第三章 都会(まち)で出会った少女

 1


 商業都市アルチェスタ。大陸で唯一他大陸との交易を許されているため、様々な人種や物品が入り交じり、文化と流行の中心でもある都市だ。

 だからだろうか、通りを歩く人間達は猫目にもどこか垢抜けて見える気がする。

 抜けるような青空も、かの者達をさも祝福するかのようにぽかぽかと心地よい陽気を振りまいている……いささか言い過ぎかも知れないが、なに、創作上の誇大表現である。あまり気に留め置かないでもらいたい。

「はー、賑やかなところだねえ」

 街と街道を隔てる門の前で四方山を物珍しげに眺めるルペルは、心底感心した様子で言った。

 吾輩はルペルをじっと観察する。……何とみすぼらしいことか。ミストレイルでも凡庸でしかなかった風貌は、明らかに田舎者然として垢垂れている。黒き毛並みの美しい吾輩と言う存在が一抹の救いであろう。

「どうしたの、ヴィッケ。僕の顔に何か付いてる?」

「……お前には吾輩の崇高な考えは解せんよ」

 吾輩は鼻で嗤ってやった。

 釈然としない顔つきのルペルは放って置いて、吾輩は通りに目を凝らす。

 ふむ……実に様々な店が軒を連ねている。ベルバルト防具店、武器屋ハンダー、酒家牝鹿の蹄亭……。そのどれもが活気に満ち、人々の繁き営みを感じさせる。こうしてみると、人間というものは実に多種多様であるな。

 ……ユゲルリングのような人種とは、もう二度と再びお近づきになりたくないものだが。

「ふむ。観光はここまでにして……参ろうか、ルペル」

「あ、うん」

 そうして、吾輩とルペルが門をくぐろうとしたその時、ルペルの肩が手甲をはめた無骨な手に引き留められた。

「ちょっといいかな」

「へ?」

 振り返るとそこには、チェインメイルを着込んだ、二十代前半と思しき男が立っていた。身につけている武具や胸元に刺繍されているアルチェスタ王家の紋章からすると、どうやら王家抱えの衛兵であろう。

「な、なんですか~?」

 いかにも弱気に、ルペルが背を丸める。

 むう、何と不甲斐ない……と思ったが、吾輩は正体を明かさぬためそうそう口を開くわけにはいかない。

「キミ、親御さんは?」

「僕とヴィッケだけですけど……」

「ヴィッケ……ああ、このネコのことか」 

 ぽんっと吾輩の頭に手を乗せる。……手甲がごつごつ痛い。しかしそれでも、喋るわけには……。

「じゃあ、君一人でこの街道を? 危ないなー、家出でもしたのかい?」

「い、いえ……旅してるんです」

 その言葉に衛兵は少なからず驚いた様子で、

「君みたいな子どもがかい?」

 と、大きな声を上げた。

「子どもじゃありませんよ」

 そう言うとルペルは自身の就学証明書を懐から取り出す。指を差した欄には、個人情報がびっしりと並んでいた。

「ほら。僕、先月で十七になりましたから」

「……何だとッ!?」

 吾輩は仰天してルペルの肩から落ちそうになってしまう。十七歳だって? 冗談じゃない、吾輩は十三、四かそこらだとばっかり……。

 あ。衛兵が吾輩を訝しげに覗き込んでいる。

「……? 今このネコ喋らなかっ……」

「にゃ、にゃーん」

「……気のせいか」

 衛兵はひとまず疑念を思考の淵に追いやったようで(納得行かない顔はしているが)、ルペルに道を空けてくれる。

「まあ、成人を過ぎてるんなら大丈夫だろうけど、あんまり暗い場所に近付くんじゃないよ。ようこそアルチェスタへ」

 衛兵に促され、軽く頭を下げたルペルは、足早に門をくぐるのだった。

 門を背中にしばらく歩いたところにある大きな噴水に臨むベンチに腰掛けると、ルペルは吾輩を道に降ろす。そして、大きく一息吐いた。

「はあ、緊張した~」

 口をぱくぱくさせて、吾輩に同意を求めてくる。

 そんなルペルを横目にあしらうと、吾輩は水面の淵に顔を映した。噴水を伝う水に前足を浸し、長旅で傷んだヒゲをていねいに撫で付ける。ひんやりとした清水は記憶を正しく折り畳むには丁度良い遣り水であり、まどろんだ頭を覚醒させるには格好の呼び水である。

