秋の空は高くて青い

不立雷葉

秋の空は高くて青い

 暗闇の中、正面から大勢の人の気配を感じる。

 体育館の幕が下ろされたステージの上、照明は点いていない。太いはずのプレシジョンベースのネックが細く感じられ、たっぷりと水も飲んだはずなのにもう喉が渇いている。

 俺の左側に立っているギターのタカも、後ろにいるドラムのコージも同じらしい。暗く見えなくたって、中学一年の頃から数えて五年も一緒にバンドをやっているんだ。そのぐらいわかる。

 人前で演奏するのは初めてじゃない。

 一ヶ月に一度はライブハウスで演奏している、高校生の割には場数を踏んでるんじゃないかと思う。

 けどここはライブハウスじゃない、学校の体育館だ。

 今日は文化祭、やたらとちゃらい軽音楽部の前座として俺たちのバンド<ザ・スタッグ>は立っている。

 学校のイベントで演奏したって好きな曲がやりづらいという理由で、中学の頃から文化祭でやろうとは思わなかった。

 そんな俺たちがどうして文化祭のステージに立つのか、ここで演奏するのか。気合を入れなおし心を込めて弾くために、アウェー感を覚えながらも一ヶ月前のことを思い出す。



 あの日、新しい曲を作るために俺たち三人はコージの家に集まっていた。

 コージの親は有名ではないけれどプロのミュージシャン。その関係でコージの家には防音室があってドラムセットだけでなく、マーシャルの真空管アンプにアンペグの八発キャビネットまで置かれていて下手なリハーサルスタジオよりも設備が整っている。

 なので俺たちはオリジナル曲を作る時はコージの親父さんに頼み込んで使わせてもらっていた。

 この日も新曲を作る時の常で、俺たち三人は部屋の真ん中で胡坐を組み、五線譜を前にあぁだこうだと言い合っていた。

 タカが鼻歌でメロディを歌うと、コージがそれは古いもっと今を意識すべきだと批判する。このやり取りが何度か繰り返される内に二人の顔が徐々に赤く、口調も荒く感情的な言葉が増えていく。

 今にも掴み合い殴り合いのケンカが起きそうな剣呑な雰囲気になりながらも、二人は決して手を出さない。これは新曲を作るときの恒例で、半ばお約束とも言っていいやり取りなのだ。

 <ザ・スタッグ>は俺たち三人のバンド。作る曲は三人全員が良いものだと、胸を張れるものでなくてはいけない。だから俺たちは妥協しない、感じたものをそのまま口に出す。罵り合いに近い口ゲンカになることも多いけれど、俺たちにとってはこのやり取りも曲作りに必要なもの。

 普段なら俺も意見を言ってはタカに睨まれ、コージに理路整然とした批判を受け、それに言い返す。ただこの日の俺は違うことを考えて、床の上の五線譜に視線を落としてタカの鼻歌を聴いてすらいなかった。

「おいコージちょっとストップだストップ。ぎゃあぎゃあやってても意味がねぇ」

「あ? タカてめぇ何言い出してんだ、こうやってぶつかり合うのも必要だって三年前に言ったのはお前だろ。これは曲作りに必要だからやってんだぞ、中断は認められねぇ」

「ちげーよバカ。ヒロだよヒロ、今日のこいつおかしくねぇか? さっきから一言もしゃべらねぇ、いつもなら一緒にぎゃあぎゃあやってんのによ。こいつがこんなじゃやり合っても意味がねぇ」

 名前を呼ばれて顔を上げると、俺を睨み付ける二人がいた。

「わりぃ……ちょっとぼーっとしてた」

「ぼーっとしてたじゃねぇぞ、俺らもう高三で受験しなきゃならねぇんだ。勉強に時間食われるから、やる時はこれまで以上に真剣にやろうぜって春に誓ったじゃねぇか」

 眉間に皺を寄せ、唾を飛ばしながらのタカの横でコージがそーだそーだと首を振る。

「忘れてねぇよ、これっぽっちも忘れてねぇ。いや、けど、な……どーしてもダメなんだ」

 言った後で目を伏した俺の様子にただならぬものを感じたらしい。殺伐剣呑を放り捨てた二人は顔を近づけ、俺を見ながら小声でなにやら話し合う。

「うっし、そろそろかーちゃんに頼んで紅茶淹れてきてもらうわ。今日は二人が来るからってスコーン焼いてくれてんだよな!」

「やったぜ! コージのかーちゃんのスコーン美味いんだよな!」

 コージはタカと何故かハイタッチを交わすと防音室を出て行った。

 タカが言ったようにコージの母が作るスコーンは美味しい、そこいらの店に負けず劣らずの味なのだ。タカも、そして俺もコージ母のスコーンは好きで用意していると聞いただけで心躍るものがある。

