第14話 埋まらない溝、縮まらない距離


「あの」

 私が話を読み終えた頃だった。長机の前に、スーツを着た人が現れる。会場に大人がいるのは珍しくない。ただ、スーツというのはあまり見ない服装だ。運営さんでさえ、ラフな格好の上からスタッフ証を下げているのだ。ちょっと浮いている感じがした。

「佐上さんは、いらっしゃいますか?」

「はい、僕ですけど」

 この人は誰。突然の指名に、二人とも困惑した。

 私たちは他の参加者と同じように、ペンネームを設定して同人誌を出していた。

 私は瀬川みなせ。佐井くんは佐上。佐井くんも初対面らしく、リアルで会ってる人でもなさそうだ。そして、創作関係でネット上の交流を持つことはどちらもしていない。

「私、こういうものです」

 大人は名刺を一枚差し出した。

「……」

 受け取った佐井くんは、しばらく身動きをしなかった。

 私はそれを遠慮がちにうかがう。息を飲んだ。

 名前は沖原通晴。所属は大手出版社の編集部。編集者だ。

「今休憩中でね、持ち込みの」

 笑いかける大人は、イベントへは仕事で来ているらしい。

 文コミでは、漫画の持ち込みコーナーを設けていた。会場の一角にいくつかの出版社が社員を常駐させ、希望者が原稿を持ち込み、プロからのアドバイスを受けることができる仕組みだ。少数だけど、持ち込み原稿が編集者の目に留まり、デビューした人もいる。

持ち込みコーナーは地方住みにとってはまたとないチャンスとなる。例年人気のようだった。

 けれど、小説の持ち込み受付は1つもなかった。ないものはしょうがないから、売り手としてイベントを楽しもうという意識で今日を迎えた。

 なのにこんなの、聞いてない。

サークルに勧誘なんて。

「僕は元々文芸……つまり、小説のほうの編集部にいたんだ。だから小説の同人誌を見ていたんだけど。……ピンときたよ。君はいい作品を出せる」

 私の隣にいる人は、どうやらスカウトされているらしい。

「……もしかして僕、現在進行形で騙されちゃったりしてます?」

 軽くおちゃらけた佐井くんに、沖原さんは笑った。モデルになりたいという思いを持つ女の子が、芸能事務所を自称する人に騙されるケースがあるのはそこそこあること。その作家版がないとは言い切れない。

「いい、いいよ!慎重で何よりだ。ぶっちゃけスカウト制度なんてこのイベントにはないからね。もし怪しいと思うなら、持ち込みコーナーに偵察にきたらいい。ちゃんと仕事してるから。よかったら、イベントが終わったあと、そこに連絡してきて!ゆっくり話そう」

 沖原さんは、去っていった。台風みたいだ。通りすぎたあとは街路樹の葉が無惨に落ちて、道端にはビニール袋が転がっていて。

そんな風に、なにかがさっきまでと違っていた。

 私たちは、黙ったまま。

「……羽瀬川さん、ごめん、ちょっと電話していい?」

「うん」

 佐井くんは、少しだけ携帯で調べものをして、番号を控えて、電話をかけに、スペースから離れた。

名刺とにらめっこしながら、何事かを一生懸命話している。

数分ほどで通話は終わり、佐井くんが戻ってきた。

「…………」

 携帯をしまい、佐井くんは、息を吐く。

 続きを待つ。

「……あの人、本物だった。会社に電話をしたら、そういう人はいますって、教えてくれた」

「…………そう、すごいじゃない!」

いやにテンションが高い声は、自分でも不自然すぎるほどだった。

 何かを言いかけようとした佐井くんは、できなかった。

 物理的な問題だった。お客さんが何人も来たからだ。あれよあれよと、モノクロランプはどんどん売れていく。

 お互い特に宣伝はしていないはずだ。リアルの友人に、佐井くんは話していない。私の方も距離的にここまで飼いに来ることはまずない。それでも、なぜだか他の参加者よりも多い人数が私たちのスペースに来ている。