「あのまま門前払いされていたら、お前は二目とご主人様に会えなくなるところだったな」

 吾輩はルペルの対面に座り、じっと顔を睨め付けた。

「なにヴィッケ。やっぱり僕の顔に何か付いてる?」

「……お前には吾輩の崇高な考えは解せんよ」

「何だよー、さっきから」

 頬をぷっと膨らます様は正しく子どもそのものだが……吾輩がそれを黙示したところで気が付こうはずもない。その機会は次に取っておくとしよう。

 いつになるかは解らんが……。

「さて、と。ひとまず散策しようではないか」

 吾輩は勢いよく淵から飛び降りると足取り軽やかに街へと歩を向けるのだが、ルペルから賛同の声は聞こえてこない。

 振り返ると、ルペルは取りすがるような視線を向けていた。

「でもさ、僕、こんな人のいっぱい居るところ初めてなんだ……」

「だから何だ」

「ちょっと、恐いな……って」

 吾輩は旅で度々見舞った裏ネコパンチをルペルの鳩尾に繰り出した。

「お前は何のタメにここまで来たと思っているのだ。恐い恐いと言って宿にも入らず、餓死でもしに来たのか?」

 むせるルペルに叱咤を浴びせる。目の端に涙を浮かべながらも、少なからず吾輩の言葉に感じ入るものがあったようだ。 

「……よ、よしっ」

 気合い一発、ルペルがベンチから勢いよく跳ね上がる。その瞳は決意に燃えている。

「じゃあどうしようかヴィッケ?」

 と、吾輩地面にへたり込んだ。

 この、自分で行動の矛先を定めようとしないルペルの腐った性根に、吾輩ぼちぼち諦観の境地を見出せそうである。

「たまにはお前が決めて見ろ。それも、試練の一端である」

 吾輩の突き放した言葉に何を勘違いしたのか、今度は瞳をきらきらさせた。

「じゃあさ、じゃあさ。僕としては、あの丘に建つ、一際大きい館に行ってみたいんだけど」

「……アホか。あれは、王城だろう」

「あ、そうなんだ」

 と言いつつ、足を王城に向け、ざっしざっしと歩き始めるルペル。

「……おい、どこへ向かうつもりだ」

「うん? 王城」

「入れてはもらえないぞ」

「っええ、何で?」

「お前みたいな田舎者を中に通す程、王は暇ではないわ!」

 ルペルは、ちぇー、と口を尖らせた。

「王様なら何でも知ってると思ったのになあ」

「まあそれは諦めてだな、酒場にでも行けば冒険者連中から情報を得られるだろう」

「え、でも……」

 何やらゴソゴソ言い、渋り始めた。

「何だ?」

「……僕、成人は過ぎてるけどお酒は飲めないんだ」

「呑む必要はない」

 階段を三段踏み外しているルペルを引き連れ、吾輩は酒場に向かった。


  2


「ここは公共の場です。節度を守り、皆が楽しくお酒を飲めるようにしましょう」

「……守れてない……よね?」

 吾輩の読み上げた『入店時の注意』に、ルペルが珍しく反語を唱える。店内の様子を見れば、張り紙はまさしく反古にされている。

「まだ、日の沈み切らぬ内から……」

 暴食、暴力、酒、酒、酒……。店内は呑んだくれた男達で溢れていた。

 酔って喧嘩を売買するもの、酔って給仕娘を口説くもの、酔って頭から酒を被るもの、酔って床に雑魚寝するもの、酔って酔ってその他いろいろ。

 見るに堪えない酒池肉林の園がここには広がっていた。

 ここは『竜の杯亭』という大通りに面した絶好の立地に構えた、この界隈でも特に盛況を極めていた酒場である。

 開放的で人の出入りが多く、情報の交差地点としては適している、と考えたのだが……。

「どうやら交差しているのは、アルコールだけのようだな……」

 ……吾輩の伝え聞く冒険者とは、決してこうではなかったように思うが……。

「まぁ、手をこまねいていても仕方ない。そらルペル、中に入るぞ」

「う、うん」

 半分泣きそうな顔のルペルの肩に飛び乗ると、ツンとした酒の匂いが鼻を突く。アルコールは大気の流れにたゆたい、より上方に滞留するものだ。酒場はこの空気だけで下戸のものなどは酔ってしまいそうな程、濃密な熱気に包まれている。ルペルも辛そうに顔をしかめた。

 足の踏み場もない程散乱した酒瓶の中、吾輩らは奥へと進んだ。

 ルペルは比較的酔ってなさそうな者を選んで話し掛けるのだが……。

「あのう、すみません。ちょっとお聞きしたいことが……」

「ぎゃはははは、バカお前そうじゃねえって!」

「あのう、ちょっと……」

「よっしゃあ、飲め飲めぇ!」

「あの……」

「うわはははは!」

 全く相手にされない。

「う……ヴィッケ~」

 これ以上ない情けない顔で吾輩に泣きついてきた。これでは情報を聞くどころではないか……。

「ほらっ、もう出るぞ。これ以上いても得られるものは何もあるまい」

 吾輩はルペルを出口へと促す。が、ルペルの田舎者っぷりを目敏く捉えた冒険者風の男達が、こっちへ向かってきた。

「おいおい、ここはボクちゃんみたいなお子さまが来るトコじゃねぇぜ」

「そうそう、道に迷っちゃったのかなボクぅ~?」

「……金出せ(ボソッ)」

 デブ、チビ、ノッポと、いやに判りやすい風貌の三人だ。いずれも腰には得物をぶら下げている。

「い、いやっ、僕もう帰るところで……」

「ぶは~っ」

「うわぁぁっ!」

 不意に、ノッポが酒に染まった息をルペルに浴びせかけたのだ。たまらずルペル、そして吾輩も顔を真っ赤にした。なな、何て臭さだ!

