第四章 新米冒険者、青天の霹靂に踊る

  1


 と言うわけで、ここはアルチェスタ城。切り立った崖を背に荘厳な様相を市井に晒す権力の象徴である。城というものは何故にこうも危険な立地条件を選ぶのだろうか?

「やあ、やっぱりでっかいなあ」

 と、吾輩の頭上でのったり声を上げるのは、わずかばかり身なりが良くなったルペルである。

 せめてもの足しにと、酒場の主人が上質のレザーをあつらえた防具を用意してくれたのだ。歴戦を物語る傷痕がそこここに刻み込まれ、気分はもうベテラン冒険者だ。あくまで気分、だが。

「まあ、儲けてるからね。それなりの税金取ってるし。さ、行こう」

 アリエットもさすがに着慣れたエプロンドレスではなく、金具で補強されたレザーの胸当てや篭手など、必要最低限の鎧を身に纏っていた。得物は大の男でも手に取るのを躊躇しそうな両手持ちの大剣。アリエットはこれをさも玩具でも扱うかのように振り回す。

 吾輩もその剣の冴えをまざまざと見せつけられたが……何というか、魔法の力でも働いているかの様な豪快さであった。どうやら巨人を吊す者の血は、脈々と彼女に受け継がれているようだ。

 恐ろしいハナシである。

 我らはアリエットを先頭に、見上げるほど大きな城門へと向かった。門には様々な文様が描かれ、さながら一枚の絵画のようでもある。……本当に豊かなんだな、この都は。

 そんなことを思いつつ、我らが城門をくぐろうとした、その時だ。

「ちょっと待った!」

 ルペルが体をビクリとさせる。どうもこの都では、衛兵との相性がとことん悪いらしい。

 がしゃがしゃと鎧を揺らしながら、二人の男が我らに近付いてきた。

「君達、観客席は反対側だよ」

 子どもに話しかけるような優しい口調。しかし、アリエットは一様に不機嫌な顔つきとなった。

「参加者です!」

 アリエットの差し出した身分証明書に、衛兵は目を白黒させた。何しろ参加者専用のこの門を通り過ぎるのは、屈強な体つきをした、歴戦の勇士ばかりである。吾輩達など、正しく観客以外の何物にも見えないのだろう。

 衛兵は二人してぼそぼそ話し合い、合点が言ったとばかり笑いかけた。

「ああ、誰かの代理かい? じゃあ伝えておくれ、受付は本人が……」

 だんっ、とアリエットが地を鳴らした。

「違います! あたし達が出るんです!」

「……信じられんなあ」

 毅然と言い放つアリエット。その姿は勇壮であるが、衛兵の視線はあたふたと情けない顔を晒す、ルペルを捉えていた。 

 衛兵は再度顔を突き合わせ、すこし不機嫌に顔をひん曲げる。

「ほら、帰りなさい。私たちも暇じゃないんだからね」

 と、我らを乱暴に押しやった。

 だが……そこまでコケにされて、黙っていられるアリエットではなかった。

 父親譲りの熱き奔流をこめかみに浮かべ、目にも留まらぬ速度で居合い抜く!

「ほら! 武器もちゃんと持ってます!」

 ぬっ、と衛兵の鼻先に付きだされたのは、どっしりとした肉厚の刃が何とも切れ味の良さそうな、両手持ちのバスタード・ソード。

 ぎらりと鈍い光を跳ね返すその刃に自分の間抜け面が映っていることに気付くと、衛兵はまるで子犬の様な悲鳴を上げ腰を抜かした。

「い~ですかぁ、よぉ~く見てて下さいねぇ~!」

 子どもに話しかける時にする、後に伸びた優しげな口調でそう言うと、衛兵の正眼に向けた切っ先を、かちゃり、と翻した。

「はいっ!」

 どこから取り出したのか、裂帛の気合いと共に宙へと放ったのは、紅く瑞々しいリンゴだ。

 高く昇ったリンゴが世界の法則に基づき、やがてゆるやかに落ちてくる――

「てあぁぁっ!」  

 アリエットが剣を幾重、幾筋か薙ぎ払った。ちらつく光が、吾輩の瞳に幻覚を残す。それは誰の目にも明らかだったに違いない。 

 ちん、と鞘に刃を収めるアリエット。

 リンゴは六つの欠片となって二人の衛兵、我らの手元へと降ってきた。

 吾輩は口でそれをキャッチする。うむ、このジューシィな甘さ……本物であることに疑いはない。

「おお~っ」

 ……ん。気付けばぞろぞろぞろと、見物客が我らを円かに囲んでいる。アリエットの怒れる剣舞は、格好の見せ物となっていたのだ。

「あのお姉ちゃん、かぁっこいい!」

「いいぞ、嬢ちゃん!」

 周囲から一斉に拍手と歓声が巻き起こる。

 アリエットは少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、得意げに胸を張った。

「どうですか? これで、冗談じゃないことは解りました?」

 衛兵の視界が剣に突き立てられたリンゴで埋まる。

「うわったた! 分かった! 分かったからその物騒なものを早く仕舞いなさい!」

「は~い」

 不服そうに鞘に収めるアリエット。我らを見遣り、ぺろりと舌を出す。 

 そんな彼女の猛々しい様に、吾輩もルペルも苦笑いを浮かべるだけであった。

 集える観衆は宴の終わりを知ると、口々に激励の言葉を投げかけ、やがて散っていった。彼らにとっては、いい暇潰しの余興であったことだろう。

 その中心であった二人の衛兵は堪ったものではなかったろうが。……まったく、無茶をしてくれる……。

「じゃあ、通りまーす」

 剣をわざとらしくがちゃがちゃ言わせて、悠々とアリエットが衛兵の前を通り過ぎる。

 我らも置いて行かれぬよう、慌てて後を追った。


  2


「さすが、すごい数だね」

 アリーナを見渡せば、さながら一つの目的に集いし傭兵団と言った雰囲気である。どの顔を見ても、とても敵いそうにない。

「うーん、みんな頑張って優勝するぞって感じだね」

「頼むからその気概を微塵でも見せてくれ」

 どうやらとうに見せていたらしい、ルペルはぷっと頬を膨らませた。

 冒険者達は、三百人はいるだろうか。我らのように二人一組と言う訳だから、百五十余りのパーティがこの大会に参加する訳である。

 参加者がそれだけ多いなら、観客の数もまた膨大な数に及んでいる。年に一度のこの大会期間中は平時の三倍にまで人口が膨れあがる、とはアリエットの弁であるが、それが空言でないことを今見せつけられた思いだ。

 上方に開けた空以外は、どこを見ても人、人、人! ぐるりとアリーナを取り囲んでいる観客席は、ぎっしりとすし詰め状態である。その顔を見れば、大会を今か今かと心待ちにしているのは明らかだ。

