龍宮寺 姫の見た世界

 ……き、今日はあの鬼のような特訓がない日なのに、ななな何なんですかーっ!

 散々人の事をしごいたくせに、今日先輩は別の用事があるから、と何事もなかったかのように自分の目の前から去っていった。理不尽にも程がある。

 しかし、特訓がないならないで全然問題ないと、気を取り直して今日は早めに帰宅しようとしたところで、この先輩に第四武道場へ呼び出されたのだ。

「それで、狼谷とはどういう関係なんだ? 龍宮寺姫っ!」

「う、うちの高校、ここここんな先輩ばっかりなんですかーっ!」

 半泣きになりながら、自分はひとまず先輩との関係を話すことにした。

「え、ええとですね。あ、あたし、実は『魔王』という大役を仰せつかったんですけど、さささサポートに回ってもらう『ご隠居』役の方が――」

「知っているっ!」

「そ、そんな気はしていたんですよっ! ち、ちなみに、どどどどなたから、お話を聞かれなんでしょうか?」

「そんなもの、狼谷と赤川、大野に決っているだろっ!」

 決まっているんだ、という言葉は喉元まで出かかったのだが、相手の圧に押されて、自分は何も言えなくなってしまう。

「そ、そもそも、あなたは一体どなたなのでしょうか?」

「き、聞いていないのかっ!」

 ずいぶんショックを受けた様子で、眼の前の先輩はポニーテールを大きく揺らした。暫く放心状態となっていたが、やがて相手は咳払いをすると、ごまかすように口を開いた。

「失礼した。私の名前は、岩崎 宏美(いわさき ひろみ)。狼谷と同じく、摩天楼高等学校の二年生だ」

「そ、そうですか。では、かかか帰ってもいいですか?」

「うむ。私が狼谷と出会ったのは、そう、三年前の、中学三年生の時だった」

「あ、あたしの問に対して、頷きから返答が、すすす全てくいちがってますぅー!」

 また話が通じないやつが出てきたと思うが、岩崎先輩は構わず話を続ける。

「あれは私が『勇者』として狼谷へ『決戦』を申し込んだ時のことだ。当時私は全国でも負けなしだった、薙刀で勝負したのだ。しかし、結果は惨敗。清々しいほどに、瞬殺された。そして、優しい言葉をかけてもらったのだっ!」

「……」

「……」

「……そ、それで?」

「それだけだっ!」

 ……え、えええぇぇぇっ!

 色んな意味で呆然とするが、岩崎先輩は自分の反応に特に気にすることもなく、じたんだを踏んだ。

「くっ! 何故だ? 何故アイツは私の所にやってこないんだっ! この前はたまに顔を出すと言ってくれていたではないかっ! 図書館や美術室に入り浸りおって! 結局久々に顔を見せたのは、四月の『決戦』について根回しする時だけだったではないかっ!」

「あ、あの岩崎先輩だったんですか? せせせ先輩が言ってました。た、体育系でご協力頂けたという」

「なんだとっ!」

 岩崎先輩が、瞬きする暇もなく、自分の懐に飛び込んでくる。早すぎる。

「ほ、他には? 他に狼谷は私の事言っていなかったか? どんな些細な事でもいいのだっ!」

 ……で、デジャヴですよーっ!

 赤川先輩の時と同様に、肩を掴まれ、そしてそれ以上に揺さぶられる。あうあういいながらも、自分はもはや確信めいた気持ちで、岩崎先輩に聞いた。

「い、岩崎先ぱ――」

「――だだだ誰があんな朴念仁の事! すすすす、すすす好きなわけ、あああ、ああああるわけないだろうっ!」

「は、反応が早すぎますよーぅ!」

 間違いない。この人、既に完堕ちしている。

 ……さ、さすが先輩。ゆゆゆ『勇者』の方からやってくるなんて、まさに『魔王中の魔王』ですね! こ、今回は先輩のシゴキが増えるだけで、せせせ先輩が討伐した『勇者』と会うことはないと思ってたのにっ!