「けほっけほっ」

 ルペルが咳き込んでいる間に素早く三人組は退路を断ち、取り囲むように我らを隅に追いやった。無論、その様子に気付いた者も居ようが、しょせん他人事だ。助けてくれるはずもない。

「へへ、逃さねえぜ」

「ボクちゃん、ママはここにはいないよォ~?」

「……金出せ(ボソッ)」

 チビが腰元から小振りのナイフを取り出し、ルペルに見せびらかすようにひらひらさせた。戦闘には堪えられないだろうそれは、恐らく獲物の肉を引きちぎり、解体する時に使うものだ。脅しつけ血を誘うにはもってこいの、歪な凶器である。

「だ、ダメです! このお金は、先生が旅の足しにと僕にくれた、大事なものなんですからっ」

 精一杯の強気で弱音を喉の奥に押しやる。ルペルを起たせているのは、ただご主人様への信仰と愛情の賜であろう。

 しかし、三人組は引き下がらないばかりか顔を愉快そうに歪めて、ルペルに尚も詰め寄ってくる。

「ボク……なかなか言うじゃねーか。だけどな、俺たちゃそんなに我慢強くねーんだ」

「嫌なものはイヤですっ!」

「小僧ォ……何でもいいから早く出しやがれ!」

 痺れを切らしたか、涙を浮かべて必死の抵抗を見せるルペルに、ノッポが拳を振り上げる。その手には、黒光りする手甲がはめられていた。いかん、あんなもので殴りつけられれば馬鹿な頭がますますバカ馬鹿に……!

「ちっ……我が内に眠りしマナよ……!」

 と、出来るだけ厳かに吾輩がマナを活性化させようとした、その時だ!

「ちょっと! ウチでもめごとは許さないんだから!」

 その声に当人らはもちろん、見物人の誰もが振り返った。可憐な声質に似つかわしくない、毅然たる声音だったからだ。

 マナを練り上げていた吾輩も例外ではない。しかしそれは声調如何が原因ではなく、少し前にこれと同じ状況に出会っていたからだ。

 まさか、と思って声の上がった方を見る。

 吾輩の目に映ったのは、彼の『月の使者』ではなく、竜の杯亭の給仕娘だった。形の良い眉をきっと吊り上げ、くりっとした瞳をまん丸に開いて、精一杯怒りの表情を作り上げている。着慣れているのだろう、青く刺繍の入ったエプロンドレスがよく似合う、肩までの赤毛を髪留めでまとめている少女だ。年は十五、六だろうか。

 少女は左手にフライパン、右手にフライ返しと、今正に調理中といった出で立ちだった。

「ケンカなら、あたしが相手になるよっ」

 と、フライ返しを高らかに振り上げ、フライパンを雄々しく構える。その姿はいっぱしの戦士である、が……なにせ持っている武器があれでは……。

「ネズミに挑む料理人って感じ……」

 ルペルが吾輩の後ろで呻いた。

「……ずいぶん威勢が良いなァ~、姉ちゃん」

 気勢にこそ怯みはしたものの、そこは幾多の修羅場をくぐってきた冒険者達だ。三人は少女に遠慮のない視線を這い回し、下品に笑い始めた。

「そんなモンで何する気だ? 俺達のために、オムレツでも作ってくれるってか?」

「アンタ達を料理してやるって意味よ」

 その言葉に一際大きな笑い声が上がった。

「ぎゃははは! おもしれーこと言えるじゃねーか。お礼に、俺達が姉ちゃんを美味しく戴いてやるよ」

 そう言ってにじり寄った男どもだが、その表情が見る見るうちに青ざめ、凍り付いていく。

 少女の後ろからのっそりと、熊のような巨躯が迫り上がってきたのだ。その体長は、およそ二メートル。

「ウチの娘に何か用か?」

 否、それは人間らしい。にわかには信じがたいが、言葉を発したからには人間なのだろう。ただ、半袖から伸びた二の腕は熊のそれと匹敵しそうなほど太く、盛り上がった筋肉が隆々と自己主張していた。持っているジョッキがグラスのように小さく見える。

「ま、マスター……いや、あの、俺達……」

 明らかに怯えた様子で、三人組はじりじりと壁際に追いつめられていく。

「やべぇよ! ここのマスターっていや、若い時は『オーガハング』の二つ名で通ってたって話だぜ!」

 巨人を吊す者……その腕は確かに、その渾名に相応しい。

 影でコソコソ何やら相談し合っていた三人は、やおら振り返り卑屈な笑みと揉み手でマスターに縋り付いた。

「やだなァ~、ほんの冗談ですよ、冗談~」

「僕らちょっと、仲良くしたかっただけですから!」

「……ごっそさん(ボソッ)」

 腰を限界まで低く折り曲げ、足早に走り去る三人組。その首根っこを少女の可憐な指がひっ掴み、見た目からは想像が付かない強力でひっ剥がす。

「あんた達、相当呑んでたみたいだけど……お代は?」

 びしりと言い放つ少女。

 ともすれば背後の大男よりも鋭い迫力で、デブの眼前にフライ返しの切っ先を突き付けた。

「……ありましぇん」

 刹那、何かが砕け散る音と何かが流れる音、そして何かが破裂する音が、静まりかえった酒場のただ中に響き渡った。

 右から、大男が握っていたジョッキ、なみなみと注がれた酒、そして大男の堪忍袋(の『緒』ではない)である。

 何というか、この世界にはブチ切れる人間が多すぎる気がする。

「このヤロウ、なめんじゃねえぞ!」

 そうして一時に巻き起こる、嵐のような修羅囃子。

 どたばた、どたばた、がっしゃん、どっかん。

 おお、酒場のマスターが六人掛けの円卓をブン投げている。もの凄い力だ。三人の男は形振り構ったものではない。悪魔でも見たかのような顔をして、酒場中を逃げ回っている。

 それをおろおろした眼で見ているルペル。その手を、細い指が包んだ。

「こっちよ、早く」

 先程ルペルを庇った少女だ。彼女はルペルの手を引き、バックルームへと導いていく。吾輩も急いで後へ続いた。


  3

 