 彼らが待ち望むものは、ただ一組の勇者たち……吾輩、大会の規模をようやく理解し、甚だ絶望的な気分になった。

「そういえばさ、この大会のこと、詳しく聞いてないんだけど」

 そんな吾輩の気も知らず、ルペルは甚だ楽観的な声を上げる。

「あれ、そうだっけ。忘れてた」

 とぼけるアリエット。その瞳は、絶対に嘘だ。

「迷宮の奥地に宝物があってね、それを取ってくればいいの」

「へぇ、それなら僕にもできそうだね」

 ルペルは明らかに安心した様子である。

「あそこのおっきなスクリーンに、戦いの模様が映し出されるんだよ。参加者を三組に分けて、分けた組で迷宮内にある宝物を取り合う……」

「ちょっと待て! 幾ら三組に分けると言っても、軽く百人は越えているぞ!」

「だーいじょうぶ。何とかなるって!」

「何とか、ってな……是非その算段を教えて欲しいものだ……」

 吾輩は一人、肩を落とした(肩の存在が怪しいが……)。

「ふーむ」

 ルペルが眉間に皺を寄せ、珍しく考え込んでいる。おお、ようやっとお前もことの重大さに気が付いたか……

「てことは……一組あたり五十パーティーくらいいるわけだね~」

「お前も何をのんきに計算しているか!」

 しかもなんだその亀の歩みがごとき処理速度は……吾輩はわなわなと肩を振るわせた(肩の……以下略)。

 しかし……それでは迷宮内はまるでバトルロイヤルではないか。ルペルが勝ち残るとすれば、それこそ地震か噴火でも起こらなければ……。

「……で。その後は?」

 吾輩が先を急かす。アリエットは、ん~? と指先を口元にあてがい、しばし考え込むような仕草をして言った。

「さあ?」

「さ、さあ? 分からないと言うのか?」

「毎回、決勝戦だけは秘密裏に行われるの。昨年、勝ち残った参加者がウチに来てね、その時に聞いたんだケド……」

 忌みありげに顔を陰らし、我らに詰め寄る。ゴクリ、と喉を鳴らす吾輩とルペル。アリエットがゆっくりと唇を開いた。

「『あれは、この世の地獄だ』って……」

「……」

 暫し、それは重い沈黙が流れた……。

「な……何でそういう大事なことを、今まで黙っていたんだッ!」

「だって、言ったら参加しなかったでしょ?」

「絶対にしなかっただろうな」

 地獄……か。まだ優勝者を闇討ちした方が成功率は高そうな響きだ。否応なしに、命の危険を感じる。

「ま、別にたいしたことないって、きっと!」

「そ~だよねえ」

 そんな吾輩の悔恨の念もそこそこに、二人は呑気に粗忽な振る舞い。こ、こいつらッ! 真面目にやる気があるのか?

「あ、ねえ始まるみたい」

 吾輩が今度は憤慨に震えていると、アリエットがアリーナの正しく中央、おそらく全てを睥睨出来るであろうその舞台を指さした。

 壇上に上がるのはちょび髭の小男だ。男が高々と片手を振り上げる。貧相な顔立ちだが、身につけている衣服は、他の誰よりも優美で高価そうだ。

 男は魔術で拡大した声を奮う。

「冒険者諸君、よくぞ我が城へ集った! この度執り行う宴は、諸君らの栄光、富、名声、その全てを約束するだろう!」

 その宣言は、大空の隅々まで響き渡った事だろう。

「あの方がアルチェスタ城主、セルリアック十三世よ」

 と、アリエットが我らに耳打ちした。ふむ、貫禄こそないが、世の平和を示すには格好のオブジェかもしれん。あの男を見て、戦争や乱世等という不穏なキーワードを導き出す者は誰一人おるまい。

 小男改めセルリアック十三世は、吾輩のそんな思惑とは別に、ない背を必死で伸ばし、声を張り上げた。

「それでは、第二十一回アルチェリア城下大冒険者大会の開会をここに宣言する!」

 その瞬間、数百にも及ぶ冒険者の群れが、一斉に鬨の声を上げた。耳を劈くような声、声、声! 空気のうねりがヒゲに伝わり、こそばゆい程だ。

「わああ、凄い活気だなあ」

「ちょっとくらいはお前も奮起したらどうなのだ?」

「そんなのムリだよ。だって僕、大きな声を出すとクラっとするんだ」

 その言葉に吾輩はクラっときた。


  3  


 障気漂う冥暗の魔窟……古き時代、栄華を極めた一族の居城であったはずの建築は、永き刻の流れにより地の深くに埋もれ、永遠の渦中に閉じこめられた。闇の奥底、王への謁見を許された栄誉あるかつての扉は、今では魔物達の犇めく地獄の門へと姿を変え、冒険者達の訪れを密かに静かに待っているのだ……

「……という感じであろうか、この張りぼて迷宮のコンセプトは」

 我らの目の前、深い堀の向こう側には、いかにも古くさい石造りらしき迷宮が、ぽっかりと口を開けていた。

 ここが一回戦の舞台である。入り口が五つ見える辺り、どこから入りどこから出るのかは自由というわけだ。

「よいかな、勇敢なる冒険者諸君」

 もったいぶった口調で、セルリアック十三世が試練の説明をする。

「この古代迷宮の奥底には、燦然と輝く宝物が安置されておる。それを余の元まで持ってくるのだ! 入ってから数刻すると、号砲の鳴る音が聞こえるだろう。それが開始の合図だ。それまでは、冒険者同士で闘うことは一切まかりならん! 配布されたお約束五箇条を遵守するように! 破った者は、理由の如何を問わず失格とする!」

 ほっ、それなら入った瞬間全滅、と言う最悪の事態は避けられそうだ。

「それでは、第一組! 用意は良ぅいかな? なんちゃって……」

 ごぅんごぅんと城主の声を掻き消しながら、からくり仕掛けで動き出した橋が堀に渡された。そこに我先にと冒険者がごった返す。

 周りがにわかに慌ただしくなると、何故かルペルはそわそわと落ち着かない様子だ。

「ヴィ、ヴィッケ、僕らは何組目だっけ?」

「第二組だろう」

「受付で札を貰ったじゃない。忘れちゃったの?」

 大ボケ大海のごとし。シュンと沈むルペルとは反対に、第一組に当てられた冒険者達は、仲間内で作戦を立てたり気合いを入れたり、気概をその身から溢れださんばかりだ。

 打ち鳴らされるのは鼓笛。アリーナを環状に囲った壁の上に、ずらりと並んだ王家抱えの吹奏楽団が雅やかな旋律を奏でている。楽曲に合わせられるのは、冒険者達のいななき。かちんかちんと仲間内でかち合わされる剣戟が、打楽器のごとく荒ぶるリズムを刻んでいく。

 いよいよもって、戦いは始まる。吾輩も、背筋が震えてきた。柄にもなく、興奮しているのだ。

 そんな喧噪の最中、城主がついに……

「では、始めぇい!」

 開戦を告げた!



 ……それから、ルペルが好物のシフォンケーキを勿体ぶりながらのんべんだらりと三つ平らげるくらいの暇はあっただろうか。数刻と経たず、ほんの僅かな時間で決着はついた。

「……あ~」

 ルペルが打ち揚げられた魚のように口をぱくぱくさせる。

「惨々たる戦果だな……いや戦禍、か」  

 あれだけの数が突貫したと言うのに、自力で出口へと辿り着けたのはその五分の一ほどである。宝物を手にした者はと言えば、更にその三分の一に限定される。その他大勢は、たった今王家抱えの救助部隊によって運び出されているのだが……なんか、目を回して昏倒していたり、足が変な方向にねじくれていたり、頭にツボをすっぽりはめて母を求める赤子のようにうろついていたりと、壮絶な混乱窮まりない。

 スクリーンには今なお死線をくぐる冒険者の姿が、まるで悪夢のように繰り広げられている……。

「あ、はは」

 さすがのアリエットも額に大粒の冷や汗を浮かべていた。

「ぼ、僕やっぱり帰……」

「待て」

 吾輩は容赦なくルペルの首筋に噛み付いた。

「お前、ここに何をしに来たのだ」

「少なくとも、痛い目にあいに来たんじゃないよ。だからかえ……」

「では第二組っ! 間もなく開始する!」

 時機が良いのか悪いのか、城主の号令が聞こえた。出端を挫かれ泣きださん面もちのルペル。もうそれも見慣れた。こいつは切迫しててもしてなくても、対して変わらん情けない顔なのだ。

 ルペルはびくりビクリと小動物のように身体を丸め小刻みに震えている。

「……ふっ。武者震いか。どうやらお前も、幾多の困難を経て少しは逞しくなったと見える」

 ルペルは涙ながらに頭を激しく振った。これは、奴なりの準備運動なのだ。そう思うことにした。

「やるっきゃないよ、ルペル。ここまできて尻尾巻いて帰ったら、お父さんに笑われちゃうよ」

「で、お前は店の修繕費を稼ぐ為しばらくただ働き、と。案外あの親父の下で数年間過ごした方が、一人前の冒険者の途は余程近いかも知れんぞ」

 もちろん、戦士として、だが……。

 ルペルも第六感が働いたのか、さっきよりも激しく頭を振った。 

「ううう……やるしかないのかぁ……」

「そう言うことだ」

 景気づけに背中をはたくと、ルペルは少し戸惑いながらも、おずおずと頷いた。 

 さて……第二組、それには我らも含まれている。要領が未だ良く分からないが、それは誰しもにとって同じことであろう。学習能力が皆無のルペルを抱える我らにとっては、一抹の幸運というものである。