 私の書いた本はあまり動いていない。

 お呼びじゃないので、お金の管理と品出しくらいしかできていない。一生懸命電卓を叩いて、間違いがないように気を付ける。私よりもコミュニケーション力も見てくれもよい佐井くんが、私の書いた物語を勧めてくれる。お客さんと楽しげに話しながら。

 お義理で買ってくれる人もいる。

 けれど、同じように。初めてのイベントなのに。

 どうみたって、佐井くんのほうの作品が減っているの。

 やっとお客さんの一団がさばけたときには、二人ともうっすらと汗を書いていた。自覚していないうちにたくさん動いたのだろう。

 あるいは緊張。

「はは、姉さんがなんか宣伝してくれてるみたい」

 その場の空気はそこまで軽くはならなかった。

 なるほど。私の弟が出ているのでよろしく、と宣伝しておけば、お姉さんの作品目当てにきた人も、弟である佐井くんの冊子を手に取るのかもしれない。

 そんな理論的な結論は導き出せたけど。それだけではない気がする。

 ハンカチで額の汗を拭きとると、体が急速に冷えていく。背中の汗は拭けなかったから。きっと汗の蒸発に伴って、体温が下がっているのだ。

「……ねえ、一緒にさっきの人の偵察にいかない?」

 おもむろに発した言葉はこの場から逃げたかった現れなのかもしれない。

「……おっけー!そのあと他の人のスペースもまわろっか」

 佐井くんは承諾してくれた。

 私たちは一時的にスペースを離れる用意をして、貴重品だけを持ち、連れだって歩いた。トイレや食事、他のスペースへのお出かけで、参加者が自分のスペースを離れることは珍しいことじゃない。長机の上に布をかけておいて、「これだけの時間持ち場を離れます」と一筆書き、あとは自己責任で目的を果たしに行く。同人誌を買い、馴染みの創作家さんに挨拶をする。そんな人達はちらほらいた。顔馴染みは一人としていないけれど、いつかあんなふうに仲良くなれたらなと思う。

少し先のスペースでは新刊の交換をしていて、さっき通りすぎたところではお菓子の差し入れをしていた。

スケッチブックにイラストを書いている人、満面の笑みで本を買う人。みんな本当に楽しそう。

 私は何も話さなかったし、佐井くんも無理に口を開かなかった。

どうしてだろう。何を言っても不自然になる予感で一杯だった。

 一言も話さないまま、会場から離れた持ち込みコーナーに到着した。目的の編集部ブースでは、ちょうど持ち込みをしていた人との話が終わったところらしい。仕事をしていた沖原さんがいた。

 こちらに気づいて笑いかけてくれる。

 佐井くんに。あの人は佐井くんを見ている。

 私は後ずさり、一人、その場から逃げた。

「……!待って」

 佐井くんが人ごみの中追いかけてくる。私はすぐに追いつかれてしまった。

 うまく顔を見ることができない。

「……ごめん、ちょっとおなか痛いから、少し離れるね」

 そんな方便を、佐井くんは純粋に信じてくれた。

「大丈夫?顔色、悪いよ。っていうか、青い。しんどいなら早退しても」

 この人は、本当に、疑うことを知らない、きっと汚い感情を知らない。児童書の中の世界みたいに。

「大丈夫。薬だけ飲みたいから、ちょっとだけお手洗い行くね」

「わかった。僕も外で待っとくから。つらくなったら言って」

「うん」

 心配そうな表情に罪の意識を感じる。

 私は足早に女子トイレへと駆け込んだ。息をついて、鏡を見る。

「……」

 苦し紛れの嘘を信じるはずだ。鏡の中の私は、かなりひどい顔をしていた。

 青ざめた顔はひきつっている。お世辞にも、笑っているとはいえない。

 眉間にしわ。目は細まっている。口許には笑みをはりつけて。

 嫉妬、だ。醜い。とても、醜い。

自分でも直視できず、私は個室に飛び込んだ。

 こんな私が、大嫌い。でもどうしようもなく、悔しい。どうしたらいいの。どうしたら、私はまた笑える?


 

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