第25話 記者
向こうのほうから、話し声が聞こえる。
いや、話し声とは言い難い。記者たちはやたらと声が大きく、怒鳴り声にしか思えない。
撮影のために投光機が持ち込まれたらしく、建物のほうが、ずいぶんと明るかった。おかげで暗い車内からは、様子がよく見える。
建物の外もガヤガヤしていたが、中から人が何人も出てきて、最後に議員が外へ出てきた。そして彼は、玄関の前に立ちはだかる。
「避難してきた方は、みんな疲れてるんです。質問には私が答えますから、中へ入らないでください」
どうやら記者たちを、議員が追い出したらしい。
議員というのはこういうこともするのかと、昭一は思った。たしかに市民のためにと選挙のときには言っているし、今日のようなことは偶然に近いのだろう。だが居合わせたのなら、お鉢が回ってくる立場だ。そして、票にもなる。
ただそれでも、やりたくないなと昭一は思った。営業で顧客に謝るのだって辛いのに、こんな攻撃的な連中を相手になど、ぜったいにしたくない。
そうやってどのくらい、やりとりを眺めていただろう? ふと昭一は、建物の裏手のほうへ行こうとしている誰か、に気づいた。
男性がまず一人。そしてその後ろに、カメラを持った人がもう一人。
こっそりどこかから、下手すれば裏から入って映す気だ、と思ったときには、身体が動いていた。
ぜったいに外へ出るなと言われていたのも忘れて、車の外へ飛び出す。そうして男たちの後ろへ行って、大声をあげた。
「お前たち、何やってるんだ!」
はっとした顔で、男たちが振り向く。
「中へ入るなって、言われただろう!」
言いながらも動いて、昭一は裏口の前に、あの議員のように立ちはだかった。
「みんな、疲れてるんだ!」
そう言って記者を睨みつける。
「取材の邪魔をするな」
「そっちこそ、休んでる邪魔をするな」
そのまま睨み合いになったが、そこへあの議員が子飼いの若手と一緒に走ってきた。
「野沢君、すまない。こっちから入ろうとした不躾なヤツがいたのか」
「あ、先生、すみません、つい」
「いや、助かったよ。ここは若いのに任せるから、君は戻って構わないよ」
言って議員は昭一の代わりに、連れてきた若手を裏口に立たせた。
「よく見張っておいてくれ。もうそろそろ、警察の方もこっちへ来るはずだ」
「分かりました」
議員に手まねきされて、一緒に歩きだす。
「すみません、言いつけを守らないで」
「いえ、助かりました。こちらこそ先程は、ぞんざいな口をきいて申し訳ありません」
そこまで言われて昭一はやっと、さっきの議員の口調がいつもとは違ったことに気が付いた。
議員が続ける。
「たまたま居合わせた一般の方だと分かると彼ら、容赦がないですからね。ですからとっさに、私の事務所の職員に見せかけようと思って」
「なるほど……」
そこまで考えてくれていたとは、思わなかった。そう言う意味では議員は、ほんとうに大変な仕事だ。
「そういえば、警察は来るんですか?」
思い出して訊いてみる。だが議員の答えは予想と違った。
「来ませんよ。警察は災害現場の警備で手一杯です。それにここでは、事件も事故も起こってませんから」
「あ……」
たしかにここでは、何も起こっていない。そういう意味で、通報する内容がない。
「たださっき、彼らが勝手に侵入しようとしたので、警備をお願いできるかもしれません。ただ明るくなったら市から誰か来るので、警察はどうだか……」
民間と違って、行政の世界は難しいらしい。
「そうしたらすみません、そろそろこっちも落ち着くでしょうから、また車に戻っていてください。――あ、少し白んできましたね」
いろいろやっているうちに、夜明けが近付いたらしい。辺りがいわゆる「真っ暗」では、なくなってきていた。
議員が考え込む。
「そうしたら、本橋君をつけるので、お二人で行って頂けませんか? どうも彼らが心配で、ここを離れるのが……」
「わかりました」
たしかにあの無法者たちは、議員がここを離れたら、何をし出すかわからない。
「車に戻っていてください。本橋君を行かせます」
「はい」
