第8話 現実の創作
『ランプを持った無垢でないこども』 羽瀬川紗菜
小学生のアイは、世界を危機に陥れている魔王と立ち向かう勇者に選ばれた。
年上の仲間とともに、魔王の正体を暴いていくところから始めるアイ。
魔王は着実に世界を征服している。魔王の正体は複数人か、かなり頭のいい人物だと予測されていた。しかし、世界が恐れた魔王は、アイと年の変わらない男の子だった。
『魔王のキャラがいい。これからどうなっていくか楽しみだから、続き待ってる!』
返ってきたノートには、このように書かれたルーズリーフが挟み込まれていた。ちらりと正面を見ると、あいもかわらずにこりと笑う。
黙って挟まったルーズリーフを取り出して、シャーペンを振った。
『佐井くんの話の方こそ、すごく読みやすくて心にすとんってくる。早く続きが読みたい』
『ありがとう。じゃあ、早く続きを読むためにも、お互い書きますか』
『うん』
私はルーズリーフをしまい、ノートを広げた。
相手も同じく。
――私は本を読むことが、三度の飯より好きだ。それを誉められたことはあまりない。もっというと、こういうのができるんじゃないかとか、前向きな言葉を言ってくれた経験もほとんどない。だから、佐井くんの言葉についその気になって、自分にも物語が書けるんじゃないかと思って、気合いを入れて書いた。
書いたものを佐井くんに見せたら、こんな風に感想をもらった。
率直に、嬉しかった。
さて、書こうと言い出した本人は、新しいルーズリーフを取り出している。
罫線を無視して文字を書く様子を、私は見守った。
『俺、しばらく最後の大会で忙しくなるから、続き遅れるかも』
すっと差し出されたので、私は紙を手繰り寄せた。今年の男子バレーボール部は強い。いいところまでいけるんじゃないかともっぱらの噂だ。余白に自分の気持ちを書き込む。
『そうか、最後の大会、応援してるね!』
目を見てにっこりとした佐井くんは、任せろと言っているみたいだった。
『だから、次の選択までノート持っといて。今日いっぱい書いとくから』
反射的にOKを出そうとして、はたと気づく。
『じゃあ、私のノート、代わりに持って行って。そうしないと、出ていくとき手ぶらになっちゃうでしょ?』
私は真新しいノートを一冊見せた。今のノートに書ききれなくなったときのために、予備のノートを持ってきていたのだ。変に注目はされないようにするのは心得ている。ただでさえ目ざとい人が多いのだから。私たちはお互いに小さくうなずく。そして、雑談を書いた紙を佐井くんは回収し、今度こそ書き物に集中した。
無言で三十分以上。集中していたらあっという間だ。時間を見計らって佐井くんがアイコンタクトをした。授業終了のベルが鳴る前に、ノートをさりげなく交換する。色とデザインがおそろいの、そのあたりで売っている安物のノート。どちらも表紙は無記名だ。見た目が同じなのだから、入れ替わっても不思議じゃない。
中をちらりとみると、そこにはのびやかな文字が並んでいた。
佐井くんの痕跡だ。
ベルが鳴る。私たちの時間の終わり。
挨拶もそこそこにみんなが図書室から出ていく。佐井くんもやんちゃな人たちと一緒に出ていった。
私は最後に出ていくことにして、交換したノートをもう一度見た。ふと、プリントが挟み込まれていることに気づく。大事なものだったら大変だ。
選択科目は週一。提出物を持っていたら佐井くんに迷惑がかかる。早く届けないと。
『今日もお疲れ様!この授業ほんとに息抜きだわ。いつのまにか受験生になったけどさ、高校どこ行くの?』
慌てて中を確認すると、そんなメッセージが書きつけられていた。裏返すと、英語の設問が書かれた面には大きくばってんが書かれている。……余りプリントに書かれたメッセージは、私宛だろうか。
面と向かってしゃべれない分、私たちはこうして文字でやりとりしている。授業のときの雑談以外にも増えるのは、すごく嬉しい。楽しみが増えた気がした。
返事は家で書くことにして、私はノートを抱き締めて、教室に戻った。
『部活お疲れ様。香月高校の普通科で考えてる。もうすぐ模試もあるもんね。移動図書館も行けなくなるかなあ』
『香月か~。って、めちゃかしこいとこじゃん!はせがわさんなら余裕じゃない?こっちもそろそろ考える。ってわけで今度の移動図書館でもまたあおー(。・ω・。)ゞ』
