狼谷 龍の見た景色

「ど、どこ行ってたんですか、ももももぅ!」

「……桃?」

「ち、違いますよーぅ!」

 着替えが終わった龍宮寺から、ぺちぺちたたきつけを食らいながら、俺は苦笑いを浮かべる。

「まぁ、ちょっと飛行機で、な」

「ひ、飛行機?」

 最初こそ小首をかしげていた龍宮寺だったが、直ぐに納得したかのように頷いた。

「あ、ああ、そういう事ですか。わ、わざわざ海外まで、おおおお疲れ様でしたっ」

 ……こいつも、やっぱり『魔王』なんだな。

 龍宮寺の評価を改めていると、岩崎妹がこちらにやってきた。

「あ、まおー先輩も一緒なんですね」

「だから、『魔王』はこいつで、俺は隠居済みだ」

 そう言って俺が龍宮寺を指差すと、岩崎妹は後輩を見た後、一瞬言葉を詰まらせる。しかし、やがて決心したかのように、口を開いた。

「そ、その、悪かったわね! いろいろ。あんまり、自分が変だった実感はないけど、白黒決着付いたら、スッキリしたわ」

「わ、わっ! そ、そんなっ! こ、こちらこそ、すみませんですぅ!」

 何故謝るのかわからないが、龍宮寺はぺこぺこ頭を下げている。そんな龍宮寺を見て、岩崎妹は、もじもじし始めた。

「な、何であなたが謝るのよ!」

「そ、その、何ででしょう?」

「私に聞かないでよ!」

「え、えへへへっ」

「ま、全くもう、姫ちゃんはバカなんだからっ」

 言った瞬間、岩崎妹の頬が真っ赤に染まる。龍宮寺は口を半開きにしてそんな彼女を見つめていたが、やがて耐えきれなくなったのか、岩崎妹は自分のサイドテールを指でいじりだした。

「ば、バカっ! 何かいいなさいよ! 私が恥ずかしいでしょっ!」

「は、はい! ううう嬉しいですっ! 岩崎さんっ!」

「ば、バカっ! 私が姫ちゃんって呼ぶんだから、あんたは良美って呼びなさいよっ!」

「は、はいですぅ! 良美ちゃんーっ!」

「こ、こら! ほっぺすりすりするのやめなさいよっ!」

 ……どうやら、落ち着く所に落ち着いたようだな。

 元々、そんなに仲は悪くはなかったのだろう。『魔王』と『勇者』の関係と、そこにいらぬ外圧で二人の関係が歪んでいただけなのだ。

『勇者』が『魔王』に討伐され、余計な外圧がなくなった今、彼女たちの仲が戻るのは、自然なことに違いない。

 俺は微かに笑みを浮かべると、姦しい二人に近づいていく。俺に気づいた二人がじゃれ合いを止めた。

「仲がいいのはいいが、お前はあまりネットの影響を受けすぎるなよ? その上で、素直に真っ直ぐ育て」

 動きを止めた岩崎妹の頭がちょうどいい位置にあったため、俺は彼女の頭を撫でる。

 岩崎妹の顔が、リンゴみたいになって面白い。龍宮寺は電磁波で全身に静電気を帯びたかのように、ピカチュウのフードの毛が逆立っている。お前はどんな仕組みで動いてるんだ?

