第8話 再会
「で、奥さんどんな具合なんだ?」
「悪くないよ。まだ無理な動きをすると痛いらしいんだが、それ以外は大丈夫みたいだ。あぁ、重いものはまだ持てないかな」
「そんなの持ってやれよ。てか奥さんにいつも持たせてたのか?」
「そんなわけないだろう」
他愛ない会話が続く。
話相手は、保険会社に入ったという同級生だ。今回はずいぶん世話になった。その彼がその後を聞きたいというので、午後の営業の空き時間を利用して、喫茶店で落ち合ったのだ。
「で、その事故の相手って、誰なんだ?」
「だからそれだけは言えないって、何度も言ってるだろう」
彼の上司は知っているはずだが、当人には何も伝わっていないようだ。
ただ、昭一も言う気はまったく無かった。せっかく事がうまく進んでいるのに、波風を立てたくない。
「いつもその一点張りだなぁ……まぁこういう世界、確かにあることだけどな。でも気をつけろよ?」
「大丈夫だよ」
「みんなそう言うんだって」
「そうか。じゃぁ気をつけるよ」
今回が大丈夫なことはよく分かっているが、それが同級生に伝わるとは思えない。かといって詳細を話すわけにもいかない。なので、昭一は同意してみせた。こうでもしないと彼は、根掘り葉掘り聞くだろう。
同級生が既に冷めてきたコーヒーを、一口すすって言う。
「ほんと気をつけろよ。大変なことになったお客さん、何人かいたんだ」
「分かったよ。何かあったら相談する」
言いながら窓の外に目をやったとき、昭一は眼を疑った。
「すまん、ちょっと行かないと」
急いで財布から千円札を取り出し、テーブルの上に置く。
「どうしたんだよ?」
不思議がる同級生に、窓の外に目をやったまま答えた。
「さっき、会えなかった営業先の人が、今居たんだ。急いで行かないと」
「そ、そうか、じゃぁしょうがないな」
よく分からないままに頷いた彼を後に残し、喫茶店を出る。
――いた!
どうやら、見失わずに済んだようだ。
同級生に言った「営業先の人」というのは大ウソだ。見つけたのはまったく別の人なのだから。
追いかける。差が縮まる。
「レイラ!」
彼女が立ち止まって振り向いた。
そこへやっと追いつき、肩で息をしながら話しかける。
「こんなところで見かけるとは、思わなかったよ」
レイラは微笑んでいた。意外そうな様子はない。占い師というくらいだから、もしかしたら予見できていたのかもしれない。
「息があがっているわ」
「この頃、ちょっと運動不足で……」
とっさに言い訳する。言ってから、何を言っているんだと思った。
レイラがおかしそうに笑った。
「どこか、座りましょうか? 休んだほうがいいわ」
「そうしてもらえるとありがたいな」
運動不足でよかったと思う。そうでなければ、こうも上手くいかなかっただろう。
今しがたまで同級生と休んでいたが、それとこれは別の話だ。
雰囲気のよさそうな喫茶店を選んで、二人で入り、適当に注文する。
「しばらく店に行けなくて、ごめん」
「いいのよ。忙しかったのでしょう?」
「忙しいというか……実は、うちのやつが事故に遭って」
「まぁ……」
レイラが目を丸くする。
「それで、大丈夫だったの?」
「脚の骨を折ってしまったんだが、幸いそれだけで済んだよ。今は退院してるし」
「それならよかったわ」
微笑むレイラは、相変わらずきれいだ。
これが店ならよかったのに、と昭一は思った。それなら、おいしいお酒も一緒に楽しめた。
そしてふと思い出す。
「そういえば、店の場所は変わったのかい?」
「変わってないわ。前と同じ場所よ」
「そうか……」
ではあの日、よく知った町の真ん中で道を見失ったのは、なんだったのだろうか? 自分の見間違いだったのだろうか?
「そろそろ落ち着いたし、また行くよ」
「あなたはもう、あの店には来ないわ」
また同じことを言われた。なぜこうもレイラは、行かないと断言するのだろう?
少し考えて訊く。
「それもカードのお告げかい?」
「そうね」
曖昧な答え。本当にお告げだったのか、それとも会いたくないのか、この言葉からはよく分からない。
考えあぐねた昭一は、質問を変えた。
「もう、会えないってことかい?」
「会えるわ」
ほっとした。どういうわけか店に行けないというのは納得いかないが、会えるというのならまだマシだ。
考えながら、自分に苦笑する。会える会えないで一喜一憂するなど、まるで学生だ。
そんなことを思っているうちに、注文した品が来た。
自分はまたありきたりのコーヒー。レイラは紅茶に美味しそうなケーキだ。やはり女性というのは、甘いものが好きらしい。
一口食べたレイラの、表情がほころんだ。
「この店は初めて来たけど、このケーキ、おいしい」
どうやら口に合ったらしい。この店にしてよかった。
彼女が食べるのを見ながら、自分もコーヒーを口に運ぶ。
「……ほんとだ、おいしいな」
雰囲気に誘われて入ったが、味も裏切らなかった。今度から何かで喫茶店に人を誘うときは、ここにしようと思う。
「そういえば、そっちの店は今はどうなんだい?」
「いつもどおりよ。変わらないわ」
何が変わらないのか、正一にはよく分からなかった。客が来ないのだろうか? それとも着ているのだろうか?
そこまで考えて思い出す。そういえばレイラの店で、ただの一度も、他の客を見たことがない。
一度や二度ならともかく、毎日のように通っていたのだ。その間、店へ行っても先客が居たことはないし、ずっと座っている間にも人が来ることはなかった。
だとすると、どうやって生計を立てているのだろうか……?
考えてみたが分からない。かといって、訊くのも憚られる。
そうしているうちレイラが、す……と立ち上がった。
「ご馳走だま、ありがとう。本当においしかったわ」
「もう行くのかい?」
「帰らないと。あまり遅くなれないわ」
「 あぁそうか、と昭一は思った。あの老婆もいるだろうし、店を開ける準備もあるのかもしれない。
そして思う。彼女は自分に対して、「店には行けない」というようなことを行っていた。だとしたら次は、いつ遭えるのだろうか? ここで連絡先を訊いたほうが、いいのではないだろうか?
気になって訊いてみる。
「次、いつ会えるのかな?」
「そんなに遠くないわ」
彼女の微笑みに安心して、連絡先を訊く気が急に失せる。彼女も今日は急いでいるようだし、次でいいだろう。
「なら、期待して待ってるよ」
「私も待ってるわ」
そういい残して、レイラは出て行った。
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