいる山賊
第9話
自分で創った檻の中にいる山賊 著作者:乙音メイ
安房港の東沿いにあるレストラン「○○○ん」の上に建つ、二階建ての瀟洒な家、この1980年に建てられた家は、屋○島森林管理署本署の官舎で、洋室四部屋、和室一部屋、キッチン、バス、トイレの5Kだ。地所を含めて屋久島森林管理署本署が持ち主だ。
この庭に、森林管理署本署職員4人と、元職員だった男の両親の計6人の遺体が埋められた。
1948年1月1日に続いて、再び森林管理署の官舎が狙われた。
それは2002年1月1日のこと、ここでも皿に盛られた魚の「たたき」が釣り餌として使われた。それは「魚のすり身+生姜+ニンニク+味噌+大量の砒素+長ネギ」で出来ている。
元日の朝八時頃、新年のあいさつと共に、
「男所帯は何かと不便でしょう」
と、この皿を持って女が訪ねて来た。
お正月の祝いの席で、屋○島森林管理署本署の職員4人は「たたき」を食べた。そして、相次いで亡くなった。
まず、午前11時02分に、2階真ん中の洋室の主が最初に苦しみ出し、呼吸も脈もか細く脇や額に冷や汗をかきながら体が冷たくなって、遂に、息を引き取った。みんなが、
「おい! どうした! ええっ?」
と、驚く中、自分たちも苦しくなってきて、続いて1階洋室の主が午前11時10分に、1階洋間の主は、午前11時14分、2階海側の洋室の主は、午前11時16分に、4人とも砒素の急性中毒症状により急死。
毒入り料理を届けた女は、当時、屋○島森林管理署本署に勤めていたある男の女房である。男は、仕事始めになっても出て来ない四人の様子を見に行くよう上司に頼まれ、「○○○ん」の上の屋○島森林管理署本署の官舎に出かけた。
一階和室には4人の職員が倒れていた。男は、妻が、1月1日に、「たたき」などを盛り合わせたアルミ箔のオードブル皿を、官舎に住む4人に届けに行ったことを知っていた。お礼の電話を受けたのもこの男である。
男は日頃から妻が、砒素や覚せい剤を、独身ナース(徳○会屋○島病院勤務)時代から住んでいた別宅(安○支所裏国道77号線沿いに建つ団地2階、国道側から3番目の世帯のこと。階下や、隣の世帯に、毒の散布などをしていた、と本人の口から聞いていた。2018年9月までこの女の家として確保されていた。だが、現在2019年6月、恵○寿団地E2棟302号室に居住)に、隠し持っていることも、お腹に赤子が出来た結婚前から知っていた。それで妻がやったと思い、問い正したところ罪を認めた。
妻の犯行の動機はこんな感じだ。
(「この官舎に住むのは、自分たち夫婦と子供たちだと思った。だからやった。欲しいものを手に入れる方法は、子供の頃から耳にタコができるほど母に聞かされている。妊娠の向こうに欲しいものが繫がっている場合、繫がっていない場合のこと。繫がっていない場合は毒を使え、と」)
始めの、屋○島森林管理署官舎内、職員4人砒素毒殺事件は、台湾北朝鮮中国の流刑山海賊が日本に密入国して来て二回目の正月、1948年1月1日に、「魚のたたき」に毒を仕込み、4人を毒死させたのは自分の母だという。
このときの山賊一世の女の動機は、若い漁師夫婦の船宿にいるが、増水で揺れたりしない家と祖国に帰れないなら日本人の戸籍が欲しかった、それが理由だった。
宮之浦から呼び寄せた仲間の山海賊の若者3人と自分たち5人で、新年の祝いを偽装しつつ飲み食いし、4人の遺体は、後から荷車で運んで田○館の焼却炉に遺棄した。占拠していた船宿の若夫婦も、この料理を食べて亡くなっている。官舎に料理を届けてから、お裾分けの皿に手を付けるよう伝えてあった。ワン・ユリと内縁関係のレン・キワと年恰好の似ているふたりのその戸籍が狙いだった。
屋○島森林管理署官舎の十代の若い職員4人がいなくなって3年が過ぎた。
