第12話 イベント

月日は流れ、高校二年生の秋ごろ。

 お楽しみとなった、佐井くんからの手紙を部屋で開く。

『コミケみたいなやつ、覗いてみない?』

 手紙を何回も読んで、文面が私の読み間違いではないことを確認した。遊びの誘い。こんなことは初めてだ。佐井くんの文字は読みやすい。コミケとはっきり書かれている。ほかのなにか、例えばユミクなんかの見間違いでもなかった。

 コミケは大規模な同人誌即売会。人気のあるジャンルを原作にした漫画やグッズが大量に販売されている。そして購入者でごった返している。……という大雑把な知識は、文芸部仲間から得た。

 東京にある大きめの会場で開催されるのだけれど、それでもすごい人数が詰めかけ、トイレに長蛇の列ができるほどなのだそうだ。夏と冬開催されるが、初心者は冬から行けと言われている。夏は熱気ですごいらしいから女子は特に、とのことだった。いや、そのまえに東京に行けるお金はねん出できない。

 同人誌イベントは話にはよく聞くものの、正直縁がないと思っていた。原作がついている創作物、アニメや漫画の設定をもとにストーリーをつくる二次創作は、読みはするけどあまり書かない。私たち二人ともだ。記憶しているなかで、佐井くんが二次創作を私に送ってきたことは一度もない。

 けれど、佐井くんが誘ってくれた「コミケみたいなやつ」の開催場所は、前に住んでいた場所からほど近い。また、小規模のため、人の熱気にくらくらするようなこともないらしい。それに加え、一次創作オンリー、つまり自分のオリジナル原稿だけで勝負するイベントだということで、ようやく合点がいった。

『自分の本を出したいっていう人達が多く集まってるみたいだから、羽瀬川さん、きっと楽しめると思う』

 この一文が、何事にも慎重すぎる私を後押しした。

 かかる交通費と時間を計算すると、所持金をやりくりすればなんとかいけそうだ。

 私はさっそく手紙を書き始めた。もちろん答えは、YES一択。




 乗り換えと発着時間をチラシの裏にびっしりと書いて、私は待ち合わせの地下鉄改札前にいた。腕時計は待ち合わせの時間ぴったりを示している。場所も何度目かの確認をした。地下鉄改札南口。あっている。間違えてはいないはず。それでも私は一人ぼっちのままだった。

 こんなときに、携帯電話があったらよかったのに。気をまぎらわせるのにぴったりだっただろう。服の袖口を握りしめる。

 心臓がばくばくする。待ち合わせ時間を過ぎても、約束の相手は現れない。

 連絡はこちらから佐井くんにとるしかない。ただ、公衆電話は見渡せる範囲に存在しない。下手に動くと迷いそうだ。私はこの場に留まることにした。


 通行人の流れは途切れない。人が多くて息が苦しい。

 みんな脇目も降らずに歩いていて、自分だけが取り残されたみたいな感覚。そんな風に自分を主張して、ここに在るとアピールしながら歩き続けることが、私にとっては難しい。

数だけじゃない。意識の波にも酔う。

こんなにも人がいて、それぞれに物語がある。誰かには知られても、大多数には読まれもしない。そして忘れられていく。

 大きな柱にもたれかかって、漠然と雑踏を眺めていた。

「羽瀬川さん?」

 遠慮がちな声に、ゆるゆると振り返った。

 細い線の男の子が立っていた。ところどころのパーツに見覚えがある。

「……佐井くん?」

 恐る恐る呼び掛ける。ややかたい顔をしていた彼はにぱっと笑った。

「久しぶり。元気してた?」

 この人は、二年ぶりに会ったというのに変わらずに接してくれる。懐かしく、中学生のときの続きをしているみたいだ。

 私はうなずいた。

「それじゃ、いこっか」

「うん」

 同じ目的地に行くので、自然と距離は近くなった。

 横には、ますます背が高くなった佐井くんがいる。襟付きのシャツにセーター。臙脂のカラーパンツ。相変らず派手すぎず地味すぎずのセンスは健在だ。五十年前のブラウスにお下がりの膝丈スカートという私は、貧相にみえてしまうかもしれない。隣で並んでいるから余計に。