 けど、この時の俺はとてもじゃないがお菓子ぐらいではしゃげる心情ではなかった。悩みがあった、愛用しているフェンダーのプレシジョンベースを掻き鳴らしても吹き飛ばせない重く深い悩み。

 多分というか十中八九間違いなく、タカとコージは俺が悩みを抱えていることに気づいた。バンドを組んで五年、一丸となって曲を演奏する仲だ。隠し事が出来るわけがないし、するべきでもない。

 抱えている悩みが音楽の事だったなら素直に相談できる、成績とかの事なら少し恥ずかしいけれど相談するのに抵抗はない。でも俺の悩みはこのどちらでもなく、遠慮なくケンカ出来る二人にすら話すのが恥ずかしい。

 コージが部屋を出て行ってからというもの、タカは俺のことを気にしているくせにあからさまに見ようとしない。こいつは俺が深刻な悩みを抱えていることが分かっているはずだし、もしかするとその内容まで察しているかもしれない。

 多分だけどコージも気づいているはずだ。ここで作曲しているとき、コージはいつも紅茶と母特製のスコーンを持ってきてくれるのだが、それは曲の方向性が決まって輪郭が出来上がってから。

 根拠はないけれどタカとコージは俺の悩みを聞きだそうと考えているに違いない。

 逆の立場なら俺だって絶対に同じことをすると言い切れる。今まで一緒にやってきて、これからも一緒にやっていく仲間なのだ。その仲間の悩みは自分の悩みも同然だ。

 きっと二人は何を言ったって真摯に受け止めてくれて、真剣に考えてくれるだろう。笑ったり、馬鹿にすることはないと信じている。でも、それでも俺は彼らに悩みを吐き出してしまって良いのかと考えてしまうのだ。

 コージが部屋に戻ってくる。俺たちの前に温かなロイヤルミルクティーと、クリームとブルーベリージャムの添えられたスコーンが置かれた。

 タカは早速スコーンにたっぷりジャムを塗りつけると頬張り、コージは紅茶を音も無く啜る。

「でさぁ、何を悩んでんのよ。前からお前が悩んでることぐらいこっちはわかってんだぜ、最近のお前の音はなんつーかな……濁ってるっつーか曇ってるっつーか、迷ってる感じあるし。コージだって気づいてんだろ?」

「俺はヒロの悩み知ってるけどな」

 心臓がシンバルの音を出し、体が跳ね上がりそうになった。

 慣れてる曲を弾いてもいつも通りの音を出せていない自覚があった、だから悩みを抱えていることはバレてたっておかしくないし当然だよなぐらいにしか思っていない。

 けれど内容まで知られているだなんて予想してなかった。でもコージなら分かって当たり前なのかもしれない、こいつはドラマーだ。いつも俺とタカの背中を見て叩いてる。

「えっおい、なんでコージは知ってんだよ? そんなことないって分かってるけどさ、俺だけ仲間外れみたいで寂しいじゃねーか」

「ヒロの口から聞いたわけじゃないよ。学校じゃそんな喋らないけど、俺とヒロは同じクラスだし。嫌でもわかっちまうよ」

「ってことはクラスで何かあったわけか。いじめなんかなワケねーし、ってことはもうあれしかねぇじゃん……」

 タカの視線がゆっくりと俺に向いた。コージの言葉でタカは俺の悩みが何なのかを知った、口に出して尋ねたい言葉があるのがわかる。

 けどタカは言い淀み、俺から視線を逸らした。幾らバンド仲間だからといって踏み込んじゃいけないプライベートな部分というものがある。俺の悩みはまさにそのプライベートなもの。

