狼谷 龍の見た景色
……どうやら、上手くいったみたいだな。
大野に会いに行った翌日、美術室に顔を出すと、楽しそうでありながらも、一心不乱に絵を描いている堀田の姿があった。堀田の横には当たり前の様に大野がいて、時折大野がアドバイスを送り、堀田が嬉しそうに頷いている。堀田が大野を慕っている様子が。こちらにも伝わって来た。
……もう少し時間がかかると思ったが、無事『決戦』も取り下げられたし、落ち着くところに落ち着けたようだな。
「ぜ、全部、知ってたんですか? 大野先輩と堀田さんの気持ちも、ぜぜぜ全部知ってた上で、先輩は行動していたんですか?」
責めるような龍宮寺の視線を受けて、俺はたまらず肩をすくめた。
「そんな馬鹿な話があるか。神様じゃあるまし」
そうだ。俺はなんでも知っている神様なんかじゃない。『魔王』ではあったが、それはあくまで過去の話だ。
「堀田のキャンパスノートの中身は見ていて、そういうものに興味が出てスランプになったんじゃないか? という予測は立てられた。だから同じような嗜好を持つ大野と会話すれば、ある程度悩みも発散できるんじゃないか? と思ったんだよ」
とはいえ、ここまで上手くいくとは思っていなかった。やはり不知火先輩の予想通り、龍宮寺に任せておいたのが良かったのかもしれない。
……俺も、まだまだだな。
苦笑いを浮かべていると、龍宮寺はまだ猜疑心を持って、俺を見上げている。
「じ、じゃあ、先輩は、おおお大野先輩が、その、だだだ男性同士の、その、そういうのが、好きなんだって、ご存じだった、って事ですよね?」
「ああ。たまには三次元も描きたいから、顔は隠すからモデルになって欲しいって言われているからな。月イチぐらいで、ここには足を運んでいる」
そう言うと龍宮寺は高速で大野の方を向き、『な、眺めて尊ぶべき存在だったんじゃないんですかーっ!』という視線を送っていたが、ものの見事に大野に無視されていた。
龍宮寺が、もしや、という顔になり、俺に再度問いかける。
「ひ、ひょっとして、もももモデルには、御狐神先輩も、ご一緒に?」
「そうだが、あれ? アイツの話、お前にしたっけ? あの後輩の事は、他の奴から聞いたのか?」
「ま、まぁ……」
龍宮寺は、『せ、先輩それ絶対二人とも顔隠されてないパターンです! そそそそしてもう原稿出来上がってるやつですぅ!』という表情をしたが、内容が理解不能だったので、ひとまず気にしない事にした。
さっきの大野に向けた視線といい、龍宮寺がそんな事を言うはずもないし、言うのであれば意味が全く分からない。
……『決戦』の対策で、ちょっと疲れてるのかな? 俺。
そう思い、眉間を揉んでいると、堀田が俺たちの方にやって来た。
「……あ、あの、まおー先輩」
「誰が『魔王』だ。もう隠居しとるわっ!」
「……ひぅ」
「せ、先輩だだだダメだよ! 堀田さん、怖がってるよっ!」
何故だか龍宮寺が、俺と堀田の間に飛び込んでくる。一方堀田は、『……尊ぃ、儚ぃ』と喘いで過呼吸状態となり、それを聞いた龍宮寺は、『い、一応ほほほ本人の前だから! が、我慢してっ!』と堀田の背中を撫でている。
……なんだかよくわからんが、『決戦』が避けられて龍宮寺が堀田と仲良くなれたのであれば、それは非常にいい事だな。
やがて過呼吸状態を脱した堀田が、改めて眼帯の位置を確認して、俺の前に立った。
「……この度は、本当に色々とお世話になりました」
「何言ってんだよ。俺は何もしてねぇぜ」
「……いえ、お世話になってるんです。本当に、色んな意味で」
「は?」
「ほ、堀田さん! ししし深呼吸! 深呼吸だよっ、堀田さんっ!」
「龍宮寺。お前、堀田のヘルパーか何かか?」
「い、一応せせせ先輩のためでもあるんですよ、これっ!」
言っている意味がさっぱり分からんが、その疑問よりも俺は聞きたい事があったため、首をかしげながらも堀田に問いかけた。
「堀田。お前、つい最近美術館のチケットを貰っただろ? あのチケットは、誰からもらったんだ?」
「……はい。チケットは、両親と食事をしたお店で頂きました。確か、中華料理屋だったと思います」
「店の名前は?」
堀田は思い出すためか、少しの間唇に人差し指を当てた後、こう言った。
「……確か、香楼館(しゃんろうかん)、と言いました。お店の人から、珍しい絵が沢山飾ってあるから見た方がいいと進められて」
「そうか。堀田は勉強熱心で、偉いな」
……ロシアの次は、中国か。
まだ見ぬ敵に思いを馳せながら、俺は無意識に堀田の頭を撫でていた。遠巻きで見ていた大野が鼻を猛烈にかきながら立ち上がり、龍宮寺はピカチュウが十万ボルトを放つ姿勢になる。お前ら、器用過ぎるだろ。
一方俺が不用意に撫でてしまった堀田は、どうしているのかというと――
「どうした? 堀田。お前顔、茹蛸みたいになってるぞ? 大丈夫か?」
「ふ、ふわぁ」
「ほ、堀田さん! しっかりっ!」
