第3話 不運

 翌日から昭一は、文字通り忙殺された。

 まず妻の乗っていた車に娘も乗せて――駐車場料金が馬鹿にならなかった――家へ戻り、着替え、買った弁当を持たせて娘を学校まで送る。それから病院での手続きやら警察やら、主治医からの説明やら、一通り済んで落ち着いたのは、午後になってからだった。

 骨折した足を牽引されている妻は、見ていて痛々しい。

 そして、すこぶる機嫌が悪い。

「だいたい終わったよ」

「そう」

 返って来るのは、そっけない返事ばかりだ。

 だが文句も言えない。あの状況で音信不通では、たいていの人間は怒るだろう。

 総合した話では、妻は塾帰りの娘を迎えに行って、事故に遭ったという。近くのデパートに車を停めて少し買い物をし、時間を見計らって塾まで歩き出したところ、横断歩道ではねられたそうだ。

 妻はまったく悪くない。ふつうに青信号だから渡っていたところに、右折の車が突っ込んできたのだ。しかもその車は逃げてしまって、まだ捕まっていないという。

(くそっ……)

 携帯の電源など切るんじゃなった。そうすればまだ、すぐに駆けつけられたのに。

 ――何が星のカードだ。

 思い出すと腹が立ってくる。なんでも願いが叶うとか言ってたのに、悪いことばかりだ。それこそインチキだ。あんな店、二度と行くものか。

「痛く、ないか?」

「痛み止めをもらったから、今は大丈夫」

 妻の何の感情もこもらない声。でも仕方ない。

 昭一は別の話題を切り出した。

「沙耶なんだが……」

「あの子をどうするの?」

 さすが母親というべきか、今度は語気も荒く返事が返ってくる。

「いや、その、たいしたことじゃない。なんというか……場合によってはこの辺に駐車場でも借りようかと、ちょっと思ったんだ」

「駐車場?」

 不思議そうな妻に説明する。

「その、だから、家からここは遠いし、沙耶を朝早く送ってから家へ戻ったら、僕が間に合わないし.。かといって、あの子は部活はあまり休みたくないと言うし」

 書類を書いたりしながら考えたが、自分が娘を車で送って、そのまま車を駐車場へ置いて会社へ行く。これがいちばん楽そうだった。

「夜は、どうするつもり?」

「部長に言って、しばらくは早く帰るよ。確か、介護休暇とかいうのがあるはずだし」

 それがどれだけ使えるものなのかは分からないが、申請してみてもいいはずだ。

 昭一の説明に、妻も納得したようだった。

「そうね、それなら沙耶も、きっと楽ね。あぁでもどうしようかしら、体操服もジャージも洗わないといけないし……」

「まぁ、何とかするよ。今は洗濯機ってものもあるし」

 これでも独身時代は、そういう雑事をこなしていたのだ。どうにかなるだろう。だが妻は、そう思っていないようだ。何とも疑い深げな目で、こちらを見ている。

 とはいえ、ここで何を言っても始まらない。出来る出来ないではなくて、やるしかない。

 そう思いながら昭一は、時計に目をやって慌てた。

「まずい、もう家に帰らないと」

 娘の学校が終わるのは、六時過ぎだ。それまでに一旦家へ戻って用事を済ませて、ここへ戻ってこないといけない。

 沙耶は家を買った時、転校するのを嫌がって、この病院からそう遠くない中学校に在籍したままだ。だからこの病室を、待ち合わせ場所にしてある。

「要る物、書いてあるかい?」

「これよ」

 そっけなく紙切れが差し出された。だが言葉とは裏腹に、どれも「どこにあるか」がきちんと書き添えられている。これなら家探しをせずに済みそうだ。

「じゃぁ行ってくる」

 返事はなかった。

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