「亭主持ちの女と駆け落ちでもしたのだろう。そういえば、飲み屋で女と一緒にいるところを見かけたよ」
とか、
「新春初登山で遭難したか」
「まあ、要するに事件性がないな」
「私には何も感じられませんね」
などと、警察にも顧みられることがなかった。だが、この時の署長は、山海賊の女に体で買収されていた。そのような事柄が、前例が、それをネタに脅迫されたり、山海賊カルト教団をのさばらせ、この後の島民の暮らしを重苦しいものにしていった。
1951年1月1日、先の5人は、3年間寝かせた念願の隣り合った二つの屋○島森林管理署本署官舎に、住み始めた。今もここは屋○島森林管理署の官舎なのだが、既婚者用官舎には主犯格の若いワン・ユリとレン・キワ、左の独身者用官舎には男3人、ワン・トナ、ポ・ヨアン、ニコシ・キが暮らす。2メートルを置かず隣に建つ既婚者用の宿舎、○田○作、○子さん若夫婦が借りているはずの宿舎で生まれたのが、後に、六人を毒殺する山賊二世の女、新○明○である。
*
2002年1月1日、新○家の子どもは長男が高校生、娘は中学生だった。毒殺したことを隠ぺいする為、夫婦で4人の遺体を庭に埋めた。
毒を盛った料理を食べさせた当人の妻は、しゃあしゃあと開き直っていた。
「官舎に住みたいからと言って罪もない人、ましてや私の同僚を殺したのか」
とたしなめられ、
「姑と同居が嫌なのよ」
と、言う妻。山賊二世の女とは見破れず、屋○島警察署長官舎にほど近い、バス通り沿いの家(森林管理署本署官舎)で生まれた徳○会屋○島病院の看護婦さんだからと思い、ナイチンゲールのイメージを膨らませて油断した夫。おなかに出来た子供を盾にされ、別れられなかった。
その一月後の2月1日には、煙たがれていた夫の両親が、砒素で毒殺されてしまった。
舅は午後1時02分に、姑は午後1時06分に、それぞれ砒素の急性中毒症状により、死亡した。夫が勤めから戻った時には、もう冷たくなっていた。長男も長女も祖父母の亡骸を見て、途方に暮れていた。
真夜中過ぎ、夫婦は、ひと月前に森林管理署本署の4人を埋めた「○○○ん」の上の森林管理署本署官舎の庭まで、遺体を車で運び、土葬にした。
その翌日の2002年2月2日、夫は妻への恐ろしさが募り、家も子供も捨てて逃げ出した。長男長女のうち、長女が自分の子どもでないことも、うすうす感じていたのだった。現在、鹿児島市内にいる。
長男は高校卒業後、母親と署長との愛人関係という縁故がものを言って警察官になった。長女は中学を卒業して看護学校に行き、看護師になった。長女は現在、母親が結婚前に、役場支所裏の団地でしていたのと同じことを、恵○寿団地で行っている。台湾流刑山賊一世の祖母は役人と船宿の夫婦とで6人を毒殺、二世の母も6人を毒殺、三世目にあたる恵○寿団地E3棟402号室の長女は、これまで「胸部圧迫死」が5人。そのうち、瀕死の状態で徳○会屋○島病院送りにした3人のうち、2人は病院に搬送される前にすでに殺されていた。ひとりは救急車にセクトが紛れていずその時の救急隊員が素晴らしかったため、生還を果たすことができた。親族が迎えに来て団地から逃れることが出来た。衛生面の妨害もない、人として約束されているはずだった安全な環境で、元気に暮らしている。
山賊一世の祖母は、屋○島警察署長官舎にほど近く、77番バス停に近い通り沿いの森林管理署本署官舎と、「○○○ん」の上の屋○島森林管理署本署の官舎をなりすまし家主として、月極め家賃を自分の口座に振り込ませ、1948年1月に奪取した日本人若夫婦の戸籍から、屋○島警察官夫婦と夫婦交換し、後に屋○島警察署長となり、退官した夫と共に年金暮らしを楽しんでいる。鹿児島中央駅の西側に在住。
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