第5話 ■達也■ EarthQuake

 もうサンタナは終わっている。

「あのぉ……」身体を剥がそうとすると、一際強くギュゥされた。お姉さんの身長は160cmくらいだろうか。ヒールを履いた状態で俺の肩にちょうどアゴが乗る感じ。

「アンタ名前なんて言うの?」耳元にウォッカの熱い囁きがかかる。

「達也……佐伯達也ですけど……」

「たっちゃんか……ゲロンパの前にさ、もう一杯作ってくれる?」

「あ、はい……もちろんです」

「おしっ! 飲むぞっ」お姉さんは、いきなり身体を離すと俺の背中をバシンっと両の平手で叩いた。カウンターにツカツカと戻る彼女をペタペタと雪駄が追いかける。お姉さんがスツールに腰掛けるのをサポートして、本来の持ち場に戻ろうとする俺に「さんきゅ」と軽い声がかかる。カウンターをくぐり、背筋を伸ばしてお姉さんと向き合った瞬間、俺は「目指せ野瀬さん」に戻っていた。


「たっちゃんさぁ、アースクェイクって作れる?」

「えぇ、できますけれど……そんなハードなの平気ですか?」

「お、頼もしいじゃん。作ってよ。ガツンとくるヤツね」

「はぁ……」

「あ、そだ。2つお願い」

「2つぅ? 同時に? 大丈夫ですか? 知りませんよ?」

「いいからいいから」

 何がいいんだか判らないが、お姉さんが飲みたいってんだから、おとなしく言うことを聞こうじゃん。言うこと聞かないと、またどんな剛速球が飛んでくるか判らないしな。

 シェイカーを用意しながら「何か召し上がりますか?」と尋ねる。いくらなんでも空きっ腹に強いのを立て続けじゃあ、胃がビックリしちまう。さっき出したチャームの乾きモンなんかとっくの昔に消えてるし。

「そうねぇ……あのサ、あたしイカ大好きなんだけど、あるかなぁ?」

「え? あぁ、ありますよ、今日築地から入ってますよ。一杯だけですけれど活きのいいのが」

(賄い用だけど構やしないだろ……)

「じゃ、それお願い」

「はい、かしこまりました」オーダーを書き込んだメモをあげると、金森さんが目敏くピックしに来ている。金森さんの凄ぇところは、フロアの動きを全て把握してるとこだ。今だって俺がメモるのを眼のはしっこで見てたんだろうな。さっきまで入り口脇に立ってたハズなのに、手をあげるともうそこに居るんだから。


 金森さんが居る日は揉め事は起こらないって細谷さんが言ってた。俺はまだ出っくわしたコトはないけれど、馬鹿な客が暴れそうになると、すーっと金森さんが寄ってきて軽ぅく手首を掴むんだそうだ。たいていの野郎はそれだけで眼ェ剥いてオトナシクなるんだってさ。「俺は客だぞ! 客は神様なんだぞ!」と喚く客に、「他の神様のご迷惑になりますから」と静かに告げた時は流石に俺も吹き出した。俺は一度だけ金森さんが、名刺で割り箸を真っ二つに折るのを見たことがある。たった一枚の名刺でだ。飛んでもない集中力だよな。愛想のいい優男に見えるし、いつも顔は柔和なんだけど、金森さんの眼が笑っているところなんて1mmも想像できない。東京湾でマンタ見るより珍しいと思うな。