「じ、じじじじゃあ、私、行くから! 何かあったら、私を頼ってよね! 姫ちゃん、まおー先輩っ!」

「だから、『魔王』じゃねぇっつってんだろ!」

 返事をせず、走り去る岩崎妹の姿を見て、龍宮寺がポツリとつぶやいた。

「あ、あれは、洗脳じゃなかったんだ」

「狼谷っ!」

 龍宮寺の言葉が気になったが、名前を呼ばれたのでそちらを優先。振り返ると、岩崎姉がこちらに手を振りながら走ってきていた。

「ひ、久しぶりだな! 狼谷っ!」

「ああ、体育系に話を根回ししてもらった時以来だな。あの時は助かった」

「い、いやぁ、あれぐらいであれば、お安い御用だ! 毎日だって呼んでくれても構わないぞっ!」

「そいつは心強いな」

「う、うむ! そうだろう、そうだろうっ!」

「そういえば、先日も助かったよ」

「……ん? 一体何の話だ?」

 岩崎姉は思い至る事がないのか、首を捻る。そんな彼女に向かって、俺は苦笑いをした。

「おいおい、こいつが世話になっただろ?」

 そう言って龍宮寺の方を指差すと、岩崎姉の顔面が一瞬にして真っ青になる。

「ついこの間のことだぞ? もう忘れたのか?」

「そ、そそそ、その、そのだな! 狼谷っ! あ、あれは別に、何だ? いいいイジメだとか、そういうわけではなくて、その、かかか狼谷に近づく虫をだなっ! その――」

「ん? 後半はよくわからんが、助かったのは事実だよ。岩崎妹がネットから、特にニバスクリオープって奴から影響を受けていたってのは、その時にわかったんだからな」

「そ、そうか? そうかっ!」

 先ほどとは打って変わり、岩崎姉は満面の笑みを浮かべる。母親から褒めてもらった子供のような笑みに、こちらも自然と表情が緩んだ。

「ああ、本当に助かったよ。ちなみに、ニバスクリオープを名乗っていた奴には親切今節丁寧に、自分が何をやったのか、教えておいてやった。もう岩崎妹に、この摩天楼学園にちょっかいを出してくるような事はねぇよ。永遠にな」

「それは良かった! な、なら、他に私がお前を手伝える事は――」

「いや、せっかくだが、お前の手を借りるような事はもうねぇんだ。悪いな」

「そ、そうか……」

 今度は母親から怒られた子供見たく、岩崎姉は露骨に落ち込む。喜怒哀楽がわかり易すぎて、やっぱり俺は笑ってしまった。

「そうだな。じゃあ、これから姉妹共々、龍宮寺とは仲良くしてやって欲しい」

「そ、それは、お前からのお願いなのか? 狼谷」

「ん? まぁ、そうだな」

「そ、そうかっ!」

 今のやり取りで、岩崎姉にどんな心境の変化が起こったのか、またあの太陽の微笑みが蘇る。

 ……俺も家族愛以外の愛を知れば、こういう心の機微もわかるのかねぇ。

 当たり前だが、俺は岩崎姉の母親でもなければ父親でもないので、岩崎姉の心の動きがよくわからない。しかし、彼女が笑ってくれているのであれば、それはきっといい事なので、俺はひとまずこれで良しとした。

「で、ではまた会おう! 龍宮寺姫も、これからよろしくなっ!」

 そう言って、岩崎姉は走り去る。後ろ姿は、何処となく岩崎妹と似ている気がした。やはり、この辺りは姉妹という事なのだろう。

「で? お前はさっきから、一体何なんだ?」

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「――だから、ジド目でこっち睨んで、一体なんなんだよ?」

「い、いいえ、別に。ななななんでもありません。いいですね、何でもできる人は」

「いや、出来ることを必死にやってるだけだぞ、俺は」

 そう言って、俺じゃ肩をすくめて歩き出す。だが、いつもは駆け寄ってくる足音が、今は聞こえない。振り返ると、龍宮寺は、その場で俯き、立ち止まったままだった。

「何だ? 本当にどうしたんだ?」

 

「こ、これで、さささ最後、ですね」

 

「……ああ、そうだな」

 龍宮寺が言わんとしている事に思い至り、俺も足を止め、龍宮寺と向かい合う。出会った時に咲いていた桜の花びらはとうに散り、桜の樹は次の春に向けて、今は青々とした葉を茂らせていた。

 出会いの季節は、もう終わりを迎えている。

 暫く続いた沈黙を破ったのは、俺だった。

「思えば、一ヶ月って期間は、長いようで短かったな」

「は、はい。せ、先輩には、本当に助けてもらいっぱなしで、けけけ『決戦』も、その、せ、先輩と一緒だったから、あ、あたしは『勇者』を討伐することが出来たんだと思いますっ!」