 そう考えてから、直ぐに自分の気持が重たくなっているのに気がついた。三度現れた自分の心境の変化に戸惑うも、直ぐに先輩たちの関係が原因なんだと思い至る。

 そう思うと、自然と言葉が口から零れ落ちた。

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「――どうしたんだ? 龍宮寺姫」

「な、ななななんでもないですぅ!」

 あたふたする自分を見て、岩崎先輩は苦笑いを浮かべた。

「お前も『魔王』なら、もっと堂々としていろ。そうでなければ、そうでなくとも、『勇者』はお前に次々に『決戦』を挑んでくるのだからな」

 何も言えないでいる自分に、岩崎先輩は問いかけた。

「知っているのだろう? 龍宮寺姫。アイツが、狼谷が、『魔王中の魔王』と呼ばれている所以を」

「ゆ、『勇者』の討伐率が、ひひひ百パーセントだから、ですか?」

「そうだ。さっきも話した通り、二年前『勇者』だった私もアイツに『決戦』を挑み、負けた。あの、『魔王中の魔王』にな」

「……せ、先輩はそう言われるの、嫌がってたみたいでしたけど」

「いいではないか、別に。アイツに負けた『勇者』の特権だよ。後にも先にも、私に負けるという得難い経験を与えてくれたのは、狼谷だけだからね。だから――」

 そう言って、岩崎先輩は深々と自分に向かって頭を下げた。

「頼む! 妹とは、正々堂々と戦って欲しいっ!」

 突然の事に、自分はひどく狼狽した。

「な、何なんですか? ききき急にっ!」

「妹は、純粋で、本当に真っ直ぐな女の子なんだ! 逆に言えば、疑うことが不慣れで、ネット上の言葉であっても、それが全て善意からの言葉だと思って受け取ってしまう、危うい面がある。狼谷が、今までどうやってお前をサポートして『勇者』を討伐してきたのかは知っている。だが、頼む!」

 そう言って、岩崎先輩は自分の手を掴んだ。

「妹とは、小細工なしで、正面からぶつかってやって欲しいのだ! 私が、真正面から狼谷にぶつかったように、妹にもお前と真正面からぶつかって欲しいのだ! そうすれば、きっと妹は勝っても負けても、成長できる。私のわがままなのは百も承知している! しかし、願わくば私と狼谷の間に得られたものを、お前と妹の、良美の間でも――」

「何やってるの、お姉ちゃんっ!」

 武道場に、凛とした声が響いた。声を発したのは、サイドテールの少女。自分が第四金曜日に『決戦』を行うことになる『勇者』。

 岩崎 良美(いわさき よしみ)が、そこにいた。

「余計な事はしないでって言っているでしょ!」

 岩崎さんは自分を一瞥した後、岩崎先輩に絶対零度の視線を送る。それを受けて一瞬岩崎先輩も怯むが、直ぐに妹からの視線を真正面から受け止めた。

「私の独断は謝る。だが、だったらいい加減教えてくれないか? 良美。お前は一体、何故そこまで『決戦』を急ぐのだ? ついこの間まで、『決戦』を挑む時期は様子を見てからと言っていたではないかっ!」

「そ、それは……」

 岩崎さんは言いよどむが、それでも直ぐに顔を上げる。

「それは、狼谷先輩よっ!」

「なっ!」

 岩崎先輩は、落雷にあった時のような表情を浮かべた。

「な、ななななな、ななななななななな、ななーななななななっ!」

「い、岩崎先輩、ししし喋れてない、です!」

「す、すまない龍宮寺姫!」

 咳払いをし、岩崎先輩は仕切り直す。

「な、何故そこで良美から、あの、その、か、狼谷の名前が出てくるのだ?」

 岩崎先輩の狼狽も、致し方がない部分はある。意中の男性の名前が、『決戦』を逸る理由として妹の口から飛び出したのだ。

 ……も、もしかして、ししし修羅場に、巻き込まれてますか? あ、あたしっ!

 岩崎先輩は、あたふた両手を動かしながら、岩崎さんに問いかける。

「よ、良美は、その、何だ? ま、まさか、狼谷の事が、その、き、気になっているのか?」

「……うん」

 岩崎さんの言葉に、岩崎先輩は絶望的な表情を浮かべた。しかし、その後続く岩崎さんの言葉で、岩崎先輩は更なる窮地に立たされることになる。

「だって、お姉ちゃん、狼谷先輩の写真、部屋に飾って――」

「わー! わー! わーっ!」

 岩崎先輩が奇声を上げながら全力疾走。岩崎さんへと一直線に突貫するが、距離がまだある。更に追われた岩崎さんは岩崎先輩から逃げようとするので、自分の目の前で岩崎姉妹の突発的な鬼ごっこが始まった。

「お姉ちゃん、狼谷先輩の写真見ながら、部屋でニヤニヤしたりして」

「きゃー! きゃー! きゃーっ!」

「ふと我に返って今みたいな奇声あげて、でもお姉ちゃん、写真は手放さなかったりして」

「ち、違うんだ! 違うんだ! 良美っ!」

「嘘! そもそも、なんであんなに狼谷先輩の写真、お姉ちゃん持ってるの? アングル、盗撮っぽい感じになってるし」

「やめろ! 良美! やめるんだっ!」

「狼谷先輩の写真を飾り始めてから、やっぱりお姉ちゃんおかしくなったよ! お姉ちゃんを変にさせた相手なんだって、敵なんだって思って毎日お姉ちゃんの部屋に写真見に言ってたら、私も変な気分になって、狼谷先輩の写真を見ると顔が真っ赤になるし。お姉ちゃんみたいにっ!」

 ……あ、あれ?