『男バレ県大会突破おめでとう。このまえの移動図書館、あんまりおすすめ本言えなくてごめんね。佐井くんの書く話は、すごく優しくて、読んでてあったかくなる。もしかして、児童書とか絵本とか小さいころよく読んでた?』
『ありがとう!れんしゅーきつくなってすげーねむい!でも、はせがわさんの話読むの楽しい。こっちも続き、ちょっとずつでも書くから!あ、絵本とか児童書だけど、小さいときけっこう読んだ。っていうか、児童書は今も読んでる(笑)。ちょっと年のわりにあれかな?でも、できたら今度その話したい』
『部活動、大変だね。児童書の話、楽しみにしてる 』
ノートの交換は選択科目のたびに続けた。そのたびに手紙みたいなやりとりの文章は更新されていった。
でも。続きをかけないまま、紙に書いたやりとりは止まっていた。
雨はあがって。部屋の中は蒸し暑くなっていた。何度も読んだ雑談のプリントは、触りすぎたからか角が薄くなっている。
誰もいない部屋で、ノートを見て。何回繰り返しただろう。そんなところに、インターホンが鳴った。
息を殺す。玄関前は物音ひとつしない。壊れたのだろうか?いや。間を開けて、もう一度鳴るインターホン。誰かが扉の前にいる。私は存在感を極限まで消す。訪問者が諦める気配は感じない。
「…………羽瀬川さーん」
いらつきが滲まない声。懐かしい声が聞こえてきた気がした。
聞き間違い?
「羽瀬川さーん」
おずおずと、玄関に近づいていき、木製のドアを開ける。
ぎい、という音とともに、ひゅうっと風が入ってきた。
帰りかけようとしていた訪問者が、振り返った。夏服の白いシャツがまぶしい。
ないとは思いながら、そうだったらいいと思っていた人だった。
「羽瀬川、さん?」
振り返った顔は、いつもと違っていた。
戸惑って、いたのだと思う。
出てこようとしない私に。
「佐井、くん、どうしたの?」
「……あ、選択科目のノート提出、学期末だから、出さないといけなくて、確か羽瀬川さん、僕の持ったままかなって」
復活した低いコミュニケーション能力は、佐井くんにも伝染したのかもしれない。いつもの朗々とした感じではなく、どことなく歯切れが悪かった。
そういえば、もうそんな時期になっていた。日付感覚が狂っていて、思い出すまでにしばらくかかった。
もしかしたら、課題の締め切りが今日で、今日中の提出を命じられたのかもしれない。一度家に取りに帰ってこい、とか言われていたりして。生徒間で『忘れました』なら怒られて『持ってくるのを忘れました』ならあまり怒られないことが発見されて以来、先生たちも対抗策をたてていた覚えがある。
「……ごめんね、持ってくる」
私は返事を聞かず、奥に引っ込んだ。借りっぱなしのノートに少しだけ文章を追加して、急いでとってかえす。
「長い間ごめんね、ありがとう」
ドアの隙間からノートを差し出すと、佐井くんの瞳が揺れた。ゆっくりと受け取ろうとするが、その手がとまる。
「…………羽瀬川さんの、ノートは?」
「……え?」
「え、じゃないよ。三週間も学校休んで。期末テストも全然来なかったんじゃ」
「……佐井くんには、関係ないよ」
これ以上は踏み込まれたくない。私にしては珍しく、はっきりと拒絶した。
隙間越しに見た瞳は揺るぎない。
「関係、あるよ」
それは、あなたが、困っている人を放っておくことができないからだ。私が本をぶちまけたとき、さりげなく助けてくれたみたいに。
あの目を見てしまえば、石にはならなくとも、自分の姿がさらされて、暴かれているようで。
だめな自分を突き付けられているようで、逃げたい。
「…………ごめん、帰ってほしい。家族が帰ってくると、いろいろとうるさいから」
「ちょ、羽瀬川さん?」
ノートをむりやり押し付けて、ばたんとドアを閉める。
ドアの向こうにはしばらく人が留まっていたけど、諦めたように離れていった。ぼろぼろのアパートに、ゆっくりとした足音が響く。私はドアから離れ、部屋へと引っ込んだ。
そしてカーテンの隙間からこっそりと、外を歩く姿を探した。
離れていく人は少しだけうつむいていたように見えたけれど、それはきっと気のせいだ。
私は自分を省みて、ひとまずは着替ることにした。
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