「頑張ろう、ルペル」

「う、うん……」

 各パーティーも思い思いに身支度を整え、号令を待っている。あんな惨状を見せられたからか、第一組のような騒がしさとはまるで無縁。一様に張りつめた雰囲気を纏っている。吾輩が思うに、本来のダンジョンを目の前にした冒険者とはかくのごときものであろう。

 城主が第一組のときと同じよう、高き舞台へと歩を進める。皆々の視線の正しく中央で、その手のひらを天へと掲げた。

「準備は良いか!」

 観客のどよめきもひっそりと形を潜める。固唾を飲んで、城主の一挙手一投足を見詰めている。そして、荘厳な儀式のような雰囲気の中……

「それでは……はじめえぇぇ!」

 開始の声が轟き渡った! 一斉に駆け出す冒険者達。疾風か怒濤かと言うような、凄まじい勢いだ。

「うわあああ」

 そんな中で、ルペルはもみくちゃになって回っている。当然、肩に乗っている吾輩もクルクル回っているわけで……

「にゃあああ」

 い、いかん、このままでは、迷宮探索どころではない。目が回って入り口でリタイア、何てことになったら、それこそ末代までの恥である。

「ルペル、こっち!」

 その時、アリエットがルペルの手を引き、真ん中の入り口に向かって走り出した。 

 ルペルも必死でアリエットにしがみついていくが、いかんせん人の数が多すぎる。繋いだ手も冒険者とのかち合いで打ちのめされ、アリエットの顔が苦痛に歪んだ。

「あっ」

 アリエットが後続の冒険者にぶつかり、跳ねとばされた。いかん、このままでは雑踏に押しつぶされてしまうぞ!

「……!」

 その姿を認めるや否や、ルペルが背中の雑嚢に手をやり出した。こいつに何か良いアイデアでもあるというのか? いや、まさか……

「ヴィッケ、紐開けて、早く!」

 おおう、ルペルが叫んだ……吾輩、その、迂闊にも少し驚いてしまって、素直にルペルの命に従ってしまっていた。

 吾輩が口で紐を解くと、ルペルは袋から棒切れを取り出した。ご主人様のショートスタッフだ!

「封じられしマナよ、ハーディエイジの信託の元、ルペルツィオ・アースラインが命に応えよ!」

 ルペルが普段とは比較にならぬ集中力をこめたイメージを呪文に転化する!

「『気』並びに『気』、二行よ、空の礎となれ! 『浮揚』!」

 唱え終わると同時に、我らの体が暖かな光に包まれ(この辺りはご主人様の力が及んでいる証拠である)、ゆっくりと浮かび上がっていく。

「わ、わっ、何なに?」

 アリエットが足をバタつかせる。その姿は、水面下の白鳥のごとし。まあ、突然体が宙に浮いたんだ、無理もない。

「落ち着いて、アリエット。手を離すと落ちちゃうから」

 恐怖に任せて暴れていたアリエットも、それを聞くと冷や汗の流れる顔をブンブンと縦に振って、大人しくなった。ルペルの腕を手懸かりに、小さく震えている。

 ふわり、ふわり。高さは、成人男性の背丈三人分くらいだろうか。今、我らの命運を握っているのは、間違いなくルペルであった。吾輩も肩から落ちないように、必死でしがみつく。

 ……程なくして、眼下に冒険者の姿は一切なくなった。

 ルペルが解除の言葉を掛けると、上昇したときと同じように、ゆっくりと降下する。地に足が付くと、アリエットはぺたりと床に座り込み、安堵の溜息を吐きだした。どうやら腰が抜けたようだ。

「はあ、恐かったぁ」

「大丈夫? アリエット、辛そうだったから」

「ん、だいじょぶ。ありがと」

 そう言う目尻に、うっすらと光るモノが見える。

「高いところ、苦手だった?」 

「……ちょっとね」 

 それでも気丈に立ち上がり、笑顔を作って見せた。

「……ごめん」

「いいの。ルペルはあたしを助けようとしてくれたんだもん」

 顔を赤くさせるのは……むう、両者だ。ほのぼのモードも良いが……。

「……さて、大分出遅れてしまったようだ。それもまあ、致し方ないが」

 場合を見計らって(何故吾輩が気を払わねばならんのだ?)、吾輩は状況の確認をする。

「城主の言う号砲も、もう鳴る頃であろう。我らも後に続くぞ」

「あ、うん、そうだね」

 さて、冒険者から遅れることほんの少し、我らはその地に立った。こうこうと風の吹き出る迷宮の口は、闇を広げて不気味に存在する。

「さあ、ゆくぞ!」

 と吾輩が言おうとした、丁度その時。

 ドン、ドドン。

 吾輩のセリフを代弁する号砲が、空高らかに響き渡った。

「いよいよ始まりってワケね」

「いたた……耳が」

 白煙を撒き散らかすかなり大型のそれは、間違いなく迷宮内にも轟いたことだろう。いよいよ開始だ……我らは誰からともなく顔を見合わせ、迷宮内へと足を踏み入れた!


  4


 中は陰湿で薄暗い。

「何も、こんな所まで再現しなくてもいいのにね」

 と、靴底にこびり付いた青ゴケを気にしながらアリエットがぼやいた。まったくである。と言うのも、吾輩の首筋に先程から雫がポタリと落ちてきて、不快なことこの上ないのだ。

「ルペル、光だ光」

「あ、うん」

 風が吹き流れる洞穴の奥底では、一切の輝きが届かない。申し訳程度の灯りが備え付けられてはいるが、このまま進めば間違いなく頭を打つかすっ転んでしまう。

「『光』!」

 ルペルのスタッフの先に、丸っこくて小さな光が灯る。それでも十分だ。揺らめく灯が、行く先を煌々と照らし出す。

「ふん、つまらん。華がないな」

「使えれば詠唱なんてどうでもいいだろ」

 甘いな……と、魔法理念について懇切に語ろうとしたが、止めた。今はそんなことはどうでも良い。

 アリエットは既に先行し、光の届く限界の位置まで歩を進めていた。吾輩、そしてルペルも急ぎ後に続く。

「何かあった?」

 アリエットは首を振って応える。

「それにしても静かだね。たくさんの人が入ってるとは思えないよ」

「それだけ出遅れているのだ」

「そうだよね。急ごう、二人とも」

 光の灯ったスタッフを掲げ、我らは歩を進めた。道は紆余曲折として階段など落差もきつく、何処までも代わり映えしない石造りの迷宮であるから、帰路を覚えるのにも一苦労である。見れば、所々マーキングの跡が見受けられる。どの冒険者にとってもそれは一緒と言う訳だ。

 我らは少し歩調を早めた。物音が周囲から聞こえない以上、他の冒険者はかなり遠くまで達しているに違いない。

 かつかつかつ。テンポの速い足音が二人分、反響の尾を引いて鳴っている。さしものルペルも、情けない弱音を吐いたりはしない。

 そうしてしばし三人、気を張って進んでいると……アリエットが普段よりも半音高い息を漏らした。

「……うわぁ」

 そしてすぐに、嗚咽に取って代わる。何か、夕餉に嫌いなものが並んだかのような、そんな声だった。

「何事だ?」

「見て、これ」 

 アリエットが指さしたのは床の隅だ。ルペルが光で照らすと、その全容がはっきりとした。

 赤や青の、いやに色鮮やかな燃え殻だ。吾輩が爪で突いてみると、なにやらべとべとしている。匂いはほとんどなかった。どうやらこれは、モンスターの成れの果てである。

「ねぇ……これって、魔法生物、だよね?」

「う、うん。だよね? ヴィッケ」

「吾輩を頼るな! 全く……生物学で出てきただろう。コレはムービングスライム。なに、今のお前でも創ることの出来る下級生物だ」

 何故こんな場所で補習授業をせねばならんのか……吾輩の教示に、ルペルは合点したように開手を打った。

「ああそっか、思い出した! 確か、武器攻撃、特に刃物に強いんだったっけ」

 刃物に強いと聞いて、アリエットが嫌な顔をする。

「なに、松明などで燃やすか、踏み付ければいいだけだ……ねばねばするが」

 それを聞き、ますます嫌な顔をするアリエットだった。

 その後もモンスターの死がいを見付けながら(たまに生きているのもいたが、難なくいなした)、我らは迷宮の奥深くへと潜っていく。 

 宝箱なども幾つか発見したが、そのほとんどは既に暴かれていたし、子どもの小遣いのような銅貨が数枚入っているだけだった。そんなもの、秘宝のわけがない。

 苔生した石畳。肌を打つ水滴。そして、どこからか聞こえてくる声。

 天を閉ざされた闇のただ中にあっては、気持ちを暗鬱とさせるだけではなく、精神力も疲弊するものだ。加えて、緊張感を絶やさずに索敵をしながらの行軍など、アリエットやルペルにとって決して手慣れた行為ではない。