 その金森さんが、メモを見た視線をそのまま俺の眼ン中にグイッと突き刺してきた。うぉ! 勝負師の眼だわ。


(お前、何考えてんだ。こんなのメニューに無いだろうが)と、その眼が言ってる。

(えへ……)俺はちょいとノリが過ぎたかな? と思いつつも甘えで返す。

(居酒屋じゃねぇんだぞ)金森さんの眉間の幅が2mmほど狭くなる。

(そこんとこ頼みますよ、何とかひとつ……)哀願。

 金森さんは最後にピクリと右の眉毛を上げると、バックにオーダー通しに行ってくれた。

『特! イカ焼き』って書いたメモ持って。


 よし、今日のトコロは俺の勝ち。俺も眼で会話できるようになってきた。コレは嬉しい。余計なコトは言わないのが粋ってもんだ。コレはココで教わったんだけどね。……ってなコトを頭の中でシェイクしながら、手は氷を砕いてシェイカーに落とす。続いてライ・ウィスキー、ドライ・ジン、ペルノーをメジャーカップで手際よく等分に注ぐ。ペルノーってのは、15種類ほどの薬草で作るリキュールだ。オリジナル・レシピはペルノーじゃなくてアブサンなんだけど、身体にヤバイってんで長いこと販売中止になってるんだと。それでアブサンのフェイクであるペルノーを使うワケだ。あとはこれをシェイクするだけ。アースクェイクってのは度の強い3つの酒をシャカシャカやるだけのカクテルだ。甘みも何にも無い。徹底的にアルコールだけ。それも40度っくらいの。こいつを立て続けに3杯も飲めば、普通の人間ならグラグラ身体が揺れだして、記憶飛ばしてひっくり返る。それでアースクェイク(大地震)ってぇ名前が付いたんだそうだ。俺はシェイカーを高く構えると上下を入れながら10回シェイクする。オマケにもう2回。強めにシェイクすることで40度のアルコールの角を取るワケだ。ショート用の冷えたカクテルグラスを2つ並べると、シェイカーから注ぎ込む。

 俺はお姉さん改めお姉様の前に今度はレザーのコースターを並べて置き、怪しく緑黄色に輝くその『マグマ』をサーヴした。


「おまたせしました」

「へぇ、手際いいねぇ。ありがとう」そう言いながら、お姉様はひとつのマグマを俺の方にすーっと滑らせて寄越した。

(へ?)

 お姉様はニヤリと笑うと、「たっちゃん、仲良く行こうよ!」とグラスを手に取った。

(の、飲めと! な、なんちゅう反則剛速球!)俺は、目の前にあるマグマとお姉様のニヤリに挟まれて、飲む前から身体が揺れ出すのを感じていた。


 お姉様は3本の指でつまんだカクテルグラスを眼の高さに持ち上げると、俺を覗き込む。

『あ、綺麗な眼だなぁ』と思った瞬間、俺は腹を決めた。同じくカクテルグラスの脚をつまむと、お姉様のグラスに合わせにいった。あまり知られていないのだが、目上相手のグラスには下から合わせに行くのがマナーだ。


 カチンッ! バカラならではの透き通る音が響く。その音を挟んで、お姉様の眼と俺の眼が交差する。そのままの状態でそれぞれグラスを口に運ぶ。お姉様はスーっという感じで口に含むと軽く眼を閉じた。コクリと喉が動く。強い酒でも綺麗な飲み方だ。俺も喉の奥に放り込む。食道を焼きながらマグマが胃に落ちていくのが判る。口に残った噴煙が鼻腔を突き抜ける。

 お姉様はゆっくりと眼を開けると、グラスをコースターに預けた。そしてふぅっと軽く息をはく。

「あたしね、このカクテルって、もの凄~く辛い思いを味わった人が創ったんだと思う」

「そうですか?」なんとなく判るような判んないような。タンブラーに氷を砕きミネラルを注ぐと、レモンを軽く搾りこんでチェイサーとして添える。


 そこへ金森さんが『特! イカ焼き』を運んできた。小振りだが、富山から届いた新鮮なスルメイカだ。富山ではマイカと言うそうだ。ミミからゲソまで丸ごと網焼きして、お約束の醤油とおろし生姜。

「わぁ、いいニオイ。美味しそう」

 箸置きをお姉様の前にセットすると、割り箸をパチンと割って手渡す。お姉様は、待ちきれないようにミミを頬張る。眼がクリンと丸くなる。いいねいいね。美味しい顔だ。

「んー、美味しいっ!」

「ありがとうございます」

「日本人で良かったァ」

 カクテルにイカ焼きが相応しいかどうかは、この際問題じゃない。美味しいと喜んでもらえるかどうかが大切なことだ。皿の上のイカは、気持ちいいほどのスピードで、お姉様の笑顔に変身していく。見ている俺まで嬉しくなってくる。こういう瞬間がカウンターに入る醍醐味ってヤツだな。


「堪能堪能♪」

「美味しそうに食べるんですね」

「ウン、だってホントに美味しいんだもん。

「ネ、たっちゃん。リクエスト入れてよ。ゲロンパ」

「はいぃ……」(結局来るのね)

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