終章 朝焼けの旅立ち
「おーい、ヴィッケ~」
ルペルが呼んでいる。吾輩はその足下に走り寄った。
「まったく、準備に幾ら手間取っているのだ! 何度置いて行こうかと考えたか」
「そんなこと、言わないでよ~」
ルペルは相変わらず情けない顔を情けなく歪めた。
アルチェスタの悪夢から一夜明け、ヤツは……『十戒』を行使した時のことを丸ごと忘れてしまっていた。力の反照……そう考えるのが適当だろう。三行魔術を巧みに操っていた辣腕の魔術使はどこへやら、またも落ちこぼれと成り果ててしまったという訳である。
「はぁ……」
吐いた溜息の意味さえ知らず、ルペルは隣で疑問符を浮かべていた。
「……お早う」
戸を開いて俯きがちに入ってきたのは、『竜の杯亭』の看板娘だ。
「本当に……行っちゃうの?」
「うん。先生を追わなくちゃ」
背嚢を背負い、ルペルが言った。
「いろいろありがとう。いろいろ迷惑かけたちゃった、かな?」
「ううん……そんなことないよ」
扉を開き外に出る。生まれたばかりで気張り過ぎな朝日が眩しい。
ルペルは大きく大きく伸びをした。
「おい、小僧」
家の中から低い声。酒場のマスターだ。
「娘を、守ってくれたんだってな」
頭を豪快にわっしゃわっしゃ掻きながら、ルペルの顔を見ないで言う。
「……ふん。修繕費は王家からたんまり出たしな。とりあえず礼はいっとくぜ。ありがとよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、ルペルの背中に張り手を一つ。ぱぁんっ、と豪快な音がして、ルペルが涙ながらに咳き込んだ。
「だがな、まだお前を認めた訳じゃないからな」
「認めるって、何をですか?」
「娘の婿として、だ」
ぷいっと背中を向けて、ざっしざっしと家の中に引っ込むオーガハング。言葉を飲み込むのにしばらく掛かったアリエットが、顔を真っ赤にした。
「ななな、何言ってるのお父さんッ」
アリエットが備え付けられていたテーブルをふん掴み投げつける。絶妙なタイミングで閉められた扉に当たり、ばきっと鈍い音をさせた。
その様子を悠々と涼しい顔で見詰めるルペル。全く他人事のように、穏やかな表情である。いやあ、この度で人間的にずいぶん成長……
「娘の婿って、誰の話?」
……まったく成長していなかった。
ともあれ、別れの時は訪れる。それが今だと言うことくらい、ルペルにもちゃんと解っていた。
「アリエット……」
ルペルは右手を差し出した。少女はその手を取ることを一瞬躊躇したが、そっと右手を絡めた。
「また、寄ってよね。きっと、会いに来てね……?」
「うん。必ず」
少女の声を背中に受け、我らは歩き出す。振り返ることはしない。涙などいらない。また会えることを、我らは知っているのだから。
出会いと別れは、まったくの同意なのだから。
「……しかしまあ、大変な大冒険になってしまったな」
吾輩は溜息と共に押し出した。
「まったく。ご主人様の下に帰ることが出来るのは、一体いつになることか……」
「すぐだよ、すぐ」
何を根拠にしているのかはさっぱり解らないが、ルペルの顔は呑気なものだ。
そんな横顔を見ていて……吾輩も何だか考えるのが馬鹿らしくなってしまう。
「……まあ、安心しろ。お前には、吾輩というブレーンが居るからな」
それを聞くと、クリオは少し恥ずかしそうに笑った。
「うん。これからもよろしくね、ヴィッケ」
……まったく、何を勘違いしているのか。
まあ、こんな旅も悪くない。少なくとも刺激には事欠かないのだから。
「では、次はどこへ向かおうか……」
「僕は、暖かいところがいいな~」
「馬鹿め。追われる者の心理を考えろ、授業で習ったろう……」
行く手には、晴れやかな空が広がっている。
吾輩達の旅は、空が果てなく続くように、何時果てるともなく続くのだった……。
おわり
十戒のルペル 生玉遠間 @relemito
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