 かくして、いよいよ我らの歩みは遅々として進まなくなっていた。

 三十段程の階段を昇りきった踊り場で、ついに音を上げてしまう。

「ちょっと、疲れたね」

 はあ、とアリエットが荒い息を吐く。迷宮内はひんやりと涼しい程だというのに、彼女の額には大粒の水玉が浮かんでいた。隣を見れば、ルペルもこくこくと同意を示している。

「ううむ……ことは急ぐが、疲れ果てたところで冒険者と鉢合わせては堪らんだろうな。よし、少し休むとしよう」

「た、助かったぁ」

 ずるり、と倒れ込むようにその場にしゃがみ込んだルペルは、背嚢から革の水袋を取り出すと、まずはそれをアリエットに差し出す。だがアリエットは首を振った。

「いいよ、まだ大丈夫。ルペルが飲んで」

 そんな強気に、今度はルペルが首を振る。

「ダメだよ。汗をたくさんかいた後は、きちんと水分補給しなきゃ、体が保たないよ」

「……詳しいんだ」

「授業で、習ったんだ」

 そう言って、アリエットの手に革袋を握らせた。アリエットは今度こそ首を縦に振ると、袋を傾けこくこくと数回に分けて喉に通す。

「調子がいいな。さっきは魔法生物のことなどろくに覚えていなかった癖に」

「……うるさいな」

 ルペルがぷっと頬を膨らませた。

「……っはぁ。ありがと」

 心ゆくまで飲んだのだろう、アリエットが革袋をルペルに手渡した。革袋は水腹をたぷんと揺らす。

「もういいの? じゃ、僕も」

 と、アリエットよりか控えめに、ちびちびと水を飲むルペル。ええい、男ならばもっと豪快に飲まんか。

 吾輩がお手本を……と水たまりを探していると、ルペルの影に日頃からは想像出来ないいじましさで佇むアリエットが目に入る。

 何故か顔を紅に染め伏し目がちにしているが、疲れのせいであろうか?

 ……まあ、いいか。

「おい、ついでに何か腹に入れておこう」

「む? ほうはね」

 袋から口を離し、袖で拭う。

「じゃあ、乾し肉でも出そうか」

 革袋と背嚢を床に置き、ちょっと足休め……そんな軽い心積もりだろう、ルペルが後ろの壁に寄り掛かった。

 がくんっ。

「……うわぁっ?」

 何事だ、と振り返った矢先、吾輩はルペルの姿を見失った。まるで三行魔術『虚空の面』でも行使したかのように、奴は姿を掻き消して見せたのである。

 アリエットも、目前で起きた奇怪な現象に、目をぱちくりさせている。

「……消えた、な」

「……消えた、ね」

 しばらく呆然と立ち尽くす我ら。二人して顔を見合わせようやく、事の重大さに気付く。

「る、ルペル! どこ行っちゃったの?」

 アリエットの呼び掛けに、何だか泣き声の混じった声が聞こえた。

「こ、ここだよ~」

 声はすれども姿は見えず。声の元を辿ると、そこは何の変哲も無き石壁である。

「ここだってば」

 何の脈絡もなく、ひょっこりと壁からルペルが顔を出した。首だけが覗いている状態だ。

 変な声を出して、アリエットが腰を抜かした。

「な、なな……」

 吾輩の見ている前で、ルペルの身体は壁から這い出すように現れた。

「いやぁ、びっくりした」

「びっくりしたのはこっちの方だ!」

 吾輩はルペルのだらしない笑い顔をひっぱたいた。

「まったく、気を揉ませおって……」

「あはは、ごめんごめん」

 ルペルはちょっと困ったような顔で、頭をかいた。

「ねえルペル、何があったの?」

 アリエットがそう尋ねると、ルペルはにんまりと笑った。

「うん。それが……やってもらった方が早いかな」

 外套に付いた埃を払いながら、ルペルが立ち上がる。その顔は、少し挑戦的に我らに向けられていた。

「何だと? 一体どう言う……」

「いいから。ここ、触ってみてよ」 

 疑問符を浮かべる吾輩に、ルペルはただ笑っているだけだ。

 吾輩、何だかその余裕綽々な素振りが癇に障ったので、それ以上何も問わず、恐る恐る爪を滑らせてみる。

「ん? ……なんか違和感が」

 そう、ここだけ妙につるつるとしていて、まるでつい最近になって据え付けた様な手触りなのだ。

 吾輩思うところあって、ぐいと押してみる。

 すると、前足を掛けた壁ががくんと引っ込み奥へと倒れた。動いた部分の中心を軸にくるりと回転し、何とそこに現れたのは新たな通路である。

「こ、これは……からくりの仕掛けか!」

「すごいすごい! 隠し通路だよ!」

 アリエットが頬を紅潮させてぴょこんと跳ねた。

 初心者の初当たりとでも言おうか、凄まじき悪運である。当の本人はまるで自身の功とでも言いたげに胸を張っている。

「ね? いかにも宝物が隠されてそうだよね」

「確かに……な」

 むう……喜ばしい気持ちと口惜しい気持ちが半分ずつ……複雑な心境である。

 弟子の成長を嬉しく想う師の気持ちとは違う何か……それが一体何物であるのか、吾輩には解らなかった。

「……ほら、何をぐずぐずしている、さっさと奥を探索するぞ!」

「ヴィッケってば、素直に喜べばいいのに」

 吾輩が口早に叱咤すると、アリエットが可笑しそうに笑った。

 さて……道は、どうやら一本道。前方を阻むものは何もなく、ただ闇の底がぽっかりと口を開けているのみである。

 周囲にも間断なく視線を巡らすが、どうやら冒険者の付けたマーキングの類などはなく、未踏である事が知れた。

 いやしかし、だからこそ用心が必要だ。誰一人辿り着いていないと言うことは、今までのようにモンスターを蹴散らした先人はいないと言うことも同時に……

「あ! アレ見てよ!」

 と、ルペルが吾輩の思考をかっ攫った。

 前方に見えるは、古色を浮き立たす妙に重厚な木箱……。

「あれは……宝箱、だな」

 見れば、未だ誰の手にも付いていないように見受けられる。

「やったね! じゃあ早速……」

 喜び勇んで、ルペルが掛け出した。しかしその時、アリエットが何かに気付いたように息を呑んだ。

「っ! 危ない!」

 呑んだ息を鋭く言い放つ。吾輩は咄嗟に反応し、歩みを止めたが……

「え、なに?」

 と、振り向いたルペルの姿が、またしても消えた。

「ルペル!」

 アリエットが叫ぶ。しかし、ルペルの返事はない。

「……何と言うことだ……」

 吾輩のすぐ前、果ての見えぬ闇のるつぼがある。落とし穴だ。

 孔は風を飲み込み、低く唸りを上げている。風が吹き抜けている、つまりは、とてつもなく深いのだ。これでは、もうルペルは……吾輩は顔を背けた。思わずしてほぞを噛む。

 吾輩、どんな顔をしてご主人様に会えば良いのだろう。身の振り方をそうして考えていると、何を勘違いしたか、

「ヴィッケ……!」

 とアリエットがどこか哀しそうな、掠れた声を発した。

「まあ、ヤツもクエストの途中で命を落としたのだ、冒険者として本懐であろう……」

 そう言って、ルペルへの手向けとする。新米冒険者、ルペルツィオの物語もここで終いだ。いやに薄っぺらい冒険奇譚であった。

 ルペルよ、さらば……!