 本当は俺の方から言ったほうが良いのだけど、きっかけが欲しかった。無言のまま頷いて、タカに尋ねて良いぞと伝える。

「誰なの?」

 タカもタカでこれを尋ねるには度胸が必要だったらしい。俺が頷いてから尋ねるまで、たっぷり数秒の間があった。

「同じクラスのサカシタ……一学期まで生徒会長やってた、あのサカシタって言えばわかる?」

 俺の悩みというのは、言ってしまえば恋煩い。これは二人に相談したところでどうにもならないことなのだ、俺もそうだけどタカもコージも誰かと付き合ったことがないのだ。

 それでも今まで誰にも言えなかった悩みを吐き出せたことで少し気は軽くなった。笑うなり茶化すなり、さぁお前ら好きにしろよと、俯かせていた顔を上げる。

 タカは齧ったスコーンを手にしたまま、コージはティーカップを手にしたまま俺を見て固まっていた。

「な、なんだよお前ら……その反応はやめてくれよ……」

「あ……いや、生徒会長のサカシタってあいつだろ。真面目を形にしたみたいな、あのサカシタだろ?」

「そうだよ、そのサカシタだよ。好きになっちまったんだから、しかたねぇだろ」

 俺がタカの問いに答えると、コージは大きく息を吐き出してティーカップをソーサーの上に置く。

「俺もビビった。サカシタの方を見てたのは知ってたけど、その後ろのコサカを見てるんだとばっかり……いや、ほらコサカって小学生の時から毎年サマソニ行ってるらしいし、お前休み時間に良くコサカと話してたから、つい……」

「コサカとかギャルじゃねぇか俺の趣味じゃねぇし、音楽の趣味あるから話すことはあるけどよ。というかコサカ、バスケ部の部長と付き合ってんだぞ」

「はぁ……しかしあのザ・真面目な生徒会長さんね。可愛い方だと思うけど、どうして好きになったんだよ? コージだって気になるだろ?」

 タカに話を振られて頷くコージ。

「話すのは良いけどよ、話したらその……協力、してくれんのかよ? お前らは俺の悩みを解消するために聞いたんだよな?」

「おうよ、ダチが悩んでんだったらそら手伝うに決まってんだろ」

「この手の経験は俺にはないからどこまで出来るかわかんないけど、力を貸せることがあるなら喜んで」

 タカは乗り気、コージは一歩引いたところがあったけれども手伝う気はある。

 それなら話せる、さぁ話そうとするのだけれど中々声が出ない。やっぱり恥ずかしさがあるのだけれど、大きく息を吸ってぽつりぽつりと話し始める。

「一学期の終わりに夕立が降るって予報出てたのに傘忘れた日があってさ。お前らの傘に入れてもらおうとか思ってたんだけど、そういう時に限って二人とも早く帰っちまったもんだから……夕立だし、すぐに止むだろうから教室で時間を潰してたんだよ。そしたら何故かサカシタも残っててさ、そん時のサカシタは本を読んでたんだけれど……

あー、なんていうかすっげ綺麗っつーか可愛いっつーか。そう、画になってたんだ。つい見とれちゃってさ、そしたらサカシタがこっち向くんだよ。ずっと見てたからそりゃ気づくってわけだけど……で、俺に笑いかけたのさ。いやわかってんだよ、大して話もしないクラスメイトがじっと見てたんだからそうするぐらいしか、まぁないじゃん? けど、それがまぁあれだよ。ドキッとしちゃって……」

「それ……一目惚れしたって言ってる?」

 コージから投げかけられた問いに、手を振り首を振り慌てて否定する。いや、まったく違わないしその通りなのだけれども体は勝手に動いてた。

「そうだけどさ……とりあえずまだ続くから聞けよ。んで目が合うわけだよ、俺も何か話さなきゃやべぇってなっちまって。したらサカシタの読んでた本がさ、俺も好きなやつだったんだよ。それ伝えたらさ、サカシタのやつめっちゃテンション上げてさ、すっげー語ってくるんだよね。

俺もタカみたいにさ、サカシタは真面目なやつで熱くなるようなことなんてないって思ってたから。正直なとこ、ちょっぴりビビった。でもそれが意外で、ギャップ萌えっていうの? めっちゃ可愛いってなって、うん……付き合いたいな、って……まぁ、そんだけだよ」