若干鼻血を出した堀田を、電光石火のスピードで龍宮寺が後ろから支え、介抱する。龍宮寺の方が背が低いので、組み立て体操で人の字を作るような体制になっていた。
「……撫でてもらった上に、し、心配してもらえた。私、もう死んでもいぃ」
「だ、ダメだよ堀田さん! ねねね眠っちゃだめっ! ま、瞼を閉じないでーっ!」
「……き、聞いて、龍宮寺さん。私からの、今わの際のお願いよ」
「し、死ぬ気なの、堀田さんっ!」
「……わ、私の事は、トニーと、そう、呼んで頂戴」
「わ、わかったよ。じ、じゃああ、あたしの事も、姫でいいよっ!」
「……ありがとう」
「そ、それじゃあ、移動させるね?」
「……それから」
「ま、まだあるのっ!」
「……まおー先輩」
「だから、『魔王』はそいつで、俺は隠居済みだ」
龍宮寺を指差しながらそう言うが、堀田は陰ではなく、初めて陽の笑みを浮かべた。
「……あなたは一体、何者なんですか?」
「通りすがりの『魔王』だよ」
そう言った後、忘れずにこうつなげる。
「元、だけどな」
やっぱりまおー先輩だ、と、堀田は鈴を転がしたように笑った後、こう続けた。
「……じゃあ、私の力が必要になったら、いつでも呼んでね。まおー先輩」
「だから、『魔王』じゃねぇっつってんだろ!」
満足そうに笑みを浮かべた堀田を、龍宮寺がずるずると引っ張っていく。それを見ながら、俺は隣の奴に話しかけた。
「どうしてこう、『勇者』は皆負けると同じようなことをいうかねぇ」
「――『勇者』は皆、お節介なのよ。『魔王』と違って、ね」
そう言って大野は、薄く笑う。その笑みに対して、俺は感謝の言葉を伝えた。
「そう言えば、今回は大野に世話になったな。お前のおかげで、『勇者』をまた一人討伐することが出来た」
「――いいのよ。トニーの言う通り、こちらの方がお世話になっているのだから」
「堀田も言ってたけど、その意味がさっぱり分からんのだが」
「――気にしなくていいわ。あなたは、あなたのままでいいのよ」
そう言って、大野は俺から、龍宮寺たちに視線を移す。見れば龍宮寺が堀田にまだ今わの際のお願いをされており、『だ、男装? あ、あたしが?』『……そう。それで、まおー先輩と一緒に行動して』『む、無理無理絶対無理っ!』と会話をしていた。
「――仲、よさそうね」
「ああ。いい事なんだが、俺がいない間に一体何があったんだ?」
「――秘密よ。秘密を共有したからよ」
……なら、そこは俺は立ち入らない方がいいな。
女の子同士の会話に、俺が無理やり入り込んでも、いい話になるとはとても思えない。
少し納得していると、珍しく大野が熱っぽい溜息を付いた。
「――百合も、いいわね」
「は?」
「――何でもないわ。それより、『決戦』にエントリーした『勇者』は、もう一人いると聞いたけれど?」
「ああ、そっちの方は対策の目途は立ってるんだ。大野に手間は取らせねぇよ」
「――――――――――――――――――――そう」
不自然なまでの間があり、その間大野は鼻を取らんばかりの勢いで親指を動かしていた。
「お前、そんなにかくと、血が出来るぞ」
「――誰のせいだと思っているの?」
「お前のせいだろ?」
「――じゃあ、血が出たら、舐めに来て」
「は?」
本当に、意味が分からん。何故龍宮寺と堀田がこのタイミングで会話を止めて、俺をガン見しているのかも、さっぱり理解できない。
……この辺が、不知火先輩から指摘された点なのかねぇ。
自分に足りないものが何なのか、それは全くもって、検討もつかなければ、理解もできない。理解できないが、理解できないなりに、嘘にならない答えを、ここで告げるべきだと、俺は思った。
「血なんかが出なくても、この美術室にはたまによらせてもらうさ。ここの雰囲気と、大野に絵をかいてもらう時間は、嫌いじゃない。もちろん、たまに描くのもな」
「――そう」
はにかんだ元『勇者』は、もう鼻を触る事はなかった。
「――ちゃんと来なさい。私と、トニーの創作意欲のためにね」
「はいよ」
そう言って、俺は美術室の扉に足を向ける。最後のやり取り、何故か大野と堀田の目が爛々に輝いたように錯覚したのは、まだ俺が足りないものを自覚できていないからだろうか?
美術室から出る前に、龍宮寺がこちらに向かって走って来る。
「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」
「――なんだよ、龍宮寺まで。何故お前にまでそんなジド目を向けられなければならんのだ?」
「い、いいえ、別に。ななななんでもありません。いいですね、何でもできる人は」
「いや、出来ることを必死にやってるだけだぞ、俺は」
そういう俺を追い抜いて、龍宮寺は先に美術室から出ていった。
その後ろを、俺は肩をすくめて、後輩の背中に続いていく。
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