「ヴィッケ! 早く手伝ってよ!」

 ……ん、何だと?

 感慨に耽っていた最中、後ろを振り向く。アリエットが何かを必死に引っ張っていた。……って、ルペルの腕だ!

「おお、まだ生きていたか」

「ヴ、ヴィッケ……勝手に殺さないでよ~」

 尾の引く声で、どうやら力一杯のルペル。奴は辛うじて淵に手を掛けることに成功、生きはだかっていた様である。

「早く引っ張ってってば!」   

 いや、そんなことを言われてもだな……

「猫である吾輩に何をしろと言うのだ?」

 アリエットの衣服に噛みついて引っ張ってやれんこともないが、巻き込まれて吾輩まで落ちるのは御免だしな。

「ふ、ふ、『浮揚』!」

 流石に慌てた様子のルペルが唱えると、体が光に包まれ、ゆっくりと上昇を始めた。例のスタッフの力だ。

 ほっといたら天まで昇って逝きそうだったので、アリエットがルペルの体を引き寄せた。二人とも、大きく息を吐く。

「お前は既に二度、ご主人様に命を拾われたな」

「うん……二回とも『浮揚』だったけどね」

 ルペルは冷や汗ダラダラだ。

「なら、その『浮揚』が作用しているうち、向こう側の木箱を取ってくるのが得策と吾輩は思うぞ」

 それもそうだと、ルペルの体はふわりと反転し、ふよふよと宙に浮いたまま宝箱を手に取り、またふよふよと戻ってきた。

 うーむ、何とか間に合ってしまったか。吾輩、途中で魔力が切れて落ちるかもと密かに期待していたのだが。

「一時はどうなるかと思ったけど、案外簡単だったね」

 死にかけたヤツが何か言った。案外こいつは大器かもしれん。もちろん間違った方向の。

「まだ分からんぞ。ハズレとか書いた紙切れかもしれん」

 吾輩の言葉にアリエットがギロっと睨み付ける。

「ヴィッケ~、今度はキミがこの落とし穴、渡る?」

「うぐ、それは御免被る」

「まあまあ。開けるよ」

 ルペルが木箱を開けると、通常の硬貨より一回り大きなコインが姿を現した。中央に男の姿が彫刻されている。まるでどこぞの王様のような風体だが……。

「これかな、宝物って?」

「うん、きっとそうよ。描かれている人物は、大礼王と呼ばれたセルリアック一世だもの」

 アリエットが嬉々としてメダルを眺め見る。

「ほら。ルペルが取ってきたんだから、ルペルが持って」

 うん、とルペルがコインを両手で取り出した。ずっしりとした重量感が、傍目からでも解る。

 二人が感嘆の吐息を漏らした。コインは灯火を倍の輝きでもって跳ね返し、その威光を迷宮に示しているようだった。

 その、余りの高級感に恐れをなしたか、覚束無いルペルの手からコインがこぼれ落ちた。

「おっとっと」

 ころころ転がっていくコイン……吾輩少しいやな予感がしたが、どうやらそれは杞憂と言うものである。傾斜は我らの来た方が低いため、穴に落ちる事は無いだろう。

 しかし――吾輩の第六感は、やはり的中していたのだ。

 ルペルがコインを拾おうと身を屈めた、その刹那――

 ――ガッ!

「……へ?」

 たった今までルペルの頭があったところ、寸分違わぬその位置に光が奔り、軌跡上にあった壁が砕けた。

 なな、何事だ!


  5


「誰だッ」

 間隙空けずアリエットが大剣を抜き、暗闇を切り裂いた。鋭い金属音がし、火花が飛び散る。

「ちっ」

 闇から口惜しげな声が聞こえた。

「ルペル、下がって!」

 油断なく身構えながら、アリエットはコインを拾い上げていたルペルを庇って(な、情けない)前に出る。

「見たぞ……。お前ら、宝物持ってるだろ。命だけは助けてやるからよ、置いてきな」

「姿を見せなさい!」

「げへへ……おっかねえ姉ちゃんだな……」

 粗暴な声と共に闇から姿を現したのは、見るからにゴロツキの二人組。妙に分かりやすい、ノッポとチビのコンビだ。……ん? こいつら、何処かで……?

「あああっ! アンタ達、昨日の酔っぱらい!」

「ん……あああっ、こいつら、昨日、酒場で俺たちがちょいと財布を頂戴しようと近付いたガキと、その時邪魔した挙げ句、熊みてえな親父をけしかけてきた酒場の娘っ子じゃねえか!」

 二人の男達は目の玉をひん剥いて言った。それにしても、もの凄い説明口調だ。

「そのアザ……お父さんにやられたんだ? ふん、いい気味」

「うるせぇ! お前らには今もまだ病床に伏しているだろう兄弟の分まで、お礼をしなくちゃなあ」

 姿の見えない、妙に無口だったデブのことだろう。チビの方は血気だって、既に腰元の戦斧に手を伸ばしている。

 そのチビを手で制して、ノッポがアリエットの前に立つ。むむ、改めてみると、本当にでかい。人間内では万丈と呼べる背丈ではないだろうか。

「まあ待てや。どうだ姉ちゃん、大人しくしてれば、余計な怪我しなくて済むぜ? それどころか、いい目見させてやるよ」

「やめとけよ。おっかねえぞ、その女は」

 ノッポはいやらしく口元を歪めて、アリエットの肩を掴んだ。

「なあに……俺たちを満足させてくれりゃあ、それでいいのよ」

 ぴゅんっ!

「おひぇっ」

 アリエットの剣が一閃! 妙な声を上げたノッポが後ずさる。吾輩、一瞬何が起こったのか分からなかった。それほど迅かった、と言いたいのだ。

「ふざけないでよ! 誰がアンタ達なんか!」

「へへへ、ホントにおっかねえ姉ちゃんだな」

「だっから言ったろうが」

 ノッポは切られた指を口に含むと、やれやれと言った様子で手を広げて見せた。

「じゃあ誰なら良いってんだ? まさか、後で震えてるガキか?」

 アリエットの顔がカッと真っ赤になった。ルペルは何が何だか分からないと言う風にポカンとしている。

「……あたしを怒らせたようね……」

 アリエットの目が真っ赤に燃えていた。何か、炎が揺らめいているように見えるのは、吾輩の目がきっと錯覚を捉えてしまっているのだろう。

「覚悟しなさい……あたしは、お父さんより強いわよ!」

 裂帛の気合いと共に、アリエットが地を蹴った。

「なっ、早……」

 数歩もの距離を一息で詰め、低い姿勢から螺旋の軌道でノッポに斬りかかった。ノッポは大型のナイフでそれを受け流すのが精一杯で、勢いに勝る大剣の一撃に堪らず飛び退く。

「はぁッ」

 回転力をそのままに、弧の足運びで瞬く間に間合いを極めた、アリエットの正眼突き!

 縄が翻るような音をさせ、その刃が舌を伸ばす……!

「っらぁっ!」

 態勢の崩れたノッポに切っ先が突き立つその間際、重圧な質量でもって剣が跳ねとばされた。

「二人いる事を忘れたかッ」

 その鋭利な鈍器――戦斧は、ぎゅわんと風を引き裂いて壁を砕いた。迷宮の土台そのものが傾ぐ程の、重い一撃。華奢なアリエットがそれを喰らえば、ひとたまりもないだろう。

「アリエット!」

 ルペルが悲鳴を上げる。チビが大上段に構えた必殺の凶器を、満身の力で振り下ろした!

