第11話 ■達也■ 雫な時間

 お姉様は半分ほどに減ったグラスをもてあそびながら、グラスの中にある遠くの景色を見ているような感じだ。そばに寄っても、俺を見るでもない。流石に疲れたのかな……。さっきまでとはだいぶ違う雰囲気を身に纏っている。少し近寄りがたい大人の女の人がそこに居た。

 醤油色に染まったショウガの残った皿を下げ、氷が溶けたチェイサーを作り直す。

「ありがとう……」大人の女の人は、そう言うと両手でカクテルグラスを支えたまま俯いた。

 酔ったかな? そらそうだよな。これだけ強いの飲んでんだから。

 俺は自分の酔い覚まし対策のため、グラスに水を注ぐと塩をブチ込み一気に呷った。酔い覚ましに効くかどうかは別にして、これは俺のオマジナイだ。喉渇いちゃうんだけどね。そして再びグラス磨きに戻る。カウンターの端から、細谷さんの話術に愚痴を忘れたリーマンズの笑い声が聞こえてくる。グラスを磨く俺の眼には、カクテルグラスを支える彼女の両手が見える……かすかに震えている……。

(……?)

 少し心配になりながら顔を上げた俺が見たものは、彼女の頬を伝いその細い顎からカウンターにポトリと落ちる雫だった。涙の理由を知る訳じゃないが、なぜか俺は自分の胸を締め付けられるのを感じた。

 雫は、ひとつ……ふたつ……とこぼれ落ち、カウンターのそこだけが照明を映して揺らいでいた。


『あたしね、このカクテルって、もの凄~く辛い思いを味わった人が創ったんだと思う』


 さっき、そんな事言ってたっけ。きっとこのカクテルは、もの凄く辛い思いを味わった人が飲みたくなるんだ。俺は見てはイケナイものを見てしまったような気がした。でも、その気持ちとは裏腹にポケットからハンカチを取り出すと震える手の脇にそっと置き、少し距離をおいた。

 リーマンズの笑い声は響いていたが、俺と彼女との間には深く静かな時間がゆっくりと漂っていた。カクテルグラスが静かに置かれ、彼女の両手がハンカチを眼にあてる。BGMは今『MISTY』が流れている。柔らかなジャズの名曲だ。金森さんは時々こうやって演出過剰になることがある。おかげで俺まで湿っぽくなってきたじゃねぇか。

 幸いカウンターの中はグラスだらけだ。俺は彼女の髪を、肩を、背中を撫でるようにグラスを磨き続けた。それで彼女が癒えるワケじゃないのは判ってる。大人の彼女に対して俺が無力なのも判ってる。彼女の中に俺が居るワケじゃないんだし。こんな若造だし。たださ、俺は応援団なんだよ。放っとけねぇって。


 俺は一人で勝手に彼女との時と空気を共有している気になって、少しでも彼女の心が晴れたらと、祈るように胸の中でエールを贈りながらグラスを磨き続けていた。

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