第三章 魔王の肖像、描くは勇者
狼谷 龍の見た景色
「さて、次の『勇者』の討伐は、中々頭を悩ませるな」
タブレットを操作しながら、俺は龍宮寺にそう切り出した。隣に座っているポケモンが、俺の言葉を受けておどおどしながら、俺の手元を覗いてくる。
そこに映っていたのは、金髪のあの少女だった。ただし、画像では眼帯はしていない。眼帯を付け始めたのは、中学二年生の終わりの時期らしいので、画像はその前に撮られたものなのだろう。
「第三金曜日にぶつかる『勇者』は、堀田 アントニア(ほりた あんとにあ)。『決戦』は絵画の勝負を希望している」
「お、お絵かき勝負、ですか?」
小首を傾げてこちらを見上げるピカチュウに、俺は思わず苦笑いを漏らした。
「お絵かきって。まぁ、間違ってはいないがな。それより、堀田の志望動機。こいつが問題だ。何せ、『決戦』をする事そのものが目的なんだからな」
「そ、それは、めぐみちゃんの時と、何が違うんですか? 先輩」
「めぐみちゃん?」
龍宮寺が誰の事を言っているのか一瞬わからなかったが、直ぐに上野の事を言っているのだと思い至った。
「なんだ。上野とは、上手くいっているのか?」
「は、はい! おかげさまでっ! 会う度先輩の力になれないかって、あ、あたしとずっと話してくれます。で、でもでも、さささ最近は、その、BLの話を振られたりして、困ってるんですが……」
最初は嬉しそうに話し始めた龍宮寺だったのだが、次第に言葉がしぼんでいく。話し始めた時には忘れていたが今は致命的な間違いに気づいてしまったかのように、何で自分はこんなところにいるんだろうか? というような、場違いな所に迷い込んでしまったかのような、まるで恋人同士の憩いの場に間違って迷い込んでしまい居辛くてたまらないといような、気まずげな表情を浮かべている。
「そ、それで、先輩。めめめめぐみちゃんの時と堀田さんは、何が違うんですか?」
ちらちらと別の方に震えながら視線を送る龍宮寺の疑問に、俺は頷きながら答えた。
「それはな。堀田の場合、『決戦』が目的であり、手段でもあるんだ」
「も、目的であり、手段?」
「ああ。上野の場合、単に『決戦』をする事が目的になっていた。だから志望動機をなくすことで退ける事が出来たんだが、堀田の場合、『決戦』を行う事で、自分の夢を叶えようとしているんだ」
「そ、それって、『決戦』として、正しい志望動機って事なんじゃないんですか?」
「それが、堀田の場合、もっとストレートなんだ。見てみろ」
俺は堀田の志望動機を表示させ、龍宮寺にタブレットを渡す。
「堀田の志望動機は、スランプからの脱出だ」
「す、スランプ、ですか?」
「そうだ。『決戦』の内容が絵画である事からわかるように、堀田は自分の絵に自信を持っているし、美術部にも所属している。だが、最近自分の殻を破れないと、随分思い悩んでいるらしい。今月に入ってからが特にひどく、人物画の、それも偏った内容しか描けなくなってしまったようだ」
「び、美術部……」
そうつぶやいた龍宮寺は、何故ここに連れてこられたのかは、とりあえず理解できました! という表情を浮かべた。そんな後輩を横目に、俺は話を続ける。
「そこで堀田が目を付けたのが、『決戦』だ。自分を更に追い込む事で、自分の殻を破ろうとしている。つまり、『決戦』で『魔王』に勝って高校の推薦枠を得るのが目的なのではなく、『決戦』を通じて自己成長する事が目的なんだ」
「け、結果じゃなくて、けけけ『決戦』をする事そのものが手段でもある、という事ですか?」
「そうだ。だから、このままでは堀田との『決戦』を避ける事が出来ない。外的要因がない以上、堀田の悩みも解決する目途が立ちづらいんだ。特に芸術の分野なんて、感性の問題がかなり影響する。俺みたいなタイプからの影響じゃ、かえって堀田の問題を悪化させちまう可能性だってある。間接的にどう動くのか、かなり悩ましい問題だ」
「そ、そういう観点は気が回せるんですね、先輩……」
