※※※


 ここは、メゾンルミエールの二階である。

 死体はユニットバスのシンクに全裸で詰め込まれていた。手首がすっぱり、一文字に切り裂かれていて、そこからの失血が死因である事は素人目にも明らかだった。傷口は、洗面器にたたえられたにごった水に沈む、フルーツナイフとぴたりと一致するだろう。

 バスの栓は塞がれていて、脚部や臀部など、三センチ程が血に浸かっている。そのすべてが血液であるとは限らないが。

 換気扇は回っていない。そのため腐敗臭が狭い浴室にとどこおっている。

「ああしまった。情報が錯綜した。どっちがどっちかはわからないってのは、こういうことか……」 

 国分寺がひとりごちる。この部屋で死んでいたのは、寅次のさがしている女性とは別人だった。先生が言っていた、かたわれのほうだ。聞こえていないのが良かったか悪かったか、立川は鼻息荒く部屋の捜査を開始していた。

 タンスの中に荒らされた形跡があるため、強盗の線も考えられるが、財布やカードの類、貴金属などはそのまま残されている。

 知人の犯行、もしくは自殺。警察はそう、結論と至らしめた。

 たいしたことのない事件だった。少なくとも、国分寺と言う、場に似つかわしくない、変哲のかたまりみたいな男があらわれるまでは。

「死んでいた男、古賀明は、なぜバスで死んでいたか? それは、部屋を汚したくなかったから」

 差しさわりのないあたりから攻め始める国分寺。

「なぜフルーツナイフを選んだか? 近所の100円ショップに、大降りの包丁がなかったため」

 凶器は部屋にあったものと、とっくに判明しているので、警察はその貴重な推理を黙殺した。

「洗濯物は洗濯槽に、ある。コンセントにプラグはささっている、でも、ついにその電源が入れられることはなかった」

 あんまりしつこいので、立川は相手をしてやることにした。

「留守番機能がオンになっていることも気になる。家に居る時に留守電はセットしないし」

「店長のラブコールに辟易して、居留守を決め込んでいただけかもしれん」

「それはまあ、あり得ますね。でも、ほら」

 留守番電話の記録をみながら、国分寺は続ける。

「留守電が入るようになってから、一度も再生されてないんですよ」

「留守電にしてても、相手の声は聞こえるぞ」

「……考えられること。警部の言うとおり、自分の意志で留守電を解除していなかった。二つ目。単に忘れていた。三つ目。聞く前に殺された。四つ目。解除できなかった」

「できなかった?」

「泥酔していたとか、部屋が停電したとか、意識が無かったとか」

「意識が無かった……既に死んでいた?」

「そう考えるのは早計ですけど。人事不肖で介抱されたのかも。まあ留守電が事件に関係あるのかはまだわかりませんし、あったとしても大した問題ではないですよ」

「解除していなかった、一番が正解だ。間違いない」

「そうかもしれませんしそうでないかもしれませんし」

「煮えきらんな」

「料理するのは刑事さんたちのお仕事。僕はまあ、材料の仲買いのようなもので」

 警部補はどんな反応を返したらいいかわからなくなった。

「これ以上ややこしくしないでくれるか」

「すいません!」

 国分寺は先にあやまっておいた。やはり、自分が頭をつかおうとすると、ろくなことにはならない。国分寺はすこしかなしくなった。

 このままじゃあ事件の解決なんて、できるわけもない……。

 頭を使うのはやめだ。国分寺は思い直し、当初の予定通り先生の代弁者となることに徹した。 

「大木理沙子という、女性がいます」

 刑事達はまたわけのかわらんことを言い出した国分寺に、冷ややかな目を向けた。

「この事件に、大きくかかわりを持つ女性です」

 雰囲気が悪いので、国分寺はあわてて補足する。

「何者だ……?」

「彼が、ストーキングしていた女性ですよ。彼は彼女と、心中したんです。むりやりにね。時も場所も方法もべつべつですが」

 ようやく出てきた具体的な情報も、オーディエンスの反応はいまいちだった。

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