 雑然と調理器具の並んだ厨房、その奥に抜けると、そこは薄暗い納屋だった。

 背後を確認し、少女は扉を閉め、鍵を掛ける。

「大丈夫?」

「え、あ、うん。ありがとう……」

「ここにいれば安心だから」

 すぐ側に少女の顔があるからか、ルペルはどうにも落ち着かない様子だ。

「まったく……冒険者って、どうしてあんなに野蛮なんだろ」

「あ、あははは……」

 一応は冒険者のルペルが渇いた笑いを漏らす。その様子をしばらく不思議そうに見ていた少女が、少し気まずそうに、

「ああ、あなたも冒険者なんだね」

 少し顔を引きつらせて笑った。……やはりどうひいき目に見てもルペルが『冒険者』には見えないからであろう。それは吾輩も同感である。

「でも、あんなこと僕はしないよ」

「見れば分かるって。あなたみたいな気の弱そうな子が……あ、ゴメン」

 少女がちろりと舌を出した。愛らしい仕草だ。

「いいよ、本当のことだから。それに、乱暴になるよりは、今のままのほうがいいよ」

「そうだよねっ!」

 ルペルの言葉に、少女が微笑む。にっと八重歯が覗いた。

「ねえ、きみは……」

「アリエット」

「え?」

 突然言葉を遮られたルペルは目を白黒させた。拒絶されたのかと不安になったのだろう。しかし、少女が続けた言葉はまるで反対の意味だった。

「あたしの名前、アリエットって言うの。『きみ』とか『あなた』ってかたっくるしいもん」

「う、うん。僕はルペルツィオって言います」

 何故そこで語調が変わるのか? ルペルは顔を赤くさせて、何だか緊張しているようだ。

「……でさ、えと、アリエット。何で僕を助けてくれたの?」

「だって、何だか頼りないんだもん。連中、駆け出しの冒険者を狙って酒代を稼いでるの。あたし、そう言うの許せないんだ」

 ぐっと拳を握りしめて、アリエットが力説する。その迫力に呑まれながらも、ルペルは何度も頭を縦に振っていた。

「お父さんは……あ、今外で暴れてる人ね。関係のないことに足を突っ込むなって言うけど、あたしカーッとなっちゃうと止まらなくてさ」

 あはは、とアリエットは舌を出す。

「ほんと、がさつで嫌になっちゃうよね」

「そんなことないよ! そのお陰で僕たちは、助かったん、だから……」

「……ん、ありがと」

 竜頭蛇尾なルペルの言葉だが、その必死さは伝わったようだ。アリエットは戸惑いながらも、くす、と笑った。

「あ、そうだ。紹介してなかったよね。この猫は……」

「ヴィッケだ、覚えておくがいい」

 先んじて名乗った吾輩に、ルペルは驚いた顔で振り向く。

「あれ? なるべく正体を明かさないんじゃなかったの?」

「まあ、別段隠すことではなかろう。敵ではなさそうだし、それに……」

 ルペルに向かい、表情筋の可動臨界点で一笑に付してやる。

「お前なんぞよりも、ずっとしっかりしているようだからな」

「な、なんだよそれ~」

「見てみろ。アリエットはあのように、余裕の表情だぞ」

 憮然とルペルがアリエットに振り返る。少女は吾輩とルペルを交互に見遣り、にっこり笑って言い放った。

「腹話術? 上手だね~」

「あ、アリエット……」

 がくっ。つんのめる吾輩の姿が滑稽だったのだろう、アリエットはとても愉快そうな笑い声を上げた。吾輩をひょいと抱き上げる。

「冗談だって! ヴィッケくん、使い魔さんでしょ?」

「……解っているくせに、のらりくらりと……」

 このヴィッケが後れを取るとは、アリエット恐るべし……。

「でもさ、あんまり驚かないね?」

「お客さんの中には使い魔を連れてる人も珍しくないんだよ? ここは人とお金の交差点、商業都市アルチェスタだから、ね」

 喋るのは珍しいけど……とアリエットは付け加えた。そうであろうそうであろう。

「こんなに可愛いなんて知らなかったなあ」

 がくっ。頭を落とす吾輩の姿が滑稽だったのだろう、アリエットはとても愉快そうな笑い声を上げた。

 アリエットは手近の椅子に腰を下ろす。ルペルにもそれとなく座るよう促すと、好奇心に満ちた瞳を吾輩らに向けてきた。

「ねぇ、ルペルって冒険者なんでしょ。しかも、使い魔まで連れてるってことは腕利きの魔術使だよね」

「あー、うん、そ~だね~」

 『腕利き』に反応したのだろう、ルペルは困った顔で肯定の意を示した。

 それをどういう風に勘違いしたのか、アリエットは顔を輝かす。

「なになに? 極悪非道な魔界の王でも斃しに行く旅、とか?」

 そんじょそこいらに魔界の王がいたのでは堪ったものではない。まぁ、極悪非道の爆発魔術使ならば出会ってしまったが……。

「ううん……僕はそんなすごいこと出来ないよ。僕は、試練の旅の途中で……『ハーディエイジの聖印』を探してるんだ」

「『ハーディエイジの聖印』? それって何かスゴイ秘宝だったりするの?」

