龍宮寺 姫の見た世界

「姫ちゃん、本当にありがとうっ!」

「ははははうわぅ!」

『決戦』が行われるはずだった、第二金曜日の登校時。学校の門をくぐった瞬間、上野さんに抱きつかれで頭をぐりぐり撫でられた。

「聞いたよ、姫ちゃん! 姫ちゃんが色々頑張って、私の実家の経営、立て直してくれる事になったんだよねっ!」

 上野さんの話を聞いて、自分は赤川先輩から昨日上原さんの実家へ正式に銀行の融資が決まったという連絡を受けていたことを思い出した。

 図書館に先輩から置いていかれたあの日から、自分と赤川先輩は動き出していた。まず、赤川先輩と一緒に上野家の経営回復プランを練り、不知火先輩から紹介してもらった摩天楼学園のOB・OG経由で上原さんの実家が懇意にしている卸売業者の責任者と銀行の支配人に連絡。地域ブランドの和牛を使った町おこしにも一役買うプランを披露し、二年後にV時回復からの急成長を遂げるという事で両者には納得してもらい、今後五年間の融資とブランド牛を優先的に卸してもらえる等協力を取り付けると、そのまま上野さんの実家へ突撃した。

 もちろん、卸売業者と銀行との調整中に、上野さんのご実家とも、予め経営プランについてのすり合わせは行っていた。元々健全な経営をしていたので、上野さんのご両親にそこまで負担が追加でかかるという事はない。

 赤川先輩と自分が立てたプランは、あくまでくすぶっていた地域ブランド牛を安く買い付ける事と、銀行からの融資を引き出して、卸売業者と長期契約を結ぶことで今までの卸値を割引してもらっただけだ。

 不当に店の評価を下げる輩がいなくなり、お店は今までよりも安く肉を提供できるようになる。さらに、地域ブランド牛という競合店との差別化も図った。銀行も五年間は融資を約束してくれている。

 今まで通りの健全な経営を続ける限り、上野さんの実家が傾くような心配は、もうない。

 自分と戦う理由がなくなった上原さんは、『決戦』の取り下げを行い、それは既に受理されていた。

「あ、あたしは、別に何も……」

「そんな事ないよ! あ、赤川せーんぱいっ!」

「わっ! な、なんやの一体っ!」

 自分だけでなく、赤川先輩を見つけたお団子ヘアーは、元気一杯に彼女にも突貫した。

「ちょ、苦しいって! やめぇやっ! くっつくなぁ!」

「えへへ! 本当にありがとうございます! お父さんもお母さんも、大喜びしてましたよっ!」

「それは良かったけど、ほんまにええ加減に放さんかいドアホっ!」

 赤川先輩からアイアンクローを食らっても、上野さんの満面の笑みは怯まない。

 そして、もう一人。本人の言葉を借りれば、ノイズを除去した人の後姿を、上野さんが発見した。

「おーい! まおーせーんぱいっ!」

「……誰が『魔王』だ。もう隠居しとるわっ!」

 上野さんの言葉に、先輩は引きつった笑みを携えながら振り返る。そんな先輩に向かって、上野さんは先程赤川先輩に行ったのと同じように、突貫した。

 ……あ、赤川先輩、固まってる!

「おい、上野! 女子が気軽に男子にくっつくのはやめろ!」

「えへへ! でもでも、まおー先輩も、色々お助けしてくれたんでしょ?」

「何だそのザックリとした感謝は! 後、『魔王』いうのやめろ! 現役なのはあっちだっ!」

「でもでも、姫ちゃんは、まおー先輩が、今回一番まおーっぽい活躍で、実家の立て直しに協力してくれたって言ってましたよ?」

 先輩からの射るような視線をフードを被る事で、何とかやり過ごせているという気になる。気持ちが大事だ。後で怒られるかもしれないけど。

「う、上原さんっ!」

「えへへ! めぐみでいいよっ!」

「いいから離れろ!」

 先輩から引き離され、上野さんは、天真爛漫に笑った。

「先輩たちには、今回ものすごーく助けられちゃったね! 何か先輩たちが困ってたら、遠慮なく私に言ってね! 力になるからさっ!」

「馬鹿言え。俺に向かってそういうセリフを吐くのは、百年早ぇんだよ。家族を守ろうとする心意気は大切だが、上野はまず自分の将来をもっと考えろ!」

 そう言って先輩は――

 ……あ、頭を撫でた! あ、あたし以外の頭をっ!

「……あ」

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったのか、上野さんは元気印を瞬間封印。口を半開きに開けていたが、瞬きしている間に顔が真っ赤に染まる。

「わ、わわわ、わわわわわわわわわっ!」

 そう言い残し、上野さんは校舎に向かって全力ダッシュ。あっという間にその後姿は見えなくなった。

「何だったんだ? あいつ」

「さ、さぁ、な、なにがあったんやろなぁ」

 ……あ、赤川先輩、声が震えてる!

 それは果たして怒りなのか、あるいは頭を撫でられた上野さんが羨まし過ぎるのか、赤川先輩は生まれたての小鹿の様にぷるぷると震えていた。

「そ、それで? 一人目の討伐は無事完了したけど、二人目はどないするん? ウチは何を手伝えば――」

「いや、もうお前は大丈夫だ」

 ……せ、先輩! それは酷い! あああ赤川先輩、今のはかなり勇気を振り絞ったのにーっ!

 見れば赤川先輩は先程よりも小刻みに震え、紅色した顔で両目の目尻に透明な雫を浮かべていた。

「べ、べべべ別に協力するなんて、ウチは一言も言うてへんかったからな!」

「ああ、そうだな」

「アホ! 狼谷のアホ! ドアホっ!」

「な、何だよ赤川。俺は今回お前に十分すぎる程負担を――」

「ボケ! カス! 死ね! このド畜生がっ! そうやってアンタは、ウチをもっと虐げたらええねんっ!」

 そんな捨て台詞を残して、赤川先輩も走り去っていった。

「いや、最後のは特に意味わからなかったぞ赤川っ!」

 そこは自分も、先輩に同意した。

 しかし一方で、あの図書館で先輩にもっと虐めて欲しいと言った赤川先輩の本音が、思わず出てしまったのでは? とも思わなくもない。

 ……す、すごい、嫌だけどなんかそれが正解っぽいような?

「何だったんだよ、アイツ。俺はただ、上野の件で十分すぎる程迷惑をかけたから、これ以上負担はかけられないって言いたかっただけなんだが」

 そう言って先輩は、自分の隣に来て頭をかいた。その動作で、自分は先輩が上野さんの頭を撫でていたことを思い出す。

「……あ、あたし、嫉妬しますっ!」

「……なんだよ、龍宮寺まで。何故お前にまでそんなジド目を向けられなければならんのだ?」

「い、いいえ、別に。ななななんでもありません。いいですね、何でもできる人は」

「いや、出来ることを必死にやってるだけだぞ、俺は」

 そう言う先輩を置き去りに、自分も校舎に向かって歩みを進める。

 そんな自分の後ろを、肩をすくめた先輩が、ゆっくりとした足取りで続いてきた。

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