 一通り話し終えると恥ずかしさで顔が熱くなる。きっと真っ赤になっているだろうから、隠そうとして温くなり始めた紅茶を煽った。

 タカとコージはじっと俺の顔を見てくる、あまり見られたくないものではないから俯いた。

 俺は話すことを話した、だから次はこいつらに何か言って欲しい。そう、何か。アドバイスでもなんでもいい、なんなら笑ってくれたって構わない。今は無言の時間がキツイ。

「「それで、そこからどうしたの?」」

 二人の声がユニゾンしハーモニーを奏でる。

「どうしたも何も、それだけだよ。そこから何もしてねぇ、せいぜい……まぁちょっとした時にサカシタの方を見るぐらい」

「いやいやいや、お前もっとこう……何かあるだろ!? こう、何かだよ! 積極的に話しかけるとかあんだろ、同じ本読んでんだからネタはあるんだしさ」

 手の動きも交え熱の篭ったタカの言葉に、俺は身を小さくしてさらに顔を俯けるしかなかった。

 こいつの言うとおり、俺とサカシタには共通点がある。サカシタも多分、好きな本や作者について語る機会なんてほとんどないんだと思う。そうじゃなきゃただのよくわからないクラスメイトの俺に、あんなに語っては来ないはずだ。

 だから俺は、彼女にもうちょっと話しかけるべきだったのだけど、嫌われるかもしれないと思うと動けなかった。そうして夏休みを間に挟んで、一月以上が経ってもう一〇月に入ろうとしている。

 最初に話した時から時間が空きすぎてしまってる。今更になって話しかけたところでキモい奴になってしまうだろう。

「あ、わ、わりぃ……そういうつもりじゃなかったんだが、好きな人にはやっぱアピールしなきゃ……そのなんだ、アプローチしないと気づいてもらえないってか、こう……な?」

 俺を凹ませたとでも思ってしまったんだろう、タカは変にうろたえてしまい目を泳がせていた。コージも何か考えを巡らせているのか眉間に皺が寄っている。

「すっごい古臭いけどラブレター出すとかじゃダメか? ヒロも作詞やるんだし、口説き文句を考える能力ってのはあるはずだよ。それにサカシタは本が好きなんだろ? だったら、文章で勝負じゃね?」

 コージの提案に思わず顔を上げた、そうかラブレターか。サカシタにどうしたら話しかけられるか、そればっかり考えてしまってて頭の中から抜け落ちていた。

「それいいんじゃねぇか! ヒロはそういうセンスあると思うしさ、書いてみろよ!」

「お、おう!」

 タカにも背中を押してもらえたことで、俺の中で俄然ラブレターを書く気力が湧き上がる。人に手紙を書くことなんて無かったけれど、作詞する時の感覚でならきっとやれるはずだ。

 それにラブレターなら下駄箱に入れたりして渡せる。流石はコージ、名案だ。

 テンションが高くなって立ち上がった俺はコージを褒め称えながらもラブレターの内容を考える。あれよあれよ、と色んな文句が浮かんできてどれを使おうか目移りしてしまう。

 これならきっと俺の気持ちを伝えられる、と舞い上がっていたところで俺はとても大事なことを思い出した。想いを伝える手紙にパソコンを使うわけにはいかない、手書きにしなきゃいけない。これを、俺は忘れていた。

 途端に舞い上がってしまった自分が馬鹿らしく、ピタッと動きを止めて肩を落とす。

「ど、どうしたよ?」

 俺のこの急な態度の変わりようにタカが下から表情を覗き込む。俺は立ったまま頭を抱え、首を振り、両手で手を覆う。

「俺……字、汚いんだった……」

「「あっ!」」

 また二人のハーモニーが響く。こいつらも俺の字の汚さを見落としていたらしい。そうだよな、見落としてなきゃラブレターなんて提案が出てくるはずもない。

 自分で言うと悲しくなってしまうが俺の字はある意味で芸術的な汚さを誇っている。自覚はあるし読みづらいことも知っている、だから作詞する時はいつも親のパソコンを使うことにしていた。タカもコージも、この肝心なものを見落としていたのだろう。

 糸口が見つかったと喜んだけれど、それはぬか喜びだった。サカシタに気持ちを伝えることも出来ない情けない男が俺だ。舞い上がっていたところから急転直下したもんだから落ち込みも激しい、みじめに泣いてしまいそうだ。

 そこに腹を震わせ内臓を揺らすバスドラムが響き、大気を裂き背筋を痺れさせるギターサウンドが続く。

 コージとタカの音に俺は自分の馬鹿さ加減を思い知らされた。そうだ、話しかけるとかラブレターとか俺にはそんなもの必要がない。俺には音楽がある。

 スタンドに立てかけていた相棒を手に取り、アンプの電源を入れる。何も考えない、思いっきり力強く弦を弾いた。アンプで増幅された重低音は俺の頭に掛かった靄を完全に払い去る。

