第22話 星空

(何でもないよなぁ……)

 昭一がタクシーを拾った時と、何も変わらない。雲が切れて夜空が見えだして、あの土砂降りなどウソのようだ。

 そうやって走るうち、車はとある邸宅に着いた。

「さ、どうぞ」

 秘書が降りてきてドアを開け、昭一を促す。

「これから宿を取るわけにもいかないでしょうし、今晩はどうぞここで」

「え、でも……」

 なぜここなのか。妻と娘の居るマンションに帰るのがふつうではないのか。

 そう思って振り向くと、妻がこちらを睨みつけていた。どうやら機嫌がかなり悪いらしい。

 さすがにこれはまずそうだ、そう感じた昭一は、ここで車を降りることにした。

「すみません、お世話になります」

 内心腹を立てながら、頭を下げる。ふつうに家に帰るのなら、こんな気を遣わなくて済むのに。

「お気になさらず。もともと来客の多い家ですから、いつでも泊まれるようになってるんですよ」

 秘書が先に立った。息子はどうやらこのまま、妻と娘を送っていくようだ。車に乗りながら、奥の妻に声をかけている。

 その様子にまた腹が立つ。

(俺の女房なのに)

 なのにあの若造は、何を気安く声をかけたりしているのか。

「野沢様?」

 秘書に呼ばれて我に返る。

「どうかなさいましたか?」

「いや、何でもない。沙耶が起きないかと思って」

「お嬢様、よく寝てらっしゃいましたね。安心なさったのかと。――さ、どうぞ」

 立派な玄関のドアが開けられた。

「おお、ご無事でしたか」

 広い玄関ホールに、あの議員の姿。昭一のことを待ってくれていたらしい。

「息子から話を聞いて、心配してまして。ご無事で何よりです。今晩はここでゆっくり休んでください」

「ありがとうございます、お世話になります」

 スリッパを借りて、豪華な調度品に気後れしながら、奥へ通された。

 立派な畳の部屋で、何かの一枚板で作ったらしい、これまた立派な座卓。その上には簡単な肴と、日本酒が用意されていた。 

「一杯、いかがですかな?」

「すみません」

 せっかく用意しておいてくれたものを、断るのも悪い気がして、昭一は席に着いた。

「それにしても、ご無事でよかった。お宅の方も大丈夫でしたか? あちらのほうは停電しているとは聞いていますが」

「それが、玄関を開けたら泥が――」

「泥というのは、家の中にですか?」

「ええ。もう何が何やら。どうも山の方で土砂崩れがあったので、そのせいだとは思うんですが……」

 議員がため息をついた。

「実は野沢さん、すみません。その報告自体は秘書の本橋から、連絡をもらっておりまして」

「そうだったんですか?」

 どうりで、あまり驚かないわけだ。

 議員が続ける。

「で、大変申し訳ないのですが、お話を聞いて、やはり現場へ行こうかと」

「お仕事、お疲れ様です」

 実は良く分かっていないのだが、昭一はそう返した。こんな時に現場へ行くのも、議員の仕事なのだろうか?

「せっかく来ていただいたお客様を放り出すようで、申し訳ありません。とはいえまだ準備が整ってませんので、少し呑む時間くらいは。さ、どうぞ」

「お気づかい、ありがとうございます」

 差し出された酒は辛口で、沁みるように美味しかった。

「北の方は、どんな様子でしたか?」

「それが、途中までは何ともなかったんですが、橋の辺りで――」

 議員に訊かれるままに、見たものを話す。橋にゴミが引っ掛かっていたこと、でも周囲は特に変わった様子がなかったこと、家もぱっと見た感じは異変がなかったこと、ただ停電していて一帯は真っ暗だったこと、ドアがなかなか開かなかったこと、そして開けたら足もとに泥が溜まっていたこと……。

 議員はそのひとつひとつを、時々質問を挟みながら、頷いて聞いていた。

 そして、またため息をつく。

「思った通りか……」

「何が思った通りなんです?」

 不思議に思って訊くと、議員がまた頷いて答えた。

「実は山のほうは、もともと崩れやすい地盤でして」

「え、そうなんですか?」

 そんなこと、初めて聞いた。たしか不動産屋も、そんなことは言っていなかったはずだ。

 議員が気の毒そうに眉根を寄せて、話を続ける。

「奥のほうは実は、昔からたまに崩れてましてね。よほど地元の人間でないと知りませんが。だからこそ砂防ダムだけでなく、治水をなんとかしようと計画していたのですが、なかなか進まなくて」

「あ……!」

 そういえば、聞いたことがある。与党の議員が利権でダムを作ろうとしている、自然破壊だ、と。だが誰も、こんな大事な、災害のことは言っていなかった。

「このところ、数十年に一度と言われるような豪雨が頻繁に起こるようになっていて、早くしないと被害が出ると心配してまして。間に合わなかったか……」

 また議員が大きくため息をつく。そこへ秘書が顔を出した。

「先生、用意ができました」

「すまない。――野沢さん、申し訳ありません。私はこれから現場へ行きますので、どうぞ部屋でお休みください。用意してありますから」

「いや、待ってください、私も行きます」

 現場というのはたぶん、家のほうだ。だとしたらもう一度、自分も見たかった。

 そもそも夜が明けたら、また行くつもりだったのだ。ならばここで行っても、大差はないはずだ。

「ですが、お疲れでは?」

「でも、私の家です。気になります」

 議員が頷く。

「本橋君、何か着替えはあるかね? 野沢さんに合うような、作業着のようなもの」

「私のでしたら、だいたいサイズは合うかと。持ってまいります」

 言って秘書が引っ込んだ。

「では野沢さん、申し訳ありません、道案内、お願い致します」

「いえ、別にそんな、自分の家のことですから」

 改めて頭を下げられると、それはそれでおかしな気分だ。

「ともかく、行きましょう。これをどうぞ」

 促されて、差し出された作業着に着替え、車に乗り込む。意外なことに今度の車はワゴン車で、後ろにいろいろ山積みになっていた。他にも二台ほど、荷物を積んだ軽トラックが停まっている。

「届け物も一緒でして。あ、その奥へ」

 車に乗り込み、さっき行って戻ってきたばかりの道を、車列を作ってまた戻る。

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