第3話 ■達也■ Moscow Mule
「いらっしゃいませ」金森さんの声がフロアに響く。野瀬さん目当ての常連さんでない限り、最初のお客さんはBカンが受け持つことになっている。今日の口開けのお客さんは女性の一見さん。金森さんが「こちらへどうぞ」と俺の正面にご案内。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」おしぼりとチャームを出しながら、待ち合わせかどうかを確かめる。
「えぇ、お買い物に来たんだけど、なんだかこのまま帰るのがもったいなくて」
「今日は買い物日よりですね。いいお天気で」
「もう店先は夏物ね」
「いいお買い物できました?」
「バッチシ!」
滑り出しは好調だ。その女性は20代後半くらいかな。ちょいとボーイッシュな感じのするアクティヴお姉さまってとこ。
「何にしましょう?」
「そうねぇ、景気づけにシャキッとしたいかな……ジンかウォッカベースで美味しいのできる?」
「モスコウミュールはいかがです?」半分ドキドキしながら聞いてみる。難しいカクテルではないが、実をいうとまだ覚えたてなのだ。
「それって私好き?」
すげぇ返しだな。初めて会ったのに好きも嫌いも判るわけないじゃんね。こいつぁ負けらんないやね。
「ハイッ! もちろんお好きですっ!」
「じゃあ、それね」
「ハイ」
「どういうカクテルなの?」
「ミュールって言ってもサンダルじゃないですよ。『モスクワのラバ』っていう意味なんですけれど、ラバの後ろ足で蹴っ飛ばされたくらい効くっていう名前のカクテルです。でも飲みやすいですよ」
「えぇ? そんな強いの飲ませてどうする気ぃ?」
「ご安心を。最初っからそんな無茶しませんから」
俺は冷凍庫からスタリーチナヤを抜き出す。普段は50度のスミノフ・ブルーを使うのだけれど、せっかくだからスタリーチナヤの40度だ。何がせっかくなのかは聞かないでくれ。まぁアメリカのスミノフよりロシア製のスタリーチナヤが気分だったってくらいのもんだ。ちょと度数も弱いしね。キンキンに冷やしておいたバカラのタンブラーを出すと、氷を手際よくピックで砕き入れる。メジャーカップで1.5オンスのスタリーチナヤをトロットロッと注いで、4つにカットしたライムの一つを思い切り絞りきる。そしてウィルキンソンのジンジャーエール、辛口のヤツだ。野瀬さんは、本来はジンジャービアってのを使うんだけれど、なかなか手に入らないのでこれにしているって言ってた。カナダドライじゃダメなんだってさ。野瀬さんのそういう拘泥わりが俺は好きだ。バースプーンで軽やかに10回ステアしてカットライムを落とす。ミラーコースターをお姉さまの前にすっと置くと、静かに俺の記念すべきファーストカクテル、モスコウミュールをサーヴした。
「どうぞ」
「わぁ、綺麗」
琥珀色のカクテルがコースターの鏡面に反射して輝いている。
コクリとお姉さまの喉が動く。
「おぉ! 爽快! コレコレ、こういうのが飲みたかったんだぁ。美味しぃ」
(ぃよっしゃぁ!)俺は心の中で飛び上がったぜ。いや、マジで。ついでに俺の口まで滑らかになっちまったようだ。
「お客さんは夏でも冬でもボード乗ってたりしません?」
「え? 何で判ンの?」
「潮焼けした髪に雪焼けの肌が、見るからに健康そうですから」
「へぇ」
「染めた髪じゃないですよね?」
「良く判るねぇ……若いのに。ところで、コレ美味しい。切れ味いいね」
「お客さんみたいですよね」
「どういう意味? それ」
「明るくて、ストレートで、優柔不断が嫌いで、白黒ハッキリ……でしょ?」
「ぅお! よっく判るねぇ」
野瀬さんに鍛えられたお客さん観察眼だ。だいたい当たらずとも遠からじ。今日はドンピシャだったラシイ。いいじゃんいいじゃん、俺のカウンターデビュー万歳じゃん。
お姉さまは綺麗な飲み方をする。背筋がすっと伸びていて、タンブラーをつまむように優しく持って口に運ぶ。眼を閉じてコクリ。美味しそうに飲むなぁ。店内には柔らかくBGMが流れている。今はサンタナの『哀愁のヨーロッパ』。金森さんの選曲だ。
「ねぇ君。踊ろうよ」
「へ?」
「ちょっと出てらっしゃいよ」
「い、いや、それはマズイっすよ」(おいおいおい……)
「いいじゃん、他にお客居ないんだし」
「でも……」
「ごちゃごちゃ言ってないで男なら出てくるっ!」
「ぅわ……はいぃ……」(金森さん助けて……)
マジでストレート、剛速球。しょうがない、お相手するしかないか。腹をくくってカウンターをくぐった。金森さんに視線を飛ばすと眉がピクリと動いた。あれはニヤリとしてやがるピクリだ。
「ギャハハハハ! 何それ! びっちり決めてんのに、なんでアンタ雪駄履いてんの!」
だって、カウンターに居る分には見えねぇし。外出るなんて思ってもいなかったし。野瀬さんもカフスのクリップは注意したけど、雪駄はダメって言って無かったし……。
「イイ! イイ! あんたオッカシイねぇ。さぁ踊るよ」
踊るよったってコレ、チークじゃんね……ぐはぁ……なんちゅう強引な……俺、まだ……。
「効くねぇ、モスコウミュール。ちょっと気に入っちゃったぁ。アンタもね、アハハハハ!」
こんな豪快なチークは初めてだ。
「楽しいねぇ。もっとギュゥって! ホラ、ギュゥって!」
「はいぃ……」俺は雪駄をペタペタ鳴らしながら、モスコウミュールの効き味に驚いていた。
「次行くよ次っ! ゲロンパ行こうか!」
「えっ! ……」
ラバに蹴っ飛ばされたのは俺の方だったラシイ。
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