 岩崎先輩は、岩崎さんからの暴露話に意識が持っていかれているのか、今の岩崎さんの発言に違和感を持っていないようだ。しかし、自分は今、確かに聞き捨てならない発言を聞いた。

 ……も、もしかして、ししし姉妹、揃って?

 何故だか自分の頬が引きつった。そんな自分はもはや二人の視界には入っていないのか、岩崎姉妹の追いかけっこはラストスパートを迎え始めていた。

「やめて! やめてください! 良美さんっ!」

「やっぱり、お姉ちゃんがおかしくなったのは狼谷先輩のせいだ。全然下着とか興味なかったのに、あんなに真剣に選ぶようになって! 狼谷先輩に見られた時の事、考えてるんでしょ? 私も考えちゃうじゃない!」

「駄目! 本当に駄目! それ以上はっ!」

「嘘ばっかり! 姿見の前でポーズなんて取っちゃってさ! 私も狼谷先輩に見られた時の事意識するでしょっ!」

「よし、わかった! 腹を切る! 切腹する! それで手打ちにしよう! な?」

「私もお姉ちゃんも、おかしくなっちゃったんだ。狼谷先輩が、『魔王』がいけないんだ! だから私が、『魔王』を倒すんだっ! それで全部元通り何だ! 皆そう言ってたもんっ!」

「……み、皆って、どなたですか?」

「へ? ネットの親切な人達だよ?」

 急に聞かれたからか、岩崎さんが素直に自分の問いに答えてくれた。その一瞬のスキを見逃す岩崎先輩ではないようで、惚れ惚れするようなタックルを、自分の妹に決めていた。切腹はどうしたのだろう?

「ふ、ふふふふふ。捕まえたぞ、良美。さぁ、お仕置きの時間だ! ネットがどうしたというのだ?」

「な、なんで! 私はお姉ちゃんの事を思って行動しているだけだよ! お姉ちゃんの事も、ネットの人たちに相談したのっ!」

「なっ! ま、まさか、今お前が話した事、全部書き込んだりしてないだろうなっ!」

「へ? したよ? ニバスクリオープって人が、一番親切に話を聞いてくれて、アドバイスをくれたの。『魔王』を倒せって」

「おおおおおおおおおおおおまああああああああああああああああああああええええええええええええええええはああああああああああああああああああああああああああああっ!」

「じ、じゃあ、あ、あたしは、ここここの辺で」

 壮絶な岩崎姉妹によるキャットファイトが始まったのを尻目に、自分は第四武道場を後にした。

 後から追われるのが嫌なので、ほぼ全速疾走で走っていると、金髪を揺らして歩く眼帯の少女の姿に出会う。

「と、トニーちゃん?」

「……姫ちゃん? どうしたの? もう、帰ったのだと思っていたのだけれど」

「う、うん。そうだったんだけど、つ、次の、けけけ『決戦』、剣道だから、それで――」

「……スポ根ね!」

 途中まで言い終わる前に、トニーちゃんは目を輝かせながら、こちらに一歩、歩み出た。

「……二人の若い肉体が躍動し、互いのそれに硬い棒を打ち付ける。時にはその棒を交わし、時には誘い、時には力で制する」

「あ、あたしの知ってる剣道と、違うような?」

「……大丈夫。同じよ、姫ちゃん。さぁ、力を抜いて。素直に受け入れることが重要なの。そう、練習もそうでしょう? 練習は、弱い所をひたすら苛め抜く行為よね?」

「じ、弱点を、こここ克服するためにやるんだよね?」

「……そうよ。正面同士からの真っ向勝負。互いのプライドを賭けた意地と意地とのぶつかり合い! そして、やがて二人はたどり着くの。絶頂の頂きへとっ!」

「れ、練習の話、だよねっ?」

「……姫ちゃん。ひょっとして、その、まおー先輩と剣道をする時、両方共、防具は付けているのかしら?」

「あ、あたしだけだけど、って、ななななんでガッツポーズするの? トニーちゃんっ!」

「……顔が見えなくてつるぺたなら脳内変換余裕だわ」

「つ、つるぺたって言わないでよ……」

「……姫ちゃん。次回の練習、私も見に行っていいかしら? ネー、スケッチしに行きたいの」

「い、今ネームって言おうとした?」

「……弓お姉様も来たいと言うと思うから、二人分見学者が増えることになるけど、よろしくね。姫ちゃん」

「そ、そんな、決定事項みたいに、いいい言われても……」

 ……お、大野先輩のこと、とととトニーちゃん、弓お姉様って呼ぶんだ。

 ひとまずトニーちゃんとはその場で別れ、見学者の件は先輩にメールで確認する事にした。

 先輩からは、練習の邪魔をしなければ特に問題なと、返信があった。

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