 龍宮寺は、まだ顔を上げない。

「まぁ、最初だけ乗り越えれられれば、『魔王』はなんとか続けて行けるだろうよ。元々お前、ポテンシャルあったしな」

「そ、そんな事ないですっ!」

 ようやく、龍宮寺が顔を上げる。

「あ、あたしは、先輩がいたから――」

「謙遜すんなよ、後輩。今日の『決戦』もお前は自分の身体能力で切り抜けれたし、他の『決戦』もお前の洞察力があれば、時間があれば解決できただろうが」

「じ、時間がなければ、かかか解決出来ませんでしたっ!」

「それをサポートするのが『ご隠居』の仕事さ。そして、その本来の『ご隠居』役は、俺じゃねぇ。別のやつだ」

 そう言うと、龍宮寺は唇を噛んだ。

「で、でも、御狐神先輩は、こここここには、いないんですよ?」

「そうだ。だから今、不知火先輩が、お前のサポート役に適任の奴を探している」

「せ、先輩でいいじゃないですかっ!」

 龍宮寺は、真っ直ぐ俺を見つめていた。出会った時の自信のなさはまだ残っている。それでも、俺を見つめる後輩の目は力強く、そして何より、潤んだ瞳が美しい。

「あ、あたし、先輩から、色んな事を教わりました。そそそそれこそ、『魔王』としての振る舞いや、ゆ、『勇者』との向き合い方は、ぜぜぜ全部! 全部全部、先輩から教わりましたっ!」

 両の美しい瞳から、更に美しい雫が零れ落ちる。本来であれば、それを拭ってやるのが正しい行いなのだろう。しかし、太陽の光を浴びて輝くそれは、あまりにも美しくて、その正しい行動を、俺は取ることが出来ない。

 これは、ただのエゴイズム。俺の我儘だ。ただただこの美しい光景を見ていたいと思うが故に、正しさを捨て、間違えれる。

 ……ああ、やっぱり俺は、『魔王』なんだな。

 何も口に含んでいないのに、苦味を感じる。その勘違いの味覚が契機となり、俺は苦笑を浮かべた。

「俺は、お前にそんなだいそれたものを教えたつもりはねぇよ。お前がそう感じたなら、お前がそれを求め、欲し、吸収した結果って事だろ」

 そして更に、その苦笑いは濃いものとなる。

「龍宮寺。俺がお前に生徒会室で『魔王』の事について話したこと、覚えているか?」

「は、はい。おおお覚えてます。あの時は、先輩、ずずずずっと、あ、あたしの頭、撫で回してました」

「そうだったな」

 あれは、龍宮寺の手を引いて、不知火先輩の所に行った時のことだ。

「『勇者』は得意分野(オンリーワン)を伸ばせる(目指せる)が、『魔王』はその役に選ばれた瞬間に、全知全能(オールラウンダー)を求められる(強要される)。龍宮寺。やっぱりお前は、『魔王』だよ。全てを吸収して、全知全能に至ろうとしている」

 次に俺は、苦味のない笑みを自然と浮かべる事が出来た。

「そうだ、『魔王』だ。不知火先輩が、そして俺が、俺達が担っていた、全知全能で、全力で挑み、迫り来る『勇者』を屠り、討伐する、紛うことなき『魔王』の系譜に、お前は相応しい」

「せ、先輩。知ってましたか?」

 そう言った龍宮寺の頬には、もはやあの美しい雫は流れていなかった。それを見れなくなった事への一抹の寂しさもあったが、それ以上に、俺の中には満足感が広がっていた。

 これでいい。龍宮寺が、不安や寂しさでその頬を濡らす必要は、もはや何処にもないのだから。

「あ、あたしが、あたしが先輩を先輩って呼ぶのは、せせせ先輩だけなんですからねっ!」

 ……言いたい事がわかり辛れぇよ。

 だが、いいたい事は理解できたし、知ってもいた。だから俺は、こう返す。

「俺が後輩って呼ぶ後輩は、お前が二人目だよ」

「し、知ってますっ!」

 だからだろうか?

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「――その感情は、理解できるぜ」

 そう言って、二人で笑った。笑って、互いに背を向けた。背を向けて、歩き始めた。別々の方向に向かって。

 成り行きで再度始まった俺の『勇者』討伐は、こうして幕を下ろした。

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