「う~ん、どうだろ……いたっ」

 腕を組んで何やら思索し出したルペルの腐った頭を、吾輩はあらん限りの力でもって引っ叩いた。

「バカ者! ご主人様のお力を秘めた物品はその全てが宝であるッ」

 目の端に涙を浮かべたルペルが恨めしげな目を向ける。

「そんなこと言ったって……」

 頭をさすりさすり、ブツブツ文句を言っている。何とも度量の小さい男だ。

「いいか、ハーディエイジ様はな……」

 吾輩が叱咤を重ねようと、ルペルの眼前に立ちはだかる。すると、アリエットが素っ頓狂な声を出した。

「ああーっ! それ、聞いたことあるよ!」

「ほんとっ?」

「ぐわっ!」

 言うよりも早く、ルペルが猛烈な力で吾輩の身体を跳ねとばし、アリエットの両手をしっかと握りしめた。

 吾輩はと言えば、猪突の勢いに目を回してしまう。くく……覚えていろ……。

「う、うん……ルペル、手、ちょっと痛い……」

「え……あ、ごめんなさいっ」

 顔を真っ赤にして手を放す。なぜかその手は自身の背中にまで回っていた。

「つつ……その話は確かなのか?」

 吾輩の言葉に、アリエットは大きく頷いた。

「お父さんと冒険者の人が話してるのを聞いたことがあるの。今年の賞品は『ハーディエイジの聖印』だって……」

「何だとっ」

 むむぅ……賞品となるだけの威光の存在にはまず疑いの余地はない。が、それにしても賞品として世に放出する愚行には、尋常ならぬ疑問を抱かずにはいられない。いったいハーディエイジ様を何だと思っているのか!

「賞品? 何の?」

 吾輩の憤慨やるかたなしと言った地団駄は、ルペルのとぼけた声に掻き消された。……言われてみれば、確かに気になる。吾輩、頭に沸騰した血が巡ってそこまで気が回らなかったようである。

 アリエットは頬に指を当て、記憶の原をそぞろ歩きしているようだ。

「……うーん、ごめん。ちょっと覚えてないや。多分、詳しいことはお父さんが知ってると思う……けど」

 ちらりと、アリエットが視線を扉の向こうへ投げかけた。

 外では、いまだ天地が覆るかのような轟音が響いている。

 宴はまだ、終わっちゃいない。

「……はぁ。これじゃあ、聞くのは無理そうね」

 アリエットはやれやれ、と微笑んだ。

「あ、……はは」

 果たしてこの店は、経営を続けて行けるのだろうか?

 段々と大きくなっていく叫喚に、吾輩そう思わずにいられなかった……。


  4


 ……ちゅんちゅんと口喧しく、鳥たちが朝の訪れを知らせている。

 ううむ。朝が来たようだ。吾輩の目蓋に、格子から差し込む光が降り注いでいる。

 ここはどこであったか……埃っぽい布団から身を剥がすと、薄暗い室内が陶然と輪郭を晒している。吾輩、ようやく頭がはっきりと覚醒してきた。ここは、酒場の納屋である。

 先日ルペルがもめごとに頭から突っ込まされた、『竜の杯亭』だ。どういう訳か当のルペルは、木箱に足を突っ込んで寝ている。

 吾輩はぼんやりと、昨日のやりとりを思い出す。覚醒とともに、段々と記憶が隅々を奔り始めたようだ。

 あの後……台風一過を彷彿とさせる酒場の真ん中に、若き頃取った杵柄を存分に振り回し、思いの丈を全て吐き出したのだろう、『オーガハング』ことマスターが、大の字で寝ころんで高らかないびきをかいていたのだ。

 それでも店には、涼しい顔の客が大勢残っているのだから分からない。恐らく、ここではあのようならんちき騒ぎが日常茶飯事なのだろう。

 大変なのは一人残されたアリエットである。正しく柱たる主人は爆睡、酒場の中は散らかり放題、客の応対にてんてこ舞い。

 ルペルと吾輩に給仕の命が下されるには、さほど時間が掛からなかった……。

 ……それから先はあまり記憶にない。ただ、短い猫手を必死に駆使し、フライパンをひっくり返していたことだけは覚えている。

「むむ……なぜこんなに酷使されねばならんのか……」

 苦役の報酬として、納屋を寝床にと提供してくれたのだが、それにしたってあんまりだと思う。このような固いしとねでは、逆に疲労が募る気さえする。

 普段使わない筋肉を使ったためか、身体の各所が引きつるように痛い。大きく息を吸い込み伸びをすると、バキボキと不吉な音がした。

 だが、それに負けじと響くのは、魔術使見習いの安心しきった寝息である。

 ……吾輩よりも長く睡眠をとるとは、何と無礼なヤツか。吾輩、意味もなくムカついてくる。

 その幸せそうな顔でも引っ掻いてやろうと立ち上がったその時、ガララッと派手な音を立てて戸が開き、目映き光が我先にと室内に飛び込んできた。

「おっはよー!」

 手に幾つかのパンが乗ったバスケットを両手に足で蹴り開けた戸から入ってきたのは、当の酒場の看板娘、アリエットだ。光が余りに眩しくて詳細に窺い知ることは出来ないが、その後にはどうやら黒くて大きなモノがまとわりついている。