 いや、それでも。私がどんな見てくれであろうと、佐井くんは普段通りに話しかけてくれるのかもしれない。今回も手持ちの中でましと思われる服装で外に出たので、真偽は分からないけれども。


 数分歩いて到着した会場には長机とパイプ椅子が所狭しと、しかし整然と並べられている。入場券がわりの冊子カタログを買って中に入ると、会場は思い思いの作品を立ち読みしたり、買い求めたりする人でごった返していた。

「うわあ……」

 こんなにも、自分の作品を誰かに読んでほしいと願う人がいる。そして、読みたいと思う人も。

 私たちみたいな十代は、大学のゼミ生などが参加しているグループあたりにいる。けれどざっと見た感じ、売り手も買い手も二十から三十代くらいが一番多いかもしれない。みんなきらきらしている。笑顔が素敵で、幸せそう。そこに年齢は関係ない。

 思わずため息をついた。

「いいよね、こういうの」

 静かな口調にゆっくりと同意する。

「ほんと。みんな、自分の世界を持っているね」

「……うん」

 あてもなく歩いて、それぞれの世界観を垣間見る。

 沸き上がってくるのは、書きたい衝動。自分も仲間になりたいという渇望。

「…………いつか、私も出してみたい」

 思わず心の声が漏れてしまっていた。戻そうとしても戻ってくれない。ちらりと横を見て聞こえていないことを願っていたけど、隣の人に届いていた。

 安心させてくれる表情でこちらを見る。

「出せるよ、羽瀬川さんなら」

 私は笑いかける。たとえ嘘でも力を十分にくれるから。それになにより、佐井くんの言葉だったから。私は勇気をもらうことができたし、なんだってうまくできる予感を持てた。

 隣では、いいことを思い付いた!という無邪気な表情がある。

「そうだ、大学生になったら同人誌、一緒に出す?」

「えっ!?」

「お互い書きためてるしさ、お金だしあったらいい感じにできると思うんだ」

 突拍子もない提案だと思ったけれど、佐井くんは本当に実現してしまうだろう。そのメンバーに、私が入っていたのもうれしかった。

 選んでくれたみたいで。

 断る理由なんてない。

「うん、よろしくお願いします!」

 一人なら無理でも、二人ならできてしまう気がした。特に相手が佐井くんなら。

「そうだ、大学ってもう志望校考え始めてる感じなの?」

 一転真面目な話になる。私は頭を切り替えた。

「一応。県内にある国公立の、文学部」

「あーあそこか!」

 私が小声で口にした大学はかなり偏差値が高いところだ。志望校を表明したら、上を見すぎ、分不相応、やや厳しい、と進路相談で言われている。同じようにあきれられるかと思ったら、そうではなかった。

「嫌だったらごめんね、でも、文学部ってなんだかぴったりだと思う!それにこっちに戻ってこれるじゃん」

 今の居住地はへんぴなところで、通える範囲に大学はない。大手を振って進学するにはそれ相応の大学に受かるか、理由が必要だった。

 明るくて、ポジティブなこの人は、今も変わらずに元気づけてくれる。どことなくほっとする。

「……嬉しい。佐井くんは?」

「考え中だけど、人文系かな……。できたら国公立」

「じゃあ、ちょっと書くのはセーブしないとだめかもね……」

 国公立は私大に比べて試験の科目数が多い。きっと来年のこのイベントには参加する余裕はない。それは確定だ。今の時期だって勉強していなければならない。

「それなら、推薦狙っちゃう?もちろん物語は書くけど、若干量を減らしつつ」

 国公立にも推薦入試は存在する。本当に少なくて、校内で一人くらいしか枠はない。ただ、ものすごく頑張れば手が届かないわけではない。そして、推薦入試は合否が秋にわかるため、イベントにも参加できるはずだ。佐井くんの立てた計画通りに事が進めばこのうえない幸せだろう。

「そうだね!」

「がんばりますか!」

「うん!」


 その日佐井くんは、気に入った同人誌を買った。イベントの後はドーナツ屋さんに寄って少しだけ話して、四時くらいに別れた。片道三時間。乗り継ぎに乗り継ぎを重ねて、私は帰っていく。


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