「……くぅっ」

 斧は辛うじて差し挟んだ大剣との間で、鮮やかな火花を撒き散らかした。

 衝撃にアリエットの膝が一瞬揺らぐ。するとチビの頭の上から、銀光を弾く白刃がのっそりと現れた。

「上だッ!」

 吾輩の言葉よりも速く、彼女は剣と斧の接触点を軸に、身体を後ろへとしならせた。風が耳元を掠める。長い足が宙を舞い、回転しながら我らのいる場所まで後ずさった。

「げへへ……やるなぁ」

 空を切った刃を、ノッポが残念そうに舐め上げた。あと僅か、アリエットの回避が遅かったなら、あの刃には血煙が染みついていた事だろう。

「……こいつら、見た目より強い……ッ」 

 アリエットが呼吸を荒げている。見れば、彼女の膝が笑い始めていた。極度の緊張と複数の敵手、その渦中にあるのだ、無理もない。

 その焦燥を我が方の優位と判断したのか、二人は得物をかち合わせ、機を見たりと襲いかかる!

 このままでは……!

「ルペル、援護だ! 奴らの衣服に火を点けるか、さもなければ体を氷らせるかしろ!」

「そ、そっか、その位なら自力で何とか……」

 ルペルが忙しなく手で印を組み合わせ、詠唱を早口でする。はっきり言ってのろまでド下手だが、場合が場合だ、吾輩も口を挟むなど野暮なことはしない。

 次第に吾輩のヒゲがチリチリと震え、マナの集中を文字通り肌で感じ始めた。

「マナよ、その姿を炎とせよ、『火影』! 続けて、その姿を氷とせよ、『氷花』!」

 或いは炎に、或いは氷に……魔力は形を成し、程なく効力を具現する! 

「うわっちちちちち!」

「冷てぇっ! な、何だこりゃあ!」

 ノッポの衣服がガチガチに凍り出し、チビの髪がぼうぼうと燃え上がった。……巧妙に逆だが、まあ、結果オーライだ。

「たっ助けてくれえぇ」

 奴らは予想外の事態に慌てふためいている、その隙を見逃すアリエットではない。振るわれた剣筋は、狙い過たずノッポとチビ、両方の利き手に命中し、武器を落とすことに成功した。その腕は、素猫目にも鮮やかである。

「……どう、まだやるの?」

 二人の武器を足で踏みつけて、チビの喉元に大剣を突き付ける。後ろではルペルがのんきに拍手などかましていた。

 一方、鮮やかな剣技の生贄となった哀れな道化達は、自分たちの手から武器が消えている事にやっと気付いて、あたふたと慌てふためいた。

「おい、やべえぞ。逃げようぜ」

「ふざけんな! ここまでコケにされてお前、退けるか!」

「で、でもよ……」

 チビがノッポの耳をひっ掴んだ。

「ちょっと耳貸せ……ゴニョゴニョ」

「ほうほう……ボソボソ。なるほど~、お前あったま良いなあ」

 影でコソコソ何やら相談し合っていた二人は、やおら振り返り卑屈な笑みと揉み手で我らに縋り付いた。

「す、すいませんでしたぁ~!」

「いやぁ~お二人ともお強い! 私、惚れ惚れしてしまいました~」 

 腰を限界まで低く折り曲げ、平に許しを請う二人組。……どこかで見たような光景である。

「もう悪い事しませんから、どうぞここは勘弁してくださいよ~」

「ねっね、こんな小悪党懲らしめたって、あなた様の剣が汚れるだけですって!」

 二人組は顔を見合わせ、「ね~?」と口裏を合わす。その、あんまりと言えばあんまりな豹変、もといタヌキ振りに、アリエットも呆れ顔だ。

 こんな魂胆見え見えの芝居に、引っ掛かるものなどいるはずが……

 あ。吾輩、ちらりと嫌な予感がした。そしてそれは、またも的中するのだった。 

「もうしないって言ってるんだしさ、許してあげようよ」

 と、ルペルがタヌキ達の矢面に身を晒したのだ。

「今だあ!」

「そいやさ~!」

「う、うわあぁっ?」

 かくして、三文文士の台本通りに事は進んだ。ルペルが屈強な腕で拘束され、人質と囚われてしまったのだ。

 はぁ……何度この旅で溜息を吐いただろう。第六感が散々酷使されたせいで、著しく鈍っているのを感じた。 

「へへへ……まんまと掛かりやがったぜ。俺が練りに練り上げた巧妙な作戦にな!」

「さっすが、策士だねぇ~」

 言いたい放題である。

「馬鹿な……あ、いや、馬鹿か……」

「ヴィッケ~、アリエット~、ごめ~ん」

 抵抗の色も見せず、申し訳なさそうなルペル。アリエットの顔が、苦々しく歪んだ。

「くっ……どうしよう……」

「どうしよう? 簡単な取り引きだ姉ちゃん。秘宝をよこしな」

 じりじりとにじり寄るノッポ。その足は、落とし穴の方へと向いている。

「僕の事はいいから、助けてぇ~」

 言ってる事が矛盾しているルペル。しかも、ヤツとの取り引き材料、秘宝であるコインは、当のルペルの懐なのだが……。

「オラッ! 持ってんだろ?」

 全く気付いていないようだ……ルペルが拾い上げるのを見ていただろうに。

「このガキがどうなってもいいのか?」

「いや、別に……」

 正直ルペルがどうされようと吾輩は一向に構わないのだが、それを言うと風当たり……特にアリエットの眼が恐いので、口を噤む。

「早くしねえか!」

 我らが考えあぐねていると、いい加減しびれを切らしたノッポがルペルの身体を逆さに吊るし上げ、落とし穴にかざした。

「ひえぇぇぇっ」

 ルペルの身体がまるで棒のように固まった。風もないのにぶらん、ぶらん……ゆっくりとノッポが揺らしているのだ。

「このガキ、そこの穴に落としちまうぞ!」

「そ、それは困る!」

 コインも共連れになれば、『ハーディエイジの聖印』が……!

 ……と。吾輩の耳に、何かルペルの小さな命乞いではない、腹の底まで届くような重低音が届いた。

「……何か、聞こえない?」

 アリエットも気付いたようだ。どぉんどぉん……段々とその音の振幅を広げ、徐々に近付いてくる。

「……何か地響きのような……」

「……爆発音みたいなのが聞こえるね」 

 かと思えば、吾輩の鼻先に砂粒が落ちてきた。天井の石材である。見れば、至る所に雨となって降り落ちている。

「これは……地震か?」

「ううん、違う……こんな断続的な揺れ、聞いた事ないよ」

「何をブツブツ言ってやがる! 早くこっちによこさねえか!」

 明らかに無視されている事に腹を立て、チビが声を張り上げる。その肩を、弱気に眉根を下げたノッポが揺さぶった。

「お、おい! 何かヤバイって!」

 ノッポはきょろきょろと落ち着かない。

「うるっせぁい! 何が何でもこいつらから巻きあげんだよ!」

 チビがヤケを起こしたその時、一際大きくなった地鳴りが、地響きを伴って迷宮内に轟き渡った。

 四本の支えで地に着いている吾輩ですらバランスを失ってしまう程の揺れだ。アリエットも壁に手を突いて、何とか踏ん張っている。

「うへえ、オレもうやだぁ~!」

 ノッポがすたこら逃げようとするが、チビはそれを阻もうと手を広げ行く手を遮る。大変なのはその板挟みにあっているルペルだ。ルペルはまるで一本釣りにされた魚のようにゆっさゆっさと揺れている。

「あはは、あは」

 気分は鳥か妖精か。目を回すルペルは、何かが壊れたらしい、さも楽しげに笑い出す。

「あれぇ~、底の方で何か光ってるよ~」

 落とし穴に頭を半ば突っ込んだルペルがそう呟いた。

 そして次の瞬間――目の前が真っ赤な光で埋め尽くされた。


  6


 目に飛び込む灼熱の赤、朱、赫……。それは天を焦がし、地を揺るがし、海を滾らせ、人々を灼く、劫火。

 ……我らの見ている目の前で、大迷宮が爆発した。

 大ナマズが寝返りを打ち、砂礫が押し寄せ、目に見える全てのものが崩れ去っていく。ぱっくり開けた天井からは、爽やかな青空が顔を覗かせた。ああ、いやに狭い空だ……。

 それは夢のような光景。描いたものの、実現するなどそれこそ露ほどにも思わなかった、吾輩の切望……。

「と言うか、これは何なのだー!」

「たぁすけてええええぇ」

「おかあちゃああああん」

「うわあああああああぁ」

 爆風で紙のように吹っ飛ぶゴロツキ達、そしてルペル。アッという間に鉄砲玉のように外界へ放り出されてしまった。ええい、役立たずめが!