「何言ってんだお前。俺はいつも気を利かせてるだろ? 上野の事だって気にしてるし」
「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」
「何なんだよお前は……」
そう言うと、龍宮寺は焦ったように手足をじたばたさせた後、さっきからお前が放置している人にこそ気を使えよ! という視線を、俺以外の奴に向ける。
「そ、それよりですね、先輩! あのあの――」
「――私の事は気にしなくてもいいわ、龍宮寺さん」
そう言って、そいつは自分の髪をかき上げた。窓から春風が吹き込み、パーマを当てた彼女のショートカットが淡く揺れる。ブレザーの袖でもう一度髪の位置を整えると、そいつはその小さな唇を動かし、淡々と言葉を紡いだ。
「――『魔王』だった時から、変わらないのね、あなたは。どうせ私の自己紹介もせず、この美術室に龍宮寺さんを連れ込んだんでしょ?」
淡々としているが、そいつが若干不機嫌である事が、俺にはわかった。中学校からの同級生で、高校も一応繋がりがある。こいつは親指で鼻を触る癖があるのだが、機嫌が悪くなると触る回数が増えるのだ。
龍宮寺は俺の事を気が回らないと言ったが、それぐらいの事は俺でもわかる。
だが、それよりも――
「あれ? 大野の事、俺、お前に話したよな?」
「き、聞いてませんっ!」
キャンパスをこちらに向けて今まで黙々と絵を描き続けていた大野が、これ見よがし大きなため息を付いた。その拍子に、大野の脇に置いてあるキャンパスノートの位置が少しずれる。どこかで見たキャンパスノートを横目に、俺は確かに大野の事を龍宮寺に説明していたはずだと、頭を捻った。
「いや、この前確かに説明したはずだぞ。同級生の大野に、四月はこれ以上『決戦』のエントリーを増やさないよう工作を依頼したって」
「そ、その話は聞いてましたけど、この方がその大野先輩だなんて、あ、あたし、聞いてませんっ!」
「いや、美術部のエース大野 弓(おおの ゆみ)は、コンクールの常連だぞ。美術部にお前を連れてきた時点で、その辺りは察しろよ」
「お、大野さんっていう苗字の方は、結構いらっしゃるじゃないですか! びびび美術部員に大野さんが二名以上ある可能性だってあるんですよ、先輩っ!」
「……確かに、それはそうだな」
「せ、先輩っ!」
「――それで、一体何なの? 一方的に用件だけメールして、私の返答もないまま美術室にまで押しかけて」
盛大にため息を付いて、大野が冷めた目で俺を一瞥する。俺はそれに、口角を少し吊り上げて答えた。
「授業の合間にわざわざ美術室に来てくれたって事は、用件は認識してくれているんだろ? 本当に嫌なら出ていくが、堀田はお前にとって可愛い後輩なんじゃないのか? 何かしら、『決戦』に向けてアドバイスがもらえたら、と思ったんだがな」
「――あなたには、教える事はないわ」
そう言った後、大野はこう続けた。
「――才能のある人間なら、何かきっかけがあれば、すぐにでもスランプは抜け出せるものよ」
最後に溜息を付いて、大野はキャンパスに視線を戻した。そして、それっきりこちらを向く気配はない。
「ど、どうするんですか? 先輩」
龍宮寺が、不安そうに俺を見上げる。俺はそれに、頭を撫でる事で応えた。
「ははははうわぅ!」
「ひとまずお前は、大野と仲良くなれ」
「は、はう?」
「感性の近しい奴から刺激を受けた方がインスピレーションは湧くもんだ。後、変わらず上野とも仲良くしておけよ。くれぐれも、だぞ」
「な、何でそこでめぐみちゃんが、って、せせせ先輩っ!ど、どこに行くんですかっ?」
「どこってお前、次の授業だよ」
「ま、まだ時間あるじゃないですかぁっ!」
「次の授業、俺体育なんだよ。着替えないといけないからさ。頑張れ、龍宮寺」
そう言って俺は、美術室を後にした。
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