玄関のほうへ歩いていく議員を見送りながら、昭一は車に戻った。
まだ日は昇らないが、辺りは一気に明るくなり出して、モノがはっきり見えてくる。昔の夜明けを待つ人の気分が、よく分かる気がした。
と、車のドアが開いた。
「野沢様、すみません。遅くなりました」
秘書が少しだけ運転席のドアを開けて、話しかけてくる。
「いまスコップを積んだら、出かけますから」
「すみません」
後のドアが開けられて、ガサガサと何かが積まれていった。音からして、ビニールシートまでありそうだ。
それから改めて、秘書が車に乗り込んできた。
「では、出ますね」
「すみません」
議員を残し、今度は二人で出かける。今晩だけで、家へ戻るのは三度目だ。
そう遠くない道を辿って、家の前へたどり着く。いつも見ていた、白い壁の家。
だが近付いて、昭一は、文字通り絶句した。
「家が……」
知らぬが仏とは、よく言ったものだ。暗くてわからなかったが、土砂が家の後ろまで迫っている。
いや、迫っているというより、家が堰き止めていると言ったほうがいい。家の中に土砂が入っているのも道理、新築で丈夫だったから倒れて押し流されずに済んだ、という感じだ。もし見に行ったのが昼間だったら、間違ってもドアを開けようなど、思わなかっただろう。
「ど、どうしましょうか」
さすがの秘書も、どう対応していいか、わからないようだ。
「これじゃ、スコップで掘り出すのはとても……」
「そうですね……」
途方に暮れる二人の後ろで、ぴかりと何かが光った。
「こりゃぁいい」
振りかえると、カメラを構えた男。
「奥まで行かないで、こんないいのが撮れるとは思わなかったな。着けてきた甲斐があった」
「やめろっ!」
昭一は思わずカメラを奪おうとして、秘書に止められた。
「ダメです、そういうやり方では」
「でも!」
「お任せ下さい」
秘書は言うと、記者に向きなおった。そしてまず、私はこういうものですがと言いながら、記者に名刺を渡す。
そしてさらに彼は言った。
「持ち主がここにいて、しかも拒否しているのに許可なく撮影するのは、プライバシーの侵害ですよ」
「……」
記者が黙る。
「お引き取りください」
不利を悟ったのか、他に何か考えたのか、記者は無言で車に戻り立ち去った。
「ありがとうございます」
「いえ、それがあまり。今のところは収まりましたが、私たちが居なくなれば、彼らは戻ってくるでしょうから」
「そうなんですか?」
「あいつらは、そういう生き物です」
秘書が吐き捨てた。
それから、昭一の方へ向きなおる。
「ところで野沢様、どうされますか?」
「ど、う……?」
何を訊かれたのか、とっさに分からない。
そんな昭一を見て、秘書はやわらかく言い直した。
「今日はこれから、どうされますか?」
「あ、今日ね、今日か……」
考える。考えるが、考えられない。
また秘書がやわらかく言った。
「これは私個人の意見ですが、さすがにこれでは個人の手に負えませんから、いったん戻って休みながら、どうするか考えたほうがよろしいかと」
「それもそうか……」
それがいい方法なのか、よく分からない。だがここで立っていても、仕方ないだろう。だったら秘書の言うとおり、いったん戻ってブルドーザーでも手配したほうがいい。
そこまで考えて、もう一度家を見て、昭一は違うことに気づいた。
「車が!」
「お車? あ、野沢様のお車ですか?」
車庫が家の前にあったせいだろう。車は何でもなさそうだ。
「車だけでも、移動させないと。えぇと、カギ、カギ……」
カギは確か、予備が家のカギと一緒に、キーケースにつけてあったはずだ。
「あった!」
ポケットをまさぐると、案の定家のカギと一緒に、車のカギも出てきた。
「じゃぁ私は、これで帰りますから」
「お待ちください!」
秘書に強い口調で止められて、昭一は思わず嫌な顔をした。自分の車で帰るだけなのに、なぜ止められなければならないのか。
だが秘書はひるむ様子もなく続ける。
「野沢様、今日は野沢様はいろいろあって、徹夜もなさって、大変お疲れかと」
「でも……」
渋る昭一に、秘書は言い聞かせるように続けた。