 顔を上げコージとタカを見た。二人は頷いた。

 胸の奥から湧き上がってくるものを指に乗せる。指板を駆け、弦を弾く。混じりっ気の無い俺の想いを音へと変えていく。コージのドラムが支えてくれる、タカのギターが色を付けてくれる。

 演奏を終えた後、俺たちは体に浮かんだ汗を拭う事もせずに部屋の真ん中に集まり、座り込む。会話はしない、することはわかってた。

 床に置いたままになっていた白紙の五線譜。俺たちはそれを手にすると、一心不乱に今の演奏を、自分のパートだけだが譜面に起こしていく。

 ギター、ベース、ドラムそれぞれの譜面が出来上がる。といってもこれで曲作りが終わるわけじゃない。まだまだ粗がある、これを纏めて編集して修正する作業がある。

 普段はこの作業を誰がやるか、誰が中心になって曲を作るかという話し合いをやるのだけれど今日は必要ない。誰が作るか、そんなのはもう決まってる。

 タカとコージから譜面を受け取り、頭の中で音を出しながらバラバラの譜面を一つの曲に纏めていく。

「どうしたら良いとかある?」

「いつもやってるギターソロはいらねー、ヒロだけのとこが要るよな」

「ベースのソロパート。これは絶対に必要」

 俺の問いに二人は異口同音の答えを返す。俺も同じことを考えていた。

 二人に申し訳ないと思うところもあるけれど、この曲は<ザ・スタッグ>のものであるけれども俺からサカシタへのラブソングになる。作詞は俺、もちろんボーカルも俺。

 どんな歌詞にするかはこれから考えていかないといけない、しかしタイトルはすぐに浮かんだ。題名は<My Soul for You>。クさいタイトルだなと自分でも思うし、ダサいとも思う。

 けどこれがいい、このぐらいがちょうど良く、カッコいい。

 この日はこれで解散。続く一週間、俺は歌詞を考えると共に曲を作り上げる。そのことばかりに気を取られ、どこで演奏するかなんていうことは頭からすっぽ抜けていたがそこはタカとコージが手を回していた。

 曲作りに集まった日からちょうど一ヵ月後の文化祭。そこで披露するという。文化祭でライブをやっているのは知っていたけど、俺たちとは音楽性の違う軽音楽部のための舞台だとばかり思い込んでいたが違うかったらしい。

 希望さえすれば部活でなくともライブさせてくれるという、今までは軽音楽部以外で希望者がいなかっただけらしかった。縛りが掛けられるのではないかという懸念はあったが、デスメタルでなければ良いという。

 サカシタをどうやって会場に連れて来るかという問題もあったが、これは何もする必要がない。生徒会は文化祭の見回りのため必ずライブに来ることになっているらしい。サカシタは生徒会長ではなくなっているが、まだ生徒会に在籍している。かならずライブ会場の体育館に来るはずだ。

 曲が完成して残り三週間、俺たちは曲の完成度を高めるために苦心した。中々満足いく出来にならず、何度も修正し、何度もケンカを繰り広げ時には掴み合いになることもあった。

 しかしその甲斐もあってか、<ザ・スタッグ>が今まで作ってきた曲の中でも一、二を争う出来になったと自負するものが出来上がったと思う。



 スポットライトが灯り、舞台上に立つ俺たち<ザ・スタッグ>を浮き上がらせる。

「我が校の仲良し三人組が結成したバンド<ザ・スタッグ>の登場です。高校三年間の思い出を作るために舞台の上に立ち、オリジナル曲を披露します。ご静聴ください」

 スピーカーから流れてきた放送部による俺たちの紹介に肩の力が抜けそうになった。申し込みはタカがやったということだが、どうしたらこんな間違いだらけの紹介がされるというのか。

「ワン、ツー――」

 背後、コージがリズムを取り始めた。スイッチが入り、脱力しかかっていたが顔を上げて前を見る。息を呑んだ。

 ライブハウスで何度も演奏してきた、人前で演奏することに慣れていたはずだった。けどそれは、思い込み。井の中の蛙という言葉を思い出す。

 考えてみれば当然だ、体育館はライブハウスよりも大きい。数百人いる生徒全てが入れる広さだ。ここに全員がいるわけではないのだが、かなりの観客がいた。

 雰囲気に呑まれ指が強張るのを感じたが、俺の客は一人だけ。客席は人が多い上に暗い、その中からサカシタの姿を探す。すぐに見つかった。運の良いことに彼女がいたのは最前列、俺の真正面。

