第16話 糸

 学校にいく。部活がある日は部室にいって、ないときは図書室で宿題を片付ける。そこからバイトに行く。まかないを食べて帰宅後。家事をする。宿題が終わっていなかったら宿題をして、予習と復習をする。余力があったら創作もする。そんな日常に戻ると、考え事をする暇なんてない。日課をこなすだけで一日は終わってしまう。

 何の変哲もない毎日に戻ったはずだった。その日も習慣からポストを覗いただけ。

 速達が一通、届いていた。

 佐井くんからだ。逃げるように帰って以来、連絡はとっていない。ああなってから初めての手紙。

 たまらなくなって部屋に駆け込んだ。かばんをどさりと置いて、差出人と宛先に間違いがないかを確認する。

 緊張しながらも、やや軽くて厚みのない封筒を切った。飛び出てきた中身は便せん一枚。念のためもう一度見ても空っぽだった。複数枚のやりとりをしていた私たちにとって、この枚数は初めてだ。

『おかげさまで、持っていった同人誌は完売した。羽瀬川さんに売り上げを渡したいから、口座を持ってたら番号を教えてほしい。

 それと、イベントが終わったあと、あの編集さんと話した。

 秘密を漏らさないだろうから、一番に言うね。

 来年春、『モノクロ』でデビューすると思う。』

 極力心情を書いていない、事実だけの羅列。手書きの文字なのに他人行儀。

 沖原さんとどういうやりとりがあったかも、頑なに編集さんとの話を避けようとしたのも。なにより追いかけてきて問いかけた言葉についても。何一つ書かれていなかった。

 多分、書けなかったのだ。そして、直接会うには、今の私たちには遠すぎた。

なら電話は。知っていても、どうしてもかけられない。なんていえばいいか、わからないから。

 便箋を封筒に戻し、佐井くんからの手紙を、今までと同じように手紙の保管箱にしまった。

 制服のままベッドへ倒れこむ。

「おめでとう」も「ありがとう」も、言いたいのに。言えない自分を。素直じゃない自分をせめて隠したい。

 私は初めて、返事を書かなかった。


 文字にしてしまえばこぼれ落ちてしまう。伝えたいことが伝わらない。それは私も同じだった。


ごめんなさい?おめでとう?これからも仲良くしてね?私を見捨てないで?

全部そうで全部違う。

嫌いになった?なんて聞けない。

こっちだって聞かれたら困るよ。

だってそうでしょう。

気持ちの整理がついてないもの。

どうしてすらすらと言葉が出てくるのに、伝えたい相手に伝えたい気持ちを的確に表す言葉がでてこない。





『卵』 瀬川みなせ


 ――ああ、割れたんじゃないんだ。もうとっくに割れてたんだ。割れていたのに割れていないふりをして、まだ卵はそのままの形ですって主張していただけ。


 卵でもいい、風船でもいい。いつかは割れてしまうんだ。割れたのがその場にあるもの全部だったら、それはそれでかまわない。全部残ったらこのうえないハッピーだ。ただ、ただ。


 隣の女の子がどこまでも翔けてって、進めない私は、時間が経つのを待たずに割れてしまった。


 かけらを集めてやり直そうか?拾い集めてモザイクみたいにさ。


 少しだけ、休んでさ。


(S社新人賞 二次落ち)






 イベントにまた一緒に出ないかと手紙がきたのは、確か大学一年の秋だった。それも数あるなかで、挙げていたのは私たちにとって思い出のイベント、文コミだ。

 初めてのイベント、いろいろなことがあったサークル参加のイベント。そしてほろ苦い経験をしたもの。

 私がサークル参加をした経験は二回。二回目は、大学に入学したばかりの春。晴れて寮生活、それも個室なので一人暮らしに慣れてきた頃だ。

 地元からこちらに出てきた人は一人もいないし、中学までの付き合いはほぼ消滅している。春から少しの痛みを思い返していた。

 寮のルールや大学生活、新しいバイトと慣れないことにあたふたしながらも、自分で製本して参加した。

 同人活動は思ったより手間がかかる。書いて終わりではなく、印刷会社を探し、表紙作成とページレイアウト、荷物の搬入に料金の払込。面倒な作業でいっぱいだ。もちろん滞りなく申し込みをして、カタログに掲載するサークルカットも必要になる。

 楽しいけれど大変だ。無知だったとはいえ、あのとき佐井くんに労力も時間もお金もかけさせた。  

 そんな思いを持ちながら作業をして、なにも言わずひとりぼっちで参加した。

 

サークル名こそ違うものの、作者名は、同じペンネームの瀬川みなせ。こちらも変えるべきだったのかもしれない。

「モノクロランプで相模さんと一緒に同人誌を出していた人ですよね?サインをもらってきてくれませんか」「在庫があったらモノクロランプを売ってくれませんか」

 一般参加者の入場早々、サークルスペースに複数名の人が口々に訪ねてきた。

 私へのお客さんではない、佐井くん目当ての、相模セナ目当ての人たち。

「あの、できないです、ごめんなさい」

「でも同じサークルだったでしょう?」

「作家本人で、売り子じゃないですよね?」

視界か知らない人たちの悪意のない問いかけで埋め尽くされて、本当にわからないという顔をされて。

私だってわからないことを、どうやったら答えられるの。

黙っていても、黙るしかなくても、問いかけは止まない。

 やめて、ほしい。

 お願いだから、触れないで。

 見かねた隣のスペースの人がスタッフを呼んでくれた。飛んできたスタッフは厳重注意をしてくれた。私はすぐに在庫をまとめて寮まで帰るしかなかった。

 どうやったって、私は見いだされないのか。

 いつまでたっても添え物にしかなれないのか。

 ひどい顔で旅行かばんを持って戻った姿に寮母さんを心配させてしまった。

 私はおまけ。ただのツナギ。

 痛いほどわかったから、私はこの日以降、イベントに売り手側として参加していない。私は必要とされていない。それがただ、悲しくて。半年前の出来事が鮮やかに蘇ってきて、思わずぎゅっと目をつぶった。


 第一、佐井くんは顔が割れている。サイン会やらインタビューやらで、いつの間にか撮られた写真が拡散されているのだ。まとめサイトでかっこよすぎる作家として話題になっていたほどなのだし。もし一緒に参加したら、それこそ大騒ぎになってしまうだろう。

 相模セナのSNSのフォロワー数は見るたびに増えている。

 お金はあるところに集まるというけど、愛も同じだ。


『愛されている人に愛はたくさん降り注ぐんだ。暖かい場所は、さらに暖かくなって、快適になる』

 やり場のない気持ちをネットに吐き出して、私は久しぶりに手紙の返事を書いた。

 二年ぶりに書いた佐井くんへのメッセージはすぐに書き終わった。

 そろそろ郵便の転送サービスも終わる。気まぐれに引っ越し先と、自分のお金でやっとこさ買った携帯電話の番号と、メールアドレスも添えて手紙を投函した。ついでに相模セナのSNSもフォローする。

 しばらくして、私のSNSが、佐井くんのアカウントからフォローされた。

 作家じゃないほうのリアルアカウントからだ。流れ作業的にフォローを返した。

 相互フォローをしても、直接のやりとりはない。ただただ薄くつながっているだけ。

 『いかない』と言った私と佐井くんとの糸は、ほつれて切れかかっている。

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