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八王子の初夏。まっさかりにははやいと言えど、日射しのなかを生身でうろつくのはおすすめできない。
八王子、と一言で言ってもかの地はとても広い。大地のおおかたは山、と言ってさしつかえないが、なかには平地があって、そこに新興住宅地を造成したのがもう二十年前。
それでも満足いかず、人は森をきり丘をつぶし、居住域をひらいていった。先生の事務所は、まさにそういうところにある。
「追い出され殺された、動物たちの嘆きや哀しみ、怒りが私には見えるよ」
訪れた当時、先生は言っていた。その視線が自分をつらぬいているようで、ふっと目をふせたことを国分寺は覚えている。
そんなこと自分に言ってもしかたがないじゃないか……普通の人間相手にはそう言えるだろうが、先生相手ではどのような言い訳も無意味だ。
車が風を切って脇をとおりすぎた。
あがった息を一心地つけ、坂をのぼれば、約束の地はもうすぐそこだ。
「はじめまして」
「こんにちは」
依頼人は小麦色がまぶしい、鼻筋がきりっと通った、なかなかのハンサムだった。
「ナイスハンサム」
先生はボソッとつぶやいた。
「寅二と呼んでください。多摩先生ですね、おうわさはかねがね」
依頼人は国分寺に視線をうつすと、けげんな顔をした。
「ええと、こちらの人は……?」
「助手みたいなもので」
注視され、国分寺がなさけない顔でほほえむと、寅二はちょっとこまったような顔をして、
「信用のおける人間なのですか?」
「彼は窓口なのだ。私と依頼人をむすぶ、電波塔。信用はおけませんが、不信を買うようなことはしない。まあ、この私に万事まかせておけばけっこう」
寅二はまだ納得のいかないようなようすでぶつぶついっていたが、最後には「わかりました」、と顔を上げた。
「では、部屋まで案内します。詳細は、歩きがてら」
そうしてまた、国分寺は歩くはめになった。
「彼女が部屋から消えてしまったんです」
そんな言葉から、寅次の語りははじまった。
「俺と彼女がいっしょに暮らすようになって、もう二年になります。俺が行き先も告げずふらふらするのは一度や二度じゃありません。だけど、こんなことは初めてで……」
「彼女はいつから消えたんだ?」
「俺が帰宅したのが三日前。もう、そのときには……」
たどりついた賃貸マンションはオートロック式白亜の十階建て、土地からすれば月九万ほどの、なかなか快適そうな住まいである。
「何か、変わったことはなかったかい」
「ない、と思います」
大きさとかたちの違う石を積み重ね、でこぼこの彫塑と成したファザード。
メゾンルミエール。
「越してきたのは、三ヶ月前のことです」
「最近だね。なんでまた引越しを?」
「あいつの考えることはわかりません……ただ、ここ二年の間で三回目です」
「へえ……引越しマニアかなんか?」
「マニア? いや、違うと思います」
階段を登る。三階の一番奥の角部屋で、寅次は足を止めた。
「部屋は、自分が帰ってきた当時のままにしてあります」
寅次が戸を開け、先生が身を潜らせる。顔だけひょっこりと出して、「君はそこで留守番だ」なんて言って戸を締めてしまった。
「はいはい、いつものことですよっと」
国分寺は通路のふちに肘を掛けて、ぼうっと空を見つめて忘我した。
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