「ルペル……っいけない! このままじゃあたしたちも危ないよ。離れよう、ヴィッケ」

「くっ、仕方がない!」

 吾輩とアリエットは、己が身を庇いながら爆風を避け迷宮を飛び出た。入り口の周囲に頑張っていた衛兵達は腰を抜かしているか、あたふたと逃げ回っている有様だ。

 会場中には白煙が立ちこめていてその様相は定かでないが、発せられる悲鳴、怒号、時折響き渡る爆音、くすぶる火の手。阿鼻叫喚の地獄絵図であることは想像に難くない。

「何があったんだろう?」

「解らん……まともに説明出来る奴が残っているかどうか……」

 こんな惨状で冷静な判断力を保っている者などそうそういない。

「ヴィッケ。早くルペルを探さなきゃ」

「くっ、面倒な……」

 我らはさざめく混乱の中、ルペルの姿を探す。だが、声は叫びに掻き消され、視界は煙に遮られ、捜索は思うように進まない。

 それでも根気強く隅々を覗き込んでいると、瓦礫のくれに、見覚えのある外套を発見した。   

「ルペル!」

 ルペルは瓦礫と瓦礫の隙間、一つ間違えば下敷きになっていたであろう小さな空間に倒れていた。まさに奇跡である。

「大変、ケガしてる!」

 アリエットがルペルを引きずり出し、陽の下に晒した。

「ううーん……もう食べられないよ……」

 これはいかん、意識がどっかに吹っ飛んでしまっている。見れば、頭からは一筋ばかり血が流れていた。

「ま……これなら死ぬことはあるまい」

 それを聞いたアリエットが、ほっと顔を緩ませた。 

「ルペル、起きて、ルペル!」

 ガクガクと肩を揺らすアリエット……って、なんかますます血が噴き出しているように見えるが……。

 吾輩はアリエットをたしなめると、傷を塞ぐ魔術を掛けてやる。高位の魔術ではないにしろ、十分な処置といえるはずだ。

「無理に起こそうとするな。心配ない、すぐに目を覚ますだろう」

 そう言い置き、アリエットにルペルを託した。

「アリエット、お前はルペルを見ていろ。吾輩は、事の次第を突き止める!」

 返事を背中に受け、吾輩は走った。

 人はまばらだ。既に観客や残りの冒険者達は避難したようで、火の手を食い止めようとする王家の衛兵達だけが慌ただしく動いている。

 しかし……あの爆発、一体何が起こったのか……城主に聞けばそれも明らかになるだろうが、既に待避したのだろう、観覧席にそれらしき姿はなかった。

 ようやく煙が晴れてきて、青空も顔を覗かす。……すると何か、この惨状に似合わぬ豪快な笑い声が聞こえてきた。

「がーはっはっはっは」

 それは、倒壊した洞窟から聞こえてくるようだ。吾輩は耳を立て、未だ火の手の上がるその瓦礫に近付く。炎心に見えるのは……。

「がーっはっはっは、この炎の魔人に不可能はなあぁい!」

 何処かで見覚えのあるあのシルエット……ついでに、ちらちら舞うはしっこい光……吾輩はその瞬間、城主に聞くまでもなく全てを悟った気がした。

 ……出たか、自信過剰魔術使。

「『ハーディエイジの聖印』は誰にも渡さん! 地獄を見たければかかってくるがよい!」

 と、凄まじき炎を纏って、高笑いする炎の魔人。画的には崩壊した都市、死屍が累々の瓦礫の中で、バカ笑いする大男……まあこの世の終わりと言えなくもない。

「ユゲルリング!」

 吾輩は彼の馬鹿に向かい叫んだ。


  7


 逆巻く炎の中心、その男は立っている。

「もう、何もかも終わりだ。お前が全てブチ壊したからな!」

 吾輩の叫びに反応したのだろう。ぴたりと、ユゲルリングの高笑いが途端に止まった。紅く燃える瞳が、吾輩を見据える。そして吐かれた言葉は……!

「……どこだ?」

 ユゲルリングは声の主を見定めようとあちこちを探している。

「ここだ、ここ」

「……貴様、あの時の使い魔か!」

「ああーッ! アンタはいけ好かない愛玩動物ーッ」

 今度こそ、ユゲルリングが吾輩という存在を捉えたようだ。ドクロの杖を吾輩に向ける。ついでにパナがきらきらと舞う。

「……と言うことは、ルペルとやらもここに? 丁度良い、今度こそ逃さん。我が魔術で吹き飛ばしてくれるわ!」

 もう既に願いが成就しているとは露知らず、ユゲルリングが吠えた。

「あははっ! やっちゃえルゲル!」

 と、愛らしい仕草で炎の魔人を焚き付けるパナ。何かその姿は、人を惑わす妖精と言うよりは人をたぶらかす小悪魔のごとし。ユゲルリングはきっと、いつしか使い棄てられる運命にある子羊役だ。

 ともあれ、ルペルと奴が相見えるのは非常にまずい。アリエットが側に付いているだろうが、何しろ傷ついた体ではとても敵わない……万全でもどうかと言う疑問はとりあえず考えない事にする。

 まずは、ヤツの気を逸らさなくては……。

「お前、大会を滅茶苦茶にしおって、どう言うつもりだ!」

「ナニ言ってんの! きちーんと参加受付の行列に並んだもん! そりゃもう早起きしたんだから!」

「そんな問題か! それにお約束五箇条を読んでないと見えるな! 『第二条! 迷宮をいたずらに損壊してはならない!』 」

「イタズラではない、私は全身全霊の力で迷宮を破壊したのだ!」

「もっと落ち着いて読め、この馬鹿がっ!」

 正否はともかく、妙に律儀なところ見せる爆発魔術使。……考えてみれば、何故あいつがここにいる? ヤツと戦っていた月の使者は、まさか敗れたのだろうか?

「……ジェミニアーニとの決着は付いたのか?」

「残念ながら……相打ちだ。奴め、気を失った私に止めを刺さなかったのだからな! わはははは!」

 それは負けてるだろう。そんな心からのツッコミに気付く筈もなく、ユゲルリングは大笑いしている。

「その後の行方は知らんが……何、いずれ探し出し雌雄を決する。それよりも今は、『ハーディエイジの聖印』だ」

「……なんだと?」

 何故、ヤツがご主人様の聖印を欲するのか? ええい、解らない事だらけで頭が痛くなってきた。しかも、そのほとんどが実質どうでもいい事ときている。ああ、頭がイタい。

「そうだ……あやつの徴さえ手に入れば……入れば……」

 その後は、消えゆくように口の中で紡がれるだけで、聞こえては来ない。しばらくぶつぶつ自分の世界に入っていたユゲルリングは、やおら折り畳んだ両腕を勢いよく広げた。

「あやつを……ハーディエイジを我がものと出来るのだぁッ!」

「な、ななな何だとぉぉッ?」

 吾輩、みみみ耳を疑った!

「聖印が手に入れば奴の居城に出入り出来る、居城に行けば奴と出会える、奴と出会えば結ばれる」

「おいッ! その間の行程のぶっ飛びようは何だッ! そんな許し難き魂胆を潜めていたとはッ!」

 にやりと笑うユゲルリング。

「それに、ご主人様を憎んでいる様な口振りだったではないか!」

 その言葉に今度は、ふっ、と遠い目をして言った。

「愛と憎しみは裏返し、と言うではないか」

「ば、馬鹿な!」

「馬鹿で結構……恋とは盲目なのだ!」

 自信たっぷりに言い放つユゲルリングとは対照的に、吾輩の足はへなへなと崩れてしまう。

「ネコには分かんないだろーね、この胸を焦がすような想い」

 ううん……ユゲルリングの想いか。そりゃいかにも重そうだな。

「さて……何もかも燃やし尽くしてくれる。聖印は燃え殻の中から、ゆっくり探せばよいのだからな!」

「聖印も燃やすつもりか?」

「心配いらん……大丈夫だ。この、燃えるような愛があれば」

 何が大丈夫なのか欠片も解らない、そもそも吾輩ユゲルリングと言う人間がさっぱり解らない!