「……んん~」

 お天気娘の快声に、ようやくルペルも目覚めたようだ。いまだ意味不明な呻きを上げてはいるが、アリエットを見て頭をこっくりこっくりさせている……って、寝惚けているのか。

「あはは、今起きたの? よっぽど疲れてたんだね。もう日が昇ってずいぶん経つんだけど?」

 アリエットは部屋の奥にある古びた机にバスケットを置くと、ナイフでパンを切り分け始めた。香ばしい匂いがする。

「昨日はありがとね。助かっちゃった」

 ほんの少し、申し訳なさそうに舌を出す。

 吾輩は机に飛び乗り、バスケットを覗いた。色々なパンにチーズ、白いポットとカップ、それに底の浅い皿が二枚入っている。

「慌てないの。君のごはんはこれ」

 と、アリエットは皿にミルクを注いだ。うむ、よく分かっているようだ。ビスケットがあればもっと好ましいのだが……。

「はい、ルペル」

 のそのそといった風体で、ルペルが歩いてきた。

「ん……ありが、と」

 皿を持ったまま頭を直角に落とすルペル。そのまま寝息を立て始めた。

 こいつ、いい加減にしないかっ! 吾輩は足に爪を立ててやった。

「うひゃあっ」

 ルペルが素っ頓狂な声を上げた。わはは、いい気味だ。そう、吾輩が勝ち誇っていたその時……。

「ワフッ」

「うひゃあっ」

 ななな、何だ? 先程見えた、大きくて黒いモノが、吾輩の首根をベロリンと急襲した?

「こら。ダメでしょ、ココ」

 アリエットが窘めるように撫でているのは、いイ、イヌだ。茶色いブチの、大きな犬。

 ヤツは吾輩を見定め、凶悪な尻尾を千切れんばかりに振り乱し、喰らい付く隙を今か今かと窺っているようだ。

「あはははは、ヴィッケ、『うひゃあ』だって」

 はっきりと覚醒したらしいルペルがけらけらと笑った。……ぐぐ、吾輩最大の汚点だ。

「ゴメンねヴィッケ。でも、仲良くしてね?」 

 むむ、それは無理だ。吾輩は最早定位置と化しているルペルの肩に飛び乗り、彼の敵から身を遠ざけた。

 ココと呼ばれた犬が、未練がましく吾輩を見ている。どうやら深追いはしてこない、狩人としては一流である。ここも安住の地ではないと言うことか。

 ……それにしてもルペルめ、自分のことを棚上げしおって。何時の日かきっと報復してやるから覚悟していろ。



「それでまあ、昨日言ってたことだけど……」

 食事も終わり、ルペルがそう切り出すと、何故かアリエットは一様に顔を明るくさせた。

「『ハーディエイジの聖印』、でしょ?」

「う、うん」

「まかせて! ばっちりお父さんから聞き出したよ」

 アリエットがブイサインを突きだした。かなり得意げである。

「えっとね、これこれ」

 エプロンのポケットから四つ折りのチラシを取り出す。広げてみると、そこには大仰な飾り文字で何やら書いてあった。

「あるちぇ、すたじょうか、だい……」

「ええい、貸せ! ……『アルチェスタ城下大冒険者大会』……?」

 その下には目立つ色で『参加者募集中』とも併記されている。

「まさか……昨日言っていた賞品とは、この大会の賞品ということか……?」

「そのまさか! 一位の賞品としてはっきり『ハーディエイジの聖印』って書いてあるでしょ? ちなみに副賞は金貨五百枚ね」

「ごひゃくまいっ? すごい!」

 吾輩はルペルに必殺の(以下略)。

「お前というヤツは……金貨を幾ら積んだとして、ご主人様の秘宝の足下にも及ばぬと知れ!」

 ルペルは腹を押さえ身悶えしている。息も絶え絶えに「だって~」などと呻いてもいるが、無視だ。

「……でだ。一体、その大会とはどのようなものなのだ?」

「あ、あはは……」

 苦笑いを一つ噛み潰して、アリエットはチラシの中程を指さした。

「今年は、どうやらダンジョン探索のクエストみたいね」

「……今年は?」

「うん。毎年趣旨を変えてるみたい。ちなみに去年は勝ち抜きの闘技大会だったみたいだね」

「ふわ~、去年じゃなくって良かったねえ」

 何時の間にか快復したらしいルペルが、吾輩の頭の上から声を出した。

「安心するのは早いがな。まだ、去年のほうが可能性があった、何てことになるやもしれんぞ」

「……ヤなこと言わないでよ」

 吾輩の警鐘に、ルペルがげぇ~っと顔を歪める。だが、事実だ。内容をはっきりと確認し、それを細部に渡って分析せねばなるまい。……何と言っても、ことに当たるのがこのバカなのだから。