「野沢様、このお車で、帰りたい気持ちは当然です。でもそんなにお疲れで、途中で事故を起こしては大変です。娘さんが悲しみますよ」
「あ……」
確かにそれはよくない。
だが、どうすればいいのか分からない。ここへ車を置いていくわけには、いかないのだ。
秘書がさらに続けた。
「まず誰か、若いものを呼びましょう。そうして車を運転してもらって、帰れば大丈夫です。これなら野沢様は、寝ていても無事故無違反です」
そう言って秘書がにっこり笑い、昭一もつられて笑った。寝て帰って無事故無違反。悪くない。
「そうしたらすみません、お願いできますか?」
「ええ。いま連絡しますから」
秘書がスマホを取り出して電話し、少し話をして、昭一に向きなおった。
「もう面倒なので、若いのがここまで走って来るそうです」
「すごいなぁ……」
あのバス停の先から走ってくるなど、今の自分には到底ムリだ。
秘書も頷く。
「本当に若いのを見てると、羨ましいですよ。私も昔はああだったはずなんですが、この頃はとてもできません」
「ですねぇ。私も前は、金曜に仕事が終わった後、友達と泊まりがけで遊びに行ったりしてたんですが、今はとてもとても」
「お互い、年は取りたくありませんねぇ」
「ほんとうです」
そんな会話をしているうち、向こうのほうから誰か駆けてきた。
「本橋さーん」
「おお、川田君。すまないね、助かるよ」
川田と呼ばれた青年は、学生時代はスポーツ三昧だったような、はきはきした感じの好青年だった。
「この車に、乗ってけばいいんですか?」
「ああ。君は車は得意だから、大丈夫だろう?」
「大丈夫です。実家は同じヤツでしたし」
横で聞いていた昭一もほっとする。同じものを運転していたなら、任せて大丈夫だろう。もしかすると、昭一より上手いかもしれない。
「ならよかった、頼むよ。先生の家まで、ご案内してくれ」
「分かりました!」
青年は元気よく答えて、昭一の方へ向きなおった。
「川田です。運転させていただきますね。カギはどこですか?」
「あ、これなんだ」
差し出した鍵を、青年がうやうやしく受け取る。
「頂きました。じゃ、まず車出します」
青年がてきぱきと動いて、運転席に乗り込み、エンジンをかける。
小気味いい音がした。
「どうやらお車、大丈夫そうですね」
「はい」
秘書に言われて、昭一は顔をほころばせる。家はともかく、車は大丈夫だ。そう思うとなんだか、他のことも何とかなりそうな気がしてきた。
「どうぞ、乗って下さいー」
「すみません」
青年に促されて、助手席に乗り込む。
「先生の家まででしたね」
「それでいいと思う」
昭一もいまいち自信が無いが、秘書がそう言っていたのだから、大丈夫だろう。
「昨夜は、泊めていただく予定だったんだ。ただ、土砂崩れを見に行くと言うから、私もついてきてしまって」
「そうだったんですか。じゃぁ確かに僕たちと違って、寝てらっしゃらないから辛いですよね」
「君は寝たのかい?」
「ええ。先生が昨日早くに、万が一があったら困るから寝ておけ、と。だから徹夜じゃないんです」
なるほど、と昭一は思った。たしかに予報で察していたのなら、あらかじめ寝ておくということもできるだろう。
逆にそこまで気を遣うとは、議員というのも大変な仕事だ。
「とりあえず、ふつうに町まで行きますね」
「お願いします」
車が走り出して、バス通りへと入って行った。そのまま集会所への入り口は素通りし、進んでいく。
その途中、例の橋まで来て、昭一は唖然とした。
「泥だらけだ……」
「ホントですね。でもこの車なら、大丈夫ですよ」
確かにこの車は大きいから問題ないが、軽だったら泥にタイヤを取られているかもしれない。そう思うくらい、橋の上は泥が積もっていた。そして欄干はゴミだらけを通り越して、「ゴミを堰き止めた」という状態だ。
もし昨日明るいうちにここへ来たら、橋を超えるのをためらったかもしれない。
ただそのあとは特段、何も変わったことはなかった。
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