 奴はその掌中に紅く滾るマナを集中し始めた。迸る爆炎! ヤツの手より放たれた五つの火球は狙いこそ付けていないが、爆発の威力たるや相当なものだ。木っ端のように降り注ぐ建造の破片が、吾輩の毛皮を貫いた。

「にゃあぁッ!」

 じりじりと、肌を焼く。く、なんて意志のハッキリとした魔術なのだろう。匂い立つ程濃いマナの奔流で、吾輩は意識を失いかける。

 しかし、吾輩は倒れない……倒れるものか……!

 こんな危険分子を、ご主人様の膝元に行かせる訳には、断じていかんのだ!

「こんなものか……?」

 吾輩は精一杯の虚勢を張る。吾輩に出来る事と言えば応急処置と間接援護くらいのものだが……決して退かないと決めたのだ。

 ユゲルリングが揺らめく熱気に霞んでいる。いや、吾輩の目が現実を捉えていないのかもしれない。

 どこか遠くから、幻聴のようなものまで聞こえてきた……。それは、ご主人様の声……?

「……ッケ!」

「ああ……ここはどこだ……ご主人様の膝の上であろうか……」

「……ッケ! ヴィッケったら!」

「ああ……吾輩は果報者です……最期に、ご主人様の膝で……」

「何言ってるんだよヴィッケ! こんな傷で死なないでよ!」

 ……はっ。吾輩の名を呼ぶその声は……ルペル!

「ルペル、命令だ! と言うかご主人様の勅命である、あいつを倒せったら斃せ!」

「わぁっ! いきなり何!」

 驚いたルペルが急に立ち上がった。そのせいで吾輩、後頭部を強かに地面に打ち付けてしまう。……何だ、ルペルの膝だったのか。

「大丈夫? ヴィッケ」

「む……いや、かえって意識が鮮明となった」

 快楽の微睡みより、苦痛の覚醒の方が勝ったのだろう。ずきずきと傷むが、思考はずっと明瞭である。

「ね、ねえヴィッケ……あの人、誰なの?」

 アリエットが空を飛ぶモグラでも見るような眼でユゲルリングを指さした。

「ふん……アリエット。お前、我らに会った時のこと、覚えているか?」

 アリエットは少し戸惑いがちに頷いた。

「あの時、お前はこんなことを言っていたな。我らの旅は極悪非道の魔界の王を斃しに行く旅なのか、と」

「そう言えば……言った気がする」

「あのときは否定したが……訂正しよう。ヤツが、魔界の王だ」

 ただならぬ雰囲気に気付いたのか、その言葉に触発され、アリエットは大剣を抜き放つ。ルペルはただただ弱った顔をしていたが、遂に決心したらしい、取り出したショートスタッフをしっかと握りしめた。

 アリーナを瀑布のように覆っていた煙が晴れ、ユゲルリングが我らと対峙する。

「ほぉ……仲間が増えたのか。手数には数えられんが」

 それを聞いて明らかにムッとするアリエットである。

「思い知らせてやる……」

 大剣を正眼に構え、いつでも飛び出せるよう身を低くした。切っ先の延長線上には、さも可笑しそうに口を押さえるユゲルリングの姿がある。

 その男を一刀のもとに切り伏せんとするアリエット。針で突けば破裂しそうな程、場の空気は張り詰めていた。

「はははは……! 一息に吹き飛ばしてくれるわ……!」

 彼我の狭間に風が吹き荒れ、にわかに修羅囃子がその幕を上げる……!

「その対決、ちょおぉ~っと待ったあぁ!」

 突如、朗々と反響する通りの良い声がどこからか発せられた。ユゲルリングも含む、その場にいた者すべてが、声の主を捜し、視線を右往左往させる。

「私はココだ!」

 皆の問に応えるかのような目映い光! 光の差す方を皆が一斉に見上げる。アルチェスタ城中央にそびえる尖塔、その天辺に、何者かが翼のような何かを鮮やかに閃かせている!

 ああっ、アレは何だ、鳥か、翼竜か、はたまた悪魔か? 

「あの人は!」

 ルペルが顔を輝かす。そう、僕らの味方『月の使者』ジェミニアーニだ! ……何かもう、どうでもよくなってきた。

「とうっ」

 逆光に立ち常光を身に纏った月の使者は、高く高く跳躍すると前方向に高速回転しながら横捻りを加え、我らの前に降り立った。華麗だ。洗練し尽くされている。

「ふふふ……この戦い、今のままでは何の価値もない。いわば争乱に過ぎぬ。ならば……私がこの戦い、聖戦と彩って見せよう! みよ、優勝賞品『ハーディエイジの聖印』は、ここにあるッ」

 と、彼が前へと押しやったのは、セルリアック十三世である。逃げたと思ったら、捕らえられていたのか。

「もはやこうなっては通常の裁定で優勝を決める事は不可能だ! そこで……」

 ジェミニアーニがルペルとユゲルリングの両者を交互に見遣り、そして天高く手を振り上げた。

「決勝戦は、君達二人の直接対決だ! よいな、セルリアック十三世」

「いや……その」

「決まりだ!」

 城主の顔が不自然に引きつっているのは気のせいだろうか? ともかく、超美麗魔法剣士ジェミニアーニはマントを翻し高らかに宣言した。

「それでは、優勝決定戦、ルペルツィオ対ユゲルリングの試合を行う!」

 それは見ていて、吾輩の心に昂奮を去来させるものであった。壮観だ。何故だろう、一種の懐かしささえ覚える。

「貴様……どういうつもりだ?」

 今まで黙っていたユゲルリングが、納得行かない顔をしている。敵意を剥き出して、ジェミニアーニに杖を突き付けた。

「貴様が聖印を持っているのなら……貴様を斃せば済む話なのだ」

「そーよそーよ! 勝手に出てきて勝手に仕切ってんじゃないわよ!」

 対して、月の使者は余裕の微笑み。

「話を聞いていたのか? ルペルを斃せば無条件に聖印は貴方のものだ。私とルペル……さて、どちらと戦うのが得策かな?」

 挑戦状とも取れるその言葉にしばし考え込むユゲルリング。月の使者に因縁のある男が選んだ相手は勿論……。

「ルペルとやら! 勝負だ!」

 ルペルだった。

「え? え? ちょっと、そんな……」

 見る目に焦り出すルペルの肩に、白い指がそっと乗せられる。その手は返しかけたルペルの踵を、ごくごく自然な振る舞いに見せかけユゲルリングへと向けた。両者は正しく眼前で睨み合うかたちとなる。

「ルペルよ! キミが彼の敵を斃すのだ!」

「で、でも先生……」

「くどいっ! 私はキミの先生などでは断じてなぁい!」

 ジェミニアーニがきっぱりと言い放つと、ルペルは泣きそうな顔になった。

「う~……そんなぁ~!」

 涙を溜めた目で吾輩やアリエットに助けを求めるが……

「大丈夫、ルペルならやれる!」

 とアリエットは激励の言葉を投げ掛けるばかり。その激励がルペルにとっての死刑宣告であることを知ってか知らずか、彼女は「ファイトっ」と拳を握った。

 吾輩も黙っていることにした。一見、と言うかえらく難解ではあるが、思わずして舞い込んだ最短ルートだ。コレを見逃す手はない。

 ルペルはそんな我らの暖かい待遇に涙を流して喜ぶのだった。

 そして……既に月の使者の操り人形と成り果てたセルリアック十三世は、精一杯の威厳を取り繕うようにゴホンと一つ咳を払って、調子の高い声を張り上げる。

「それでは……特例ではあるが、ユゲルリング・リングリオス対ルペルツィオ・アースラインの戦いをもって最終選考とするッ!」

 かくして、本当に行われる事になった直接対決。

 ルペルに勝機は、恐らくない。

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