「まあ、危険なことには違いないけどね」

「それで……どうやったら出場できるの?」

 ルペルが素朴な疑問を口にする。

「簡単よ。受付に参加したいって言えば、それで登録できるの。ただ、一つ問題があってね……」

「え、なに?」

「大会、今日なの」

「何だって? ならば、急いで受付を済ませてしまわねば……!」

 吾輩の鼻に人差し指をちょこんと乗せて、一つ間をおくアリエット。

「大会は、二人一組でないと出場を認めて貰えないの。一人でも三人でもだめ」

 ……ははは。これは参った。吾輩、アリエットの言葉に腰をがっくり折ってしまった。

「辣腕の冒険者ならまだしも、ルペルが今日中にパートナーを見付けられるはずがない……」

 大会には参加出来なければ当然、我らが『ハーディエイジの聖印』を手にする機会は永久に訪れない。それは、吾輩がご主人様の願いを聞き届けられなかったという、最悪の事態をも意味する。

「ふーん、今日なんだ、そうなんだ」

 ルペルは、どこから来るのか聞きたいくらいに余裕の表情を浮かべている。

「……はあ。何と言うことだ。ここにきて、最大の関所へと迷い込んでしまったか……」  

 落胆する吾輩の姿が滑稽にでも見えるのか、アリエットはにこにこと満面の笑みを湛えている。

「なに? 大会に出らんないのがそんなに残念?」

「当たり前だ……」

「大会に出らんないとそんなに困るの?」

「当たり前だ!」

 剥き出された牙を見て、アリエットはいささかたじろいだ様子だった。犬がワンワンと威嚇している。

 しかし次の瞬間、アリエットはまたもや笑い始めたのだ。楽しくて仕方がない様子でにやにやと。どうやら、後に退けたのは演技だったようだ。

 ずいっと吾輩に詰め寄り、一言。

「出られるよ、大会」

「な、何だとっ」

「出られるの、大会?」 

 おうむと成り果てたルペルが喜んでいるのか悲しいのかよく分からない顔をした。

「うん。要は、もう一人参加者がいればいいんでしょ」

 持っていたくだものナイフをクルクルと指先で回しながら、アリエットは何やら思案顔だ。

「一人だけ、冒険者大会に出てくれる宛てがあるんだよねー」

「どっ、どこの誰だっ?」

 がたたっ。吾輩はトレイを蹴り、アリエットに迫った。

「め・の・ま・え」

 と、もったいぶった口調で指さしたのは、自分自身である。その顔が、にっこりと笑って言った。

「あたしが一緒に出てあげるよ、ルペル」

 刹那、納屋の中に静寂の妖精が舞い踊った……。

「……あ、アリエット?」

 石膏のように硬直していた顔をばりばりと砕いて、ルペルは焦ったような口調だ。

「ほ、本気?」

「実はね、昨日からもう決めてたんだ。あなたと出ようって!」

「で、でも、アリエット。きみは女の子だし、その、危ないと思う……」

「関係ないよ! それに、困ってるんでしょ? 選択の余地はないと思うけど?」

 むむ、先程感じた違和感の正体はこれか。アリエットは始めから、冒険者大会にルペルを連れ立って参加する腹づもりだったというワケだな。

 ひょっとすると、我らに宿泊を許したことすらもこの為の布石だったのかもしれん。

「それにね、あたしこう見えても剣の腕には自信があるんだ」

 腕をまくり、力こぶを作ってみせる。しなやかなその腕に、確かに流線型の丘陵が隆起した。 

 ならず者と対峙した時に見たあの気迫は、確固たる実力に裏付けられたものなのだろう。

「で、でもさ、でもさ」

 ええいもどかしい。ルペルはあたふたと空中に向かって何か唱えているばかり。ヤツに任せておいては、昇ったばかりの日が暮れてしまいそうだ。

 吾輩はアリエットの眼前に爪をぴたりと定めた。ただならぬ雰囲気に、アリエットの顔がにわかに引き締まる。

「ここより先は一切の冗談抜きだ。吾輩もガキの使いではない」

「理解してるつもりだよ」

 まっすぐに吾輩の眼を見据えて、アリエットは勧告を突っぱねた。

「危険なのだろう?」

「そうだね」

「覚悟はできているのか?」

「もちろん」

 じっと、見詰める。アリエットの瞳には、一点の曇りも揺らぎもない。見事なまでに肝が据わっていた。

 そして、しばしの沈黙。

 揺らいでいた大気までもそぞろ歩きの足を留め、凍り付く。ごくん、というルペルの嚥下する音がヤケに響き渡った。

 切迫した鬼気が、せめぎ合い爆発せんとしたその時……!

「……ふ」

「……はは」

 ――両者は顔を崩し、笑い掛ける。

 もののふ同士のみが感じ得る、お互いの胸中。吾輩とアリエットは、今正に、心で通じ合ったのであった。

 吾輩が突きだした爪。それは今や宣戦布告ではなく共同調和の証である。アリエットはその白き爪に指を絡ませしっかと握った。

「うむ! お前の決意は良く分かった。それでは、宜しくたの……」

「ちょぉお~っと待った!」

 ばぁんっ!