 タカとコージそして俺。三人の呼吸を、ビートを合わせ弦を弾く。

 指を走らせな息を吸い込み、喉を絞り歌を紡ぐ。

 歌詞は全て英語、本当なら日本語でやるべきだったかもしれない。けどそれだと直球過ぎて恥ずかしかった。辞書とインターネットの力を借りて書いた英詩は、教師が聞いたら失笑するレベルだろう。

 でもそんなことは関係ない。俺はこの英詩に心を込めた、かき鳴らす弦の音に乗せ、正面に立つサカシタへと向けて歌い上げる。

 Aメロ、Bメロそしてサビまで歌えばスポットライトの熱もあり濡れた髪が額に張り付いた。

 ここから始まるのは俺のベースソロ。ギターとドラムの音が止む、タカとコージが無言で俺の背を叩く。

 一瞬だけ左手に視線を向けてポジションを確認し、修正する。視線は再び真正面にいるサカシタへ、彼女と視線が合った。今まで見たことのない彼女の表情、瞳には俺の姿が映っている。

 ここからが本番。左手と右手が溶ける、楽器と体の境目は曖昧で俺と楽器はいまや一体。一音一音、奏でる音にありったけの気持ちを込めて、ステージ全体に俺の魂を響かせた。

 曲は五分に満たないものだが、弾き終えた時は全身に水を浴びたようになっていた。息をするたびに肩が上下する。

「センキューオーディエンス!」

 タカが言うと、会場から拍手が巻き起こる。でも俺の耳にその音は届いてこない。

 俺は生徒に向けて歌っていない、サカシタただ一人に向けて歌ったのだ。その彼女は胸の前で手を組んで、潤んだ瞳で俺を見上げる。

 想いは伝わったのか、彼女の表情から読めなかった。スポットライトの明かりが暗くなり始め、俺たちはステージから降りた。



 文化祭が終わった夕方、橙色に染められた河川敷の土手に俺たち三人は寝転んでいた。夕焼けに照らされる羊雲が浮かび、数羽のカラスが鳴いている。

 空しさに近いものがあったが、それでも俺は満ち足りていた。きっと全力を出し切ったからだろう。

「あそこで断るとか……サカシタは凄いな」

「コージの言うとおりだわ。曲の終わりにサカシタみたんだよ、ヒロを真っ直ぐ見ながらうるうるしてたんだぜ。そこまでなっときながら、なぁ……」

 俺は頷いた。

 そう、見事に振られた。

 ステージを降りた後、体育館の外で俺はサカシタを待っていた。そして出てきた彼女を捕まえてこう言ったんだ。

「さっきの曲はお前に向けて作ったんだ、付き合ってくれ!」

 ドラマなんかでよくあるように、頭を下げて、手を伸ばし。サカシタの答えは「ごめんなさい」。

「ベースすっごくカッコ良かったし、曲も良かったよ。でも……そんな親しくない私のために曲作るとか、きもいから無理」

 ガラスみたいな繊細な心はしてないつもりだが、こんな事を言われて折れないやつがいたら見てみたいもんだ。俺はその場に崩れ落ちたとも、人目があるっていうのに涙まで流すほどだった。

 そんな俺を見たサカシタは「回るところがあるから」といってさっさと行ってしまった。そんな俺を見かねたのか、軽音楽部の連中が俺たちの曲がどれだけ素晴らしかったか語ってくれたが慰めにもなりやしない。

「まぁけど、考えてみたら確かにきもいわな。ちょっと話しただけのやつがさ、あなたのための曲です! とかいって演奏するの。振られるに決まってるわなぁ……」

 タカの呟きみたいなこれに、コージが拳骨を落とした。鈍い音がして転げまわるタカ。

「タカの言うとおりだわ……うん、きもい。サカシタの目線に立ってみたら、きもいわ、うん……けどよ――」

 上体を起こし、二人を見る。

 サカシタは俺の演奏に瞳を潤ませていた。これはタカも見てたんだから間違いのない事実だ。

 彼女が何を考えてたのか想ったのか、俺にはわからない。多分、誰もわからない。でも感動させたのは事実なんだ、俺の歌で、俺たちのバンドで。

 それだけで充分だった。

「今回のでまた曲浮かんだんだけど、付き合ってくれるよな?」

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秋の空は高くて青い 不立雷葉 @raiba_novel

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