 大仰な音を立て開いた扉を窮屈そうにくぐった大男が、鉄の塊――鉄ナベだが――を片手にのっしのっしとやってきた。

「そんなこったろうと思ったぜ」

 毛が舞うほどに激しい溜息を放り出すと、大男は持っていた鉄ナベで肩をトントンとやった。緩慢な動きであるのに、何故か威圧される仕草である。ルペルなどは、慌てて酒樽の影に引っ込んでしまった。

「お、お父さん」

「人を無理矢理起こしといて『ハーディエイジの聖印ってなんだっけ~?』だもんな。おてんばなお前のことだから、もしやと思って聞いてれば……」

「盗み聞きしてたんだ! ひどいよ!」

「うるせえ! ちったぁ親のいうことも聞けッてんだ!」

 盛り上がった筋肉を更に膨れあがらせ、大男は真っ赤な顔をしてつばを飛ばす。

「……お前がどうしてもってんなら、俺だって反対はしない」

「ほんとっ?」

「話は最後まで聞けっ! ……だがな、命ァ預ける相棒があれで、いいのか?」

 指さした方向には、大きな酒樽。スパイスの効いた重低音に、がたりと樽が小さく揺れた。

「……あはは」

 アリエットも笑うしかない。ううむ、否定出来ないのが何より空しい。

「確かに……頼りないけどね。でもルペルは、魔術使なんだよ」

「魔術使たって半人前なんだろう。もっと腕利きの冒険者とか……いや、俺が一緒に……」

 天の導きとばかりに顔を輝かせて手を打つ酒場の主人に、アリエットは大きく両手とかぶりとを振る。

「とっ、とにかく、あたしはルペルと一緒に出るって決めたの!」

「あんなひょうろくだまにお前が守れるか!」

 小さな納屋に大きな声を轟かせ、顔を真っ赤に灯した親子はとうとう言い争いを始めてしまった。その勢いは烈火のごとし。何とも近所迷惑な親子喧嘩である。

「どうしたらいいんだろ……」

 樽から半分だけ顔を覗かせ、ルペルが呟いた。いわずもがな、その声は吾輩に向けられているわけで。

「……はぁ。そうだな、あの大男はお前の実力を訝しがっているのだ。ならば、魔術の冴えでも見せてやれ」

 だから当然吾輩も全く期待を示さず投げやりに答えてやる。そろそろ親離れしてもいい頃だ。

「そっか! うん、わかったぞ」

 と、どこから湧いて出るのか不思議なくらいの自信を奮い、ルペルは物陰から立ち上がる。

「おおお父さん!」

「誰がお父さんだッ」

「み、見ててくださいお父さん! マナよ我が元へ集え……」

 こめかみに血管を浮かべて振り返った大男の目に映ったものは、バチバチと華を散らす電光。『雷』を重ねた二行魔術、『鳴る神』の顕現である。って、おい……。

「ば、バカ者ッ! 基礎講で習ったろう、こんな閉所で雷撃なんぞ放ったら……」

 吾輩の警鐘はもはやルペルには届かない。子どものように瞳をキラキラさせながら、尚もマナを収束させる……!

「僕、こんなことが出来るんですっ」

 電光は放たれた。

 霹靂轟たる地獄の音をともなって……。 


  5


「……まぁ、小僧の実力は、よっくわかった。だがな……」

 こんがりと小麦色に焼き上がった大男が、ルペルの肩に手を乗せて言った。その手に、ぎりりと恨みがましく力がこもる。

「どうしてくれんだよ、これ!」

 これ、とは見渡す限り消し炭と化した、向こう一週間分はあろうかという食物の類であろう。

「主人。サーモンなどは良い感じでスモークされているが」

「ンな問題かっ!」

 うぐ、やはりごまかせなかったか。

 ルペルの放った雷撃の魔術は、納屋の壁づたいに這い回り、その道々に黒い焦げ跡を足取りと残した。屋根は穿たれ柱は焼かれ、見るも無惨な全焼家屋と化したわけである。吾輩、何かイヤなものを思い出してしまった。

「いいじゃない、お父さん。賞金が出れば、もう一軒店開いてもお釣りがくるよ」

「ま、まあそうだが……優勝できる保証なんてどこにも……」

「大丈夫よ! あたしは『オーガハング』の異名を取ったバージル・シューナーの娘、アリエット・シューナーなんだから! 自分の娘でしょ? 信頼しなさいって!」

 そこまで言われて観念したのか、、酒場の主人ことバージルは、肩をすくめてアリエットをみやった。口元に、柔らかい笑みを浮かべて。

「……はぁ……お前が、日に日に淑女への階段を駆け下りていくのが悲しくて仕方がない……」

「じゃあ、許してくれるのね?」

 そしてまた、突風のような大きな溜息を放り出す。

「……行って来い」

「……っ!」

 アリエットとルペルは無言で顔を向き合わせ、手を取り合った。

「やったあぁっ!」

「おいこら小僧、必要以上に引っ付くんじゃねえ!」

 昼日中のポカポカとした陽気の中、それに負けないくらい明るい声が空に響く。

 真夏の太陽のようなお天気娘、アリエット・シューナーはこうして仲間と加わったのであった……。

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